You might have been a main character
沖矢は一時間ほど栞を待ったが、彼女は戻って来なかった。工藤邸に戻り、彼女の鞄に忍ばせたままになっていた発信機の確認をする。沖矢の想像通り、発信機の痕跡は跡形もなく消え去っていた。きっと彼女は元の世界に帰ることが出来たのだろう。これが最善の結末。沖矢はそう自分に言い聞かせた。
次の日、沖矢は例の小説をもう一度開いた。もしかしたら内容が変わっているかもしれないと考えたのだ。しかし、そこには沖矢の読んだことのある内容しか書かれていなかった。彼女は命を落とし、彼女の友人で、そして警察でもある主人公が犯人を突き止めるというもの。本当に捻りのないストーリーだ。
沖矢はコナンに連絡を入れた。彼も当事者だ。彼女が帰ったことを伝えるべきだろう。
「えっ! 栞さん、帰っちゃったの?」
沖矢は頷いた。コナンは納得していないようだ。理由は分かっている。彼女の身を案じてのことだろう。
「通り魔のことは、彼女に話しました」
「……栞さん、信じてくれたの?」
「ええ、おそらくは」
「そっか。……良かったのかな、これで」
「そう思いたいところです」
栞を無理にでも引き留めておくべきだったと思うところもある。しかしそれでは彼女の意思を無視することになり、彼女を一人の人間として認識しないことになる。彼女をただの小説の登場人物と見なし、自由を認めない。沖矢にそれはできなかった。彼女は確かに生きていて、自分の意思を持っていた。
だが、すっきりしないのも事実。コナンも沖矢と同じ気持ちのようだった。釈然としないまま、時間だけが過ぎてゆく。
彼女が居なくなって、一週間が経過した。静かな屋敷に、チャイムの音が響く。きっと子供たちが訪ねてきたのだろう。そう考えインターホンを確認した沖矢は、目を疑った。そして、受話器をとるのも忘れて玄関に走った。変わり果てた姿をしていたが、たしかに彼女がそこに居たのである。
「栞さん!」
門を開いて、彼女を招き入れる。酷い有様だった。体中が痣だらけ、髪の毛もめちゃくちゃになっていて、それは彼女が小説の中で、遺体として発見されたときの状態とほとんど同じと言っていい。
「沖矢さん、ごめんなさい……」
「どうして謝るんですか! それよりも、早く手当てを」
「私、沖矢さんとの約束……守れなかった……。何も思い出せなくて、思い出したときには、もう遅くて……」
「いいんです、そんなこと。辛い思いをさせてしまって、すみません」
彼女は首を振り、泣き出した。とっさに彼女を抱き寄せようと手が動いたが、寸前のところで思い止まる。この怪我だ。きっと触れられるだけでも痛むだろう。
玄関の戸が閉まると、彼女のほうから沖矢に身を寄せてきた。
「……痛くありませんか?」
もっと気の利いたことを言えなかったのかと、沖矢自身も呆れた。だが、どうしても冷静ではいられなかったのだ。そんな頭で、気の利いた言葉など出てくるはずもない。
「ぜんぜん痛くないんです……。だから、あの……」
彼女の感触が、より強くなる。沖矢はそっと、彼女の肩に腕を回した。
「……怖かったです」
「もう二度と、そんな思いはさせません」
頭を優しく撫でると、彼女が体に力を入れたのが伝わった。
沈黙が流れる。彼女は沖矢の腕の中で、置物のように固まっていた。決して嫌というわけではないのだが、彼女のためにも早く怪我の具合を確認したい。沖矢は腕をゆるめて、彼女と目を合わせようとした。しかし、彼女は俯いたまま、沖矢を見ようとしない。
「……大丈夫ですか?」
「あの……私、生きてるんですかね?」
「……僕にはそのように見えますが」
「うぅ……」
彼女は両手を頬に当てて、頭をブンブンと振った。
「い、今の……忘れてください……」
妙に大胆かと思えば、彼女は死んだつもりでいたらしい。恥じらう彼女に、沖矢の加虐心が湧いた。
「今の、とは?」
「……もういいです」
そのとき、彼女の体が空腹を主張した。可愛らしい音が鳴り止むと、彼女は更に顔を赤くする。
「手当てが終わったら、一緒に肉じゃがを食べましょう。あなたが居ないというのに、作りすぎてしまったんです」
彼女は少し笑った。穏やかな笑顔がとても綺麗だと感じる。
「沖矢さん……話の続き、聞かせてくださいね」
「ええ、もちろん。僕もあなたの話を聞きたい」
二人はゆっくりと、リビングの中に入って行った。
これもすべて、一つの物語だったのだろうか