一途じゃなくて何が悪い!01
真昼だろうがカーテンを閉め切った部屋の中はそれなりに暗い。明かりをつけるわけでもなく、しかし寝ているというわけでもなく、なまえはただベッドの上にごろりと寝転んでいた。
インターホンが鳴った。
無視していたら今度はスマートフォンが鳴った。
さらに無視していたら、ドンドンと玄関を叩かれる。
それでも無視していたら、ベランダの窓が開いた。
「鍵かけとけや」
なまえは寝返りをうった。後ろでため息をつくのが聞こえた。
「なんで辞めたん」
安物のベッドが重さに耐えられず悲鳴を上げる。ベッドに座った男――神々廻を追い出すように、なまえは彼の背中を蹴った。そこで自分がパンツとタンクトップしか着ていなかったことに気づく。神々廻がそれについて何も言及しないことがまた、腹立たしい。
「った」
たいして痛くもなさそうに神々廻が言った。ちらっと彼を見れば目が合って、それからまた目を逸らした。
「拗ねてんの?」
べつに拗ねてはいない。ただ不法侵入者と話したくないだけである。
「四ツ村さん死んだからか?」
「ちがう!」
「頭おかしいやろ。殺連に指名手配されとったんやで……しかも子持ち」
「だからちがうって!」
今度は本気で蹴ろうとしたら、足首を掴まれた。とてつもなく恥ずかしい格好をさせられている気がしたが、それも一瞬のことだった。神々廻がどうでもよさそうな顔でなまえの足をポイと放り投げたのだ。足はベッドに拾われて軽くバウンドした。
「びっくりしたわ。仕事終わって戻ったら見慣れた顔がおらんのやもん」
「……前から辞めようか迷ってて」
「初めて聞いたわ」
「言ってなかったし」
「なんで?」
「私が辞めようが神々廻には関係ないから」
「あー……ちゃう。なんで殺連辞めたん?」
そう言ったときの神々廻の声は、意外と優しいものだった。
神々廻の言う通り、なまえは殺連を辞めた。しかもつい昨日のことだ。辞表を出して「今日限りで退職します」と言ったら、あっさり受理されたのだ。まあ、珍しいことではないのだろう。
なまえは殺し屋のライセンスは持っていなかったが、過去にJCCに通っていたことがあった。中退だ。実力が及ばなかったのである。それで一度は普通の職に就いたのだが、JCC時代の同級生のツテで殺連の本部で働くことになった。ただの事務にしては給料もよく、生活費に苦労することはなかった。いい職場だと思っていた。しかしここで、殺連関東支部襲撃事件である。
非戦闘員だったなまえは防護室に籠ることで無傷だった。だが防護室から出てみれば、死者は170名を超えていた。
――こんな職場、やってられん。
そう思ったのは紛れもない事実である。つまり四ツ村が死んだから退職したというのは、単なる神々廻の妄想に過ぎない。
「この前の襲撃事件。殺し屋ならまだ戦うとかできるだろうけどさ、ただの事務にはやっぱ怖いなって」
「にしたってタイミングおかしいやろ」
「だから悩んでたんだって」
ハア、と神々廻がため息をつく。これで二度目だ。ただでさえ薄暗い部屋が辛気臭くなるからやめてほしい。
「俺が四ツ村さん死んだ言うても驚かんかったな」
「……昨日聞いたから」
「それが答えやろ」
ずしりと身体が圧迫される。神々廻が覆いかぶさってきたのだ。突然のことで、なまえは身動き一つ取れずにいた。
「な、なに」
「なにって?」
「なに、するの……?」
神々廻がじっと顔を覗き込んでくる。まだ何もされていないのに、身体がじわじわと熱くなってきた。神々廻のスーツの感触が、直に足を刺激する。頭がおかしくなりそうだった。
「なんや四ツ村さんやなくてもええの?」
馬鹿にするような口調に、今度は目元が熱くなる。
なまえは確かに四ツ村のことが好きだった。しかし同時に、同じくらい神々廻のことも好きだったのだ。
