She is just another woman
「ねえ、昴さん。どうするつもりなの?」
そう問いかけるのはコナン。沖矢の運転する車の中で、二人は静かに話をしている。
「まず、僕はコナン君の話に乗ることにしました」
「それって栞さんが本の中からここに来たっていう話のこと?」
沖矢は頷いた。
沖矢はあの小説を読み、栞の人物像を把握した。そしてその一つ一つを確認したのである。紅茶が好きなことや、キノコ類が苦手なこと。真面目な性格もそうだ。栞は小説の主人公ではないため、詳しいことは分からない。しかしあの本から読み取ることのできる情報と彼女は、ほぼ一致しているように思われた。
「僕も昴さんと同意見。でも、これからどうするの? ずっと栞さんと暮らしていくつもり?」
「彼女が望むなら、この世界の住人として生きていけるようにするつもりです」
栞に一カ月待ってほしいと言ったのは、彼女の身分証を作るまでの時間のことだった。証人保護プログラムの応用でどうにかできると考えていたが、ここは日本で、戸籍という概念がないアメリカとは勝手が違う。そのため少し時間は掛かるが、いずれ彼女も自分で職を探すことができるようになる。現に江戸川コナンや灰原哀が小学校に通うことができるのだ。そんな世の中で、栞だけがいつまでも異分子として存在する必要はない。
それだけで問題が解決すればいいのだが、沖矢には一つ気がかりが残っていた。栞の気持ちである。彼女がこの世界で生きて行くと決めたのであれば、沖矢はそれをサポートするつもりでいた。しかし、彼女は元の生活に未練を残していると考えていいだろう。それがごく普通の感情であると、沖矢も理解はしていた。
沖矢とコナンは彼女がどうやってこの街に来たかさえもわからない。彼女自身がそれを知っているかどうか、ということもだ。ただ、いつも辛そうにしている様子からして、元の世界に帰る方法はわからないのだろう。
「僕たちが栞さんの事情を知ってること、話したほうがいいんじゃないかな……」
「……理由を聞いてもいいですか?」
「だって、このままじゃ想像だけで話を進めないといけないし……。それに栞さん、すごく心細いと思うよ」
コナンの表情から伺うことができるのは、彼が本当に栞のことを気にかけているということ。コナンの言い分は何も間違っていない。
「多分、栞さんからは言えないよ。でも昴さんが“知ってる”って言ってくれたら、安心するんじゃないかなって……」
「そうですね。あの本を読めば、彼女も理解はしてくれるかもしれません。ただ……」
「うん……。昴さんもあの小説、読んだんだよね?」
二人が言葉を濁す理由は、小説の内容にある。栞は命を落とすことになっているのだ。それは、たった数ページの出来事。小説の展開にこれほど戸惑いを覚えたのは初めてだった。元の世界に帰れば、彼女は本に書いてある通り、亡くなってしまうかもしれない。沖矢がわざわざ彼女の身分証を準備するのには、こういった訳合いもあるのだ。
「……身分証を渡すときに僕から話してみようと思います。どこまで話すかは、そのときまでに考えておきますね」
「うん。僕にもできることがあったらいいんだけど……」
「コナン君は栞さんと仲良くしてあげてください。子供相手のほうが心を開くことができるかもしれませんから」
案外本音がポロリとこぼれるかもしれない。彼女の性格からして、沖矢に話すことはまずないと考えていいだろう。そういった期待もあるのだ。
毛利探偵事務所の前でコナンを降ろして、沖矢は工藤邸に戻った。屋敷の中は静かで、とても人が居るようには思えない。栞はまた、部屋で内職をしているのだろう。彼女は働きすぎだ。確かに仕事を与えたのは沖矢で、彼女の立場を考えると仕事に熱中するのも無理のないこと。しかし彼女は一か月分の仕事を、この一週間で終わらせる勢いなのだ。もちろん、分担した家事も問題なくこなしている。このままだと、彼女は沖矢に新たな仕事を紹介してほしいと言うだろう。何もすることがないというのも、張り合いのない生活になるかもしれない。だが彼女に仕事を与え続けると、それこそ体調を崩すまで働き続けてしまうようにも見える。――沖矢は考え、結論を出した。
扉をノックし、栞の部屋に入る。沖矢の想像通り、彼女は内職をしていた。もうほとんど終わりかけというところである。
「実はどうしても見たい映画があって。……付き合って頂けませんか?」
「映画ですか? でも私、あんまりお金が……」
沖矢は映画のチケットを二枚、差し出して見せた。
「あと三十分で始まってしまいます」
「えっ!」
彼女を急かして、仕事に区切りをつけさせた。強引な手だが、有効性のある方法だとも思う。
「僕が誘ったので、お金のことは気にしないでくださいね」
「……はい、ありがとうございます」
沖矢もずっと彼女に構っていられるわけではない。それでも時間を見つけては、彼女をいろいろな場所に連れ出した。コナンにも子供たちを連れて屋敷を訪ねてくるように言った。彼女は少年探偵団に好かれたようで、今では彼女を訪ねて子供たちが屋敷にくることもある。
ただ、やはり何もしていないというのは不安になるだろうということで、仕事は少しずつ与えた。彼女も無理のない範囲で働くようになったので、問題はないだろう。
そして彼女は笑うことが多くなった。まだ元の暮らしに未練はあるようだが、それでもこの街を好きになってくれているように見える。彼女の身分証が出来上がるまで、もうすぐだ。順調に事が進んでいると、沖矢は考えていた。
彼女はごく普通の女性だ