トリップしたけど昔アニメをちょっと見ただけでタソガレドキを知らない話09
怪我人が到着するまでの間、私は医務室で医学書を読んでいた。文字が読めるならと雑渡が持って来てくれたものだ。少しでも参考になればと思って読んでいるけど、結構とんでもないことが書かれている。
(傷口に小便……!?)
雑菌がすごいことになりそうだ。でも、傷口を洗う水すらもない戦場ではそうするしかないのかもしれない。もし傷口に毒が付着していたなら、何もしないよりは洗い流したほうがいいだろうし……。何にせよ自分の常識だけで判断しないほうがよさそうだ。だけど、ここには間違ったこともたくさん書かれている気がする。こういうときにスマホがあればなあと思うけど、ないものを願ったって仕方ない。
怪我人が一人到着して、その人の処置が終わるころには次から次へと負傷者が訪れてきた。自力で歩いてくる兵士もいれば、仲間に担がれた重傷者もいる。見ただけで気が遠くなりそうな状態の人もいたけど、私が悲鳴を上げたりしては申し訳ないと思い、ぐっと堪えた。他人の血に触れるなんて今まで考えられなかったことだ。そうして夢中で治療とも言えるかわからない行為をしていたら、あっという間に日が暮れてしまった。
次の日も、その次の日も怪我人の看護に大忙しだった。だがここで、薬や包帯の残りが少なくなってくる。
今思えば高坂が怪我をして帰ってきたあの日、医務室の担当医が町に行っていたのは、これから負傷者が多くなるとわかっていたからなのだろう。だけど、それでも足りなくなってしまった。今からでも補充できるものは買い足したほうがいい気がする。怪我人はいつまで増え続けるのだろう。
私は在庫の不足だけを伝えて仕事に戻るつもりだった。しかし、
「すまないが、町で薬や包帯になりそうな布を買ってきてくれないか?」
「え、私がですか……?」
まさかの指名を受けて困惑する。この場に忍者隊の誰かがいれば止めてくれたとは思うけど、ここ二日の負傷者は足軽や鉄砲隊ばかりなのだ。
「すみません。実は道がよくわからなくて」
「もちろん君一人では行かせないよ。量も多いからね」
それなら私が行く必要もないんじゃ……と思ったけど、使っている薬草の種類がわかる者が最低一人は行ってほしいということだった。救護班の中から誰か一人行かなければならないのなら、確かに私が適任な気がする。他のみんなは慣れているのもあってか手つきが素早い。それに比べて私はまだまだだ。それに見張りがいるのなら、私が外に出たって忍者隊も文句は言わないだろう。
「それで、どなたと一緒にいけばいいのですか?」
「実はもう雑渡様に話は通してあるんだ。誰が来るかはわからないけどね」
「あ、そうだったんですね」
「もう少しで約束の時間だから、君は出る準備をして」
「はい」
必要なものをメモし、お金も受け取った。一つ不安なのが、薬草は買うだけではなく摘んでこなければならないものもあるそうだ。もし間違ったものを持ち帰ったとしても、使う前にきちんと確認するから気負わなくていいと言われたけど、なんだか怖い。でも、やらないと……。私は大きなカゴを背負って医務室を出た。
言われた通りの場所に行けば、男が一人立っていた。忍者でもなければ兵士の鎧も着ていない。見たところ普通に町にいそうな人だ。一体誰なんだろう。
「待たせてすみません。私、医務室手伝いの……」
「そんなことはわかっている」
「えっ」
「私だ。諸泉尊奈門」
「ええっ。忍者の格好じゃない……」
「町に出るのにあの格好のまま行くわけないだろう」
「確かに……」
「ほら行くぞ」
顔見知りの人だったことにホッとする。尊奈門はたぶん私のことを良くは思っていないだろうけど、だからって仕事を放棄するような人じゃないと思うのだ。前に堀に落ちそうになったときは助けてもらったし、パンツも探してくれ……いや、パンツのことはもう忘れよう。
道中、尊奈門とはほとんど喋らなかった。だけどたまに歩く速度が速すぎないかとか、私のことを気遣う言葉をかけてくれた。言い方はちょっとトゲトゲしいところもあるけど、ちゃんと優しいのだ。
「あれっ?」
町は思っていたより賑やかだ。戦をしているというのに緊張感がない。雑渡がほとんど決着はついたようなものだと言っていたから、もう勝った雰囲気になっているということだろうか。
