チリちゃんと、あがり症のわたし01
「チリちゃん、だーいすき!」
「はいはい、おーきに」
腕を組もうとするわたしに、チリちゃんは面倒くさそうな顔をして言う。相変わらず今日も素っ気ない。だけどそんなチリちゃんも大好きだ。
チリちゃんの態度は、何も初めからこうだったわけではない。最初はとってもとっても優しかったのだ。
これは、わたしがチリちゃんと初めて会ったときの話である。
チャンピオンランクを目指していたわたしは、どうにかバッジを8つ集めて一次面接に挑んだ。しかしここで問題が。わたしは極度のあがり症であり、あろうことか面接中に倒れてしまったのだ。
目を覚ましたときにはすでに病院のベッドの上で、確認するまでもなく面接は不合格。またやってしまったと落ち込んでいたときに病室のドアを開けたのが、面接官でもあったチリちゃんだった。彼女はわたしを心配して病院まで付き添ってくれたらしい。
「よかった、目ェ覚ましたんやな」
「あ……あの! えと……ごめんなさい!」
「そない緊張せんでええよ」
そう言われましても……。なんて言ったってチリちゃんは四天王の一人であり、面接官であり、気の抜ける相手ではないのだ。
チリちゃんはベッドのそばにあった椅子に座って足を組んだ。にこりと笑う顔は、面接中の雰囲気とは正反対だった。そして今気づいたけど、眼鏡もしてない。だけどわたしの胸は、面接のときのようにドキドキしている。
「もう何人も面接してんのやけどな、倒れた子は初めてや。自分、あがり症なんやって?」
「……はい」
「ようそれでジムバッジ8つも集められたなあ。……あ、馬鹿にしとるわけじゃないよ」
チリちゃんの言いたいことはなんとなくわかった。バトルはもちろんそうだけど、わたしみたいな人間にはその前のジムテストさえも難関なのだ。特にナンジャモちゃんのところ――ハッコウシティのジムテストでは、ナンジャモちゃんの番組に生出演しなければならないという決まりになっている。それに比べたら面接なんて……と思うのも不思議なことではない。
「ハッコウジムでもわたし、やっちゃったんです……」
「そうなん? でもバッジ持ってんのやろ?」
「一度目で今日みたいに失敗して……諦めようとしてたんです。そしたらナンジャモちゃんがわたしのところに来てくれて、お茶しよって誘ってくれて……」
不思議に思いながらもナンジャモちゃんの家について行き、そこでお茶やお菓子をいただきながら雑談した。何も考えていなかったわたしは普通にお喋りを楽しんでいた。ところが帰り際、実はカメラが回っていたと知らされたのだ。
「もちろん生中継とかじゃなくて……この動画をアップして再生数が十万回超えたらジムテスト合格にしてあげるって言われて……」
「へえ、十万……」
ナンジャモちゃんの動画が十万再生行かないことなんてほとんどないと、このときのわたしは知らなかったのだ。そうしてできあがった動画は「【対談してみた!】ジムテストで気絶しちゃったあの子の素顔!」なんてタイトルでアップロードされて、みるみる再生数を伸ばしていったというわけだ。
「……お、ダブルミリオン行っとるやん。有名人やったんやな、自分」
「み、見ないでください!」
いつの間にかチリちゃんはナンジャモちゃんのチャンネルを開いていたらしい。彼女の持つスマホに手を伸ばしたが、あっけなく避けられてしまう。しかしそのわりに、チリちゃんはすぐにスマホの画面を消してくれた。
「面接はどうしたらええんやろな。まあ人生一回切りしか受けられんってわけでもないし、もっと気楽に考えてええんちゃう?」
「……ハイ」
「なんやまだ無理そうやな。ほなチリちゃんとデートしよか」
「……はい?」
「チリちゃんに慣れたら面接も楽勝やろ? まあ、面接中は形式上ピシッとせなあかんのやけど……そこは堪忍な」
「えっと……」
