一途じゃなくて何が悪い!04
四ツ村はどこまでも紳士だった。というかおそらく、なまえを恋愛対象として見ていなかった。だから一晩同じ部屋で過ごしても何も起きなかったし、甲斐甲斐しく世話をしても何のイベントも発生しなかった。男と女というよりは、父と娘……いや、もはや孫と言ってもいい。世話をしているはずなのに、ちゃんと食べているかと逆に心配され、俺がいなくなったら神々廻に連絡してみろと、お節介にもほどがある。そうして二週間も経ったころ、四ツ村は隣の部屋からいなくなってしまった。彼が今どこで何をしているかも知らない。もしかしたらもう二度と会えないのかもしれない。どこかでそういう予感があったためか、さほどショックは受けなかった。
最後の日は、南雲も一緒だった。彼はまた札束を持ってきていた。普通なら断るのかもしれないが、なまえは素直に受け取った。これで計三百万。誰もがいなくなったなまえの部屋に残されたのは、南雲が残した現金だけとなった。
下手に金をもらってしまったせいで、再就職先を探す気にもなれない。もう少しゆっくりしてもいいかもしれない。そうやってダラダラ過ごしていたら、インターホンが鳴った。
「付き合うて」
ドアの前でコンビニの袋をぶら下げていた神々廻は、なまえと目が合うなりそう言った。はて、となまえは考える。一度冷静になりたくて、ドアを閉めた。
そしてまたもインターホンが鳴る。あ、立ったまま夢でも見ていたのかな? そんな軽い気持ちでドアを再び開けたら、そこにはやっぱり神々廻がいた。眉間にシワが寄っていてとてつもなく怖い。
「なんで閉めんの」
「……えっと」
「付き合うて言ってんのやけど」
「……どこに?」
おそらくそういう意味ではないと、予想はできた。しかしどうしたって神々廻が告白してくる理由というのが見当たらなくて、保険をかけたのだ。
神々廻の目尻がぴくりと動く。
「ボケんなや、好きや言うてんねん」
「…………はあ、」
「成立ってことでええの?」
「成立って……」
神々廻の後ろでエレベーターのドアが開く。こんな場面を見られては敵わない。なまえは神々廻の腕を引っ張って部屋の中に引きずり込んだ。……はずが、なぜか今は神々廻とドアに挟まれて、サンドイッチのような状態になっている。
「なあ早いもん勝ちなんやろ、俺じゃアカンの? それとももう新しい男できた?」
「あ、アカンくは、ない……男もいない……」
「じゃ何の問題もないな」
「……神々廻、そんなキャラだっけ」
「そら付き合うたら違う一面も見れるやろ」
「まあそれは……うん」
にしたって突然すぎる。それに不気味だ。騙されているんじゃないかという気さえしてくる。
「……何か企んでたりする?」
「ああわかった。南雲に遊ばれて何も信じられんようなってんのやろ」
「え、あ、遊ばれ……?」
「一日で捨てられたらしいやん」
なるほどそういう設定なのか。にしても酷すぎやしないか。南雲と神々廻の間でどんなやりとりがあったかは知らないが、この調子だととんでもないことを吹き込まれているのだろう。考えただけで立ち眩みを起こしそうだった。
「なあ」
神々廻がさらに距離を詰めてくる。胸は押しつぶされるし、太ももの間には神々廻の長い足が挟まっている。あ、ブラジャーしてなかったな。現実逃避は一瞬で現実に引き戻された。神々廻が首筋に顔を埋めてきたのである。息遣いを感じて、背中が震えた。
「南雲に何された」
「なにもされてない……」
「嘘つくな」
首筋をガブリと噛まれる。乱暴にされたかと思えば、今度はいたわるようにそこを舐めてくるからもう訳がわからない。ピリピリと甘い痺れが全身を伝っていく。噛みつかれるのも抱きしめられるのも嫌ではなかったけれど、変な誤解をされたままなのが不服だった。しかし誤解を解こうにも、どこまで話していいのかわからない。こんなことになるなら南雲にきちんと確認をしておくべきだった。
「うそじゃない」
「……なんで泣くん」
「ないてない」
