She doesn't need her free time

 ぺたぺたと無心でシールを貼る。静かな部屋に、次々と紙箱が積み上げられていった。
 沖矢が勿体つけるものだから、もしかしたらとんでもない仕事を渡されるんじゃないかと不安だった。しかし与えられた仕事というのは、バーコードのシール貼り、ギフト用の箱の組み立てなど――いわゆる内職というものだった。この仕事は沖矢名義での契約になっているらしい。こういう手があったんだなと感心する一方で、沖矢に対する疑問がまた一つ浮かび上がる。まるで栞が普通に仕事ができない状態なのを知っているかのようだ。
 この屋敷に居候するにあたって決めたのは、洗濯は栞が行うということ。掃除は二人で、そして料理は沖矢が担当する。内職のうち、シール貼りの収入はそのまま沖矢に渡すということになった。これでも待遇はいいほうだと思う。
 沖矢は最初、家事はしなくていい、食費はいらないと言っていた。あまり自由が利かない身で大口を叩くのもどうかとは思うが、それだと栞の気が済まなかった。働かざる者食うべからず、というのが一つ。もう一つは、何もしていないと不安だったのだ。
 このまま沖矢の名義で内職を続けるのだろうと思っていたが、どうやら違うらしい。沖矢は一カ月待ってほしいと栞に告げた。それまでに栞が普通に仕事を探せるようにしてくれるらしいのだが、詳しいことは話してくれなかった。沖矢の言葉を鵜呑みにしていいものか疑問だが、それを頼るしか方法はない。じゅうぶん恵まれた状況だと思い、今はできることをしっかりこなしていこう。そう考え、栞は沖矢の話に頷いたのだ。

 コンコン、と扉が鳴る。栞が返事をすると、ドアがゆっくり開いた。
「お疲れ様です。そんなに急がなくても、期限はまだ先ですよ」
「すみません、何かしてないと落ち着かなくて……」
「お茶を淹れたので休憩にしませんか?」
「はい、ありがとうございます」
部屋を出ようと、立ち上がる。しかし急に目の前が真っ暗になった。倒れないようゆっくりその場に座り込もうとすると、両肩を支えられる。栞にその手は見えていないが、それができるのは沖矢しかいない。
「大丈夫ですか?」
「すみません……ちょっと眩暈が」
クラクラとした感覚は次第に薄れていく。目を開くと、栞が考えていたよりずっと近くに沖矢がいて、思わず体に力を入れてしまった。
「あ、あ、あの……もう大丈夫です!」
「……そうですか」
沖矢が離れると同時に、力が抜ける。きっと顔が赤くなっているはずだ。頬のあたりが熱い。沖矢は指摘こそしないが、気付いているだろう。恥ずかしくなって、栞は顔を俯けた。
 再び立ち上がろうとすると、目の前に手が差し出される。栞は控えめにその手を取り、立ち上がった。そのまま自然に手は離れるものと思っていたが、沖矢は栞の手を握ったまま、一向に離す気配がない。
「あまり根を詰めないでください」
沖矢の声色があまりに真剣なものだから、栞は頷くことしかできなかった。

 温かな香りが体をリラックスさせる。テーブルの上には紅茶と洋菓子。栞は普段から好んで紅茶を飲むのだが、明らかにいつもの雰囲気とは違う。上品な装飾の施されたティーカップに小皿。入れ物の違いで、こうも特別な気持ちになれるとは。
「沖矢さん、紅茶も飲まれるんですね」
「実はあまり飲まないんです。今日は栞さんもいることですし、と思いまして。いかがでしょう?」
「美味しいです。私、紅茶が大好きで。……でも、なんだか気を使わせてしまったみたいですみません」
「いえ、僕も楽しんでやってますので」
ティーカップを片手に微笑む沖矢。一方で、栞は心から笑うことはできなかった。
 そして沈黙が流れる。沖矢と話すには、絶好の機会。それは分かっているのだが、本当のことを伝えようとすると、まるで喉が締め付けられたかのように言葉が出てこなくなる。
 何も話さなくていいと言った沖矢だが、それでも事実を話しておきたい。自分が楽になりたいからだ。このまま誰にも理解されることなく生きて行くのは辛い。だが、彼に信じてもらえなかったときのことを考えると、その比ではないだろう。透き通った赤茶色の液体に映った女の顔は、とても醜かった。
 残りの紅茶を一気に飲み干して、立ち上がる。ここで考え込んでいても仕方がない。早く残りの仕事を片付けてしまおう。沖矢にお茶のお礼を言って、食器を台所へ運ぼうとする。しかし沖矢の言葉によって、栞は足を止めた。
「今から夕食を作りますが、何か苦手なものはありますか?」
「あ……いえ、何でも食べられますので……」
何でも食べるというのは嘘ではない。ただ、本当は苦手なものがある。さすがにそんな我儘を言う神経は持ち合わせていなかったので、そう答えたのだ。しかし沖矢は引き下がってくれなかった。
「本当ですか?」
時々、何もかも見透かされているような気がする。もちろんただの思い過ごしなのだろうが、今までのことを考えると、偶然という言葉だけでは片付けられない。
「……すみません、本当はキノコ類が苦手で……あっ、でも食べられるのは嘘じゃないです!」
「そうですか。覚えておきましょう」
沖矢はフッと笑い、紅茶を啜った。
 彼女は沖矢に苦手なものしか伝えていない。しかしその日の夕食には、栞の好物ばかりが並べられていた。

考え込む時間などいらない