わたしの戸惑いを押し切るようにチリちゃんが日時と場所を指定する。空いているかどうかの確認は一応あった。わたしもそこで断ればよかったのだろうけど、勢いに負けて頷いてしまったのだ。
「なら週末な! 楽しみにしとってや~」
チリちゃんはわたしに背を向けてひらひらと手を振った。病室のドアが閉まるそのときまで、わたしはチリちゃんの後ろ姿に釘付けになっていた。
そして週末。デートなんて言われたものだから、わたしはいつもより少し背伸びをした格好で待ち合わせ場所に向かった。チリちゃんの姿をみつけて駆け寄ろうとすると、こんなときに限って地面のタイルのつなぎ目につま先が引っかかってしまう。わたしが倒れずに済んだのは、チリちゃんが咄嗟に肩を支えてくれたからだ。待ち合わせの時点ですでにこれだ。帰りたいのと恥ずかしいのと、それからチリちゃんのかっこよさに当てられて、わたしのキャパシティはとうに限界を迎えようとしていた。
「えらいかわいらしいなあ。デートやからお洒落してきてくれたん?」
「……はい」
「あかんあかん、今日はデートやで。敬語もナシや」
戸惑いながらも頷いてみたら、チリちゃんは満足そうな顔をした。どうしてここまでしてくれているのか、さっぱりわからない。挑戦者の心のケアなんて彼女の仕事ではないだろうし、むしろ忙しい中で時間をみつけて来てくれているのだと思う。だけどこれがただの優しさなら、仕事で付き合ってくれているほうがまだマシなのかもしれない。だってわたしの心臓はずっとドキドキしているのだ。緊張もしているけど、きっとそれだけではない。
「あの、チリさんは」
「チリちゃんて呼んでな」
「……チリちゃんは、どうしてこんなに親切にしてくれるんですか?」
「そら自分に期待しとるからや」
「期待?」
「せや。えらい勢いでジムバッジ集めよる子がおるってな、噂になってたんやで」
「……全然、知らなかった」
「ま、そういうわけや」
チリちゃんはポケットに突っ込んでいた手を片方わたしに差し出した。
変な期待をしそうになっていたから、ここでハッキリ聞けたのはよかったと思う。仕事ではないかもしれないけど、仕事の延長でチリちゃんはこんなことをしてくれているのだ。ジムリーダーも四天王も、挑戦者を叩き潰すためにいるのではない。言ってしまえば彼女たちは教育者だ。わたしたち挑戦者がチャンピオンクラスに行くための通過点として、時には厳しく、また時には手を差し伸べてくれる。ただそれだけのことなのだろう。
……情けないなあ。差し出された手に指先で触れると、目の奥がツンとした。どうしよう、ヤバイかも。さすがにこんなところでは泣きたくない。チリちゃんにまた迷惑を掛けてしまう。
「ごめんなさい! お手洗いに!」
わたしは触れた手を引っ込めて、チリちゃんに背を向け早歩きで距離を取った。正直こっちにトイレがあるかなんてわからなかったけど、結果的にあったので助かった。だが、あまりモタモタしてもいられない。
トイレの個室で息を整えてから外へ出ると、少し離れたところでチリちゃんは待っていてくれていた。近づいて「ごめんなさい」と謝る。チリちゃんは笑顔で首を振った。
「街、出よか」
両手をポケットに突っ込んだままチリちゃんは歩き出す。あんな反応をしてしまったのだから、そりゃあそうだ。わたしはさっき、自分でチャンスを台無しにしたのだ。
テーブルシティの西門から外へ出て少し歩いたところでチリちゃんはモンスターボールを取り出した。ボールから出てきたのはドオーだった。
ドオーはつぶらな瞳でわたしのことをじっと見つめている。わたしが屈んで目線を合わせると、ドオーがのそのそと近づいてきた。
「トゲないから触っても大丈夫やで」
「うん……」
頭を撫でるとドオーは喜んでくれた。わたしも嬉しくなって自然と笑顔になる。
「かわいい」
