ポイズン・キス11
飲み過ぎた。というか、飲み合わせが悪かった。酒ではなくて、毒の話である。
というわけで私は今、午後の授業を休んで寮で休んでいる。目をつぶっているけど、なかなか意識を手放すことができない。
なぜこんなことになったかというと、話は一時間前に遡る。友達が作った毒を味見して数分、酷い発熱と吐き気に襲われた。もらった解毒剤を飲んでも改善されず、どうやらその前に摂取していた自作の毒と化学反応を起こしてしまったようだった。もしかしたら私の体質もあるのかもしれない。今度お互いの毒を混ぜて実験しようと約束するくらいの元気はあったのだが、時間が経つにつれ熱が上がっているような気がする。何度か吐いたら吐き気は治まったから、それはよかったけれど。
とにかく、今は水を飲んで毒を体の外に出さなければ。
タプタプのお腹でベッドで横になっていたら、携帯が鳴った。南雲……どうしようかなと思いながらも電話だったので応答する。
「もしもし……」
「あれ? なんか元気ない?」
「ちょっと具合悪くて」
「えー大丈夫なの?」
「たぶん……。授業は休むことになっちゃったけど」
「そっかー。お昼一緒にどうかなって思ったんだけどまた今度だね。お大事に~」
「ありがとう。またね」
通話が終わり、携帯を握ったまま枕に顔を埋める。声を聞いたらちょっと会いたくなってしまった。最近はお喋りか一緒にご飯を食べるばかりで、それはそれで楽しいんだけど、もうちょっと恋人らしいこともしたい。ただこれは私が人前でアレコレするなと注文をつけた結果であり、どうしようもないことだ。体調悪いときに看病してもらうってなんかいいよな……。と、妄想だけで我慢することにしよう。
おかゆを作ってくれる南雲。ゼリーを買ってきてくれる南雲。冷えたタオルをおでこに当ててくれる南雲。頭の中で思い浮かべていたら、いつの間にか頭がぼんやりとしていた。
***
「……あれ?」
「あ、おはよ~」
「なんで……いるの?」
私の部屋に、いるはずのない人がいる。もしかして毒に幻覚作用でもあったのだろうか。
彼はベッドに腕を乗せてこちらの様子をじっとうかがっている。さっき想像していたことが本当になったみたいだった。
「具合悪いって聞いて心配になったから」
「授業は?」
「とっくに終わってるー」
彼は携帯で時刻を見せてきた。あ、と思って外を見たら確かに日が沈みかけていた。
「何か飲む? 水とポカリ買ってきたよ~」
「ありがとう……。じゃあ、水で」
「はーい」
ペットボトルの蓋まで開けてくれて、至れり尽くせりだ。水を飲んでいるところを凝視するのはやめてほしいけど、心配してくれているのだろうからさすがに言えなかった。
「風邪かな~?」
彼は私の額に手を当ててきた。そうか、風邪を引いたと思われているんだ。いやこれは自業自得なんです。毒を飲みました。言ったら呆れられるかなあと思ったけど、勘違いさせたままなのも申し訳ない。
「ごめん。風邪じゃなくて毒……を、飲み過ぎました」
「え~、そうだったの?」
彼はなぜかベッドに上がってきた。飲みかけのペットボトルを奪われて、蓋を閉められる。
「悪い子だね」
はっと息を呑みこむ。軽く押されただけで私はベッドに仰向けになって、それから――
「まって、なぐもくん……」
覆いかぶさってきた体が重くて、金縛りみたいに動けなくなる。何度もキスをされた。抵抗しようにも、なぜか力が入らない。気づいたら瞼を開けることすら難しくなっていた。
急に不安になって、なんとか目だけでも開けようと必死に力を入れる。そのあいだもキスは続いていた。したいと思っていたはずのキスなのに、怖くて仕方がなかった。
「……ッ!」
