※9巻発売時点で書いたものです。


ポイズン・キス01

 JCCの毒殺科に通い始めた一年目。数ある課題の中でもヤバイと思ったのが、暗殺科の南雲に毒を盛るというものだった。
 誰に毒を盛るかというのは、厳正にクジで決められたらしい。しかし不公平もいいところだ。南雲と言えば、知らない人はいないというくらいの有名人なのだ。まあ、公平性なんて言ってJCCでやっていけるわけがないのだが、それでも南雲というのは私の頭のすみに「退学」の二文字を叩きつけるくらいには嫌な相手だった。
 課題の期限は一週間。毒を盛る方法は自由。毒を塗ったナイフで刺す。食事に毒を混ぜる。いくつかシミュレーションしてみたけど、殺される未来しか浮かばない。途方に暮れつつも、私は南雲を観察することにした。

 南雲はいつもにこにこしている。かっこいいと女子にも人気だ。彼を尾行して周囲から不自然に思われないのは、他にも南雲を追う女子生徒がいたからだ。本人もさほど気にしていないのか、私の尾行が咎められることはなかった。
「ね~、聞いてよ~、実習で指切っちゃってさ~」
「うるせえな」
 南雲は見せびらかすように怪我をしたという手をひらひら振った。彼と話しているのは赤尾リオン。南雲はだいたい彼女か坂本太郎とつるんでいる。悪評トリオ、なんて呼ばれている三人だ。
 南雲でも怪我することあるんだなあと思っていたら、彼と目が合ってしまった。すぐに知らない振りしてその場から離れたけど、大丈夫だっただろうか。今のところ南雲が追ってきている様子はない。誤魔化せたのか、それとも私なんかにいちいち構うまでもないと思われているのか。とにかく気を取り直して私は作戦を練ることにした。

 毒は配布されたものを使い、解毒剤は自分たちで準備する。解毒剤はなくてもいいのだが、相手との交渉で有利な条件を引き出せれば加点となるため作る生徒が多い。私は加点狙いというより、何できないまま時間が過ぎていくのが怖くて最初に作ってしまった。そうして数日掛けて南雲を観察したわけだが、進展はないまま期限はあと二日と迫っていた。
 どうせならダメ元で何かやるしかない。課題に失敗したからといって即退学になるというわけではないが、何もしないのは気が引ける。この先ここでやっていくには、一つ一つ目の前の課題を片付けていくしかないのだ。

