高坂妹は雑渡が憎い04
金平糖おいしい。
ナマエは雑渡の元を訪れるたび、何かしら菓子をもらっている。これは雑渡の見舞い品として渡されたものらしい。しかし当の雑渡本人が食べられないというので、仕方なくもらってあげているというわけだ。南蛮菓子というのは、団子よりもはるかに甘い。初めて食べたときは口の中が溶けるかと思ったくらいだ。
そんなある日、ナマエは里で雑渡の噂を耳にした。若い女が集まってきゃっきゃとはしゃいでいるところに気配を潜めて近づいてみると、雑渡の婚約が破談になったと言っているではないか。
「ってことは、あたし雑渡さまを狙っちゃってもいいのかしら?」
「え~、私だって! 抜け駆けしないでよね!」
「でも雑渡さま、すごく酷い状態らしいわよ。もう復帰は難しいんじゃない?」
「動けない人の面倒を見るのは大変そうよね」
「婚約が破談になるくらいだからねえ……。もう一年も寝たきりなんでしょう?」
話を聞いていたら、なぜだかわからないけど気分が下がってきた。盗み聞きなんてするんじゃなかった。ナマエは静かにその場から離れた。少しずつ回復してるんだってあの人たちに教えてあげるべきだっただろうか。
普段から忍者の修業をしているおかげか、女たちはナマエに気づくことはなく、なおも噂話に花を咲かせている。
ナマエはその足で雑渡のところへ向かった。いつものように天井裏から侵入すると、雑渡は横になったままにこりと笑いかけてきた。
「いらっしゃい。今日はボーロがあるよ」
「……ありがとうございます」
そう言いながらも手を付けようとしないナマエに、雑渡は「おや?」と思った。
見るからに落ち込んでいる。いつも雑渡の前ではムスッとしているところがあるけど、今日はそれとは比べ物にならないほどだった。
「何かあったの?」
「……いえ」
「お腹いっぱいだった?」
「いえ、いただきます」
えらく悔しそうな顔で食べるじゃないか。何があったのか気になるところではあるけど、眉間に皺を寄せながらもむしゃむしゃとボーロを食べるナマエの姿には、どこか癒されるものがあった。実はこれらの南蛮菓子が見舞い品というのは半分嘘で、最初こそ頂き物をナマエに横流ししていたわけだが、最近は雑渡が部下に指示して用意させたものが多くあった。もちろんナマエだけではなく、買いに行ってくれた部下や、雑渡の世話をしてくれている諸泉の坊、見舞いに来てくれる高坂たちにも食べてもらっている。
「ねえ、何があったのか教えてくれない?」
「……」
教えるというよりは、雑渡に聞きたいことがあるのだ。婚約が破談になったのは本当? って。
だけど雑渡は結婚の話がなくなって落ち込んでいるかもしれないと、ナマエは子供なりに気を使っていたのだ。
「……里の姉さまたちが、雑渡さまと結婚したいそうです」
「ああ、婚約破棄になった話が広まってるのか」
普通に答え合わせをしてしまった。それに雑渡も平然としているからナマエはちょっぴり安心した。
「気を使ってくれなくていいよ。私は気にしてないから」
「でも、ひどいです……。約束してたのに」
「いつ動けるようになるかもわからないし、見た目もこんなになってしまった。医者には子を残せるかもわからないと言われたよ。だから年頃の娘の時間を奪うよりはずっといい。里の子たちも、今の私の姿を見たら気が変わるんじゃないかな」
「……」
「ごめんね、こんな話をするつもりじゃなかったんだけど……」
「雑渡さまは人助けをしたのに、かわいそう……」
かわいそうって。多分大人に言われたらいい気はしなかっただろうけど、ナマエに言われる分に関しては何も気にならなかった。純粋に雑渡の婚約が破談になったことについて悲しんでくれているみたいだから、優しい子だなと思うだけだ。
「雑渡さまと結婚してくれる人がいなかったら、私がもらってあげます」
「ふふ、ありがとうね」
子供の言うことだからと雑渡は真に受けなかった。しかしこのときの発言が、後から雑渡を悩ませることになる。
***
それから二年。雑渡は医者も驚く回復力で戦線に復帰した。徐々に身体も慣れて、以前のように狼隊の小頭として役目を果たしている。
