ポイズン・キス02

「催眠ガス持って来たけど、南雲くんがサクッと殺っちゃうほうがいいんじゃないかな~」
 昨日のは冗談でした、と南雲がいつもの調子で言ってくるんじゃないかと身構えていたが、彼は本気で私と組むつもりらしい。南雲はにこにこ笑いながら「そうだね」と言う。なら一人でやってくれませんかね。私は昨日の今日でとても疲れていた。さすがにノープランじゃまずいと思って寝る時間を削って作戦を考えたのだ。まあそれでも、たいした案は浮かばなかったのだが。
「僕のときはなんでガス使わなかったの?」
「校内は広いし、ほかの人もいて危ないから」
「ふーん……ってことは今日はターゲットを狭い空間に一人おびき寄せるの?」
「南雲くんが殺ってくれないならそうするつもり」
「どうやって?」
「それは……」
 そう、ここが一番の問題だ。狭い空間で密室を作れる場所におびき寄せるとなると、私は限られた方法しか選べない。
「あ、ちょっと待って」
 南雲と私の携帯が同時に鳴る。着信は両方ともJCCからで、それなら片方でいいだろうと南雲が電話に出た。
 南雲は「え~」とか「でも~」とか渋った様子を見せている。最終的には納得させられたようだが、何かあったのだろうか。
「殺すなって」
「え?」
「なんか聞き出さないといけないことがあるんだって。だから実習は中止」
「そうなんだ。じゃあ帰っていいの?」
「でも殺さず捕まえられたら点数二倍くれるって言われた」
「……へえ」
 なんだろう、これは。嫌な予感がする。思った通り南雲はにこりと笑ってとんでもないことを言ってきた。
「催眠ガス、役に立ちそうじゃない?」
「いや、そんな……」
 殺すより生かして捕えるほうが難しいと、知らないわけじゃないだろうに。やっぱり前回彼に毒を盛ったことを恨まれてるんじゃないかと思う。南雲が点数に困っているということはないはずだから、今日は帰ったって何の問題もないはずなのだ。
「危なくなったら助けてあげるから」
……これは、単に面白がっているだけなのかもしれない。

 ターゲットが男だったのは、幸か不幸か。私は持参したガスマスクを南雲に押し付けてターゲットに声を掛ける。
「おじさん、二万でどうですか?」
 男は視線を周囲に泳がせたあと、私をまじまじと見つめてきた。
「ゴムは?」
「……ナシなら三で」
 男は静かに頷いて時計を確認した。
 ビジネスホテルだったら狭くてやりやすかったけれど、連れてこられたのはラブホテルだった。入るのは初めてだけど、挙動不審だったらバレてしまう。私はなるべく下をみたまま部屋まで歩いた。
 正直なところ怖い。一人だったら絶対にこんな無茶なことしなかった。万一のとき助けてくれるのが南雲じゃなければ今日は諦めて帰っていたはずだ。
 そもそも南雲はどこにいるのだろう。部屋に入ってターゲットと二人きりになった途端、急に不安が押し寄せてくる。大丈夫、ガスで相手より先に寝なければ私の勝ちだ。
「先にシャワーどうぞ」
 相手が素直に従ってくれたことに安堵しながら私はベッドの下にブツを置いた。相手が戻ってくるタイミングを見計らってガスを出せば、あとは南雲がどうにかしてくれる……はず。私は慣れているからそう簡単に眠ることはないだろうが、やっぱり不安はなくならない。ガスマスクを持ち込むことも考えたが、ターゲットに怪しまれてはかなわないため南雲に託した。そういえば南雲には作戦の詳細は伝えていなかったような。……本当に大丈夫だろうか。
 男は五分も経たないうちに出てきた。やだなあと思う反面、手っ取り早く終わらせたいのでありがたい気もした。男に隠れてガスを噴射するスイッチを押し、浴室へ向かう。
「じゃあ私もシャワー浴びてきます」
「そんなのいいよ」
「え……」
 男は私の腕を掴んでベッドに押し倒してきた。嘘でしょ、こんなの聞いてない。ガスが部屋に充満するまで約一分かかる。ここまで来てしまえば取っ組み合いしたって問題ない気もするけど、それ以上に恐怖で体が動かなかった。
「そんな……あの、あ……汗! 汗かいているので恥ずかしいです!」
「いいよ気にしないから。時間もったいないし」
「あ、あの!」
「何?」
 とにかく時間を稼がなければと必死だった。
「ごめんなさい本当はこういうの初めてで!」
「へえ、まあなんかそんな感じはしてたけどね」
「アハハ~、バレちゃってましたか」
「今さらやめてとか言わないよね? お金欲しいんでしょ?」
「はい……。あの、でも……優しく教えてください」
 にたっと笑った男は、がくんと私の上に倒れこんできた。男の下から抜け出した私は、ベッドの端まで寄って体を丸める。怖かった。失敗したかと思った。じわじわと襲ってくる眠気に耐えながら南雲を待っていると、部屋の窓が割れた。不安だったからか、ガスマスクをした南雲が神様のように見えた。
 南雲はサッとターゲットを縛り上げてしまった。そして次は携帯でどこかに連絡をしている。
 部屋の換気をしてから南雲はマスクを外した。
「なんできみの作戦っていつも捨て身なわけ?」
「……ほかにいい案がなくて」
「もうすぐでコイツ殺すところだったよ」
 南雲がいつもみたいに笑っていないのが少し怖かった。勢いよく彼がベッドに座る。ベッドのスプリングがギシッと鳴った。
「あと十五分で回収に来るって~。終わったら起こすから、寝たら?」
 携帯をいじりながら南雲は言う。怒っているように見える……けど、そもそもこんなことになったのは南雲がターゲットを捕えようと言ったからだ。
 私は布団にくるまって目を閉じた。ガスのせいで頭が回らない。「おやすみ~」と聞こえてきた声には、怒気は含まれていないように感じた。

「あ、おはよ~」
 目を開くなりそんな言葉を掛けられる。ラブホテルにいたはずなのに、視界にはJCCの建物と南雲の後頭部が入ってくる。……え、近い。彼に背負われていると気付いて、私は思い切り体を反らした。
「っと、危な。落ちちゃうよ?」
「なんで起こしてくれなかったの!」
「起こしたよ? でもきみってば全然起きなくて」
 もしそれが本当なら南雲は何も悪くない。……けど、本気で起こしてくれようとしたのかは疑問だ。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 手も、背中も、あらめて見るとすごく大きい。あの男とは大違い……いやいや、私は何を考えてるんだ。
「あとは自分で歩くから降ろして」
「はーい」
 南雲は女子寮の前まで送ってくれた。別れ際にポッキーを一箱渡される。
「……なんで?」
「きみのおかげでいい評価もらえたし、お疲れ様ってことで」
「もし次があったら、そのときはいい思いさせてよ」
「いいよ。じゃあまたね~」
 南雲が手を振るから、私もそうした。部屋に戻ってポッキーの箱を開ける。食べるのは久しぶりだ。記憶の味よりおいしい気がした。