好きな男が二人いて、何が悪い。なまえは既婚者でなければ恋人もいない。四ツ村と不倫していたわけでもない。ただ心の中で思いを寄せていただけだ。それでどうして一途に片思いする女を演じなければならないのか、そんな理由は一つもないはずだ。理由はないのに、神々廻が勝手に勘違いしているから言えなくなってしまった。現に今、神々廻はなまえに幻滅している。気の多い女は嫌いなようだ。
泣いたのは神々廻が怖かったからではなく、現状に嫌気が差したからだ。せめて四ツ村を好きなことが神々廻にバレていなければ、どうにでもなっただろうに。
何を勘違いしたのか神々廻はなまえの上から退いた。なまえとしては何をされたって構わないと思っていたところにこれだ。
「いい加減、服着ろや」
なまえは無視して泣き続けた。どうやったら襲いたくなるかな、と密かに考えていたりもした。まあ泣かなければよかったという話なのだが、悲しかったものは悲しかったので仕方ない。今の状況は、好きな男が死んで打ちひしがれていたところにトドメを刺されたようなものだった。
神々廻は三度目のため息をついた。
「なあ俺が悪かったて」
「絶対わるいって思ってない」
「そんなんわからんやろ」
「……っていうか何しに来たの」
「いきなり辞表出したいうから様子見に来てん」
「誰か辞めるたびに理由聞いて回ってんの?」
「んなワケあるかい」
なまえはむくりと起き上がった。タンクトップに乳首が透けている。それが気まずくて猫背になってみたが、今度はヨレた隙間から乳房そのものが丸見えになってしまった。しかし今さら服を着るのもな、となまえは妙なところで意地になっていた。
***
四ツ村と顔見知りになったのは、なまえが殺連に入ってすぐのころだった。しがない事務職の、しかも新人であるなまえに対して気遣いを見せたのが彼だった。わりと大きなミスをしてベソをかきながら残業していたところ、デスクに缶コーヒーが置かれたのだ。なまえはそのとき、四ツ村の素性を知らなかった。しかしすぐに彼がORDERの一員だと知る。そんな人が自分なんかにという気持ちから、好きになった。既婚だと知ったのはさらにそのあとだったが、まあそんなもんかという程度だ。最初から四ツ村とどうこうなれるとは、なまえも思っていなかったのである。淡い恋心と言えば聞こえはいいが、そのレベルの話なのだ。
それからも四ツ村との交流は薄く続いていた。偶然会ったら話す。連絡先は知らない。ただ、名前を呼ばれるとムズムズする。
神々廻と知り合ったのも、四ツ村が彼を連れてきたからだ。
四ツ村と違って神々廻は口が悪かった。四ツ村に対しても「おっさん」とか「年寄り」とか言うのだ。しかし四ツ村は全く気にしていないようだった。それがまた、四ツ村をいいと思う理由になる。
神々廻が四ツ村の家に招かれていたと知ったときは、正直羨ましかった。どうだったと聞いて、初めて具体的な家族の話を知ることになった。四ツ村を好いていることを神々廻に勘付かれたのはそのときだった。
「趣味ワル」
「なんで……優しいじゃん」
いくらなまえが反論しようと「ただ歳食ってるだけ」とか、散々な言いようだった。神々廻とはずっとこんな感じだった。……四ツ村が殺連を追われるまでは。
「どうしたの、その顔……」
「ただのかすり傷やん大げさ」
「……なんか、変な噂聞いたんだけど」
「噂?」
「……四ツ村さんがトップ暗殺したって」
「ああ、そんでヘボな追手が逃がしたってな」
「……」
「なんやねんその顔」
神々廻はそれだけ言って行ってしまった。なまえが聞いた噂には続きがある。四ツ村の抹殺要員として神々廻が指名されたが、失敗した。神々廻の顔の傷を見て、なまえは噂が真実だったと悟った。