「どうした?」
「あ、いや……」
「そう言われると気になるだろ」
「……戦してるのに、賑わってるなと思って。あ、でも重要な情報かもしれないので理由は説明しなくていいです」
尊奈門は眉を寄せた。マズイことを言ってしまったかもしれない。黙って買い物にだけ集中しておけばよかった。
「……戦といっても、決着はついたようなものだからな」
「雑渡さんも昨日そう言ってました」
「今回の戦でタソガレドキが負けることはない。だから行商人で賑わっている」
「へえ……」
「これで納得したか?」
「はい。ありがとうございます」
「……薬屋はどこだ」
「えっと確か……あっ、すみません!」
メモを確認していたら、男の人とぶつかってしまった。相手の人はこちらに振り向きもせずに去っていく。因縁をつけられたりしなくてよかったなと思っていたら、急に尊奈門が舌打ちをして男を追いかけ始めた。そしたら相手の男も走り出して、すぐに姿が見えなくなる。とても私がついて行けるようなスピードじゃなかったからその場で立っているしかできなかった。
お願いだから一人にしないでほしい。とりあえず薬屋の位置は確認したけど、先に一人で行っていいものなのか……。キョロキョロと辺りを見回していたら、急に背後からポンと肩を叩かれる。
「ぎゃっ!」
「驚きすぎだろう」
「え……あ、尊奈門さん。どこ行ってたの」
尊奈門は私の手の上にお金の入った袋を乗せてきた。
「さっきの男は盗っ人だ」
「え……! じゃあ、取り返してくれたってこと?」
「そうだ。気をつけろよ」
「よかった……ありがとう」
尊奈門がいなかったら、薬が買えなくなって大変なことになっていたかもしれない。考えただけでもゾッとする。今回は取り返せたからよかったものの、私がボケッとしていたせいでみんなに迷惑がかかったらと思うと……。
「ごめんね。お金は尊奈門さんが持っててくれない?」
「……全く、しょうがないな」
それから無事に薬屋を訪れ、目的のものを買うことはできた。残りのお金で布を買い、次は薬草摘みだ。
薬草はわりとその辺りに自生しているらしいが、一応いつもの場所というのを教えてもらっている。ここから少し南に歩いたところで普段は薬草摘みをしているらしい。
「おい、そっちは西だぞ」
「あれ……じゃあこっち?」
「北に向かってどうする」
「う……尊奈門さんがいてくれてよかった」
「おまえ、もしや一人じゃ城にすら帰れないんじゃないのか?」
「それは大丈夫だと思う」
「全く信用ならないんだが……」
尊奈門のおかげで無事に教えてもらっていた場所にたどり着いた。薬草はカゴには収まりきらないくらいたくさん生えている。尊奈門に手伝ってもらいながら薬草を摘んでいたら、思いのほか早くカゴはいっぱいになってしまった。だけど、上から押さえたらもうちょっといけそうな気もする。やっていいのかはわからないけど。
「これ、上からギュッて押さえてもいいと思う?」
「わからないならやめておけ。足りなくなったらまた来ればいい」
「そうだね。ありがとう」
「……礼を言われるようなことはしてない」
「じゃあ帰りましょうか」
「そうだな」
私は薬草の入ったカゴ、尊奈門は大量の布を抱えて立ち上がった。重くないかと聞いても尊奈門は首を振る。本人に言ったら怒られそうだけど、しっかり者の弟ができたみたいだ。
「……尊奈門さん、ちょっと先に行っててもらえませんか?」
城まであと少しというところで、私の足が悲鳴を上げた。靴擦れならぬ鼻緒ズレだった。自分のスニーカーならこんなことにはならなかっただろうけど、他の人に怪しまれることを避けて着物と草履で出かけたのだ。このままだと日が暮れてしまう。だけど医務室でみんなが困っているかもしれない。少しでも早く薬草と包帯を届けなければ。
尊奈門は私の足を見て顔をしかめた。
「おい、どうしてそうなるまで言わなかったんだ」
「……痛いなとは思ってたんですけど、気づかなくて」
「薬草と布ならあるじゃないか」
「……でもこれは、戦っているみなさんのために買ったものなので」
「おまえ、私に疑われてるって自覚はあるんだろう?」
「……はい。すみません、一人になんかできませんよね」
「その草が毒草じゃないって自分で証明してみせろ」
「……え?」
(つまりそれって治療をしろってことじゃ……?)
