高坂妹は雑渡が憎い01
「兄上をかえせっ!」
ここはタソガレドキ城。聞こえるはずのない声が聞こえてきて、高坂は耳を疑った。色々あって疲れているのかもしれない。無理を言ってようやく狼隊に入隊し、元服の議を済ませ、さあこれからだというところなのに、家族の縁を切ったはずの妹の声が聞こえてくるなんて。未練など捨ててきたつもりだった。気持ちを切り替えていかねばと深呼吸したところ、
「わたしは兄上の妹、高坂ナマエだ! ざっとこんなもんにけっとうをもうしこむ!」
いる。間違いなくいる。高坂が幼いころ使っていた訓練用の木刀を雑渡昆奈門に突き付けて。高坂はサッと血の気の引く思いをした。
今まで生きてきた中で一、二を争うほど高坂は焦った。自分でも驚くぐらいの速さでナマエを小脇に抱える。ナマエは高坂を見てぱあっと笑顔になった。
「兄上!」
まあなんてかわいいこと。だが高坂は心を鬼にして一旦無視した。そして雑渡に向けて頭を下げる。地面に頭がぶつかってしまいそうなほどの勢いだった。
「雑渡さま、申し訳ありません」
ナマエがジタバタ暴れるので一緒に頭を下げさせた。雑渡がにやにやしているのが雰囲気でわかる。雑渡が怒っていないのは良かったけれど、恥ずかしくて仕方なかった。
「兄上ー、首がいたいです!」
「もう兄と呼ぶなと言っただろう」
「いやです。兄上はずっとわたしの兄上です!」
そんな風に言われて嬉しくないわけもなく。しかしここは高坂が尊敬してやまない雑渡の面前。高坂は口元をきゅっと結んだ。
「ふふ、かわいいねえ。陣左も頭上げていいよ」
「兄上をヘンな名前でよぶな!」
「おい、やめろ!」
高坂はナマエの口を手でふさいだ。かわいそうだが仕方ない。
「……妹が大変失礼いたしました」
「あれ、もう妹じゃないんじゃなかったの?」
「……」
「ほら、苦しそうだから放してあげて」
「……はい」
高坂が腕の力を弱めると、ナマエはぴょんと地面に飛び降りた。そしてその勢いのまま雑渡に木刀で斬りかかる。木刀は雑渡の肩に命中したけれど、雑渡がにこにこしているのでナマエは何度も雑渡をぺしぺしと攻撃した。
「兄上をたぶらかしてゆるさない!」
「難しい言葉知ってるね~」
「ばかにするな!」
「してないよ。ごめんね、陣左と遊べなくなって寂しいよね」
「……なんで笑ってるの?」
いたいはずなのに。
いくらやっても雑渡が「参った」と言わないので、ナマエはなんだか怖くなってきた。この人すごくつよいのかもしれない。大好きな兄上の後ろにぴゃっと隠れて、顔を半分だけ出して雑渡の様子をうかがう。
いっぽう高坂は、冷や汗をダラダラ流しながらじっと耐えていた。雑渡が「待て」の合図をしてくるから動くに動けないのだ。雑渡がこの状況を楽しんでいるのはわかる。だが心臓に悪いのでやめてほしい。
「陣左」
「はい」
「おまえのことだからもう実家には帰らないつもりなのかもしれないけど、絶縁したわけじゃないんだし、たまには顔を出してあげなさい」
「……はい」
タソガレドキ忍軍は、生まれた家によって所属する隊が決まる。高坂家は月輪隊だ。それでも雑渡が小頭を務める狼隊に入りたいと無理を言って、何度も断られた。それが掟だ。前例がない。ならば家を出る。そうまでしてやっと入隊したのに、どんな顔をして帰れというのだ。父とは言い合いになったが、父が影で雑渡に頭を下げていたことを後から雑渡に聞かされた。だからなおのこと父とは顔を合わせづらい。
「兄上、帰ってくるの?」
「……たまにな」
「たまにっていつ?」
「……三年後くらいか」
「やっぱりざっとをたおす」
「雑渡『さま』だ馬鹿!」
「ナマエちゃん、お団子食べる?」
「お団子……?」
三色団子を前に、ナマエはきらきらと目を輝かせた。おいしそう。じゅるり……。いやだめだ、雑渡は敵なんだから。……でも、おいしそう。
ナマエは高坂の服をぎゅっと握って耐えた。
「どうしたの? おいしいよ?