「アー……そんな嫌やった? 嫌なら嫌て言いや」
「やじゃ、ない」
太ももに挟まっていた足がどこか行ってしまったから、なまえはその場にずるずると座り込んだ。一個靴を潰してしまった気がするけど、今はそれどころではなかった。
「ほんま何やねん」
なまえに合わせて神々廻もしゃがみ込んでくる。べちょべちょになった顔を神々廻の手が拭った。
「なあ俺が悪かったて」
なんだか聞いたことのあるやり取りだ。今考えてみれば、あのときの神々廻はまあまあ優しかった気がする。……今も、そうなのかもしれない。
「……ししば、」
「なに?」
「わたしのこと、すきなの?」
「さっきからそう言うてるやん」
「ほんとに?」
「疑心暗鬼なってんの、かわいそ」
「……神々廻は私のこと、尻軽とかさ、そういう風に思ってるんじゃなかったの?」
「思てるよ」
「……は!? なんで!?」
そこは否定するところじゃないのか。しかし「告白されたら誰とでも付き合うんやろ」と言われてしまえば否定できない。今まで機会がなかっただけで、そうなる気質は充分にあった。だがなまえに言わせてみれば、それを尻軽とは言わないのだ。
「……神々廻だってさあ、女の子に言い寄られたらちょっとは考えるでしょ? 付き合ってみたら好きになるかもって思ったりしない?」
「俺は一途やねん」
「な……」
その「一途」の意味するところを考えて、なまえは頬を赤くした。「でも!」と、ここに来てまで反論してしまうのは、拗らせを通り越してもはや病気なのかもしれない。
「付き合ってみてやっぱ違うってなるかもしれないじゃん!」
「今んとこまだかわいいの範囲やけど」
「……」
「何が不満なん。ええやん付き合うたら俺のこと好きになるかもしれんのやろ?」
「そんなの、」
とっくに好きである。……四ツ村と同じくらいには。またこれを言うと「尻軽」なんて言われてしまいそうだから、口を噤むしかないのだが。それならいつ好きになったと言えばいい? 一生言えなかったら、さすがに愛想つかされたっておかしくはない。でも、早すぎたら早すぎたで軽蔑されてしまいそうだ。
「はーめんどくさ」
神々廻がため息をついたかと思えば、勢いよく抱き上げられる。器用に足だけで靴を脱いで、彼はなまえを抱えたまま部屋に上がっていった。
なまえはベッドの上に下ろされた。今回神々廻は床に座っている。
「メシ食う?」
「食う……」
「どっち」
袋から出てきたのは、なまえが殺連の事務所でよく食べていたパスタサラダだった。野菜たっぷりのやつと、豚肉が入っているやつの二種類。選ばなかったほうを神々廻が食べる仕組みになっているのだろうが……
(神々廻、これ絶対足りないじゃん)
なまえはこれ一つでも充分だったが、成人男性の食べる量としては少ないような。なまえの記憶の限りでは、神々廻は少食というわけでもない。
「ずるい」
なまえはそれだけ言って、野菜たっぷりのパスタサラダを手に取った。ずるいって何やねん。神々廻が隣で何かゴチャゴチャ言っているが、無視して蓋を開けた。神々廻も諦めたのか、パキンと箸を割る音がした。
「……仕事どうすんの」
「そのうち」
「金は?」
「しばらく大丈夫」
そのとき「ヤバ」という顔をしてしまったのがいけなかった。なまえの目線の先には出しっぱなしにしていた封筒が。その中には南雲からの札束があまり減っていない状態で残っている。
無言で立ち上がった神々廻のズボンを引っ張った。しかし抵抗もむなしく、神々廻が封筒を掴み上げる。
「おい」
「……ハイ」
「何やこれ」
神々廻は封筒から札束を出して、見せびらかすようにヒラヒラと振った。
「それは、あの……何回もATMに行くのが面倒でまとめて、みたいな」
「キャッシュレス派やったやん」
「う……」
まるで浮気を問い詰められているかのようだ。ここで南雲の単語を出したら神々廻がどういう反応をするのか、ある程度は想像がついた。しかし他に言い訳も思いつかない。何よりこれ以上嘘を重ねては、ただでさえゼロに近い信用がマイナスになってしまうんじゃないかという心配があった。
