チリちゃんと、あがり症のわたし02

 さすが四天王。チリちゃんのナマズンに成すすべもなく一匹目が倒れた。この後の連戦を考えたら温存しておくべきなのだろうけど、だからって先に進めなくては意味がない。決断するのにそう時間はかからなかった。わたしの二匹目は……
「頑張って、パーモット!」
 でんきタイプの技はナマズンに効かないけど、こういうときのために備えはしている。どんな相手であっても、わたしはこの子と一緒に乗り越えてきたのだ。
 テラスタルオーブを取り出すと、チリちゃんの顔色が変わった。わたしのパーモットのテラスタイプは「こおり」である。
「パーモット、れいとうパンチ!」
 この状態なら、じめんタイプの技ですぐに倒れるようなことはない。パーモットは次々と相手を倒していった。だけどそれにも限界があって、チリちゃんの四匹目のバクーダを前に倒れてしまった。
 その後の手持ちでなんとかバクーダまでは倒せたが、最後のテラスタルしたドオーはどうにもならなかった。すべて手持ちを出し切ったわたしは、がっくりと項垂れる。頑張ったこの子たちをはやくポケモンセンターに連れて行ってあげないと!
「なかなかやるやん、自分。バトルやと別人みたいやな」
「……出直してきます!」

 勝てると思っていたわけはないけど、勝つ気で挑んだ。負けるとやっぱり悔しい。ボールをセンターに預けて待っていると、チリちゃんがポケモンリーグの建物から出てきたのが見えた。
 すぐにボールを受け取って、チリちゃんに駆け寄る。
「すき……」
「なんでやねん」
「……だって、チャンピオンになるまでに夢中にさせないといけないから」
「あー……せやったな。で? また今からチャレンジするん?」
「ううん、特訓してから」
「特訓?」
「今のままじゃ全然敵わないってわかったから。本当ならテラスタルだって温存しておきたかったのに、使っても勝てないし」
「もう二戦目のことまで考えとるん? 余裕やなあ」
 チリちゃんはいじわるな顔で言う。べつにチリちゃんのことを甘く見ているとかそういうことではないのに、わかっていて言うのだ。
 チリちゃんは励ますようにわたしの背中を叩いた。
「でも間違ってないで。なんてったって四連戦やからな」
「うん……」
「にしても自分、やっぱ負けず嫌いやんなあ」
 なんでかわからないけど、チリちゃんはわたしの髪をすくって耳に掛けた。……いや、ほんとにどうして? 絶対いま、そんな話してなかったよね?
「赤くなっちゃって、かーわいい」
「チ、チリちゃんの人たらし!」
「ほんまにマトマの実みたいになってんで」
「ばか! でもだいすき!」
「おおきに~」
 なんだか腹が立ったので、パーモットを出して盾にした。だけどパーモットはチリちゃんの撫でる攻撃にすぐに屈してしまって……この裏切りもの!
「じゃあチリちゃん、ちょーっと書類整理せなあかんから。自分も日が沈まんうちに帰るんやで」
「今日はありがとうございました」
 お辞儀をしたわたしの頭にチリちゃんがポンと手をのせた。わしゃわしゃと撫でられて、全然意識されてないのがわかるのに、それでも喜んでいる自分がいる。

 それからわたしはもう一度各地を巡っていろんなトレーナーと戦った。だけど圧倒的に時間が足りない。何度かチリちゃんに再戦を申し込んで、勝ったこともある。だけどその後ポピーちゃんに負けて、今度はポピーちゃんを意識しすぎてチリちゃんに負けたりと、一歩進んで一歩下がるという状況だ。わたしは焦りを覚えていた。あと一カ月でわたしは教壇に立たなければならない。チリちゃんから連絡があったのは、そんなときだった。
「デートせえへん?」
「え……と、でも、」
「息抜きや息抜き。最近、ずーっと根詰めとったやろ?」
「うん……」
 いいのかな、と思いつつもチリちゃんからの誘いを断ることはできなかった。気にかけてもらえたのが嬉しい。こういうことをするのは、わたしにだけであってほしい。

 待ち合わせはテーブルシティの東門だ。合流するなり、チリちゃんはわたしの手を握る。
「自分でもわかっとるやろうけどな、確実に成長しとる。それはチリちゃんが保証する。……やけどな、焦りすぎんでほしい」
 チリちゃんの手は、わたしの目元に移動した。親指で、目の下を優しく撫でられる。
「ちゃんと寝て、食べて、それからたまにはチリちゃんと遊んでな」
「チリちゃん……すき」
「あー……まあ、言われるんちゃうかとは思たけど。懲りんなあ、自分も」
 懲りるわけないのに、チリちゃんはずるいよ。わたしに好かれてるの知っててこういうことするんだから。これでもしチャンピオンになれたとして、返事がノーだったら立ち直れる自信がない。そんなひどいことする人だって思いたくない。わたしが頑張れるようにそうしてくれたんだって、前向きに考えることなんてできない。
「……チリちゃんは、ほかのトレーナーにもこういうことしてるの?」
「してへんよ」
「……どんな人がすき?」
「おー……急に調子乗るやん」
 チリちゃんはわたしの手を取って歩き出した。遅れてついて行こうとすると、チリちゃんはわたしのほうを振り向きもせず言う。
「あがり症で、負けず嫌いで、努力家な子」
「え……ぁ、」
「あとすぐ照れる」
「わ、わたしのことだよね!?」
「さあ、どうやろな」
 わたしは小走りしてチリちゃんの隣に並んだ。繋がれている手に、もう片方の腕を絡めてみる。
「チリちゃん、だいすき」
「はいはい、おおきに」

