9話
突然の地鳴り、亀裂の入った部屋の壁。外に出てみれば瓦礫の山が目に入った。<大いなる厄災>と賢者の魔法使いのことは知っていた。いつもうまく行っているからとあまり気にしていなかったが、どうやら今回は大事になってしまったようだ。
ルウが世話になっている宿にそこまでの被害はなかった。建物の損傷はあるが、修繕すれば済む程度のものだ。通常通りとはいかないが、営業もしている。数日前までは観光客や行商人を泊めていたのが、今では家を失った人たちにベッドを貸しているという状態だ。
ルウは店主から食材の買い出しを頼まれていた。普段より宿泊客が多いため、すぐに食べるものがなくなってしまうのだ。
「おい姉ちゃん! 危ねえ!」
叫び声のしたほうを見ると、男性と目が合った。「私?」思ったのと同時に肩に痛みが走った。目をぎゅっと瞑って、次に瞼を開いたときには地面に倒れていた。体の上に何か乗っている。動けない。瓦礫が崩れてきたのだと理解するのに数秒かかった。
助けて、と言おうとした。しかし息を思うように吸い込めず、口をぱくぱくと動かしただけになってしまった。「頑張れ」や「大丈夫だ」が耳に入ってくる。誰かが駆け寄ってきて瓦礫をどかそうとしてくれているのもわかった。
「アーサー様!」
他よりもその名前だけは鮮明に聞こえた。すぐに体への圧迫感がなくなって、腕を引かれる。青い瞳と目が合った。
「まだ動かないように。すぐに手当てをする」
ルウは返事もせず事の成り行きを眺めていた。痛みよりも何よりも目の前の青年のことで頭がいっぱいになる。彼が呪文を唱えると肩が動くようになった。
「私は治癒の魔法が得意ではないから、後はべつの者に診てもらったほうがいい」
「ぁ……ありがとうございます」
今回の被害者向けに国が医師や治癒士を派遣しているということだった。アーサーもその一環で街の被害の程度を確認して回っているらしい。ただ、医師のもとへ案内してくれるという提案には頷けなかった。あのとき感じていた嫉妬心からではなく、ただの畏れ多いという感情だ。
だがルウが思っていたよりも怪我が酷かったらしく、歩こうとした矢先に倒れ込んでしまう。アーサーに肩を支えられて転ぶには至らなかったが、驚いて息を止めてしまった。一国の王子になんということをさせているのだろう。とんでもない顔をしていたのか、アーサーはルウが痛がっていると勘違いしてしまったようだ。
「すまない。痛んだか?」
「いえ、あの、私のほうこそすみません。私は大丈夫です。お医者様も利用させていただきます。ただ、一度職場に戻ってそのことを報告したいので、失礼します」
宿の主人に事情を話し、アーサーの言っていた場所へ向かう。いつもなら祭りや催し物で賑わっている広場に簡易テントが設置されていた。この場所は被害がなかったようだ。広場にはルウと同じように怪我を負った人が数人見受けられた。
誰に声を掛けていいのかわからずキョロキョロと周囲を見回していると、見知った顔を見つけた。彼――フィガロもルウに気付いたようで、目を丸めて近づいてくる。
「きみも怪我してたんだ」
フィガロの手が肩に触れる。彼はおや、と首をかしげた。
「誰かに魔法使ってもらった?」
「アーサー様……たぶん」
「へえ、妙な巡り合わせだ」
何が、と言い返す前にフィガロがいつもの呪文を唱える。怪我をしていたことなど忘れてしまうほど、肩の違和感が消えた。やはり前は加減して治療していたのだ。
「……フィガロはどうしてここに?」
「俺? 俺は手伝いと……保護者ってところかな」
「保護者?」
ルウが聞き返したのと同時に「フィガロ先生」と彼を呼ぶ声が聞こえた。
フィガロを呼んだ少年は、フィガロと同じ南の魔法使いで、少し前に賢者の魔法使いに選ばれたということだった。賢者の魔法使いといえば<大いなる厄災>と戦う魔法使い、というのがルウの認識だ。基本的にはそれで合っているが、今は復興作業の手伝いや被害者の治療、各地で起きた異変の調査まで請け負っているらしい。
少年の名前はミチルといい、薬の調合が得意でここを手伝っているそうだ。そんな話をしている内にもミチルは呼ばれ、薬瓶を抱えて走って行った。
「忙しそうね」
「うん、まだ被害はじわじわ広がっていきそうな感じかな」
「今年は何かあったの?」