「やろ~、チリちゃんの鉄板やねん」
「鉄板?」
「チリちゃんな、初対面で結構怖がられてしまうんよ。なんでやろな、美人さんやから?」
「……そうかも」
とは言ったが、それだけが理由ではない気がする。そもそも怖がられているというのが間違いで、みんなただ緊張しているだけではないだろうか。チリちゃんからしてみれば、どちらも同じなのかもしれないが。
「でな、ドオー出すと和むやろ? 一回提案してみよかな。面接中もしれっとドオー出しといてええですか~って」
「いてくれたら助かるけど、却下されちゃいそう……」
「せやな~」
「それにこの子、チリちゃんの手持ちだよね……? バトルのヒントになるけどそれはいいの?」
「そんなんでどうにかできるならやってみ、ってとこやな。ま、ジムリーダーも四天王もそんなもんやろ」
「そっか……」
チリちゃんは岩の上に腰を下ろした。ちょいちょいと手招きされる。二人で座るにはちょっと狭いような気もしたけど、チリちゃんは気にしていないようだ。わたしは岩の端っこに座った。
「なあ自分、なんでチャンピオンランク目指しとるん?」
「えっ……と、」
「面接やないで。ただのチリちゃんからの興味や」
「先生になりたくて……っていうか次の期から採用されることはもう決まってるんだけど」
すごいやん、とチリちゃんが相づちを打ってくる。
「でもわたしってこんなでしょ? だからそれまでに自信つけたくて……。あと、先生がチャンピオンだったらかっこいいかなって」
「ああ、そんでえらい勢いでバッジ集めてたんやな。……なんやもう合格にしたいくらいやわ」
「また面接チャレンジしてみるね、ありがとう」
「ん、頑張り」
そう言ったチリちゃんは、ドオーをボールの中に戻した。また二人きりだと思うと緊張する。わたしが手をぎゅっと握り締めたのを、チリちゃんは見逃してくれなかった。
「二人やと緊張する?」
「……むしろなんでみんな緊張しないの?」
「……」
チリちゃんは目を真ん丸にして、しばらく黙っていた。そうして今度は手を叩いて笑い出す。
「せやな、チリちゃんもこーんなかわいい子と二人っきりで緊張するわ」
「絶対してない……」
ドオーの代わりではないけど、今度はわたしが一匹ポケモンを出した。この子はわたしがはじめて捕まえたポケモンでもある。
「パーモットか」
「チリちゃんが一匹みせてくれたから」
ちなみにこのまま戦えば、チリちゃんのドオーとの相性は最悪だ。でも、挑むときはこの子と一緒にと決めている。草むらで怪我をしていたパモに出会ってから、もう十年以上になる。それからどこへ行くにもずっと一緒で、はじめて進化してくれたのもこの子で、そのときは感動して泣いてしまったものだ。
パーモットはチリちゃんに撫でられて気持ちよさそうにしている。ちょっとだけ、パーモットが羨ましかった。
「自分、見かけによらず負けず嫌いやな」
「……そういうつもりじゃ」
「バトルすんの、楽しみにしとるで」
「うん……」
そうしてわたしたちはテーブルシティに戻って、クレープを一緒に食べてお別れした。家に帰ったわたしは、さっそく明日にでも面接のリベンジをしようと準備する。もし面接に通ったらそのまま二次試験のバトルに進むことになっているから、手持ちの確認をしておかなければならない。……と、やる気満々だったはずなのに。
わたしは面接官モードのチリちゃんを前に、体を震わせていた。今日は気絶はしなかった。ただ、冷や汗がダラダラと流れてきて、このままではマズイ。
前回と同じく緊張しているというのもある。だけど今回はそれだけではなくて……そう、チリちゃんがかっこよすぎるのだ。デートをしたときからわたしはすでにチリちゃんのことが好きだったのかもしれない。あのときからずっとドキドキしていて、たったいま確信した。
(でもそれは面接に関係ない!)