急に体が軽くなって、勢いのまま起き上がる。すると机に肘をつく南雲が見えた。机には食べかけのポテトチップスの袋が置かれていた。さっきまですぐ目の前にいたはずなのに……ああ、夢か。夢が覚めても南雲が部屋にいるっていったいどうなっているんだ。
「あ、やっと起きた~」
「……なんで、いるの?」
図らずとも夢と同じことを言ってしまった。思い出すだけで顔から火が出そうだ。本当ならここで自己嫌悪タイムに突入したいところなのだが、南雲がいるせいでそれもできない。
「看病? 鍵は開いてたよ」
「えっ」
「熱でぼーっとしてたのかな。もう平気?」
「あ、うん……」
そういえば、熱のつらさはいつの間にかなくなっていた。ただしシャツがぐっしょりと汗で濡れている。こういうところが夢とは違うんだなあと、あらためて実感した。
「はい水飲んで~」
ちょっと違うけど、夢と同じような展開になっている。その先を想像して私は動けなくなってしまった。
「飲むのつらい? まだ毒が残ってるかもしれないし、頑張って飲んだほうがいいよ~」
「…………うん?」
どうして南雲が毒のことを知っているのか。聞けば私の友達に聞いたということらしかった。
「よく一緒にいる子だなーと思って聞いてみたら『毒の飲みすぎ』って。毒殺科がそんなことでいいの~?」
「……それは、弁明のしようもないというか」
「冗談だって。そんな落ち込まないでよ」
「落ち込んでるっていうか、反省してる」
実は少し前までは、今日みたいに自分で摂取した毒によって体調を崩すことも珍しくなかった。今は耐性も強くなって、自分の限界もわかってきたところだったのだが。
南雲にはこの気持ちがいまいち理解できないらしい。
「そんな反省するようなことでもなくない?」
「南雲くんだってナイフ使ってて自分の手を切っちゃったら『あぁ……』ってならない?」
「なるね。そういう感じか~」
本当にわかっているのか、南雲はポテトチップスに手を伸ばしながらうんうんと頷いた。今さらだが、お見舞いというより完全に自分用のお菓子だ。べつにいいんだけど。
「さっきさあ」
パリッと食欲をそそる音が鳴る。
「僕の夢、見てた?」
「っ!」
どうにかこうにか考えないようにしていたのに。しかも散々泳がせておいて不意打ちで聞いてくるからズルい。
「わかりやす~。覚えてないって言っちゃえばいいのに」
「……覚えてない」
「あはは」
「寝る前に電話したから……たぶん」
「どんな夢?」
なんだろう。単なる興味で聞いているだけなのかもしれないのに、意地悪されているんじゃないかと勘ぐってしまう。そのせいでさらにドキドキしているんだから、私も相当だ。
「……本物の南雲くんより優しかった。看病してもらった」
「へー。まあ僕、優しくないしね」
思っていたより素っ気ない返事で焦る。今のは言い方がよくなかったかも。わざわざ寮まで様子を見に来てくれた人に対する言葉じゃない。怒らせてしまっただろうか。
カラになったポテトチップスの袋がぺしゃりと潰れる。さっきから、南雲と目が合わない。
「ごめん。南雲くんが優しくないって言ってるわけじゃなくて」
「勘違いしてるんだよ」
「……どういう意味?」
「僕が親切でやってるって、いっつも好意的に受け止めてくれるよね。例えば今も僕がお見舞いに来てくれたって思ってるんじゃない?」
「違うの!?」
「きみが優しいからそう考えられるんだよ。勝手に部屋の中に入って、叩き出されたっておかしくないのに。他にもさあ……」
南雲が今までのことを並べていく。目立つ場所でわざと抱きしめたこと。恥ずかしがってる私を見て楽しんでいたこと。中には私も気づいていないようなこともあったけれど、そのほとんどが心当たりのあるものだった。
いや、おかしいと何度か思ったことはある。思ったけど親切でやってくれてるなら悪いと思って黙っていただけなのに。私が鈍いみたいな言い方されてるけど、わかりづらい揶揄い方してくるほうが悪くない!?