どれだけ不器用なんだこの人は。私がモタモタしていたからか、尊奈門は「二度も言わせるな」と言ってくる。
「こら、尊奈門。またそんな言い方して」
どこからともなく現れた雑渡に、尊奈門は顔を青くしている。
「く、組頭……どうしてここに?」
「ちょっと様子を見に」
雑渡は私の足元に屈んで「これは痛そうだね」と言った。
「尊奈門は先に荷物を持って帰ってくれる? 私はこの子の治療が終わったら行くから」
「……承知しました」
荷物を抱えた尊奈門はすぐに見えなくなってしまった。私の歩くペースが遅くても全く文句を言わなかったんだから、ずいぶん我慢をさせてしまったのだと思う。
「あの、尊奈門さんはずっと私のことを気遣ってくださいました」
「あれも引っ込みがつかなくなってるだけだから。あんまり悪く思わないであげてね」
「え、全然そんなこと思ってません」
「ならよかった。じゃあ、とりあえず座ろうか」
私が石の上に座ると、雑渡は私の足から草履を抜き取った。そして買ったばかりの布を裂いて、細長くしてくれる。
さらに雑渡は私の足を両手で持ち上げ、彼の膝の上に乗せた。
(え、これって大丈夫なやつ……?)
どうしていいのかわからず、私は足を雑渡の膝から浮かせた。雑渡は下から見上げるようにして私と目を合わせてくる。
「……あ、あとは自分でやります!」
「遠慮しなくていいのに」
「いやしますって!」
薬草を石の上で叩き、皮がむけた部分に当てながら布を巻いて固定する。見られていると緊張した。手際が悪いと思われているかもしれない。
「終わった?」
「……一応」
「自信なさそうに言うね」
「ないですもん」
雑渡は笑いながら私を抱え上げた。そして後ろには薬草が入ったカゴを背負っている。
いや、畏れ多すぎる。それ以前に恥ずかしい。
「だってこのほうが早いし」
私の言いたいことは伝わっていたようだ。私もそんな風に言われたら反論することができない。私のペースに合わせて雑渡を歩かせるわけにもいかない……が、それとこれとはまた別の問題なのである。
「……いや、待ってください。雑渡さんも怪我人でしたよね?」
「もう治ったよ」
「そんなわけないです」
怪我をしていた部分にちょこんと触れてみる。雑渡が平気そうな顔をしていたのでもう少し力を入れてみたけど「何?」と言われるだけだった。本当に大したことない傷だったならいいけど、なんだか怪しい。高坂でさえも一週間で復帰するとかワケのわからないことを言っていたのだ。もちろん全力で止めたが。
「すごく不服そうな顔してるね」
「はい」
「はいって言っちゃうんだ」
「なんか上手く言いくるめられた気がして……。それに恥ずかしいです。私、雑渡さんの子供に見えたりしないですかね?」
雑渡はにやりと笑った。
「いや本気で言ってないですから。見えないって言ってくださいよ」
「見えるとしたら、妻じゃない?」
「……いや、」
確かに年齢差を考えたらそうなるのかもしれない。でもそういうことじゃない。気恥ずかしさのあまり子供なんて言い出したのは自分なのに、思わぬカウンターで余計に気まずくなってしまう。
「大丈夫。忍者に攫われる村娘にしか見えないよ」
「全然大丈夫じゃないと思います」
「ふふ、」
雑渡は走るスピードをぎゅんと上げた。