「な……ぐもさんに、もらいました」
「は、南雲? なんで?」
「慰謝料……的な?」
まあこれは嘘ではない。嘘ではないが、神々廻のこめかみに青筋が見える。
また何か言われると身構えていたが、予想に反して神々廻はなまえのことを抱きしめてきた。さっきみたいに力ずくでもなく、普通に優しい抱擁だった。
「神々廻?」
「金もらうほど酷いことされたってなに?」
「……なにもされてないよ」
「なんであんなやつのこと庇うの」
「庇ってないけど……詳しいことは南雲さんに聞いてほしい」
「口もききたないわ」
体重をかけてくる神々廻の背中をポンポンと叩く。これではどちらが慰められているのかわからない。
「ねえ」
「なに」
「神々廻って意外とやさしかったんだね」
「今ごろ気づいたん遅いわボケ」
なんかこの人かわいいな。そう思ったが最後、なまえは神々廻の頬にくちびるを寄せていた。
「自分からしといて赤くなりすぎやろ」
「……だって」
こんなことしたの初めてなんだよって言っても信じてくれないだろうから、黙っておいた。もう全部話してしまいたいのに、もどかしい。
しばらく無言でいたら、今度は神々廻からキスをされた。くちびるが離れた瞬間、もう建前とかどうでもよくなって「いいよ」と言っていた。しかし神々廻は動かない。
「……俺のこと好きになってからでええけど」
「すき」
突然、ダーッと神々廻が唸り声を上げる。
「何やねんお前ほんま! ふざけんな!」
「……ふざけてない」
「そんなんわかるわ!」
「……もうちょっと段階踏みたいってこと?」
「なんで俺がロマンチストみたいになってんねん!」
充分ロマンチストじゃん。なまえは思ったが、言わないでおいた。
結局、その日はキスだけで終わった。これはあとから聞いた話なのだが、避妊具がなくて焦っていたらしい。まあ、それもそうか。どこからともなく湧いて出てくるものでもないのだし。
……と、今では昔のことを笑い飛ばせるくらいの関係にはなっている。
神々廻が帰ってすぐに、なまえは南雲に電話をしていた。神々廻にどこまで話していいのかという確認だ。
「あれ~、神々廻帰っちゃったの?」
「南雲さんがけしかけたんですか?」
「人聞き悪いなあ。僕も悪いことしたなって思ってたんだよ?」
「もう四ツ村さんのこととか話してもいいんですか?」
「まだダメ。でも全部片付いたら、そのときは僕から言うね」
「そうですか。あー……それと、あらぬ誤解を与えてしまったので、神々廻から何か言われるかもしれません」
「そうなの? 何言われるんだろ~。まあきみは心配しなくても大丈夫だよ」
という会話から、ここまで来るのに長かった。面白そうだからという理由で南雲にネタバラシの場に立ち合いをさせられて、もはやあれは気の毒そのものだった。
「ってワケで、僕となまえちゃんの間にはなーんにもなかったよ~。いい加減嫉妬するのやめてね~!」
「いっぺん死ね」
「こわ~。もうちょっと僕に感謝してくれてもよくない? 四ツ村さんのこともあるんだしさあ」
「殺す」
「じゃ、なまえちゃんあとはよろしくー」
満面の笑みで南雲は去っていった。神々廻と二人残されたなまえは、おそるおそる彼の腕を掴んだ。
「ごめん」
「何が」
「嘘ついてて」
「別に。四ツ村さんのこと公になったら俺も危なかったしな」
「顔真っ赤」
「うるさ」
「嫉妬してくれてたの、嬉しかった」
「あっそ」
「あとかわいかった」
ぴく、と神々廻の目元が動く。ちょっと揶揄いすぎたかもしれない。
「なあ、」
「なに?」
「四ツ村さん生きてんのやろ? 四ツ村さんとこ行かんでええの?」
「神々廻が一番好きだから、大丈夫」
これは紛れもなくなまえの本心だった。
「何が大丈夫やねん」
神々廻はそっぽを向いてしまった。だけど一瞬だけ見えた口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。