1話
クオードとレネの出会いは、一言で表すなら「最悪」だった。
事の発端は弟から託された銀箱だ。
グランゼドーラで、レネは賢者ホーローとその銀箱について話していた。しばらくしてホーローがスイッチのようなものに気付き、そこからはあっという間。レネは謎の力によって見知らぬ屋敷の中に飛ばされてしまっていた。
部屋の中にはピンクのドレスを着た女性と黒い猫が一匹。女性はメレアーデと名乗り、ここが彼女の父、ドミネウスが所有する屋敷であると説明した。
「なんて、エテーネ王国にいるなら知ってるわよね、これぐらい」
「エテーネ王国……」
聞き間違いではない。レネはその響きをよく知っている。懐かしき故郷、そして新たな歩みを始めた村の名だ。しかし、彼女の言うエテーネ王国とは何なのだろうか。レネが俯いて考えこんでいると、突然メレアーデが視界に入ってくる。思わず身を引くと、メレアーデは首を傾げた。
「どうしたの? なんだかぼーっとしてるみたい」
「あ……その、」
レネが言いかけたちょうどそのとき、部屋の扉が開く。紅茶を持ってきたという使用人は、レネを見るなりティーポットを乗せたトレーを落として叫んだ。それもそのはず、レネは屋敷に突然現れた不審者なのだ。メレアーデがあまりにも落ち着いていたため、自分でも忘れかけていたが……。
騒ぎを聞きつけて現れたのが男性ふたり。彼らにギロリと睨まれて、足がすくむ。特に、メレアーデと同じ髪の色をした少年の剣幕はギリギリとレネの心臓を痛めつけた。彼は素早くメレアーデとレネの間に入り、今にも腰元の剣を抜きそうな勢いだった。
「ちょっと待ってクオード、この人の話も聞いてみましょう?」
「姉さん少しは危機感を持って! こいつは俺たちの命を狙う暗殺者かもしれない!」
「ま、待って! 暗殺者なんかじゃない! あなたたちに危害を加えるつもりも……」
「黙れ!」
このままでは犯罪者にされてしまう。そう思って弁解しようとしたが、クオードという少年は聞く耳持たずといったところ。彼は呪文を唱えレネを拘束した。蜘蛛の糸がぎゅうと体を締め付ける。
使用人らしき男が縄をクオードに差し出した。クオードは術の上からレネに縄を巻き付ける。完全に身動きが取れなくなったところを乱暴に腕を引かれて、レネは彼を睨みつけた。
「痛い! 抵抗なんてしないから、そんなに強く引っ張らないで!」
「……ふん。賊の言うことなどいちいち聞いていられるか。どうせこれも王宮から盗んだものなんだろう?」
レネの足元に落ちていた銀箱をクオードが拾う。彼は興味深そうに銀箱を見ていたが、それが何なのかは分からなかったらしい。やがて彼のふところに仕舞われた銀箱をレネの目が追う。
「……盗んだものじゃない。大切な人から預かったものだから……疑うなら調べて、それから返して」
「……どうだかな」
クオードの目は冷たい。何を言っても聞いてもらえないのが悔しくて、唇を噛む。それからなるべく彼の顔を見ないようにして歩いた。その間もぐいぐいと引っ張られる腕は相変わらず痛い。
どんな酷い場所に連れていかれるのだろうと想像した。しかし実際は普通の物置部屋で拍子抜けだ。なぜか壁際にはベッドまで置いてある。決して埃っぽくもないこの部屋は、使用人たちが綺麗に保っているのだろう。
「残念だが俺はこれから用がある。戻るまでせいぜい大人しくしているんだな」
鍵の閉まる音を確認した後、レネはドアに向かって舌を出した。
ぐるりと部屋の中を見渡して目につくのは高そうな燭台、巻物、そしてツボ。いくら腕を縛られているとは言え、賊の疑いのあるものをこんなところに一人にしてしまっていいのだろうか。しかし腹いせにツボを壊したところで後の仕打ちが酷くなるだけだというのは分かり切っている。レネはベッドに寝転んでみたが、背中に固定された腕が邪魔でかえって窮屈な思いをするだけだった。
コツコツとこちらに近づく足音が聞こえてくる。レネはベッドから起き上がろうと身をよじった。しかし妙に体が重いのと腕が使えないので、再びベッドに体重を預けてしまう。そうしているうちにも音がだんだんと大きくなり、カチャリと鍵の開くような音が聞こえてきた。……きっとクオードだ。あの冷たい眼差しを思い出し、憂鬱になる。いっそ寝たふりでもしてしまおうかと目を閉じかけたところで、ドアが開いた。
現れたのはメレアーデだった。彼女に近寄ろうと足に力を入れる。しかし体のバランスを崩して、レネは床に転げ落ちてしまった。