こうなった原因の一つに、南雲の普段の振る舞いもあると思う。今までこういうタイプの人と仲良くなったことがなかったから、もしかしたらと私も思ってしまったのだ。つまり……。
「私、怒ってもよかったってこと!?」
「あれ、気づいてたの?」
「悪気ないのかなって、あんまり気にしないようにしてたのに!」
「そうだったんだ。僕の周りって無視するか怒るかのどっちかだったから新鮮~」
「坂本くんとかリオンちゃん?」
「そうそう」
「……でも、」
優しくないというのはちょっと違う気がする。私が嫌と言ったらやめてくれるし、話を聞いても基本的には揶揄われていただけだ。そこに悪意は感じないし、今日だって様子を見に来てくれた。……不法侵入は確かにダメだけど。
チョコレートパーティとか言ってた日なんて特にそうだ。あの日、私の足が震えていたから南雲は何もせずに帰った。私の中ではそういうことになっている。
「南雲くんとキスする夢だった」
「え?」
「聞かれたから答えただけ」
「いや、そうなんだけど……」
「ベッドの上に押し倒されて、上から南雲くんが覆いかぶさってきた」
自分でもなんでこんな恥ずかしいことを言っているのかわからなかった。やれるもんならやってみろと思っていたのかもしれない。だって、さっきからずっとキスのことが頭にちらついているのだ。他のことを考えようとしたって全然ダメで、だからってしたいと素直に言うこともできなかった。
南雲はしばらく無言でテーブルに肘をついたままだった。ただ、じっと丸い目で見られている。また私はやってしまったのかもしれない。引かれていたらどうしよう。キスしたいって言ったほうが絶対かわいいってわかってるのに。ベッドに押し倒されたって、エッチなことばかり考えていると思われたかもしれない。
「……こっち来てくれる?」
「うん……」
ちょいちょいと手招きされて、私は南雲の前まで行った。すると背中を抱き寄せられて、彼の膝の間に座るような形になる。
「わざわざ僕が揶揄わなくたって、きみってすぐ自滅するよね」
「……してない」
「耳まで真っ赤だよ。なんですぐヤケになるかな」
「……なってない」
「僕は優しくないよって、なんでわざわざ教えたと思う?」
「いつまで経っても気づかないから?」
「んー、それもあるけど」
後頭部を支えられて「あ」と思う。目を閉じたら想像通りキスをされた。びっくりしたのは、今までと違って気持ちいいと思ってしまったことだ。
夢とは違って怖くなかった。体は支えられているけど、手は自由に動くし目も開こうと思えば開ける。試しに薄目を開いてみた。ちょっとした好奇心だった。
(うわ……)
間近で見る南雲の破壊力はすごかった。すぐに目を閉じようとしたけど、その前に南雲が目を開く。至近距離で目が合って、驚いた私は頭を思い切り引いた。
「ちが……ずっと開いてたわけじゃなくて、ほんとに今さっき……」
「気持ちよかった?」
「え?」
「そんな顔してたから」
「え!」
「気持ちよくなかった?」
「き、もち……よかった」
ニコ、と南雲が笑う。そしてまたキスをされた。さっきよりも深いキスだった。
キスが終わると、私は全身から力が抜けたように背中から勢いよく床に倒れこんだ。頭を打たずに済んだのは南雲が支えてくれたからだ。
は、は、と呼吸を整える。南雲は何とも言えない表情で私を見下ろしていた。怒っているわけではなさそうだけど、楽しそうには見えない。口元はきゅっと結ばれていた。
「……南雲くん?」
「たまに無防備で心配になっちゃうんだよね」
「え?」
「意識してくれてるのはわかるんだけど、ときどき抜けてるっていうか。もうちょっと警戒したほうがいいよ~」
「……なんで好きなのに警戒しなきゃいけないの?」
南雲は何も言わなかった。ただ視界の片隅で、彼が手を握り締めたのがわかった。
「気づいてたと思うけど、私この前震えてたでしょ。違うよ、嫌とかじゃなくて……嫌なこととか一つもなくて、」
「……うん」
