チリちゃんと、あがり症のわたし03
なんだか意味深なことを言われてからのお呼ばれだったから、これは何かあると身構えていた。けど、今は普通にチリちゃんがご飯を作ってくれている。
チリちゃんの家に上がるのはこれが初めてだ。物が少なくてシンプルな部屋なのかもしれないけど、かわいい小物がちょくちょく置いてある。部屋が広めなのは、いつもここにドオーたちがいるからだろうか。
わたしがずっとソワソワしていたからか、チリちゃんはドオーを出してくれた。そしてこんなことを言うのだ。
「ドオー、ごめんやけどこのお姉ちゃんの相手したって~」
わかっているのかわかってないのか、ドオーはチリちゃんに撫でられて機嫌よさそうに鳴いた。そしてわたしのほうへ、のそのそと近づいてくる。これはわかっているのかもしれない。
「まーたそんなかわいい顔して」
チリちゃんは笑いながらキッチンへ入っていった。
そんなわけでわたしは今、ドオーにお守りをされている。
「チリちゃんは何作ってるんだろうね~、楽しみだね~」
ドオーのエクレアみたいな頭を撫でる。いつもわたしに好き勝手されているこの子は、本当におとなしくていい子だ。
「パーモット出してもええよ~」
と、キッチンからチリちゃんが話しかけてくる。わたしは一瞬ボールに触れた。しかし、思い出したのはアカデミーでの自分の発言だ。
「でも、よそのお家でポケモン出しちゃだめだよってみんなに教えてるから……」
「先生しとるな~」
「先生だもん」
「まあでも、よその家ちゃうやん?」
「……へへ」
「なんやその笑いかた」
「今日はやめとく。ちょっと今から買い物行こうかなって思ってて」
「今から? チリちゃん置いてくん?」
「エクレア食べたくなっちゃった」
「……ドオー、狙われとるで」
チリちゃんがキッチンからひょっこり顔を出して、ドオーに手招きする。だが当のドオーはポヤンとした顔だ。そこがまたかわいい。
「チリちゃんもドオーのことエクレアみたいって思ってるってことじゃん」
「エクレアやないんやけどな、ドオーの形したチョコパン売ってたのがトドメやったわ」
「そんなのあるんだ~」
「まあ、エクレアもチョコパンもまた今度にしたって。今日はアップルパイあるからそれで我慢してな」
「そうなの? わたし、アップルパイ好きだから嬉しい!」
「せやろな~」
ちょっと意味深にチリちゃんが言う。このときはまだ、わたしも何も思わなかった。しかし調理を終えた彼女が持ってきたカルボナーラを見て、なんだかおかしいと気づく。わたしはカルボナーラも好きだ。アボカドが入っているものが特に。だけどチリちゃんにこの話をしたことはない。偶然にしてはちょっと出来過ぎやしないか……?
「……わたし、カルボナーラも好きなの」
「そうなん? そら作った甲斐あって嬉しいわ~」
「……動画見たでしょ!」
「アッハッハ、バレてもうた」
いつか話題になった、わたしがナンジャモちゃんの動画に出ているという話。動画は今も順調に再生数を伸ばしている。アカデミーの生徒にも聞かれたことがあった。「あれって先生?」と。教師として嘘をつくのはよくないと思って否定はしてないけど、聞かれるとやっぱり微妙な気分になるのだ。
動画の中では、わたしの好きなものの話や普段の生活の話をしている。といってもこれはチャンピオンを目指していたころの話だから、今だと結構変わってくるのだが。好きなものは今でもほとんど変わらないから、まあ参考になると言えばなるのだろう。でも、わざわざ動画見なくたって、チリちゃん相手なら聞かれたら普通に答えるのに。
「堪忍な~。他の人はよくてチリちゃんだけ見られんってのも悲しいやん?」
「……まあ」
実はわたしも、チリちゃんがインタビューを受けている動画を見ていたりするから強くは言えない。チリちゃんは四天王として動画に出て、リーグ挑戦者へのアドバイスなんかをしている。これも仕事なんだろうけど、大変なんだなあと思ったものだ。
チリちゃんお手製のカルボナーラは絶品で、アップルパイもおいしくて、お腹いっぱいになったわたしたちはソファに座ってリラックスしていた。ドオーはいつの間にかボールの中に戻っている。チリちゃんは手袋をしていない手で、わたしの指先に触れた。
「今日泊ってく?」
「チリちゃんがいいなら」
「じゃ決まりやな。どの服着せるか楽しみやわ~」
「……一番大きいのにして」
「なんで?」
「入らないから」
わりと真面目に言ったのに、チリちゃんは大笑いしている。いやいや、縦はともかく横が切実なんだって。