「本当にクオードったら……。待ってて、いま解いてあげるから」
メレアーデが縄を解きやすいよう寝返りをして床でうつぶせになる。ひやりとした床の感触がむなしかった。
「……ありがとう、メレアーデさん」
レネが立ち上がって頭を下げると、メレアーデは首を振った。
「メレアーデでいいわ。それよりごめんなさい。弟のクオードは少しせっかちなの」
今度はレネが首を振った。クオードに対していい印象はないが、メレアーデの前でそれを口にするなどさすがにできなかったのだ。
まずは銀箱を探したい。だが、どうすればいいのだろう。考えていると、頬のあたりに白いものが伸びてきた。……メレアーデの指だ。
「……え、」
「さっきの騒ぎで汚れちゃったのかしら、それとも床にうつぶせになったからかしら……」
「……あ、の」
「ねえ、お風呂に入らない? うちのお風呂、すごく広いのよ」
メレアーデは名案だと言わんばかりに頷く。放っておくとそのまま風呂場へ歩き出してしまいそうなので慌てて止めた。あの鬼のような形相のクオードと優しいメレアーデ。本当に姉弟なのだろうかと疑問だったが、今しがた理解できたような気がする。
「お風呂は嬉しいんだけど、クオード……さんが持って行った私の荷物が気がかりで」
「ああ、それもそうね。たぶんあの子の部屋にしまってあると思うわ。探しに行きましょう」
でも、とレネが言いかけるとメレアーデはにこりと笑った。
「大丈夫よ。クオードなら王都に出掛けちゃったから」
クオードの部屋は三階にあるらしい。メレアーデの後に続いてレネは物置部屋を出た。
少しぐらいなら大丈夫だということで、メレアーデは屋敷の中を案内してくれた。そこで分かったのが、クオードが使用人に好かれているということ。「クオード様には良くしてもらっている」と彼らは口をそろえて言う。さすがにこの屋敷で滅多なことなんて言えないだろうが、彼らの顔を見れば本心でそう言っていることは感じ取れた。
「ねえ、あの銀色の箱って何なの?」
恐らくクオードの部屋の前だろうというところでメレアーデは立ち止まった。このまま銀箱を取り返してひっそり帰るなんて、簡単な話ではなかったということだ。ただメレアーデを見る限り、疑われているというよりは純粋な疑問を投げかけられているだけのように感じる。……彼女にならこの突拍子もない話をしてもいいかもしれない。きっとメレアーデなら分かってくれる。レネはそう信じて口を開いた。
「それじゃあレネはあの銀色の箱のチカラでここに?」
「たぶん。……でも」
「でも?」
「使い方もわからないし、帰れないかも」
「それは困ったわね。でも、何とかなるかもしれないし、まずは探してみましょう?」
レネは頷いた。
ドアを開いたメレアーデは何だか楽しそうだ。実際「何か面白いものがでてくるかも」なんて言っている。
部屋を漁ったなんてクオードが知ったら、また縛られてしまいそうだ。けれど、もう彼とは二度と会うこともないのだと思えばいくらか心は軽い。
「……あ、ねえ! これじゃない?」
メレアーデが部屋の隅に隠すよう置かれていた麻袋を持ち上げて言う。中身を確認してみると、取り上げられた武器や防具、そして銀箱が入っていた。
「ありがとう」
レネは銀箱を手に取ってみたが何も反応がない。メレアーデと目が合い、彼女は困ったように首を傾げた。すると、どこからか猫の鳴き声が聞こえてくる。
「ニャアン」
「あ、クロちゃん!」
メレアーデは部屋の入口に現れた黒猫とレネを何度か見比べた。そして「ごめんなさい」と言い残し、猫を追いかけて行ってしまった。
部屋に残されて途方にくれる。銀箱をひっくり返したり、叩いてみたりしたけれど、作動する気配はない。しばらく銀箱と格闘していると、頭に聞き覚えのある声が響いてきた。
――テラスへ来て。
確かにそう聞こえた。レネは銀箱を握りしめたまま、部屋を出た。導かれるようにテラスへ足が向かい、外の風に触れたところで真後ろに人の気配を感じた。
「やっと会えた」
振り向くと、メレアーデがいた。だが、先ほどまで話していたメレアーデとは、着ている服も、雰囲気も違う。何が起こっているのか分からない。目の前の彼女は微笑んでいるが、どこか寂しそうに見えた。
「メレ――」
言いかけた唇に、そっとメレアーデの指が触れる。
「あなたに伝えなければならないことがあります」