「おのれざっとこんなもん!」
「え?」
「お団子でゆーわくするなんてひきょうだ!」
「ご、ごめんね?」
さすがに団子を出せばどうにかなると思っていたけど甘かったらしい。高坂が真っ青になっているのは面白いけど、あんまりいじめたらかわいそうだ。雑渡はナマエでなく、高坂のほうに団子を差し出した。
「じゃあこれは陣左にあげようかな」
「え……あ、ありがとうございます」
ナマエが高坂が受け取った団子をじいっと見上げる。高坂は雑渡の意図を理解し、屈んでナマエに目線を合わせた。
「これ、食べるか?」
「え、でも……ざっとのお団子なんかいらない」
「これはもう私の物だ」
「兄上の?」
「そうだ」
「じゃあ兄上と半分こする!」
「私はお腹いっぱいだからおまえが全部食べていい」
「えー! いいの? 兄上、ありがとうございます!」
団子を手にしてきゃっきゃと喜ぶナマエをよそに、高坂は雑渡に素早く頭を下げた。
しかしナマエはどうやってここまで来たのだろう。見たところ一人のようだし、城の入り口にだって門番がいるはずだ。
「お団子おいしー」
「それよりナマエ、どうやって城に入ったんだ?」
「兄上の妹の高坂ナマエですって言ったら、兄上ならあっちだよーっておしえてくれた」
「……城までは一人で来たのか?」
「うん! 父上といっしょにきたことあったからおぼえてたの」
「えー、すごいねえ。でも一人じゃちょっと危ないんじゃない?」
「ざっとには関係ない!」
「おい! 雑渡さまはおまえを心配してくださっているんだぞ!」
「……なんで兄上はざっとの味方をするの?」
兄上、おこってる?
せっかく会いに来たのに全然嬉しそうじゃないからナマエは悲しくなってきた。疲れても頑張って歩いたのに。一人でお城まで来てえらいねって褒めてもらえると思ってたのに。
「お、おい泣くな!」
「ざっと……ぜったいゆるさない!」
ナマエは雑渡をキッと睨みつけて突進した。雑渡は真正面からナマエを受け止め、サッと右手から団子の串を抜き取る。ナマエにポカポカと胸を叩かれたが、雑渡にとってそんなもの抵抗にすらならない。
「陣左、今日はこの子と一緒にいてあげたら? 帰らせようとしても納得しないよこの子は」
「しかし……」
「ちょうど村に帰るやつがいるから、家には連絡させておくよ」
「……申し訳ありません」
「よかったねナマエちゃん。今日は陣左が一緒に遊んでくれるって」
「兄上、本当?」
「……明日になったらちゃんと村に帰るんだぞ」
「それまでにざっとをたおしたらいいってこと?」
「全然違う」
高坂はナマエを連れて城の庭をぐるっと一周することにした。迷子にならないように手を繋いでいるおかげで、すれ違う同僚たちから声を掛けられる。その度にナマエは「兄上の妹です」と得意気に鼻を鳴らしていた。悪い気はしないけど、周囲には家から勘当されたと説明していたため気恥ずかしかった。
敷地内で訓練をする忍者を見て、ナマエは高坂の袖をぐいぐいと引っ張った。
「兄上、わたしも手裏剣なげたい!」
「おまえにはまだ早い」
「兄上は何歳のときに手裏剣なげたの?」
「……まあ、おまえぐらいの歳のころか」
高坂は嘘が苦手だった。特に妹に対しては。
投げたい投げたいと駄々をこねるナマエを引っ張って訓練場から離れようとしたが、なかなか言うことを聞いてくれない。手裏剣を投げたいという理由も大体わかっているので高坂は頭が痛くなった。おそらく手裏剣を使って雑渡を倒そうとしているのだろう。
大事にしている妹だからこそ、雑渡のことを嫌ってほしくない。まあ普通に失礼な態度を改めてほしいというのもあるが、雑渡のすばらしさをわかってほしいという気持ちもあった。先ほども雑渡はナマエを咎めるようなことはしなかったし、団子までくださった。お優しい方なのだ。ナマエには全く伝わっていなさそうなのがもどかしい。
「……ねえ、ざっとってつよいの?」
「そうだな。とても強い御方だ」
「兄上より?」
「当たり前だ」
「……父上よりも?」
「……」
なんと答えればいいんだ。
得意分野も違うので一概には言えないが、総合的に見れば雑渡のほうが上なのは確かだ。しかしそれを言えばナマエは機嫌を悪くするだろう。
「父上よりはよわいよね?」
「……二人が戦っているところを見たことがないからわからない」
「あのね、いいこと思いついたの。父上にざっとをたおしてもらえばいいんだ」
「馬鹿を言うな」
「なんで? だめなの?」