<大いなる厄災>の被害がここまで大きかったという話は聞いたことがない。恐れられてはいるが、魔法使いがどうにかしてくれるという印象だ。ただ、フィガロもこれに関してはよく知らないそうだ。
「俺は戦いの後に補充された身だからね。でも、オズがいてこの結果だ。俺も次から戦いに参加しなきゃいけないわけだけど、先が思いやられるよ」
「……オズ?」
これまでルウがフィガロに会うことは何度かあったが、意識的にこの名前を口にしないようにしていた。思い出すと胸の奥が苦しく、それでいてわずかにあたたかくなる。
「あ、言ってなかったっけ。オズも賢者の魔法使いだよ。俺より先に選ばれてる」
「オズもここにいるの?」
「いや、オズは戦いのとき以外は城に引きこもってる。会いたかった?」
「……吹雪、止んだのかなと思って」
「止んだよ」
フィガロの言葉にルウは確かにショックを受けた。おかしい。オズの心が平穏になって吹雪が止まることを望んでいたはずなのに。
ルウは心にわだかまりを残したまま宿に戻った。どうせならフィガロにもう少し詳しく事情を聞けばよかったのだ。しかし、できなかった。自分とは関係ない、遠いところでオズの心が動いているのだと思い知った。忘れようとしていた恋の気持ちが、醜い形に変化して表に出てきてしまいそうだった。
しかし、こうなってしまったときの対処法をルウは経験として知っている。――時間だ。ここ数年で、オズのことを思い出す回数は明らかに減った。フィガロとオズの話さえしなければ、この気持ちは薄れていくと知っているのだ。
そしてひと月も経てば、ルウの頭のほとんどを仕事が占めるようになっていた。薪を割って部屋の掃除をして、食材の買い出しに出掛ける。市場は元通りとまではいかないが、活気づいてきていた。
週に二度ある休みは、買い物をするか部屋で読書をすることが多かった。読書はオズの城で出来た趣味だ。あの頃のように山のようにある本の中から一冊を選ぶのではなく、出会った本をじっくりと読んでいる。それはそれで楽しかった。
その日、ルウは朝から街に出ていた。まだ人通りの少ない時間帯、パン屋から漂う香ばしい香りを胸いっぱいに吸い込む。
――あれ?
いるはずのない人を見つけてしまった。一瞬、幻覚かと思った。それでも無意識に「オズ」と呟いて、駆け出していた。
「オズ!」
つい腕を掴みそうになってしまったが、寸前のところでとどまった。オズがひとりではないことに気付いたからだ。
「……おまえか」
オズの表情からは少しの驚きが読み取れた。しかし「久しぶり」などの言葉はない。
オズの周りからは視線を感じる。オズの知り合いが珍しいのかもしれないが、ルウにとってもそれは同じだ。オズが他人と街を歩いている姿なんて、あのときは想像できなかった。しかも相手はフィガロでも双子先生でもないのだ。
「また怪我をしたそうだな」
「えっ……ああ、フィガロに聞いたの?」
「よく、おまえの話をしている」
有難いような、気恥ずかしいような感覚だった。オズの後ろから「先に行ってる」と、声がかかる。
「あ……ごめんなさい、邪魔をして」
「いや、まだ時間はあるから気にしなくていい。あんた、オズの知り合いなんだろ?」
ひと言で言えば、オズとは正反対の雰囲気の青年だった。彼はオズの背中を気安くバシンと叩き、もう一人いた帽子をかぶった少年と一緒に行ってしまった。
残されたオズといえば、迷惑そうな顔をしている……ように見える。
「……ごめんなさい」
「いや、おまえのせいではない」
「どこか行く予定だった?」
「幽霊の目撃情報があるそうだ」
「えっ、どこ?」
オズは目を細めてルウを見下ろした。何か誤解されているような気がして「違うの」と続ける。
「怖いから近づきたくないだから……」
素直にそう言うと、オズは目撃情報の場所を教えてくれた。広場東の住宅街、ルウにはあまり馴染みのないところだ。賢者の魔法使いとして調査をするということだが、幽霊というには少々早い時間帯のような気がする。
「幽霊って夜に出るんじゃないの?」
「広場の鐘が鳴るときに見える、と」
「ああ、だからまだ時間があるって言ってたのね」
鐘が鳴るのは朝の十時と夕方の四時のはず。朝の鐘にもまだ二時間以上の猶予があった。
時間があるのなら、まだ話していてもいいのだろうか。オズはどう思っているのだろう。
「フィガロから聞いたんだけど、吹雪が止んだって……よかったわ」
「ああ」