頭でそう考えようとしても、体は思い通りになってくれなかった。
「本日はどのようにしてお越しくださったんですか?」
「……テ、テーブルシティから歩いて来ました!」
「それはいいですね」
次の質問は耳に入ってこなかった。気付いたらチリちゃんに「聞こえませんでしたか?」と尋ねられていて、またやらかしてしまったのだと気付く。ぼうっとしていたのか、それとも一瞬だけ気を失っていたのか、自分でもわからない。
「…………ごめんなさい! 辞退します!」
わたしは椅子が倒れるんじゃないかというくらい勢いよく立ち上がって、入り口のドアに向かった。後ろでチリちゃんが何か言っているけど、聞こえないふりをして外へ出た。最低だ、わたし……。
建物を出てすぐ、わたしはパーモットを出した。この子に抱き着くと落ち着くのだ。
木の陰に座ってパーモットに慰めてもらっていたら、ポンと頭を叩かれる。見上げると、チリちゃんが呆れたような顔をして立っていた。
「……ごめんなさい」
「謝らんでええよ」
「ごめんなさい……すきです」
「…………うん?」
さすがのチリちゃんもびっくりしたようで、一瞬フリーズしていた。それもそうだろう。だってこんな場面で告白なんて普通しない。それでも言ってしまったのは、チリちゃんへの思いを断ち切ってからでないと面接にまともに挑めないと思ったからだ。フラれた相手に面接なんて気まずいけど、これ以上の恥はないのだからきっとなんとかなる。……そのつもりだったのに、いざ言うと怖くなった。こんなに怖いなんて知らなかった。他人に告白したのも初めてだった。「すき」の意味が伝わっているかどうかわからなかったけど、伝わってなければいいと思ってしまった。
「……おおきに、嬉しいよ」
チリちゃんはわたしの隣に座った。
「チリちゃんも罪な女やなあ」
チリちゃんの反応からして、わたしがそういう意味ですきだと言ったと気づいているのだろう。そして、いい返事がもらえないこともわかってしまった。少しでも慌てたり照れたりしてくれたらまだ報われるというものだけど、チリちゃんは落ち着いているように見える。慣れているのかもしれない。
「……こういうこと、よくある?」
「よくってほどちゃうよ」
「……うん」
「緊張しいなくせ、度胸はあるんやなあ」
「初めて言われた……」
「おもろいなあ自分。……なあ、今からもう一回面接受けへん?」
「え」
それは「もう失うものなんてないだろ」という意味だろうか。確かに一次面接はすぐにでも再チャレンジしていいことになっているけど、まさかチリちゃんからそんな提案をされるなんて……。
「受かるまで何べんでも付きおうたる」
どうしてそんなに優しくしてくれるのか、全くわからない。気持ちに応えられなくて申し訳ないとか、そういう雰囲気ではないのだ。チリちゃんは勝気に笑っている。それでわたしはまたドキドキして、どうあっても懲りないようだ。
「さっきの返事な、あんたがチャンピオンランクになるまでお預けや。それまでにチリちゃんのこと夢中にさせてみ」
「…………ええっ!?」
チリちゃんが何を言っているのか、理解するまでものすごく時間が掛かった。だってなんだか「期待していい」と言われているみたい。なんで、そんなことって……。
「チリちゃん……すき」
「はいはい。まずは面接や」
そんなわけで、わたしはチリちゃんと一緒に面接会場に戻った。それで一発合格出来たらよかったのに……五回もかかってしまった。終わった瞬間、チリちゃんが深いため息をつく。
「今日は無理なんちゃうかと思ったわ」
「……ごめんなさい」
「合格するまで付き合う言うたからな。おめでとさん」
「ありがとうございます」
「次は二次試験や。激しい戦いになるさかい、しっかり準備してから奥の部屋に進みや」
「はい」
わたしが奥の部屋に入り、その後ろからチリちゃんがついて来る。ピリッとした空気を肌で感じた。これがポケモンリーグ、四天王との戦い……。面接以上に緊張するけれど、今度はみんなと一緒に戦えるから立っていられそうだ。
「ようやっと戦えるなあ。うんとかわいがったるから、せいぜいきばりやぁ」
「……はいっ」
「何を照れとんねん。すぐ終わったら承知せんで!」