「自分ができないからって父上を頼ろうとするんじゃない」
「そっか……。そうだよね。ちゃんとじぶんでやらないと」
あ、しまった。
高坂は後悔したが、時すでに遅し。なぜ焚きつけるようなことを言ってしまったのだろう。まあそれは高坂の根に武人気質なところがあるからなのだが。そして同じ血が妹にも流れている。思えば父もそういうところがあった。高坂家はちょっとばかし血の気が多い。
「わたし、がんばってしゅぎょーして、つきのわのこがしらになって、ざっとをたおす! そしたら兄上もつきのわに帰ってきてくれるよね?」
「やめておけ。女はタソガレドキ忍軍には入れない」
「やだ!」
「やだじゃない。決まりだ」
「兄上も決まりをやぶっておおかみになった」
「……」
ナマエと話していると、嫌というほど兄妹なのを実感させられる。高坂は自分がそこまで無茶苦茶なことを言ったとは思っていなかったが、はっきりそう言い切れる自信がなくなってきていた。女がタソガレドキ忍軍に入るなどあり得ない。だが、月輪隊から狼隊に所属を変えることも同じくらいあり得ないことだったのかもしれない。
だが、それはそれ。かわいい妹に過酷な道を選んでほしくない。くの一になりたいと言い出したら止める権利はないが、それでも平穏に暮らしてほしいと思っている。
「おまえに黙って出て行ったのは悪かった。だがあまり父上や母上に心配をかけるな」
「わたしも兄上のこと心配してるもん。ぜんぶざっとが悪いんだもん」
「私の尊敬している人を悪く言わないでくれ」
「……そんなにすごいの?」
「ああ、強くて部下思いの優しい御方だ」
「……そういえば、村の姉さまたちもざっととけっこんしたいって言ってた」
「まあ無理もない」
「ぜったいざっとより兄上のほうがおとこまえなのに」
「そんなことはない……が、おまえがそう言ってくれるのは嬉しい」
高坂はナマエを両手で抱き上げた。ナマエはキャーっと喜び、もちもちの頬を高坂に擦り付ける。
「ぜったい兄上をざっとからとりかえす!」
(全く伝わってないな)
「……あ、ざっと! こんどはわたしとかけっこでしょうぶだ!」
敷地を一周したところでまたも雑渡に出くわしたナマエは、高坂に抱えられながらもビシーッと雑渡を指差した。
「かけっこ? ふふ、いいよ~」
「雑渡さま、相手しなくて大丈夫ですから!」
「ほんと陣左そっくりだよね」
「え……どこがそっくりなんですか?」
「気づいてないんだ」
「ざっと! しんけんしょうぶなんだから笑うな!」
「ああ、ごめんね」
高坂の腕から降りたナマエは、両手を腰に当てて雑渡を見上げた。足元から見上げると雑渡がすごく大きいことにナマエはびっくりしていたが、こんなことで怯んでいては勝てないと平気な振りをする。
「わたしが勝ったら兄上をかえすとやくそくしろ!」
「え、うーん……それは困るな」
「やくそくしろーっ!」
「おまえ、いい加減に「いいよ」
高坂が割って入ってこようとするのを遮るように、雑渡は言った。
「そのかわり、私が勝ったら明日はおとなしく村に帰るんだよ」
「……わかった。おとこに、にごんはない」
(使い方間違ってる気がするけど、まあいいか)
なんかやたらと難しい言葉を使うのは、高坂父の影響なのだろう。
少し大人げない気がしたが、雑渡はナマエを負かした。涙を浮かべながら睨まれて罪悪感が沸く。
こんな小さな子に敵意をむき出しにされて、しかも自分のせいで泣いているなんて、損な役回りだ。だが人の上に立つと決めた以上は受け入れるしかない。
「……やくそくだからあしたは帰るけど、またしゅぎょーしてくるから首をあらってまってろ!」
「うん。またおいで。でも今度はおうちの人にちゃんと言ってから来るんだよ」
「雑渡さま、そんなことを言っては……」
「私のことはいいから、ナマエちゃんを慰めてあげて」
「……ナマエ、今日は一緒に寝てやるから泣き止め」
「あにうえーっ!」
ナマエはぎゅっと高坂に抱き着いた。この日はずっと落ち込んでいたし、村に帰るときも静かだったから二人はナマエのことを心配していた。しかしその一カ月後、手裏剣片手に雑渡に勝負を挑むナマエの様子を見て、二人はある意味安心するのだった。
「ざっと、かくごしろー!」
「すごい、ちゃんと真っ直ぐ飛んでる」
「……おまえ、手裏剣なんか誰に習ったんだ?」
「父上」
(何やってんだあの人……)
安心したのも束の間、高坂の頭痛は酷くなるばかりだった。