「……ね、せっかくだから広場の鐘を調べてみない?」
「怖いのではなかったのか」
「オズが一緒なら平気よ」
オズは行くとは言わなかったが、後ろからついてきてくれている。不思議な気分だ。以前なら有無を言わさず断られていたような気がする。
「……おまえは」
振り向いて、自然と二人は立ち止るような形になった。オズから話を振られるなんて珍しいと呑気に考えていたのも一瞬、ルウは頭を鈍器で殴られたような衝撃を得た。
「まだ、私のことを好いているのか」
「え…………、」
口は「え」の形のまま、息をするのも忘れていた。オズが動くまで、時間が止まっていたんじゃないかと思うほどだった。
オズの顔を見れば、それがルウにとっていい話題ではないことはわかる。ならなぜ聞くのかと、言い返すにはやるせなさのほうが勝っていた。
「……そういうのは、オズも同じ気持ちのときだけ言ってほしいわ」
「私以外にしろ」
「……なんで」
「人間など私が瞬きをする間に通り過ぎていく。おまえが積み重なったと言ったものは、私にとって一瞬だ。生きている場所が違う」
子供に言い聞かせるような口調をされたのは初めてだったかもしれない。それに以前のオズなら、こんなことを話し合うこともしなかったと思う。再開してたったの数分だが、ルウはオズの変化を感じた。そして好ましく思う。まだ希望が見えたとは言い難いが、諦めかけていたものを掴みに行きたくなってしまった。
「オズは前より雰囲気がちょっとだけ柔らかくなったと思う」
「……どういう意味だ」
「オズは自分のこと、何ていうか……昔からずっとある大樹みたいに言うけど、違うと思うの」
言っている途中で例えが酷かったかもと気付いたが、オズが何も言わなかったので話をそのまま続ける。
「瞬きしてるだけのつもりかもしれないけど、変わってる。……だから、そんなこと言われたって納得できないわ」
ルウは数歩踏み出して、オズの腕を取った。
「早く広場に行きましょう」
オズは何も言わなかったが、黙って後ろをついてきた。オズのことだからのんびりと何を言うのか考えていたのかもしれない。だが、オズが考え終わるまでじっと待っていられる性分ではないのだ。
広場に着くと、鐘塔の上まではオズの箒でひとっ飛びだった。オズが素直に箒に乗せてくれたことも驚きだ。抵抗するのが面倒なだけだったとしても、ルウにとっては好都合だ。
いざ鐘を目の前にしても何の異変も感じられない。しかしルウが手を伸ばすと、オズがそれを阻んだ。
「触るな」
「……よくないことが起こる?」
オズは頷いた。そして、騒ぎの原因がわかったと。いくらなんでも早すぎる。
「もう解決?」
「……いや、成長する機会を与えるようにと、」
オズは歯切れ悪く言った。面倒だというのが顔からうかがえる。オズが言っているのは先ほど一緒にいた二人のことのようだ。彼らも魔法使いで、オズはその先生役のようなものを任されているらしい。よく引き受けたものだと感心していると、オズは賢者の指示だからだと言った。オズが誰かに従っているなんて信じられないが、これが賢者の魔法使いに選ばれるということなのだろう。
「それで、どうするの?」
「もう少し様子を見る。鐘に触れなければ害はない」
オズはそう言って腰を下ろした。ルウが習ってすぐ隣に座ると、オズにじとりと睨まれる。
「……無駄だと思わないのか。私がおまえの気持ちに報いるとは限らない」
「それってさっきの続き?」
「そうだ」
ずいぶんと優しい言い方になったように感じる。オズは気付いていないのだろうか、ルウがここまで引かない理由に。諦めさせるならもっと確実な言葉がある。迷惑だとか、好みではないとか、オズはそういった言葉を一度も発していない。
「理解できる気がしない、よりは進歩したと思うんだけど」
「理解もしていない。いつか後悔する」
「心配してくれてる」
「忠告だ」
ルウの中に充満していた悲しさは、いつのまにか薄れてしまっていた。好かれているとまでは思えないが、あのころよりは距離が縮まったような気がする。
「何を笑っている」
「やっぱりオズと話すのは好き」
「……何を」
「たまには私のそばで瞬きしてね」
オズにはとうとうため息をつかれてしまった。ルウはその横でにこりと笑う。
「……おまえの生き方に口を出すのはやめる」
この言葉をもぎ取れただけで、大きな収穫があったと言えよう。