Everyone believes in themselves
沖矢はコナンを連れて工藤邸に戻った。そして、栞の鞄に忍ばせておいた発信機と盗聴器で、彼女の足取りを確認する。
「電車には乗らなかったようですね」
「だね。どんどん駅から離れて行ってる」
「コナン君はどう思いました? 彼女と話してみて」
うーん、とコナンは頭をひねる。
「怪しいんだけど、逆に怪しすぎるっていうか……。なんか話を誤魔化すのも下手だったし……」
沖矢もコナンと同意見だった。何かを探るためにここに出向いたのなら、もう少し言い訳を考えてくるはず。
「そう言えば、一つ気になったことがあります」
「何?」
彼女はコナンを見て明らかに動揺していた。それだけではない。コナンも栞を見たときに微かに眉を寄せていた。それを沖矢は見逃さなかったのだ。
「コナン君はあの女性と初対面ではなかったのですか?」
「なんか、どこかで見たことがあるような気がして……。でも、それがどこだったか思い出せないんだ」
「そうですか。……ではとりあえず、彼女の動きを追っていくことにしましょう」
二人は頷き合って、パソコンのモニタに目を遣った。
栞は仕事を探しているようだった。しかしどこも断られている。身分証も電話もないというのだから当然。やはり沖矢が見た保険証は偽装されたものだったのだろうか。コナンも同じように考えたらしく、口を開いた。
「ねえ、栞さんは保険証を持ってたんでしょ?」
「ええ。しかも企業が発行したもので、たしか勤め先の名前は――」
記憶の中にある会社名を呟くと、コナンは突然立ち上がった。
「どうしました?」
「……思い出した」
会話をしているというのに、まるで独り言だ。コナンはろくに説明もしないまま、部屋を飛び出して行ってしまった。沖矢もその後を追いかける。
コナンを追った先は、書斎の中。コナンの人差し指が本の背表紙をなぞる。何か探しているようだ。手伝おうかと声を掛けてもあまり反応が返ってこない
。沖矢がコナンの様子を静かに見守っていると、ある一点でぴたりと彼の指が止まった。
「あった、これだ! ……昴さんも見て!」
沖矢はそこにあったものを見て、息を呑んだ。小説の扉絵――そこには栞によく似た人物が描かれていた。
「見た目だけじゃないんだ! ほら、名前も」
確かに栞という名前が小説の中に存在した。そして、彼女の勤務先も一致している。
「まさか、彼女が本の中から飛び出してきたとでも?」
「いや、そこまで言ってるわけじゃないけど……」
「あの女性がこの小説の登場人物を模倣しているのか……。そうだとしても、顔まで同じだというのは変ですね」
「変装っていうことはないかな?」
沖矢は首を振った。彼女は昨日ここでシャワーを浴びた。顔にも少し血が付いていたから、顔を洗わなかったわけではないだろう。そして彼女はベッドの中で泣き、今日は目が腫れていた。沖矢がカメラで確認した限り、そんな細工をした様子もなかった。つまり彼女の顔は、間違いなく本物ということになる。
「他に何か特徴的なことはありますか?」
「えーと……あ、この小説の舞台」
コナンがパラパラと本をめくり、沖矢に差し出した。
「この地名……彼女の保険証に記載されていたものと同じ名前です」
「ねえ、もしかしてさ……」
栞は本当に本の中からここへ来てしまって、行く当てもなく彷徨っている。公園のトイレに入ったのは、そこで寝ようとしていたのではないか。家まで送るという沖矢の申し出を断ったのも、帰る家に案内できないからではないか。仕事を探しているのも、コナンの質問に曖昧にしか答えられなかったのも、全部そう考えると自然ではないか。これがコナンの意見だ。
「そうですね。ただ、そう簡単に納得するのは難しいですが……」
「うん。僕もまだ完全にそうだと思ってるわけじゃないし、でも……」
二人の間に沈黙が流れる。しかしこのままここで考えていても埒が明かない。
「もう少し様子を見てみましょうか。何かあったら連絡しますので、コナン君はもう帰ったほうがいいでしょう」
一人になった沖矢は、パソコンの前で栞の登場する小説を開いた。
午前一時過ぎのこと。彼女につけた発信機が動きを見せなくなった。コナンの話通りなら、彼女はどこかで野宿しているかもしれない。盗聴器から聞こえてくるのは雑音ばかりで、誰かに助けを求めたような様子もなかった。ホテルに泊まっているとも考えにくい。
先ほどの話がただの思い過ごしなら、彼女は単に家に帰っただけということになる。しかし、それだと彼女のこの辺りに詳しくないという発言は嘘。もしくは、発信機に気付いて捨てられたということもあるかもしれない。どれも推測の域を出ない話だ。
様子を見に行くことも考えたが、罠だった場合が面倒だ。もう少し観察しようと思っていた。しかし、盗聴器から拾った声を沖矢は見過ごすことも出来なかったのである。
「寒い……」
ぽつりと呟かれた言葉。彼女が発したものだろう。まだ冬ではないというのに、どうしてそのような言葉が出てくるのか。答えは簡単だった。沖矢は車のキーを握って、家を出た。
発信機をたどり到着したのは、使われていない倉庫のような場所。まさかとは思うが、反応はこの近くから出ている。
古びた扉を開ける。広い空間に一人、体を丸めて横になる人物がいた。
「栞さん!」
彼女の体を抱き起こす。冷えたコンクリートに体温を奪われてしまったようで、彼女は血色が悪かった。うっすらと目を開けた彼女はしばらく意識がはっきりしなかったようだが、沖矢がもう一度呼びかけると目をぱっちりと開いた。
「え、え……沖矢さん? どうしてここに?」
「偶然通りかかっただけです」
「……そんなわけ、ない」
納得しない様子の彼女に構うことなく沖矢は続ける。
「僕と一緒に来てくれませんか」
「でも、私……」
「何も言わなくていいです」
彼女の腕を引き、立たせる。潤んだ目で見つめてくる彼女を無視して、沖矢はそのまま車へ向かおうとした。しかし、彼女はその場を動こうとしない。
「あの、沖矢さん……」
「何でしょうか?」
「どうして……どうしてこんなに優しくしてくれるんですか?」
彼女に説明できる理由なんてなかった。沖矢も彼女が小説の登場人物だと完全に信じたわけではない。そして仮に、彼女が本から飛び出してきたというのが真実だとしても、目の前に生きている人間にそんなことを言えるわけがないのだ。
「どうしてでしょうね」
「変です……そんなの……」
沖矢がもう一度、彼女の手を優しく引く。彼女は俯いたまま、それに従った。
「でも、ありがとう……」
静けさの中でなければ聞き逃してしまうほどの小さな声。しかし、はっきりと沖矢の耳まで届いていた。
エンジンの音が車内に響く。工藤邸に到着するまでの道のりが、やけに長く感じられた。
誰もが自分の生きた証を疑わない