サイズを確認しているのか何なのかわからないけど、チリちゃんはわたしの肩から腕へと手を滑らせた。そのときわたしはうつむいていたけど、ふと顔を上げてみたのだ。そしたら案外近くにチリちゃんの顔があって、なんとなくそういう雰囲気な気がして、目を閉じた。
おでこや頬にキスをされたことなら何度もあるけど、くちびるにするのは初めてだった。なのにこんな大胆なことができるのは、わたしが勇気を出したときにチリちゃんがいじわるしないと知っているからだ。チリちゃんはわたしのお望み通りやさしいキスをしてくれた。胸がピリピリして頭が働かなくなる。くちびるが離れて目を開くと、チリちゃんの赤い瞳がまだ近くにあってドキドキした。
……もう一回したいな。口で言ったらいいのか、それとも目を閉じたら二度目があるのか、わたしは知らなかった。ぶっちゃけどっちでもチリちゃんなら察してくれる気はする。それなのにわたしからチリちゃんのくちびるに触れたのは、待っている時間がもどかしかったからだ。
ふいうちが決まった! とまでは言わないけど、チリちゃんがびっくりしたみたいだから嬉しかった。ぱっちり目を見開いているチリちゃんがかわいい。そう思っていたら、チリちゃんはわたしを抱きしめて仰向けに倒れた。
わたしは仰向けのチリちゃんの上にのしかかっているような体勢だ。チリちゃんの体が薄すぎて潰してしまうんじゃないかと心配だった。
「重くない?」
「ぜーんぜん」
次はどうしたらいいのだろう。チリちゃんから何かしてくるような気配はなく、ただ下からじっと見上げられている。わからないからとりあえず、もう一回キスしてみた。
横に並んでするのと上に乗ってするのじゃ全然違う気がする。恥ずかしくなってすぐにくちびるを離そうとしたけど、チリちゃんが狙ったかのようなタイミングでわたしの頭を引き寄せた。
さっきまで表面が触れるだけだったのに、今度はくちびるを舐められた。どうしようどうしよう、なんで舐められただけなのに気持ちいいの?
「ええ眺めやな~」
すっかり息の上がったわたしを前に、チリちゃんは満足気に笑っている。
「えっと……お邪魔しました」
「お邪魔しましたて」
わたしがチリちゃんの上から退くと、チリちゃんはゆっくり起き上がった。もしこれで逃げさせてくれなかったら、わたしはとんでもないことになっていたと思う。チリちゃんがそこまでわかっていたかどうかは知らないけど、とにかくよかった。
湯船にお湯を張っているあいだ、チリちゃんはクローゼットを開けてわたしの着替えを選んでくれていた。
「ん~、迷うな~」
「入れば何でもいいよ?」
「逆の立場やったらどう?」
「……えへ」
そりゃあチリちゃんがわたしの服を着てくれるなら、迷いに迷ってしまう。ふわふわのパジャマもいいし、キャラクターもののトレーナーだって捨てがたい。同じような気持ちでチリちゃんが選んでくれているのだと思ったら、ニヤけるのを抑えられなかった。
「わたしも中、見てもいい?」
「ええよ~。好きなの選んだって」
クローゼットを眺めるチリちゃんの隣にぴたりと並んで中を物色する。あんまりジロジロみたら失礼かなと思うけれど、せっかくのチャンスだからという思いもある。
チリちゃんの服はシンプルなものが多かった。でも部屋着はかわいいものもある。ポケモンの絵柄がプリントされたTシャツもあった。
「……これ!」
「ん、それにするん? さすがお目が高いな」
「ち、ちがうけど……っ!」
わたしが手に取ったのは黒いレースが全面的にあしらわれているネグリジェだった。着たいかと言われれば着たい気もするけど、それ以上にチリちゃんが着ているのを見てみたい。
「それな、チリちゃんも自分に着てほしい思ったんよ。でも出すと絶対チリちゃんが着る羽目になるやん? いやまあ、着るのが嫌ってわけじゃないんやけど」
「えー、かわいい! チリちゃん今日これにしてよ~」
「いやチリちゃんの寝巻きなんかどうでもええねん。二着あったらおそろいできたんやけどな」
「じゃあ今度わたしも買う! そのときお揃いしよ!」
「必死やん」
「だって絶対チリちゃん似合うんだもん。楽しみ~」
「はいはい、ほな今日はポケモンTシャツでお揃いしよか」
「する~」
チリちゃんが渡してきたのはウパーの絵がプリントされたシャツだった。ドオーじゃなくてウパーなのは、こっちのほうがドオーに受けがよかったかららしい。
そうこうしているうちにお風呂も沸いたようだ。「一緒入る?」と聞かれたのが、冗談なのか本気なのかわからない。わたしがここで頷いたら本気だったことにして、断ったら冗談だったことにされるのかもしれない。だったらわたしは頷くしかなかった。
すごく緊張して、それこそ久しぶりに気を失ってしまうんじゃないかと身構えていた。だけどお風呂はお風呂だった。ここは体の汚れを落としてリラックスする場所である。