 運がいいのか、今日に限って南雲は一人だった。今しかチャンスはない気がする。
「南雲くん!」
「あ、やっと声かけてきた。最近ずっと僕のことつけてたよね?」
 南雲はにこりと笑った。
 私は唇を噛んだ。やっぱりバレていたんだ。でもこれは想定の範囲内。動揺する必要はない。
「ごめんね、実は課題のことでちょっとお願いがあって……」
「何?」
「これ」
 私が差し出したのは、まさに課題の毒が入った瓶だ。直球で「飲んでくれないかな」とお願いする。
「飲んでも死なないし、解毒剤もすぐに渡すから」
「僕がこれ飲んだらきみは課題に合格できるってこと?」
「うん。いろいろ考えたけど、南雲くん相手じゃどうにもなりそうになくて……」
「へえ~。まあ飲んでもいいけどさ、それできみはこの先やっていけるの?」
 じつに痛いところを突いてくる。実力がないんじゃ先がない。今回お願いして毒を飲んでもらったところで、また次の課題が来るだけ。何も成長してない私では、いつか限界を迎えてしまう。
「その調子で卒業できる? 無駄な時間過ごすくらいならさ、早いとこやめちゃったほうがいいんじゃない?」
 南雲は笑っていた。確認するまでもなく下に見られている。それは仕方のないことだけど、同時にすごく腹が立った。
「別にそれ、口から飲まなくてもいいんでしょ? ナイフにでも塗ってかかって来なよ。まあうっかり殺しちゃうかもしれないけど、お互い様だよね~」
「……もういいです」
 私は瓶のフタを開けてその場で中身を飲み干した。くらりと視界が揺れる中、瓶を床に叩きつける。ガシャンと音を立てて、瓶は粉々に砕け散った。
「忠告ありがと!」
 何も私は諦めたわけじゃない。お願いして飲んでくれるならそれで終わり。これは次の一手なのだ。
 ヤケを起こして自ら毒を飲んだ。南雲からはそう見えているだろう。だけど私は事前に解毒剤入りのカプセルを飲んでいるし、大事に至ることはない。
 毒で死にそうになった振りをして南雲に解毒剤を飲ませてもらう。だけどその解毒剤も実は毒で、彼がフタを開けた瞬間に中身が飛び散るよう瓶に細工をしてある。これが次の作戦だ。相手の良心に賭けるようなやり方はどうかと思うが、他にいい作戦が思いつかなかった。もし南雲が知らん顔で行ってしまえば、私の作戦はここで失敗となる。一応毒を塗ったナイフも投げられるように準備はしていたが、これが命中するとは思えない。
 演技だとバレてしまうから、私が飲んだのは本物の毒だ。毒に慣れているとはいえ、一度にそれなりの量を摂取すれば体は限界を迎える。体内で解毒剤入りのカプセルが溶けるのは約三十分後。次第に足に力が入らなくなって、膝をついた。袖口から細工した瓶を転がして、これで準備は万端だ。
「お願い、解毒剤を」と、言うつもりだった。だけど言おうとした瞬間に唇が塞がれてしまった。
(……え?)
 ぬるりとした感触が口を割って入ってくる。私の口内をくまなく侵食する彼の舌は、恐ろしい生き物のように思えた。抵抗しなければならないのに、体がいうことをきかない。足で彼のお腹を蹴ったけど、南雲はびくともしなかった。
 背中からは床の冷たさが伝わってくるのに、体中が熱くなる。これはキスじゃないと頭の中で何度も言い聞かせたけれど、無駄だった。どんどん意識が唇にいってしまうのだ。
 ただでさえ毒で頭がぼんやりしているのに、酸素まで奪われたらもう何もできなくなってしまう。一向に終わらないこの行為に恐怖を感じた。私くらいの人間相手なら、南雲は本気を出さなくたってどうとでもできるのだろう。
「……や、だ」
 私がやっとのことで言うと、南雲は私の唇を解放した。
「えー? せっかく課題に協力してあげたのに?」
「だからって……」
「ごめんね怖かった? びっくりしたよ、ちょっと揶揄っただけのつもりだったのに、自分で毒飲んじゃうんだもん。一応これで課題は達成になるかな?」
 南雲はわざとらしく唇を親指で拭った。
「何がしたいの……」
「だから揶揄っただけだって~。最初からちゃんと毒も飲んであげるつもりだったよ。きみに退学してほしいとも思ってないからさ~」
 南雲の言い分を聞いていたら、次第に怒りが湧いてきた。馬鹿にして。そりゃあ実力差を考えたら私なんて彼の手のひらの上なんだろうけど、だからってあんなこと……。
 私は転がした瓶に手を伸ばした。取ってとは言わない。だって彼なら目ざとくすぐに気付くだろうから。
「あ、それ解毒剤?」
 思った通り、南雲は瓶を手に取った。そしてフタを開けようとして、カチッと音がする。びしゃびしゃに濡れた彼の手を見て、私はこの上なく気分がよくなった。
「アハ、やった……実習で切ったんでしょ、手」
「うわ~、やられた……。嘘でしょ……」
「人のこと、馬鹿にするから……」
「そんなつもりじゃなかったんだけどな~。それで、これなんの毒なの?」
「筋弛緩剤。たいした量じゃないから死にはしないけど、力が入りづらくなるかも」
「あ~……なるほどね~」
 南雲は手をグー、パー、と動かす。そしてその手を私の上着のポケットに手を突っ込んだ。
「っなに!?」
「本物の解毒剤は?」
「……知らない」
「そんなこと言っていいの? きみだってもう限界でしょ?」
「私は解毒剤飲んでるから。もうすぐ動けるようになるし……」
「だからって男の前でこんな無防備になるのもね~。僕がきみのこと襲ったらどうするつもり?」
「……そのときは何とかする」
「いや、無理でしょ~」
 南雲はポイポイと私のポケットの中を抜き取った。それから靴の中や襟元に隠していたものも全て床に並べられた。だけど南雲はじとりと目を伏せて私のことを見ている。どれが解毒剤かなんてわからないだろうから、そうなりますよね。
「なんで毒殺科の子ってさあ、こんなに荷物が多いわけ? ちゃんとナイフも準備してるし騙された~」
「お昼おごって」
「……いいよ」