「というかこの速さだと普通の人の目には留まらないよ。ここはタソガレドキ領だから忍者も私の部下しかいないだろうし」
「……それを早く言ってください」
雑渡はさらにスピードを上げる。とっさに雑渡の忍び装束の合わせ目をぎゅっと握ってしまった。マズイかなとも思ったけど、雑渡が何も言わないのをいいことに私はそのまま胸元にしがみついていた。
城に戻って終わりかと思いきや、なんと部屋まで運ばれてしまった。そして私を降ろした雑渡は、だらしなく広がった胸元の合わせ目を正す。
「……すみません」
「いいよ。でも本当に子供みたいだったね」
「だって速すぎです。いや早く帰れて助かったんですけど」
雑渡はにこっと笑って部屋を見渡した。この部屋には布団と私の服と、それから雑渡人形しかない。もともとここは物置として使っていた部屋なのだそうだけど、私が住めるように片づけてもらったのだ。
「なんか殺風景だね」
「まあ、」
「何か必要なものはない?」
「特に今のところは」
「君、働いてるのにお金ももらってないでしょ」
「食事と住む場所を提供してもらってるので。着物も頂きましたし……」
「でも遠慮しすぎはよくないよ。君が労働の対価を受け取ろうとしないって相談されたばかりでね」
「あら」
「あら、じゃないんだよ全く」
雑渡は腰を下ろした。すぐに出て行くのだとばかり思っていたからちょっと驚いた。左右の足を揃えて座る雑渡は、月の明かりに照らされて妙に色っぽく見える。
「紅とか香とか興味ないの?」
「……いや、」
ないわけではないけど、欲しいかと言われたらそうでもない。それならもっと生活が便利になるようなものが欲しいのだが、それを時代に照らし合わせると何も思いつかないというのが現状なのだ。
「私に貢がれるのと、給金を貰うの、どっちがいい?」
「それなら給金ですね」
「ええ、振られちゃった」
「全然そんなこと思ってないくせに。口が上手いですね」
「残念。本気だったのに」
雑渡は笑顔でそう言った。言うまでもなく、全く残念そうにはしていない。
結局、給金から宿代を引いた金額を貰うという話になった。食費については兵士たちも同じものを食べているから気にしなくていいそうだ。雑渡と話していたら、すべて彼の思い通りに丸め込まれてしまいそうな恐怖がある。こういう人が裏で暗躍しているからタソガレドキは強いのかもしれない。私の素性を知っているのが雑渡でよかったと思う。あり得ないような話を受け入れてくれたという柔軟さもそうだが、私がここで上手く暮らしていけるようにフォローしてくれているのが節々で感じられた。多分、今日の買い物の連れに尊奈門を指名したのだってそうだ。彼が私のことをあまり良く思っていないのを知っていたから、見極める機会を設けたのだろう。どちらかというと、私が尊奈門の気遣いに心打たれる結果となったのだけど。
「雑渡さんって弱点とかないんですか?」
雑渡は目を丸くした。そして私もすぐに、しまったと思う。なんて馬鹿なことを聞いているんだ。そんなの敵が知りたい情報の一つだろうに。私はただ「雑渡さんって完璧人間ですね」ってことを言いたかったんだけど、伝え方が悪すぎた。
「私の弱点が知りたいの?」
「いえ、知りたくありません」
「ふふ、そうだね。まだ教えられないかな」
雑渡が立ち上がり、にんまりと笑う。そして私に手を振ったかと思うと、風のように去ってしまった。