ポイズン・キス10

 南雲から着信があった。出るなり「甘いもの好き?」と聞かれる。
「うん、好き」
 聞かれたから答えただけなのに、南雲はしばらく無言だった。何か用かと聞けば「ああ」とか「うん」とか適当な返事が返ってくる。
「……えーっと、じゃあ今から男子寮の前まで来てくれる?」
「え、ちょっと……」
 すでに電話口からはツーツーと無慈悲な音が鳴っている。本当に人の話を聞きやしない。

 かわいらしくラッピングされたチョコレートを片手に、私は男子寮の入り口へ向かっていた。なんて言ったって今日はバレンタインデーだ。「甘いもの好き?」って、本来なら私のセリフだと思う。まあ南雲はいつもポッキーを食べているし、私の作ったクッキーを食べたりなんかもしてくれたから、嫌いってことはないんだろうけど。
 ついでにチョコを渡せたらいいなと思っていたのに、いざ目的地に着いたら私はチョコを背中に隠していた。ダンボール(しかもかなり大きいサイズ)から溢れそうなほど、たくさんのチョコレートが山のように積まれている。それを見て「ハイどうぞ」と渡せるわけがなかった。
「見て見て、暗殺科の女の子たちにたくさんもらっちゃった~」
「フーン」
「さすがに毒殺科の子のは断ったけど~」
 毒殺科の私を前にいい度胸だ。いつも趣味みたいに毒を飲むくせにいったい何なんだ。「で?」と、私は南雲を睨みつけた。
「一緒に食べようと思って」
「……そ」
 私に怒る権利があるのかもわからない。どちらかと言えば悲しかった。他の子からチョコもらわないでと言ったらどんな反応をするだろう。気にならないわけじゃなかったけど、面倒だと呆れられるほうが嫌だった。
 箱が半分潰れかかっているかわいそうなチョコを手に取る。べりっと包装紙を開けてみれば、中身は無事だった。きれいなハート型だ。でも残念、南雲がこれを食べることはない。
 近くのベンチに座ってチョコをもくもくと食べる。一箱食べ終わったらまた一箱。南雲も隣で静かにチョコを食べている。南雲が何か言ってこない限り、私からは何も話さないと決めていた。
 チョコはどれもおいしかった。だけど、どうせなら食べるなら毒入りチョコのほうがよかった。南雲もチョコをたくさんもらったくらいで浮かれてないで、毒耐性について真面目に考えるべきだ。
 三箱食べ終わったところで、私は自分で用意していたチョコの包みに手を付けた。しかし開けようとした瞬間、大きな手が覆いかぶさってくる。
「それはダメ~」
「……なんで」
「僕が食べたいから」
「毒殺科の子が作ったのはいらないって言った」
「そこまでは言ってないし、きみのは特別」
「あ……」
 いつの間にか奪われていたチョコが南雲の口に入っていく。南雲の喉が動く瞬間、自分でもびっくりするくらいに背中がゾクゾクと震えていた。
 私が作った分だと気づいてくれたのは単純に嬉しい。こういうことをしてくるから怒れないのだ。
「中がクッキーになってるんだ」
「うん。前に南雲くんが周りにチョコ塗ったら食べやすいんじゃないかって言ってくれたから」
「おいしくなってる」
「よかった。ホワイトチョコがかかってるのが解毒剤だよ」
「わざわざ解毒剤まで準備してくれてるの、優しいよね~」
 アハハと笑いながら、南雲は解毒剤入りのチョコを食べる。毒を混ぜている時点で優しいとかそういう話ではないような気もするけど、言われて悪い気はしなかった。
「もったいないから残りは後で食べようかな~」
「また作るけど」
「言ってくれると思った~」
 と言いながらも、南雲はすでに他のチョコの包みを開けている。まあ、捨てずに全部食べようとするのは誠実かもしれない。
「どうするのお返しとか」
「お返し?」
「ホワイトデー」
「あ~、考えてなかった」
 どうやら南雲の中でバレンタインは「女の子からチョコをもらえる日」という認識のようだ。確かにこれだけの量をもらっている場面を見たら、お返しなんて期待しないのかもしれない。だけど本気で告白した子はいなかったんだろうか。その子も私に心配なんてされたくはないだろうけど、やっぱり気になってしまう。
「告白とかされなかった?」
「されたけど、断ったよ~」
「え」
「えって何? 僕言ったよね? きみが好きって」
「……言った」
「ちゃんとわかってるの~?」
 怒っているというか、拗ねたような顔で南雲が言う。いやいや、さんざん私を振り回しておいて、どの口が!
 ……と言いたいところだが、私は今とても満たされているので頷くだけにとどめておいた。大きい体のくせ、拗ねた顔がかわいらしいのだ。なんだか嫉妬していたのが馬鹿らしくなってくる。