 食堂の券売機に五百円玉を入れたところまではいい。だけど、私に銃を寄こしてくるなんて聞いてない。私は銃の腕……というか毒以外のことは全くなのだ。
「撃ってよ」
「おごるとしか言ってなからいいでしょ。ほらほら頑張れ~」
 JCCは食堂までもが非情だ。レーザー銃で券売機のボタンを撃たなければ、食券が発行されない。しかもそのほとんどがハズレと言われるJCC丼。ステーキ定食や海鮮丼もあるそうだけど、私はお目にかかったこともない。何なら私はJCC丼のボタンにすら当てられないときだってあるのだ。
 私は薄めで券売機を睨みつけながら引き金を引いた。しかし、食券がでてくることはなかった。私が撃ったレーザーは券売機のボタンから大きく逸れて壁に当たっていた。
 隣から押し殺したような笑い声が聞こえてくる。キッと睨みつけたら、彼は堪えることもやめて大笑いした。
「あははは! どうやったらあんなに逸れるの?」
「見られてると緊張するの!」
「うーん、もうちょっと背中を丸めたほうがいいかな~? 肩に力は入れすぎないで」
「撃つ前に言ってよ!」
「はいじゃあもういっかーい。今度は目、瞑っててあげるね」
 憎らしいほど整った顔である。私はもう一度銃で狙いを定めた。
 肩の力を抜いて、前傾姿勢……。券売機から食券が出てきて、私は南雲を見た。彼はまだ目を瞑っている。
 出てきたのはやっぱりJCC丼だったけど、確かに手ごたえを感じた。少しコツを掴めたのだろうか。だからって彼に感謝する気にはなれず、私は席に一人で座った。
「置いてくなんてひどいな~」
 そう言った彼が手にするトレーにはステーキ定食が。彼は私の隣に座って、肉を一枚私のどんぶりの上に乗せてきた。
「あげる」
「……」
 実のところ、肉を食べるのが久しぶりすぎて感動していた。口の中から唾液がじゅわっと噴き出てくる。
 肉のタレのおかげでどんぶりのクズ野菜もいつもよりマシに感じた。肉は言うまでもなくおいしかった。あまりのおいしさに感動していたら「もう一枚あげよっか?」と南雲が言う。すごく迷ったけれど、これ以上情けないところを見られたくなくて断った。
「……いい。ありがとう」
「どういたしまして~」
 不思議なことに、そのあとは普通の友達のような感覚で話せた。午後の授業はどうとか、暗殺史概論の授業は退屈だとか。友達の話もした。南雲はやっぱり坂本と赤尾の二人と仲がいいみたいで、彼らの話を聞くのはわりと楽しかった。
 食事を終えたあとは、またねと言って別れた。夢みたいな時間だった。南雲という男は、まだ私の中では宙に浮いているような存在だ。
 またねと言ったのも、きっと気まぐれなんだろうと思っていた。私は課題に加点をもらって日常に戻るつもりだったのだ。ところがその一週間後、券売機で珍しくカレーを当てた私の隣に彼は現れた。
「ちゃんと上達してるね~、えらいえらい」
 実を言うと、けっこう嬉しかった。声を掛けてくれたのも、褒めてくれたのも。だけど私の頭が現状についていけず、返事をすることも忘れてしまっていた。
「なんかびっくりしてる? お願いがあって来たんだけど、いいかな~?」
「……なに?」
「明日、暗殺科と毒殺科でペア組む実習があるでしょ? 僕と組んでよ」
「え……私が?」
 だってそんなの、実力差を考えたらあり得ない。というか南雲にメリットが何もない。
「もしかしてもうペア決まってた?」
「いや、まだだけど……」
「じゃあ決定。よろしくね~」
 南雲と組みたい人はたくさんいるだろうに、いいのだろうか。彼のことを好きな女子に刺されるんじゃないかと思うと億劫だ。けれど誘われたのが嫌だというわけでもないから、我ながら面倒だなと思う。

 明日の実習ではターゲットを一人殺すことになっている。これは日本殺し屋連盟――通称「殺連」に依頼が来たもので、比較的難易度の低い依頼をJCCの生徒に割り当てているそうだ。
「南雲くん一人で十分じゃない?」
「うん」
「じゃあなんで私?」
「なんだろう、悔しかったのかな」
 悔しいとは、一週間前のことを言っているのだろうか。それなら私のほうがずっと悔しい思いをしたような気がする。あれは南雲の慈悲と油断があって成功したようなものだ。まあ悔しいという気持ちははわからなくもないのだが……。
「あんなの実際の殺しじゃ通用しないんだから、気にしなくてよくない?」
「まあ、そうなんだけどね」
「もしかして今回の実習で私を陥れようとしているとか……?」
「そんなことしないって。ただもうちょっときみのやり方を見てみたいなって思っただけだよ~」
「やり方って言っても別に……」
「明日までに考えといてね」  南雲は私の肩をポンと叩いて行ってしまった。これは、私が主導権を握るということなのだろうか。いやいやまさか……。でも一応念のため、何か作戦を考えておかねばならない。こうして迎えた次の日、南雲は本当に「どうする?」と私にすべて丸投げしてきた。