トリップしたけど昔アニメをちょっと見ただけでタソガレドキを知らない話07
もし雑渡が敵地に潜入するのなら、目立つことなく仕事をこなすだろう。そんな奴いたっけ、と後から言われるくらいがちょうどいい。だからこの、ひときわ目立って仕方ない侵入者のことを見ていると、警戒とはまた違う……ある種の不安さえ覚えるのだった。
夢中で握り飯を食べる女からは、生きる力強さを感じられた。やはり心臓が止まっていたのは雑渡の勘違いだったのか。時が経つにつれ、だんだんと自信がなくなってくる。
喉を詰まらせた女に水を与えると、少しは落ち着いたようだった。牢に閉じ込めていたときよりは冷静に受け答えをしているように見える。東京という単語には聞き覚えがなかったが、見覚えはあった。彼女から没収した薄い板にそのような単語の記載があったのだ。あれが身分を示すものだという雑渡の見立ては間違いではなかったのかもしれない。
「ここで働かせてください!」
そう言われたときには、呆れを通り越して笑いそうになってしまった。悟られないよう目を薄く細め、そして覆面がなければ口元が緩んでいたのに気づかれていただろう。
雑渡は女に仕事を与えることにした。忍者隊だけでなく城の人間に幅広く彼女について判断してもらう必要があったからだ。
女はこの時代に生きる人間ではない。雑渡はそう判断した。もし雑渡の見立てが正しいのであれば、女を他所へ渡すわけにはいかない。戦は情報が命だ。普通なら知りえない情報を彼女が持っているという可能性は大いにある。それは彼女の所有品を見ても明らかだ。少し先走っているという自覚はあったが、あのような奇妙な物を目の当たりにしたのだから仕方がないと言えよう。
諸泉尊奈門を始めとした忍者隊は、彼女をくの一と疑っているようだ。ただ、ここまで女の監視を任せていた山本は何か思うところがあるのか黙っている。疑うものは、自分が納得するまでその目で確かめるといい。そういう意味も込めて、彼女のことは忍者隊が交代で監視をすることになった。
女を城で働かせてわかったことといえば、おそろしく世間知らずということであった。子供でも知っているようなことを知らないと言うし、しかし時には驚くほど教養を感じることもある。女中の中で彼女は「どこかの姫が身分を隠して城に匿われている」ということになっているらしい。
「組頭、その……」
尊奈門がどこかバツの悪そうな顔をしてやってくる。
「なに、どうしたの?」
「女がふんどしを失くしたと言っているのですが……」
ああ、あれのことかと雑渡は一人納得した。彼女が武器を持ち込んでいないか確認したときに、見た記憶がある。あれはやはりふんどしなのか。女でそのようなものをつけるのは一般的でない。だが、彼女の服装を考えればあながち不自然でもない話だった。彼女の衣装は膝の少し下までしか布地がない。そして横幅にゆとりがあるのですぐにめくれてしまいそうなのだ。実際に雑渡が全身を調べたときも、あまりに無防備すぎる格好に驚いた記憶があった。あれでは少し風が吹いただけでも苦労するだろう。
「私のほうでも気にかけておくよ。他の忍者隊にも伝えておいて」
「色は黒で、三角のような形をしているそうです」
「あ、ああ……そうだったね」
見たことはあると言ってよかったのかもしれないが、あえて言う必要もないだろうと思って黙っていた。尊奈門は雑渡が動揺したことには気づいていないようで、そのまま雑渡の前から立ち去った。
(さて、どうしようかな……)
わざわざ探してやるほどではない気がする。しかし雑渡の記憶では、彼女のふんどしには伸縮する未知の素材が使用されていた。あれ一つで何かが起こるとは考え難いが、万一のことに備えなければならないのが雑渡の立場である。まあ、城の見回りとでも考えればいい。雑渡は敷地を一周することにした。
雑渡が外へ出ると、ちょうど彼女を見かけた。台所に向かっているようであるが、どこか動きに落ち着きがない。ふんどしが見つからなければ腰巻でも渡したほうがよさそうだ。
(いや腰巻もだけど、着物も必要かな……)
見たところ一所懸命働いているようだから、対価を渡す分には構わないだろう。問題は彼女に着物を着る知識があるかというところだが……。
(あ、あった)
屋根の上から辺りを見渡していると、突如目の前に黒い布がひらりと飛んできた。視界の中に入ればもう手にしたのと同じ。無事に見つかったことよりも、もう探さなくていいという安堵のほうが大きかった。
(……うん、伸びる)
彼女のふんどしに間違いない。雑渡は尊奈門を探した。履いているところを勝手に見たということもあって、自分で届けるには少し後ろめたさがあったのだ。
「尊奈門、これ彼女に渡してくれる?」
「組頭が見つけてくださったのですか?」
「散歩してたら偶然目の前に飛んできてね」
「そうでしたか。……全く、組頭の手を煩わせるとは。他の者にも無事見つかったと報告をしておきます」
「うん。よろしく」
昼になると彼女が雑渡のことを探しているという話を耳にして、雑渡は自ら彼女の前に現れた。おそらく用件はふんどしの礼であろうと想像がつく。しかしそんな事情を知らない忍者にとっては、不審な女が忍者隊の長の居場所を知りたがっていると受け取られてしまうのだ。だから事が大きくなる前に対処しておきたかった。彼女の言動は不正解ばかりだ。もはや不正解ばかりを踏みすぎて同情してしまうほどに。