 チリちゃんに励ましてもらって、だからってそう簡単にチャンピオンになれるはずもなく、とうとう先生になる日を迎えてしまった。だけど、不思議なことにあまり落ち込んではいないのだ。これまでの経験を糧に、なんて言うつもりはない。
 初日の勤務を終えて、チリちゃんに連絡を入れる。
「今日一日目か。どうやったん、気絶した?」
「……してないよ」
「そら何よりやわ」
 実を言うとちょっと危ない場面はあったが、何とか無事に乗り切ることはできた。同僚の先生だけでなく生徒も優しくて、それに助けられた。あとは授業中にパーモットを出していてもよかったというのが大きい。パーモットは一日目で既にみんなの人気者になってしまった。手塩にかけた子を送り出したような気持ちだ。……まあ、今はわたしの手元のボールに入っているわけなのだが。
「あのねチリちゃん、わたしまだ諦めてないよ。仕事あるから今までみたいにいっぱいチャレンジはできなくなるけど……」
「絶対そう言うって思ってたで」
「どんなに時間が掛かっても絶対チャンピオンになるから、応援してね」
「ん」

 どんなに時間が掛かっても……。その言葉の通り、わたしがチャンピオンランクになるまでそれから丸一年掛かってしまった。そのあいだに面接も実技テストも最年少で一発合格したという子が現れるし、その子に続いてさらにもう一人、我が校に転入してきたばかりの一年生の子までチャンピオンランクになるという、信じられないことが起こっていた。しかしそこまで来ると嫉妬や焦りを覚えるような次元を越えていたので、とくに落ち込みもせずわたしはわたしのペースで挑戦を続けられていた。晴れてチャンピオンの称号を得たわたしの後ろには、ずっと応援してきてくれたチリちゃんが立っている。
「チリちゃん!」
 オモダカさんやほかの四天王がいるにも関わらず、わたしはチリちゃんに飛びついた。
「ようここまで頑張ったなあ」
「うん……」
「挑戦回数、歴代最高やって」
「全然かっこつかないね」
「それも才能やと思うで。大体は五回もせんと諦めてまうんよ」
「うん……」
 チャンピオンになったら改めてチリちゃんに告白するつもりだった。だけど言おうとして、急に冷静になってくる。さすがに、ここではちょっと……。スッとチリちゃんから離れて、周りに頭を下げる。わたしの挑戦に長らく付き合わせてしまって申し訳ない気持ちと、同時に感謝の気持ちもあった。
「そろそろ定時ですね」
 ここで急にアオキさんが口を開く。静かに腕時計を見ながら、時間が来るのを待っているようだ。そんなアオキさんを見て、オモダカさんはやれやれと首を振る。
 オモダカさんの一声で、この場は解散となった。ポケモンリーグを出て、今はテーブルシティへの道をチリちゃんと二人きりだ。
 ……あれ、どこで告白したらいいんだろう。初めてチリちゃんにすきと言ったのは、確かこの辺りだった。でもこんなところじゃムードもへったくれもないような。でも今日チャンピオンランクになれるなんて確信はなかったから、おしゃれな店を予約したりもしていない。
「……チリちゃん、手つないでもいい?」
「ん」
 チリちゃんはぶっきらぼうにポケットから手を出した。手を重ねると、ぎゅっと力強く握られる。
「チリちゃんも緊張してたりする?」
「……あんなあ」
 チリちゃんは深いため息をついた。
「約束あるからチリちゃんは手ぇ出せんって、もうずいぶん好き勝手しとったなあ? ところかまわず好き好き言いよって」
「だ、だって……」
「覚悟、できとるんやろうな」
 チリちゃんはピタリと歩みを止めて、わたしを見た。ヘビに睨まれたカエルって、こういうことを言うのだろう。チリちゃんから目が逸らせない。どうしよう。わたし、こんなドキドキして……。
「もうずっとま「ごめ、吐きそう」
「ちょお……とりあえず座って……ほれ水!」
 チリちゃんはわたしを座らせて、水を持たせてくれた。しかもわたしが寄りかかれるようにドオーまで出してくれている。
 いくらわたしだって、チリちゃんが告白の返事をしてくれようとしていたことくらいわかる。あと一分……いや三十秒でも我慢できたらよかったのに、無理だった。返事をもらった瞬間に吐くなんて嫌だったから、苦渋の決断だ。チリちゃんには本当に悪いことをしてしまった。
 もらった水を飲んだら、胸までこみ上げていた気持ち悪さがスッと引いていく。わたしはおそるおそるチリちゃんの顔を見た。ムスッとした顔もかわいい。……いやわたし、最低すぎる。
「ごめんなさい……」
「ええよ。そらをとぶタクシー呼ぼか?」
「ううん、もう大丈夫」
「って言うとるけどなあ、顔色悪いで? 今日は疲れとるやろうし……まあ酔って逆に吐くっていうならやめとくけど」
「……歩けるよ」
「家どこ? 送らして」
「……やっぱりタクシー乗ります」
「アッハッハ! なんで急に敬語なん。そない警戒されると傷つくわ~」
 チリちゃんはスマホでタクシーの手配をしている。わたしはその姿をドオーにもたれかかりながら眺めていた。警戒してるわけじゃないのに。わざわざ歩いて送ってもらうのが悪いと思っただけだし。なんなら家に上がっていってほしいのに……。
「ごめんねえ、迷惑かけて」
 わたしはドオーの頭をよしよしと撫でた。大きくておっとりしていてかわいいなあ。バトルのときはあんなに勇ましいのに、不思議だ。