復帰して早々ナマエに決闘を申し込まれるんじゃないかと思っていたが、ナマエは姿を見せなかった。そのかわりに、月輪隊に入りたいと志願していたことを風の噂で知る。しかし女の身での入隊は認められなかったらしく、それで落ち込んで修行をやめてしまったのかもしれない。時間ができたら里に様子を見に行ってやるかなと考えていたそのとき、高坂の怒号にも似た声が城に響き渡る。
「おまえっ、誰にやられたんだ!」
何の騒ぎかと雑渡が声の元に駆けつけると、そこには高坂と、ざんばらに髪を切られたナマエが向かい合って立っていた。
「……自分でやりました」
「そんなわけないだろう! 言え、私がそいつを殺してきてやる!」
「陣左、とりあえず落ち着いて」
完全に頭に血が上ってしまったらしい高坂をなだめながら、雑渡は高坂とナマエの間に入った。ナマエは足元をじっと見つめながら顔をしかめている。
雑渡は膝をついてナマエの顔を下から見上げた。見たところ、髪以外に外傷はない。服もきれいで誰かと争った様子はなさそうだ。だとしたら、なぜ……。自分でやったというのは本当なのだろうか。
「何があったか教えてくれる?」
「……そろそろ結婚のことを考えろ言われました」
「おまえまさか結婚するのが嫌で髪を切ったとでも言うのか!?」
「はいはい、陣左はちょっと黙ってようね」
興奮状態の高坂を引きはがしながらも、雑渡は少し焦っていた。結婚が嫌って、まさかね……。二年前の約束をずっと覚えていたわけではないけど、今になってあのときの返答が適切だったか思い悩むことになるとは。あれは「大きくなったらお父さんと結婚する」と同じだと思っていたから特に否定もしなかっただけだ。
そもそも、この一連の流れも雑渡の勘違いかもしれない。普通にただ結婚したくないだけで、反発して髪を切ってしまったとか。それにしては気迫迫るものがあるから、何かしら事情を聞く必要はある気がする。
「ねえ、どうして結婚するのが嫌なの? 相手の人が気に入らない?」
「……っ」
雑渡が問いかけると、ナマエは泣きそうな顔をした。これってやっぱりそうなの? 約束のことを忘れられたと思って怒ってる? 一旦持ち帰って誰かに相談したい。高坂に言ったら大変なことになりそうだから、妻子持ちの山本あたりが適任か。
ちなみにこのときのナマエの心境としては、大体雑渡の予想通りであった。ただ少し違うのは、雑渡が本気にしてない可能性をナマエが考えていたというところだ。「なんで忘れてるの!」というよりは、「やっぱり本気じゃなかったんだ……」という気持ちに近い。
別にどうしても雑渡と結婚したかったわけじゃなくて、好き勝手言われている雑渡がかわいそうだから結婚してあげてもいいと言ったわけで。現に雑渡が忍びとして復帰しても誰とも結婚する様子がないから、ナマエもその気になってしまっていたのだ。それに加えて月輪隊に入れなかったこと、結婚しろと両親に言われたことが重なり、ナマエも気が立っていた。まるで「おまえに忍者は無理」と言われているみたいで、つい反抗的になってしまったというわけである。
「とりあえず髪を整えてもらおうか。ね、こっちへおいで」
差し出された雑渡の手をそっと握る。自分は雑渡にとって結婚相手ではなく、ただの子供なんだなと実感させられた。
「あらまあこんなになって、かわいそうに」
雑渡に案内してもらった部屋にいた女中は、ナマエを見て一言かわいそうと言った。かわいそうなんだ、これ……。そんなに酷いのかな。何せ鏡も見ていなかったから、自分がどういう状態なのかわからないのだ。
ナマエは部屋の真ん中に座らせられて、女中に鋏で不揃いな髪を切ってもらうことになった。
パサリと髪が落ちていく感覚で、身体までもが軽くなっていくような気がした。このまま髪を短くして男の服を着たら忍者になれるだろうか。
「ほーら、できたよ」
「うん、短いのも似合ってるね」
雑渡はナマエの頭を撫でてそう言った。兄は相変わらず不機嫌そうな顔で腕を組んだまま黙っている。あんなに怒ってくれたのは、大事にされている証拠だとナマエもわかっていた。
「……兄上は結婚しないのですか?」
「私の話はいいだろう。おまえ、ぐずぐずしていたら貰い手がなくなってしまうぞ」
(ちょっと陣左~!)