なぜいけなかったのか、雑渡が話せば彼女はすぐに理解したようだ。知識はないが頭は悪くない。ここ二日は話し方も意識的に変えているのがわかった。それでも怪しさ満載なのには変わりないのだが、女中たちとは打ち解けているように見える。というか、かなり世話を焼かれているようだ。
彼女の年齢で結婚をしていないというのは雑渡も驚いた。雑渡自身も未婚ではあるが、一目見てわかる事情がある。あれはこれはと男を勧められる彼女は、わかりづらくはあるが迷惑そうにしていた。そして今も、彼女は雑渡がいつまでも立ち去らないことを気まずく思っているようだった。
「……あの、こんなに日が当たる場所にいて大丈夫なんですか?」
「どうして?」
「体温が上がったら大変かな、と」
図星であった。雑渡は全身に火傷を負ってから、体温調節に苦労していた。夏の戦場はかなり気が遠くなる。しかし部下にはそれを伝えていない。言えば心配性の部下たちがうるさいからだ。城でおとなしくしていろと言ってくる部下たちの姿が容易に想像できる。雑渡も体温が上がりすぎないよう長時間の戦闘は避けているが、どうしようもないときもあった。そういうときは水などで物理的に身体を冷やすようにしているのだが、それもすべて部下たちに悟られないようにやっていたことだ。
彼女は火傷の後遺症について知っていたのだろうか。彼女にとってそれは常識的なことなのだろうか。
「それはどういう意味?」
「広範囲に火傷をしていらっしゃるみたいなので。気に障ったらすみません」
「気に障ったわけじゃないよ。それより君は医療の知識があるの?」
「いえ全く。でも昔、火傷で汗を出す線が傷つくと体温調節が難しくなると本で読んだことがあったので……」
そのような書物に触れる機会すらも貴重であると、彼女は気づいていないのだろう。やはり彼女の知識は何か役に立つかもしれない。城にとどまらせ、信頼させ、情報を引き出さなければ……。
それは雑渡にとって使命感のようなものだった。タソガレドキのために、利用できるものは利用する。忍者隊の組頭としては当然のこと。こちらからの警戒は続けるが、彼女には警戒を解いてもらわなければならない。
つまり着物の話はちょうどよかったというわけだ。物をやるという行為は、少なからず相手に油断を生じさせる。忍びであればそういった知識もあるかもしれないが、彼女はおそらく違う。だから上手く行くと思ったのだが……。
「……親切すぎて、怖い」
あまりにあけすけな物言いをするものだから、雑渡は笑いを堪え切れなかった。
「え」
そして今度は、着物をやった後の話だ。
雑渡の見立てでは、彼女は着物に慣れていない。だから事前に手伝いを頼んでおいた。だというのに、この有様はなんだ。
一体どうしたのかと聞きたくなるほど彼女の着物がはだけている。普通なら誘われているのかと警戒するところかもしれないが、そんな程度の話ではないのである。全くと言っていいほど色気の欠片もない。それはまるで幼子が着物は嫌だと暴れたような……いや本当にどうしてこんなことになってしまったんだ。
雑渡の反応で彼女にも伝わったのが幸いだった。自分がとんでもない状態になっていると理解はできたらしい。ところが慌てて部屋を出て行こうとするので、雑渡は肝を冷やした。こんなところを他の者に見られたら、雑渡の計画が台無しになってしまう。「女が色を使ってきた」この噂は瞬く間に広がって、城に置いておくことさえ難しくなるだろう。
着物を自分で直させたらそれなりの形にはなったため、さらに疑問は深くなった。着付けはここまでできるのに、なぜ……
(……あ)
彼女が一歩踏み出したのを見て、理由が判明した。自分たちとは身体の使い方が違う。身体をねじって歩くため、帯が動いてしまうのだ。
雑渡は歩き方について指摘したのち、隠しておいた彼女の持ち物を取り出した。
「これは君のだよね?」
「……そうです」
雑渡が許可を出すと、彼女は光る板を手に取った。なぜか焦りが見える。そして彼女が見せてくれたものに雑渡は驚きを隠せなかった。
絵が写実的すぎるというのは置いておいても、町の様子が雑渡の知るものとは全く違う。そこに描かれている人々は、彼女のように奇妙な格好をしていた。
そして今度は動く絵である。しかも音も鳴っていた。
(これは絵ではなく、現実を切り取ったものなのか……?)
雑渡が考えているうちに、板は真っ暗になってしまった。彼女が言うには動力切れであると。
もやはここまでの物を見せつけられて、疑う余地などない。雑渡は核心に触れることにした。
「改めて聞くけど、君は何者?」
「多分、未来……今よりずっと後の時代の人間です」
ある程度、心の準備ができていたおかげで動揺は隠せた。彼女には「全然驚きませんね」と言われたが、全くそんなことはない。これが驚かずにいられるか。
彼女は光を失った板を見つめて、目に涙を溜めていた。同情はする。だが容赦はしない。すべてはタソガレドキのためだった。
「もう一つ聞いてもいい?」
彼女は声を出さず、ちらりと雑渡を見ることで返事をした。
「未来では……いや、ごめん。何でもないから忘れて」
雑渡は彼女に心臓が止まっていたことは伝えなかった。はっきりそうだと言える自信がなかった。それから、慰める言葉も持っていなかった。