6話
まあ、そう簡単にいくとは思わなかったけど。
部屋に集めた魔法使いたちでも、宝石となった記憶を元に戻す方法は知らないようだった。
「……もういいですか」
ミスラが言うと同時に、ドアが粉々になった。あくびをしながら出て行くミスラに、オーエン、ブラッドリーが続く。ちょっとした攻撃ぐらいは許してやろうかと思ってたけど、三人とも虫の居所がよかったのか大人しく去ってくれて助かった。
「僕も戻らせてもらう」
「我らもそろそろ動けなくなるからのう」
ファウストに続き双子先生と、ぞろぞろと部屋から人がいなくなっていく。賢者様とレノはおいておいて、オズがなお残っているのは意外だった。
「あれ、オズは帰らないの?」
「……帰る」
「え~」
オズを肘でつつくとため息をつかれてしまった。ゆったりとした動作でオズは部屋を出て行く。
すっかり静かになってしまった部屋で、ドアを直すための呪文を唱えた。ミスラは派手にやってくれたけど、全く問題ない。ドアが完全に直ったのと同時に賢者様の控えめな声が俺を呼んだ。
「どうしてオディリアさんは記憶を奪われてしまったんでしょう」
「……俺への復讐だって言ってたけど」
「オディリアさんの記憶が復讐に関係あるんですか?」
「俺が慕われてるのが気に入らなかったみたい。なんであの魔法使いがそういうことを知ってたのかは知らないけど」
たぶん祝福の魔法のせいだけじゃない。何か会話があったはずだ。あの魔法使い、もっと絞っておけばよかった。
「それで賢者様、俺は明日にでも彼女のところに行こうかと思ってるんだけど、予定は大丈夫だったよね」
「はい、それなら大丈夫ですけど、どうするつもりなんですか?」
「近づけてみたり、触らせてみたり、飲み込んでもらうのはいよいよ最終手段かな」
「ムルの砕けた魂みたいな感じですか?」
「そうかもね。さすがに砕きはしないけど」
宝石の表面をつるりと撫でると、中で色がうごめいた。透き通っていて、濁りがない。これが彼女そのものだっていうのなら、きっと俺とは正反対なんだろう。
翌朝、エレベーターで南の国まで行き、最初に開いた扉は自身の診療所だった。積もりかけの埃を吹き飛ばし、窓から彼女の家の方角を伺う。すぐに行かないのはらしくないよなと思いながらも、ほぼ無策のまま来てしまったのも普段の自分らしくないというか。厳重に守護の魔法を掛けた宝石をわざわざ取り出してみたりなんかして、結局何も気分は変わらない。
家の中にいるのは気配でわかった。コンコンと扉を叩いてしばらく待つと、青白い顔で彼女は出てきた。
「え、具合悪い?」
「……いえ、あの」
彼女は気まずそうに目をそらしながら、小さな声で「二日酔いです」と言った。
そんなにお酒を飲むイメージでもなかったけど。頭に浮かんだのはヤケ酒という単語だった。自暴自棄になっているのかもしれない。
「えーと……とりあえず中、入っていいかな」
「……ものすごく散らかっているのですが」
これも彼女の印象とは正反対のことで、つい「嘘でしょ?」と口に出してしまう。彼女は相変わらず青い顔のまま、観念したのか俺を招き入れた。
散らかっているというよりは「家の面積に対して物が多すぎる」だった。どうしてこんなことになってしまったのか、見当もつかないけど。テーブルの上には飲みかけの酒瓶と、つまみにしていたのかトマトのスライスが。これも食べかけだ。にしてはやけにベッドは整っているし、飲みながら寝落ちしたというのが昨夜の状況だろう。
「シュガーは食べられる?」
こく、と力なく頷いた彼女の口にシュガーを放り込むと、少し顔色が良くなった。世話するよりされるほうが好きなんだけどなあ。俺がこの惨状を引き起こしたら間違いなくミチルは呆れるだろう。
「それで、どうしたの? 飲まないとやってられなかった?」
「いえ……昨日フィガロ先生に会いに魔法舎に行ったじゃないですか」
「うん」
「その後、雨の街に行ったんです。忠告してもらったのにすみません」
「それはいいよ。きみが思うようにすればいい」
「……」
きゅ、と彼女の口が結ばれる。責めたつもりはないんだけど、かつて殺した魔法使いたちみたいな顔をするから、取り繕った笑顔で俺は続きを促した。
「……公共の場で喋ったらいけないと聞いていたので」
「ああ、そういうこと」
つまり彼女は雨の街の店という店、片っ端から訪ねて回ったということだ。何も全ての店で買い物する必要なんてないはずなのに、妙なところで真面目な彼女は部屋を埋め尽くしてしまうほどのものを買ってしまったようだ。彼女が飲んでいた酒も、その一つだろう。
「けっこう強いお酒じゃないか」
「……そうなんですか?」
「まあ、俺は飲めそうだけど。きみがお酒に強いって話は聞いたことないよ」
しゅんと肩を落とす彼女も、そろそろ足が限界なようなので比較的片付いているベッドに座らせる。何の疑う素振りもなく彼女はベッドに腰を下ろした。