トップが変わったせいで、雑務が増えた。心を無にして残業していたら、デスクに缶コーヒーが置かれる。それがあのときと同じ銘柄だったから、心臓が止まりそうになった。
「……なに?」
「まだ終わらへんの」
「神々廻がヘマするから~」
「……」
「嘘じゃん真に受けないでよ」
「いっぺん殺したろか」
「んー……」
「真に受けんなや」
「……うん」
もらった缶コーヒーを開けて、一気に飲んだらむせてしまった。ゴホゴホと大げさに咳をしてうずくまる。神々廻が背中をさすってくれることはなかったし、優しい言葉をかけられることもなかった。しつこいくらいに居座るから仕方なく顔を上げて、そしたら「ぶっさいくやな」と言われた。
神々廻が優しいことは一度もなかったが、何度も顔を合わせれば情が湧く。神々廻への好きはそういう好きだ。いなくなったらさみしい。だから次に神々廻が失敗するようなことがあれば、彼が消されてしまうんじゃないかと心配していた。
結果、死んだのは四ツ村のほうだった。なまえはそれを聞いて、全身から力が抜けた。神々廻が失敗しなくてよかった。だけど、四ツ村が死んでしまった。もう疲れた。ちょうど辞めようかと迷っていたところだ。勢いのまま書いた辞表は、すぐに受理された。
***
「いつまでいるの」
返事はない。我が物顔でベッドを占領する神々廻は、下手をしたらそのまま寝転んでしまいそうな雰囲気があった。いつの間にかスマホを触っているし、もはや完全にくつろいでいる。薄暗い中でのスマホの光は目に刺さる。そうしてふと、神々廻の左手に包帯が巻かれていることに気づいた。
「手……ていうか指……」
「ああ、大したことあらへん」
「またそんなこと言って!」
神々廻の目はずっとスマホに向けられている。だから殺し屋は嫌なのだ。指がなくなったって、平気な顔して、他人にばかり心配させて。
「……もう帰ってよ」
今のはちょっと酷かったかもしれない。怪我人なんだからもう少し優しくしてあげればよかった。けれど後悔したところですでに手遅れで、無言で出て行った神々廻を呼び止めることすらできなかった。
なまえはしばらくボーっと玄関を眺めていた。神々廻が戻ってきたら謝ろうと思っていた。そしてインターホンが鳴る。
神々廻が出て行ったせいで鍵は開いたままだった。勝手に入ってくればいいのに、ドアが開く気配はない。仕方なくズボンだけ履いてドアを開ける。立っていたのは神々廻ではなく、南雲だった。
「え……南雲さん?」
神々廻とはそれなりに交流のあったなまえだが、南雲とは会話をしたことすらない。神々廻と同じくORDERに属しているため、顔と名前は知っているという程度だ。
「ちょっと頼みたいことがあるんだよね~」
「あ、あの……私もう退職してて」
「知ってる。だからちょうどいいかなって」
「……頼みたいことって何ですか?」
南雲はにこりと笑った。そうして彼が手招きすると、もう一人フードを目深く被った男が姿を現す。目元はフードで見えないが、口が裂けている。ただならぬ雰囲気を感じてなまえは二人を部屋に上げた。
「この人のこと匿ってほしいんだけど、どうかな?」
「そんなこと言われても……」
なまえは一人暮らしだ。そんなところに見知らぬ男、それもおそらく殺し屋……脅されでもしない限り匿うなんてことはしたくない。そう、脅されでもしない限りは。
「大丈夫。少しの間だけだし、怪我してるから襲われる心配もないよ~」
「病院とかのほうが、よろしいのでは」
「それが一番いいんだけど、事情があって難しいんだよね~」
「……本当に申し訳ないけど、お断りします」
「んー、困ったな」
そう言いながらも南雲は全く困っていなさそうな顔をしていた。むしろ楽しんでいるようにさえ見える。そして、南雲が男のフードを剥いだ。
「え……」
なまえは言葉を失った。それもそのはず、そこには死んだとされる四ツ村が立っていたのだから。