高坂妹は雑渡が憎い02
高坂が狼隊に入隊してから一年、高坂の父が定年退職した。それで何が起こるかというと……
「雑渡、覚悟―ッ!」
(まだ荒いけど、動きは良くなってきてるな……)
引退した父に訓練してもらっているらしく、ナマエの実力はメキメキと伸びていた。
高坂父はやると決めたら徹底的にやる男だ。厳しい鍛錬をこなしていることは、ナマエの動きを見れば一目瞭然。それにナマエの手には細かな傷がいくつもあった。動機はともかく、ここまで熱心に修行に励むことができるなら、雑渡も多少の助言をしたくなる。本気で強くなろうとしている子には、それなりに応えてあげたいと思ってしまうのだ。
ちょうどここに、ナマエの投げた手裏剣がある。雑渡が避けて地面に落ちたものだ。
雑渡はそれをゆったりとした動作で拾い上げる。
「手裏剣の打ち方は、こう」
雑渡が放った手裏剣は、ナマエの頬をギリギリ掠めず気に刺さった。ナマエは雑渡が初めて反撃してきたことに驚いたのか、目をまん丸にして固まっている。
「あれ、反撃は想定してなかったのかな?」
「……」
(しまった、やりすぎたか)
子供相手に大人げなかったかなと、雑渡は少し反省した。しかし謝ろうとしたところ、
「すごい……今のどうやったの?」
ナマエが目をきらきら輝かせながらぽつりと言ったのだ。これには雑渡も驚いた。今まで睨みつけられたことしかなかったし、これからもずっと憎まれるのだろうと思っていたから、純粋な尊敬のまなざしが心に刺さる。これなら色んなことを少しずつ教えてやってもいいのかもしれない。助言程度にとどめておこうとしていた雑渡の心は、すでに揺らぎかけていた。
(にしても、陣左にそっくりだな……)
かつての高坂少年のことを思い出して、雑渡は頭巾の下で口元を緩めた。
ナマエはしばらくぽやんとした顔を晒していたが、ふと我に返ったらしく、またも雑渡をキッと睨みつける。
「敵に助言をするなんて、馬鹿にしてるのか!」
「違うよ。ただ、頑張ってる子にはやっぱり強くなってほしいからさ」
「む~……」
(むーってかわいいな)
頑張っていると褒められて嬉しいのか、ナマエは眉を寄せながらも頬を赤くした。とても複雑そうにしている。素直じゃないけどわかりやすい。
ナマエは雑渡が投げた手裏剣を木から抜き取ろうとしたが、これがなかなか抜けない。片足を木につけてふんばって、ようやく抜けたかと思えば、勢いのあまりナマエの身体はころんと後ろに一回転してしまった。
そのあまりにも微笑ましい光景に、雑渡は頭巾の下で必死に笑いを堪えていた。
(いや、だめだ。一所懸命やってるんだから笑っちゃだめ……)
しかしナマエ本人も何がどうなったかわかっていない様子できょろきょろと辺りを見回すものだから、雑渡はついに吹き出してしまう。とっさに咳き込むふりをして誤魔化すと、ナマエは今が好機とばかりに手裏剣を投げてきた。
「え……」
困惑したのは手裏剣を投げた張本人であるナマエだった。自分でもよくわかるほど、さっきよりも良くなっている。悔しいけど、せっかくだから雑渡の真似をしてみたのだ。すると前よりもはるかに速く手裏剣が飛んでいくものだから、驚きを隠せない。
(……もしかして雑渡って本当にすごい人なの?)
いやでも偶然かもしれない。そう思ってナマエはもう一度、手裏剣を投げてみた。やっぱり速い。それに、木に刺さっている。いくら練習しても的に刺さらず悔しい思いをしていたのだ。今ならできるかもしれない。ナマエは一刻も早く村に帰って訓練をしたくなった。今日はまだ大好きな兄上に会えていないことも忘れて、帰り支度を始める。
「あれ、今日は陣左に会っていかないの?」
「あ……会う!」
忘れてたなんて言えるわけがなかった。これではまるで雑渡に会いに来ているみたいじゃないか。ナマエはぶんぶん首を振ってよからぬ想像をかき消した。
「陣左ならあっちで訓練してるよ」
「むぅ……」
雑渡の言う通りにするのは嫌だ。でも、雑渡が嘘を言っていないこともわかる。子供ながらの葛藤がナマエを苦しめた。
「ほら、陣左が待ってるよ?」
「……ほんと?」
「うん。いつもナマエが来るのを楽しみにしてるよ」
「……でも、最近いつも怒ってる」
この前も「雑渡さまに迷惑をかけるな」とか「そんな物騒なものを振り回すな」と叱られたのだ。それに訓練だとか忍務だとかで、全然遊んでくれない。一緒に寝てくれたのも最初だけで、あれ以来ナマエが城に泊まることはなかった。ナマエは兄上に会いたいけれど、兄上はそう思っていないんじゃないかとたまに不安にときがある。
「陣左はナマエのことが心配なんだよ」
「でも、兄上は私よりも雑渡がいいって……」
「そういうわけじゃないと思うけど」
「じゃあなんで兄上は家を出て行ったの?」
「うーん……」
ナマエが大きな目に涙をたくさん溜めている姿を見て、雑渡の胸がチクチクと痛む。今にも泣きそうだ。
「……やっぱり帰る」
「え?」
「次はぜったい倒す。首を洗って待ってろ」
「あ、うん……。またね」
ナマエは走って行ってしまった。おそらく自分の前で泣きたくなかったのだろうと、そのいじらしさに雑渡は感心した。ただ……
「え、ナマエはもう帰ったのですか?」
「うん」
「そうですか……」