 タクシーを使ったものの、結局わたしはチリちゃんに家まで送ってもらっていた。繋いだ手にぎゅっと力を込めると、チリちゃんがこちらに顔を向ける。
「さっきはごめんね」
「んー?」
「なんでこんなに緊張しちゃうんだろう」
「それも個性やろ。……ま、チリちゃんからしたら、緊張する必要あるん? って感じやけど」
「ごめん……」
「もうとっくにチリちゃんの気持ち知っとるはずやのになあ?」
「……うん」
「否定せんのかーい」
 チリちゃんは冗談めかして言った。なんて返したらいいかわからなくて、頷くだけしかできなかった。それからわたしの家に着くまで、ずっと静かに手を繋いでいた。
「じゃお大事に」
 玄関の前でチリちゃんが言う。ここにたどり着くまで、どうにかして家に上がってもらおうといろいろ頭の中で考えていた。だけどそれを口にする勇気はない。今日がこのまま終わってしまうんじゃないかと思うと、急に寂しくなる。わたしにもっと度胸があれば、まだ夜が続いていたかもしれないのに。
「……焦らんでほしいって、これ確か前も言ったな」
「え?」
「べつに吐こうが気絶しようが幻滅したりせんから安心しい。まあ本気で具合悪いんちゃうかって心配はするけどな」
 チリちゃんはわたしの頬をサラッと撫でて、それからおでこにキスをしてきた。
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。音もしなくて、だけどやわらかい感触は今でも残っていて、考えれば考えるほど後から熱が湧いてくる。
 チリちゃんはポケモンバトルに負けたときのような顔をしていた。
「え、え……?」
「だって不意打ちするしかないやん。構えられると何もできんのやもん」
 熱くなった頬を隠そうとすると、チリちゃんはにやりと笑った。
「もうずーっと前からチリちゃんあんたに夢中やで。次は靴も脱がせてな」
 わたしが引き留める間もなくチリちゃんは行ってしまった。ドアが閉まると急に力が抜けて、その場にへなへなと座り込む。しばらくそうしていたら、チリちゃんからメッセージが届いた。
「ちゃんとカギ掛けなあかんよ」
 ……うん、それは本当にそう。わたしは壁に手をつきながら立ち上がって、ドアにカギを掛けた。チリちゃん、わたしが動けなくなってたのまでお見通しだったのかな……。

***

「お待たせー」
 もはや日常となったデートで、わたしはチリちゃんと腕を組む。最初のほうは手を繋ぎたいってお願いしていたけど、チリちゃんがポケットに手を入れていることが多いのでこうなったのだ。いっぱいくっつけるから、これはこれで嬉しい。
「チリちゃん、だーいすき!」
「はいはい、おーきに」
 わたしがいくらすきだと言ってもチリちゃんの反応は素っ気ない。だけど、わたしにはこのくらいが丁度いいのだ。チリちゃんがわたしのことすきなのは充分伝わっているし、二人きりだったらすっごく甘やかしてくれるし、実はチリちゃんも照れているというのが最近わかってきたし。
「……なあ自分、もう慣れたん?」
 ふと、チリちゃんがそんなことを言う。どういう意味か分からなくてぽかんとしていたら、チリちゃんがポケットに入っていたはずの指を急に絡めてきた。
 わたしはとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。外で素っ気なかったのって、わたしが慣れるのを待っていたせいだったりする……?
 これからのことを想像して、心臓がバクバクと大きな音を立てる。それでも気絶したり吐いたりしなかったのは、チリちゃんが長い時間を掛けて待ってくれたからだ。もしかしたら二人きりだともっとすごいのかもしれない。……なんて期待しながら、わたしはコクコクと頷いた。