雑渡は矢羽音で「待て」の合図を出した。ちょっとその話は待ってほしい。本当に。お願いだから。
「じゃあ私たちは仕事があるから戻るね」
半ば強引に高坂を引っ張って雑渡は部屋を出た。最初は山本だけに相談するつもりだったけれど、これは高坂にも言っておいたほうがいいのかもしれない。自分のことを尊敬してくれている部下に、子供の言うことを真に受けてその気になっている残念な上司と思われるのは少し抵抗があるけど(その点、山本に関しては全く抵抗がない)、さっきみたいな発言をされるくらいなら伝えておいたほうがいいはずだ。
それで雑渡と山本と高坂、三人で部屋に集まったわけだが……。
「何やら面白そうな気配を感じた」
いつの間にか黒鷲隊の押都までもが会話に加わっている。だけどまあ、押都ならそういう話題には詳しいだろうしと、雑渡は咎めないことにした。
「それで昆、わざわざ私たちを集めてどうしたんだ?」
「……ナマエのことなんだけど、二年前の私が寝たきりになっているときにさ『雑渡さまと結婚してくれる人がいなかったらもらってあげてもいい』みたいなことを言われてね」
「え……」
「ちょっと待ってね陣左、私も別に本気にしたわけじゃないよ。子供の言うことだと思って、確か……『ありがとう』とは言ったかな。婚約が破談になったばかりだったから、気を使ってくれてるんだろうと思ってね」
「はあ。しかしそれが本気だったかもしれないと?」
さすが押都、話が早い。しかし山本はまだピンと来ていないようだ。
「だが本人に確かめたわけではないのだろう?」
「そうなんだけど、結婚を嫌がってたみたいだし、どうして嫌なのか聞いても答えてくれなくて……」
どうしたらいいと思う? 雑渡の疑問を押都は笑い飛ばした。
「そんなの、こちらから結婚を申し込んでしまえばいい」
「な、何をおっしゃってるんです!」
この場の誰よりも動揺しているであろう高坂を見て、やっぱり連れてこなかったほうがよかったかなあと思う。押都の言うことも一理あるのだ。下手に勘ぐって相手に恥をかかせるくらいなら、こちらから結婚を申し込んでしまえばいい。だけど雑渡はナマエをそういう目では見たことがなかったし、何より元いた婚約者よりも若い子供だから、そんな娘に自分が相応しいとはどうしても思えないのだ。
「ま、『結婚してくれる人がいなかったら』なんだから、さっさと別の嫁を貰うという手もある」
「そうだ、こんな身体じゃ申し訳ないとおまえはいつも言っているけど、おまえと結婚したい娘は山ほどいるんじゃないか?」
「いや、山ほどはいないよ……多分」
結論はでないまま、この場はお開きとなった。雑渡は部屋を出てすぐナマエを探したが、もうとっくに帰ってしまったそうだ。なんだかすっきりとしない終わり方である。
雑渡は次の休みを使ってナマエに会いに里へ行った。もちろん堂々と高坂家の門を叩くわけにはいかないから、彼女が家の外に出たところでこっそり声を掛ける。ナマエは目をまん丸にしながらも、声は出さずにいてくれたので助かった。
「今、いいかな」
「……はい、わざわざどうしたんですか?」
「ちょっと話したいことがあってね。場所を変えてもいい?」
「構いませんけど……」
「じゃあ、ついてきて」