「あ、外は嫌だけど……。えっと、今そういう話してるよね? 合ってる?」
「うん、合ってる」
「南雲くんは私の彼氏……で、いいんだよね?」
前から気になっていたことを、ようやく聞けた。告白が妙にあっさり終わってしまったから、ずっと気がかりだったのだ。好きだと言ってくれて、キスもしたことあるけど不安だった。最近は友達みたいなことしかしていないし、バレンタインのとき彼はたくさんチョコをもらっていたし、考え出したらキリがない。そして一番怖いのは、こんなことを言って面倒だと呆れられてしまうんじゃないかということだった。それなのに、一度言い始めたら止まらない。まるでどこかネジが外れてしまったみたいだった。
「本当はもっと……抱きしめてほしいし、手も繋ぎたい。あと……キスも」
両脇に南雲の手が差し込まれて、起き上がらせられる。ぎゅっと抱きしめてくれたのは、いま私がしてほしいと言ったからだろうか。そうだとしたらやっぱり優しい……いや、優しさだけでやってくれているとしたら嫌だ。「したいから」してくれているんだと思いたい。南雲が自分を優しくないと言った理由がなんとなくわかった気がする。優しいからお見舞いに来たのではない。相手が私だったから、と自分で言い切るのは恥ずかしいけれど、私が逆の立場だったらきっとそう思う。
「僕もう彼女できたって坂本くんたちに自慢しちゃったけど」
「……私のことだよね?」
「そこ不安になるんだ」
「一応……」
「きみのことだよ」
「よかった」
「もー、全然わかってないな~」
「そんなことないよ。たぶんわかったと思う」
「ほんとに~?」
「うん。今日は私のこと心配してくれたのもあるけど……ちょっと、下心もあったってことでしょ」
ビクリと私を抱きしめる南雲の身体に力が入った。
「……私もあるから、大丈夫」
「キスの先もしていいってこと?」
「えと、ちょっとずつ……なら、いいよ」
「じゃあ今日はこれかな~」
あらためて「今から何かします」と宣言されると、妙に身構えてしまうものがある。胸を触られたりするのかなあと思っていたけど、南雲の手は私の髪すくって耳に掛けた。
ちゅ、と今までのキスよりも大きな音がした。それもそのはず、キスをされた場所は耳だったのだ。
「な、なに今の!」
「何って耳にキスしただけだよ~。今日はこれでおしまい」
「『今日は』ってなに!」
「明日は舐めるね」
「どこを!?」
「耳たぶ。明後日は甘噛みして、中に舌入れるのはその次の日かな~」
なんで耳ばっかり。……いや、そうではない。こんないちいち予告をされるようなことなのか。でも、私が嫌かどうか事前に確認してくれているのだとしたら……。
「あ」
ここで私は気づいてしまった。まさに今の状態が『そう』なのだ。
「わかった、揶揄ってるんでしょ!」
何でもかんでも好意的に解釈するのはもうやめた。おかしいと思ったらその都度言わないと大変なことになってしまう。今日学んだばかりのことだ。
ところが南雲はきょとんとした顔をしていた。
「え? 揶揄ってないよ」
「え」
「きみが嫌なことはしないし、でも僕としてはもっと色々したいから、確認しとこうかなーって」
「あ、やっぱりそうだったんだ。ありがとう……、まあ、耳くらいなら……」
なんだ私の勘違いか。そう納得しかけていたところに、南雲が口元を押さえて肩を震わせているのが目に入る。
「だからなんで、そんな素直なの……」
「……南雲くんのばかっ!」
ごめんごめんと対して反省もしていなさそうな顔で南雲は謝る。そうして次の日、南雲は本当に耳を舐めてきた。つまりあれは本気だったということだ。
甘噛みまで終わったところで私は後悔していた。「まあ耳くらいなら」って何も知らない私だからこそ言えたセリフだ。次は舌を入れるとか言っているし、もはや耐えられそうにない。
明日も楽しみだね。そう言って立ち上がる南雲の姿をぼんやりと見上げる。友達の姿に変装した南雲が遠ざかっていくのを眺めながらどうすればいいか考えてみたが、答えは見つかりそうになかった。