さすがに二人で入ると湯船は狭い。洗い場が広めなのは、ここでポケモンたちを洗えるようにということだった。確かにドオーの大きさだったらこのくらいは必要なのかもしれない。
「ドオーは洗うの嫌がらないの?」
「うちのは水大好きやからな」
「ああ……」
思い出すのはチリちゃんのドオー相手にみずタイプの技を出したときのことだった。効果は抜群かと思いきや、ドオーは逆に元気になってしまった。あれはチリちゃんに負けた二度目のときのことだった。
「今度わたしにも洗わせて」
「なんでやねん」
ぺしゃ、とお湯が飛んでくる。チリちゃんはいたずらが成功した子どものようにニコっと笑っていた。
「だってドオーがかわいいから」
「べつにええけど、パーモットが嫉妬するんちゃうん?」
「パーモットはチリちゃんのことだいすきだから……」
「なんや嫉妬しとるんは自分やったか」
「……」
「ご主人に似たんやろ」
「……かも」
「素直でかわいいな~」
頬を人差し指でツンツンと突かれる。さっきのお返しで、わたしもチリちゃんの顔にお湯を飛ばした。
髪を洗わせてほしいとお願いしたら、チリちゃんはあっさり承諾してくれた。いつもは一つに結んである髪の毛が今は下ろされている。見ただけでもわかるけど、触れてみてその美しさを実感した。
「チリちゃんの髪、きれいだね」
「ん~、自分もきれいにしとるやん?」
「こんな長くは伸ばしたことないよ。毎日大変じゃない?」
「大変っちゃ大変やけど、もう慣れてしまってん」
「そっかあ~」
「……そんな丁寧にしてくれんでも、適当にガシガシやってくれて大丈夫やで?」
「ダメだよそんなの。もしかして照れてるの?」
「……べつに照れてへんし」
「かーわいい」
これはチリちゃんの真似だった。チリちゃんにも伝わったみたいで、彼女はムスッと前を向いている。わたしはうんと丁寧にチリちゃんの髪を洗った。
お風呂を上がって髪を乾かして、それから歯磨きなんかも済ませてわたしたちはベッドの上にいた。チリちゃんがどうだったかはわからないけど、わたしは「エッチなことするのかなあ」と考えていた。
お風呂では全然そんな雰囲気にならなかった。今日はしないのかも。だって今日はポケモンTシャツだし。……じゃあ、今度ネグリジェを買ってから? というかそもそも、恋人だからって必ずするわけではないのかもしれない。
「なーんか百面相しとるなあ」
「ぅえっ!?」
「なに考えてたん?」
「えっと……このまま寝るのかなあって」
「眠い?」
「……まだ」
わたしがよっぽど期待に満ちた顔をしていたのか、チリちゃんはキスをしてくれた。くちびるが触れるか触れないくらいの距離で
「手ぇ出してもええの?」
と聞いてくるからずるい。……いや、ずるいのは言わせた私なのかもしれない。わたしがこくりと頷くと、チリちゃんはもう一度わたしにキスをした。くちびるを舐めるだけじゃなくて、今度は舌が入ってくる。なんだか怖くなってチリちゃんの手を握った。ベッドに押し倒されたとき、すでにわたしは虫の息だった。
***
目が覚めて思ったのは「すごかったなあ」ということだ。わたしはもう最初からよくわからない感じになっていたと思う。ただチリちゃんがかわいかったということだけは覚えていた。
「おー起きたな。パンあるけど食べる?」
「……うん」
「焼いてるから顔洗ってきぃ」
「ありがとう……」
洗面台の鏡に映ったわたしは、なんだかとても腑抜けた顔をしていた。昨日のわたしがどんな表情をしていたのかと想像して、恥ずかしくなってしまった。
しばらく洗面台でつっ立っていたら、チリちゃんが来てくれた。いつまでもわたしが戻ってこないから倒れたんじゃないかと心配してくれたそうだ。
「どうしたん、そないぼーっとして」
「……昨日のこと思い出してた」
「あー……どうやった?」
「……きもちよかった」
「そんならよかったわ。チリちゃんも気持ちよかったで」
でもなあ、とチリちゃんは続ける。
「まだ触ってへんとこいっぱいあんのやけど……」
「そうなの!?」
正直どこをどう触られたのかもよく覚えてないけど、つまり昨日よりすごいことが待っていると言われているのだ。昨日でもいっぱいいっぱいだったのに、まだこの先があるなんて……。
「次も楽しみやなあ」
チリちゃんはそう言ってキッチンに戻っていった。それでわたしがまた全然ついてこないものだから、今度はドオーがわたしを迎えに来てくれた。どんなに恥ずかしくたって、ドオーが来たなら行かなければならない。なんて心の中で言い訳して、わたしはチリちゃんのもとへ向かうのだ。