妹の次は兄だ。高坂はあからさまに落ち込んだりはしないけど、気にしているのが手に取るようにわかる。なぜですかと聞いて来ないところがまた高坂らしい。だが、その迷いが動きにも出ているからまだまだ半人前だ。
「気になるなら追いかけたら? まだ近くにいると思うけど」
「いえ、そのようなことは……」
「はい、隙あり」
雑渡が高坂の持っていた武器を弾く。高坂は気まずそうな顔で雑渡のことを見上げてきた。
「動揺を相手に悟らせるな」
「はい、申し訳ございません」
「ところで、ちゃんと家には顔を出してるの?」
「……いえ」
「次の休みは明日だったね。ナマエのためにも帰ってあげなさい」
「……そうさせていただきます」
やれやれ世話が焼ける。雑渡は肩をすくめながらも、手のかかる子供たちに心を和ませるのだった。
翌日、高坂は雑渡に言われた通り実家へ帰っていた。ただ正面から玄関を叩くには抵抗があって、庭からコソコソと中の様子をうかがう。普通に考えて父親に気づかれないはずがないのだが、今のところは特に何も言われていない。庭ではちょうどナマエが訓練をしているところだった。
ナマエの成長ぶりに高坂は目を見張った。ど真ん中ではないにしろ、手裏剣が的に刺さっている。ただ同時に、自分のせいでナマエがここまでしているのだとしたらと思うと申し訳ない気持ちになった。
(声を掛けてもいいのだろうか……)
集中してやっているのだから、邪魔しないほうがいいかもしれない。しかしそれでは帰ってきた意味がなくなるし、後で雑渡に何を言われることやら。高坂は気配を消して、そっと後ろからナマエに近づいた。
ナマエは高坂に気づかず手裏剣を投げ続けていた。そしてついには投げる手裏剣がなくなり、的に刺さっていたものを抜き取りに行く。それから定位置に戻ろうとしたところでようやく高坂の存在に気づいたようだった。
「あ、兄上……?」
ナマエは持っていた手裏剣を全部落とした。そんなに驚かなくたっていいだろう。しかし照れくささがあったので「後ろの気配に気づかないとはまだまだだな」と、上司のようなことを言ってしまう。それでもナマエは目に涙を浮かべながら、高坂に飛びついた。
「兄上が帰ってきてくれた……」
「なかなか帰れなくてすまない」
「……私のこと、嫌いになったのかと思ってた」
「そんなわけないだろう」
ぐずぐずと鼻を啜るナマエの頭を撫でながら、高坂は内心で雑渡に感謝していた。今日帰ったのは正解だったかもしれない。雑渡に言われなかったら顔を出すつもりもなかったが、ナマエは想像以上に思い詰めていたようだ。嫌いになることなどあるわけがないのに。
「今日は一日休みを取ったから、日が暮れるまで遊んでやれるぞ」
「じゃあ弓の使い方を教えて!」
「……な、」
この一年で、ナマエはずいぶん成長したようだ。
結局この日は、一日中ナマエ訓練に付き合うことになった。それでもナマエが楽しそうにしていたからいいかと高坂は思う。それでこの訓練の成果を雑渡に向けなければもっと良いのだが……。
「ねえ陣左、いつの間にかナマエが弓まで使えるようになってたんだけど。子供の成長って早いものだね」
「あ、あー……妹が迷惑を掛けて申し訳ございません」
弓を教えたのが自分だとも言い出すことができず、高坂は目を泳がせた。そんな高坂の様子を見て雑渡はにやりと笑う。何もかも見透かされているような気持ちになって、さすがだと思うのと同時に居心地が悪い。
「将来、ウチほしいな」
「え……」
「冗談だよ。いやまあ冗談じゃないんだけど、女の子だからね」
「ナマエはまだ月輪に入る気でいるみたいですが」
「無茶言うところも陣左にそっくりだね」
「……ナマエほどではないと思います」
「私から見たら大差ないよ」
「……」
まあ大きくなったらナマエも落ち着くだろう。このとき二人はその程度にしか考えていなかった。もう少ししたら嫁入りの話も出てくるだろうし、手裏剣よりも簪や櫛に興味が沸くはずだ。だからナマエの気が済むまで付き合ってやればいい。そうしてまた一年が経過しようとしていた……。
ナマエは月に一回程度、雑渡に決闘を申し込んでいた。そのたびに雑渡は軽く相手をしてあげていたし、ナマエの悪い癖を指摘してあげたりもしていた。そうしていたらある日、
「雑渡さま、今日もお相手願います」
と、ナマエが言ってきたのだ。
雑渡は感動のあまり今すぐ走って高坂の元へ報告に行きたくなった。「雑渡さま」」と呼ぶまでに、あらゆる葛藤があっただろう。だから雑渡はナマエの決意を揶揄うようなことは言わなかったし、何なら気づいていない振りまでした。ナマエも最初は悔しそうにしていたが、雑渡が何も言わないことに安心したのか、決闘はいつもの通り取り行われた。そしてナマエが負けると、今度は雑渡に一礼するではないか。
「私、感動して泣くかと思ったよ」
「ああ、ついにナマエも雑渡さまに敬意を払うようになったのですね」
「でもすごく悔しそうにしててさ、えらいよね。お団子あげたくなっちゃう」
「当然のことをしているだけですから、あまり甘やかさないでやってください」
「陣左は厳しいね」
「雑渡さまが妹に甘すぎるのです」
だってあれは甘やかしたくもなっちゃうよねえ。雑渡はしみじみ思いながら茶を啜った。
そしてこの二日後、火災に巻き込まれた定年間近の部下を助けるために雑渡は大火傷を負った。