 次のチョコレートは、幸せな気持ちで選ぶことができた。前から食べてみたいと思っていた有名なお店のチョコだ。
「……なんか今日、かわいいね」
「へっ」
 気づけばベンチと南雲に挟まれていた。「どういう意味」と辛うじて言った。しかしその間にも南雲とベンチの距離はだんだんと狭まっている。
「いつもかわいいのはかわいいんだけど」
「……そんなこと初めて言われた」
「そうだっけ?」
「……うん」
「嬉しそうな顔? にこーって笑ってるの見たの初めてだったから~」
「さすがにそれはなくない!?」
「いや、まあ見たことはあるんだけど……僕の前だとほら」
 むにっと人差し指で口角を持ち上げられる。
「いつも力入ってるっていうか、最初は怒ってるのかなって思ってたんだよね~」
 最初はそんなことないと思ったけど、言われてみれば確かにそうな気もする。そもそも出会い方が悪かったのだ。
 南雲はさらに顔を近づけてきた。
「前から言おうと思ってたんだけど!」
 すぐ目の前まで迫っていた顔がぴたりと止まる。南雲は目を丸くして私の言葉を待っていた。
「人前でこういうことするの、いや」
「人前?」
「見られると、恥ずかしいから……」
「じゃあ僕の部屋来る?」
「女は立ち入り禁止でしょ」
「他に場所ある?」
「……ない」
 確かに考えてみれば、JCC内にそんな都合の良い場所はない。というかそもそも校内でそんなことをするなって話だ。他の人たちはどうしているんだろう。誰と誰が付き合ってるとか、全然知らないから相談できるような相手もいない。それにわざわざそんな場所を探してまで二人きりになるって、考えただけでも無理な気がしてきた。
 ここでようやく南雲が離れてくれた。ほっとして体から力が抜ける。いやって言ったら止めてくれることに安心して、だけとちょっと残念な気持ちもあった。また私、勝手なことを考えてる……。
「見られてなかったらいいの?」
「……いいよ」
「ふーん……」
 南雲はベンチにもたれかかりながら周囲をきょろきょろと見渡した。男子寮の前だから大体は人がいる。寮の部屋の中からだって見える場所だから、ここで妙なことはできないはずだ。しかし……。
 ひゅっと風が吹き抜けたみたいな勢いで唇が触れた。「人いる!」と言いたいのに、声にならない。私が指差して訴えると、南雲は全く悪気のなさそうな顔で
「こっち見てないよ?」
 と言うのだ。確かに私が指した人は後ろを向いているけど、他にも人はいたはずだ。
「でも! 寮の中にも人いるし!」
「ん~、でも僕たちのことは見てなかったと思うけど」
「そんなの、」
 わからないじゃないか。だけどないとは言い切れない。何より私が見ていたという人を認識できていないから、言っても無駄な気がした。
「……他の人がいるところもいや」
「え~」
「そんなにわがまま言ってる?」
「いや全然」
 パキ、と板チョコの割れる音が響く。これで南雲はもう五個目だ。もぐもぐと口を動かしながら、彼は何か考えているようだった。
「……じゃあさ、僕がきみの部屋に忍び込むのはアリ?」
「だめ!」
「なんで?」
「南雲くん目立つしバレたら大変なことになる」
「バレなきゃいいの?」
「……そんなこと言ってない」
 じゃあどうすればいいのか。そう聞かれて答えられる自信はなかった。さっきから私、拒否するようなことばかり言っている。酷いことは言ってないつもりだったけど、だんだん悪いことをしているような気分になるから不思議だ。
「南雲くんがいやって言ってるわけじゃないんだけど……」
「わかってるよ」
 南雲が立ち上がる。いつのまにか板チョコの包みもくしゃくしゃに丸められていた。さすがに今日はこれで終わりらしい。南雲は未だチョコがいっぱいのダンボールが乗った台車の手すりを掴んだ。

 おみやげにとまたもチョコを持たせられたが、私も今日はこれ以上食べられる気がしない。自分の部屋に帰った私はチョコを机の上に置いた。そこでふと、南雲の言葉を思い出す。
――僕がきみの部屋に忍び込むのはアリ?
 ……いやいやいや、それはない。心の中でそう言い聞かせながらも、私の視線は窓や玄関に向けられていた。だけどもちろん何もない。
 もう最悪だ。私ばっかりこんなに意識させられて。馬鹿みたい。
 結局、私は寝るまでずっとソワソワしていた。言うまでもなくこの日は何も起こらなかったのだが……後日、友達を部屋に上げたら友達が南雲になった。何が起きているのか私も最初、全く意味がわからなかった。南雲によると、変装していたということらしい。変装といったって、あれは友人そのものだった。私は声なき悲鳴を上げた。決して綺麗に片付いているとは言えない部屋を、見られてしまった。言ってくれたら綺麗にしておいたのに……じゃなくて、南雲が変装してまでここまで来た理由を考えたら、冷静でなんていられるはずがない。
 たぶん、足が震えていたと思う。これもまあ失礼な話だが、急なことなので許してほしい。
 勝手に壁まで追い詰められた私をよそに、南雲は机の上にたくさんのチョコを並べた。それからペットボトルのジュースまである。
「今日はチョコレートパーティだよ~」
「え?」
「早く食べないと痛んじゃうからさ~、手伝って」
「うん……」
 なんだ、チョコを一緒に食べるだけか。そんなことある? と思ったが、本当にそれだけだった。南雲は部屋を出るとき、再び友達の姿になった。
「っていうかすごいね、それ」
「でしょ~」
 友人の顔がニコッと笑って、ドアが閉まる。もっと他に言うことはなかったのか。私はへなへなとその場に座り込んだ。
 私が勝手に変な想像をして……なんて馬鹿なことがあるわけない。気を使われたのだ。足が震えだってバレていたのかもしれない。ごめんねとメールしてみようか。でも、それはそれで微妙な気がする。
(……はやく大人になりたい)
 携帯で南雲の連絡先を表示して、ため息をつく。そして電話もメールもできないまま時間だけが過ぎて、画面は真っ黒になってしまった。