「辛かったら横になって」
「いえ、大丈夫です」
「これ、触ってみてくれる?」
手のひらに例の宝石を乗せ、彼女に差し出す。戸惑いながらも撫でるように触れた彼女に変化は見られない。やっぱり違ったか。そうとなれば、今していることの意味を伝えるべきか……。混乱させてしまいそうな気もするけど、伝えなければ彼女は北の国へ飛び立ってしまいそうだった。
「きれいな色ですね」
「そうだね」
「……あの」
彼女は宝石ごしに俺と手を重ねたまま、宝石のような瞳を揺らした。
「私は先生を怒らせてしまいましたか?」
「……いや、違う。きみがヤケを起こしたのかと思って。不安定なきみをひとりにしてしまったんじゃないかって」
「……まぎらわしかったですか」
「ほんとに、そう」
「フィガロ先生、」
彼女は勢いよく立ち上がって、雨の街のお土産の山から酒瓶を取り出した。他のと違ってきれいにラッピングされている。
「これ、先生へのお土産です。飾りのリボンが先生の瞳の色みたいでしょう?」
「ありがとう。でもテーブルのお酒も没収するよ」
「う……お願いします」
ささっと指を振って開きっぱなしだった酒瓶の蓋を閉めると、彼女の青白かった頬に赤みが射す。
「……ミチルくんたちの分もあるので持って行っていただけませんか?」
「お酒?」
「お菓子です!」
「あはは、冗談だよ」
差し出された薄いピンクの紙箱を受け取らないで押し返すと、彼女は不思議そうに首をかしげた。
「きみが持って行ってあげて。きっとそのほうが喜ぶだろうから」
「魔法舎って気軽に訪ねてもいいところなんですか?」
「ちゃんと入口から入るならいいんじゃない?」
「じゃあ、そうします」
「……それでさ、」
だいぶ話がずれてしまった。握りしめていた宝石を再び彼女に差し出して、やはり何の反応もない。
「きみを襲った魔法使いに会ってきた」
「えっ」
「これがきみの記憶なんだって」
彼女はまじまじと宝石を見つめて、それから俺を見上げた。どうすればいいのかと視線が訴えている。
「どうやって記憶を戻すのかはわからない」
「……そうなんですか」
彼女には落胆の色が見られた。けれど少しだけ安心したような、そんな表情だった。
「わざわざ北の国まで行ってくれてありがとうございます」
「フィガロ先生にかかればお安い御用だよ」
ぎこちない動きで彼女は宝石に指を伸ばした。手に取ってぎゅっと握ったりもしていたみたいだけど、相変わらず宝石はそこにある。
「記憶を戻す方法は俺が調べるから」
「……フィガロ先生は、思い出してほしいですか?」
「えっ」
「……やっぱりいいです。すみません、変なこと言って」
うつむいた彼女の指の隙間から、不穏な色がちらりと覗く。気のせいかもしれない。けど、無視はできなかった。
「それ、ちょっと見せて」
焦りで彼女の手首を掴んでしまう。引き寄せた宝石は透き通った輝きを失っていて、質の悪いマナ石のように濁っていた。
「なに、これ……」
彼女は隠すように両手で宝石を覆った。
「見ないでください……」
ぽろぽろと彼女の瞳から涙がこぼれてくる。どうして泣いているのか全くわからない。宝石を隠したがる理由もわからない。以前の彼女なら、魔法で感情を制御していただろう。忘れているなら代わりに俺がやってあげるべきなんだろうか。考えている間にも彼女の手の中から不穏な気配が大きくなっていく。
ピキ、とひび割れるような音がした。彼女はいっそう手に力を入れ、ぽたりと床に血が落ちる。
「ちょっと待って、割れてる? 一回手を開いて」
彼女はふるふると首を振った。もう宝石がどうなっているのかわからない。
「いいから見せなさい」
力尽くでも仕方ないと思った。けれど彼女の手を握った瞬間、指の隙間から黒いモヤのようなものが出てきて彼女を囲むように纏わりつく。開かせた手には粉々になった黒い石と無数の傷しか残っていない。
「フィガロ先生、離れて」
距離を取ろうとする彼女を引き寄せて抱きしめたけど、何の魔法を使えばいいのか見当もつかない。このまま離せば、彼女は黒い霧に攫われてしまいそうだった。
「うっ……うぅ」
霧が彼女の体に染み込んでいく。記憶が戻るならいいのかもしれない。けど、どう見ても悪質なものにしか見えないし、苦しんでいる。
「≪ポッシデオ≫」
とにかく霧を払おうと思った。しかし一時は拡散した霧が、するどい矢のように集まり、彼女のこめかみを刺した。
ぐったりと腕の中で彼女は気を失った。……息はしている。手のひら以外に外傷も見当たらない。
彼女をベッドまで運んで、そのすぐ横に腰を下ろす。魔法で傷を塞いで、その上から自身の手でさらに蓋をした。
「……ん、フィガロ……さま」
「オディリア?」
らしくもなく身を乗り出した。握っていた手に力を入れたけど、何も返ってこない。寝言だったようだ。
「フィガロ先生」と呼ぶように言ったのは自分なのに、昔みたいに呼ばれて胸の奥が熱くなった。