雑渡はナマエを連れて里の近くの山に登った。別に山である必要はないのだが、誰かに話を聞かれて噂話でもされたらたまったもんじゃない。ナマエは不思議そうにしながらも黙ってついてきてくれている。今日のナマエはいつもの忍者装束ではなく、小袖を着ていた。雑渡にとってナマエは出会ったときから、二年前も、そして今も子供だ。だけどこうしている姿は、確かに両親から結婚を勧められてもおかしくない年頃の娘だった。髪は短くなってしまったけど、似合っているというのは本心から出た言葉だ。
雑渡は周囲の気配を探り、ここでいいかと足を止めた。
「話っていうのは……えっと、一応確認したいことがあってね」
「なんでしょうか」
「二年前にナマエが言ってくれたこと、覚えてないかもしれないけど、覚えていたとしてもあのときのことは気にしなくていいからね」
押都の助言はまるで無視であった。後から押都には小言を言われるかもしれないけど、雑渡としてはこれ以上の言葉はなかった。
ナマエはしばらくうつむいたまま黙っていた。これは確実に伝わっているという確信があった。ただし肝心の表情が見えないから、何を考えているのかは全くわからない。
「……二年前って何の話でしょうか」
「あ、いや……覚えてないならいいんだよ」
まあそうなるか。そういうことにしておいたほうが、お互いのためだ。何はともかく問題が一つ解決してよかった。肩の荷が下りたような気持ちでさっそく下山しようとしていると、ナマエの足にぽたりと水滴が落ちるのが見えた。
え……。待って、そんなに?
ナマエがとぼけた振りをしていることぐらいはわかっていたが、泣き出すとまでは思っていなかった。だって自分は、大好きな兄上をとった悪者だから。見舞いに来てくれるようになったあたりから、嫌われてはないのだろうと思っていたけど……。
「……ごめん」
「なにがですか」
「泣いてるから」
「うるさい!」
ナマエは自分でも訳がわからなくなっていた。だって涙が勝手に出てくるんだもん。悲しいことなんて何も起こってないのに。
泣いている姿を見られたくなくてゴシゴシ目を擦っていたら、その手を雑渡に掴まれる。病み上がりのくせにちっとも衰えを感じさせない力だった。
「ごめんね、おまえの本気をなかったことにしようとして。私をもらってくれる?」
雑渡はナマエを抱きしめた。自分のことで泣いているナマエを見ていたら、急にかわいく思えてきたのだ。罪悪感でそうしているわけではない。だけどナマエにはそう受け取られたとしても仕方がなかった。
「雑渡さまは、私が泣いているのがかわいそうだから結婚するの?」
「違うよ。いじっぱりなおまえがかわいくて、誰にも渡したくなくなったんだよ」
「……」
「おまえは私が誰からも結婚してもらえないかわいそうな男だからもらってくれるの?」
「……ちがいます」
「じゃあ、どうして?」
「……そんなのわかりません」
「ふふ、そっかあ」
そんな真っ赤な顔で言われてもね。もうほとんど答えは聞けたようなものだ。
強く抱きしめていたおかげで、いつの間にかナマエの足が宙にぷらんと浮いていることに雑渡は全く気づいていなかった。雑渡が腕の力を緩めたのは「くるしい」と息も絶え絶えにナマエが言ったからだ。
(……ああ、高坂殿には恨まれるだろうな)
下山しながら雑渡はそんなことを考えていた。
***
「ってことで、陣左は私の兄上ね」
「え、私の兄上です!」
「いやいや、私にとっても兄上だからね」
「あの、雑渡さま……お止めください」
後日、家族の縁を切ったはずの妹と、悪ふざけをしている雑渡の両方から腕を引かれる高坂の姿がタソガレドキ城で目撃されたのだった。