ポイズン・キス13
「じゃあこれ、二週間分ね」
「ありがと~」
もとは実家への挨拶を引き延ばすために始めた毒に対する特訓は、私たちにとってもはや日常となっていた。JCCを卒業して毎日会うことはなくなってしまったから、今はまとめてある程度の量を渡している。
これはいつまで続けるつもりなのかと何度か聞いたことがあった。そのたび「ずっと」と、彼は言う。私も最初は本気にしていなくて、そのうち終わるのだろうと思っていた。だけど、JCCのときから数えてもう何年になるだろう。その言葉の通り、この関係がこれからも続いていきそうな気もしてきた。……というのが嘘みたいに、終わりは案外あっさりなのかもしれないが。
「あとこれもちょうだい」
南雲はレジのカウンターにポッキーを一箱置いた。相変わらずだなあと思いながら、バーコードを読み取る。
私がJCCを卒業できたのは、ほとんど南雲のおかげだと言っていい。一年目から私の進級は危うかったし、なんならその次の年も、南雲が実習でペアを組んで好成績を残してくれたおかげで他のカバーができたようなものだった。だから本当に感謝している。最初はやっかいな人だと思っていたけど、その実態はただの情に厚い男だ。恩着せがましいところもあるけど、頑なに認めないところもある。揶揄うような言動は、半分は照れ隠しなんじゃないかなあと、これは聞いたら否定された。例えば今も私の毒を飲み続けてくれているところなんて、本人曰く「毒耐性をつけるため」らしいけど、これも本気なのかわからない。
私が実家で働くようになってから、南雲は私の毒に対してお金を払うようになった。いらないと言っても勝手に振り込まれてしまうのだ。しかもなぜかその金額は増え続けている。南雲の稼ぎがよくなればよくなるほど、金払いもよくなっていくという仕組みらしい。単純に考えればありがたい話でもあるが、恐ろしくも感じる。恐ろしすぎて、南雲からのお金には未だに手を付けたことがない。さすがに返せと言われるようなことはないだろうけど、最近は数字の桁すらおかしいのだ。
南雲はほかにお客様がいないのをいいことに、カウンターの中に入ってきた。そして厚かましくも椅子に座って買ったばかりのポッキーを開ける。
「食べる?」
「いや仕事中だし」
「固いな~」
そもそも食べていいと許可もしていないのに、このくつろぎ様だ。一度ほかのお客様が入ってきたときはどうしようかと思ったが、南雲はサッとお菓子を隠してにこやかな笑みで「いらっしゃいませ~」と言っていた。腹が立ったのでレジに放置してみたら、普通にこなしているし時給を請求されたことも記憶に新しい。
「……仕事は?」
「さっき終わらせてきた~」
「泊まってく?」
「え~、いいの?」
そう言いながらも家族向けの手土産を持ってきているあたり、最初から泊まるつもりだったのだろう。
いつもニコニコとしている南雲のことをうちの家族も気に入っている。夕飯を一緒に食べることも珍しくないし、大体そのときは「泊まって行きなよ」と誰かが言う。南雲も用事さえなければ断らないようにしてくれているみたいだ。なんというか、JCC時代に想像していた将来とは全然違っていた。卒業したらもっと寂しくなるかと思っていた。しかし実際会う時間は減りこそしたが、そうでもない。南雲はちょこちょこと店に来てくれている。もしかしたら無理をさせているのかもしれないと思って聞いたこともあったが、そんなことないよとしか彼は言わないのだ。
時刻は十七時。表の薬屋はあと一時間で閉店だ。
「先に上がってていいよ。お風呂入ったら?」
「ありがと~。お風呂あがったら店番代わろうか?」
「さすがにそこまで頼まないよ」
「遠慮しなくていいのに~」
「いや遠慮じゃないし……」
従業員用の入り口に入っていく南雲を見届けてふうとため息をつく。こんなに甘えっぱなしでいいのかな、と何度も思った。もしここに来ることが彼のキャリアを邪魔しているのだとしたら、私も本意ではない。順調に稼ぎは上がっているみたいだけど、南雲の実力であればもっと上に行けるんじゃないか。本当はうちに来ている暇なんてないんじゃないか。しかもそれを南雲が勝手にしているならまだいいのだが、私にも思い当たる節が一つあるのだ。
――それはJCC卒業の日、私が泣いてしまったことだ。
(卒業おめでと~!)
(うん……。南雲くんもおめでとう)
(どうしたの?)
(……今までみたいに会えなくなるなって思ったら)
(寂しい?)
(……かも)
という感じである。べつに私は悪いことを言ったとは思ってない。会いに来てとお願いしたわけでもない。ただ、なんとなくこのときの会話のせいだと思っている。それを言い出せずにズルズルとここまで来てしまった。
閉店時間になり、私は片付けを済ませて自分の部屋へ向かった。南雲はスマホ片手に「お疲れ~」と出迎えてくれた。
「あ、あの……ご飯の前にちょっと話できないかな」
「いいよ~、なに?」
「私、南雲くんの仕事の邪魔してない?」
「……え、僕がじゃなくて?」
「いや……だって、殺し屋ってもっと忙しいんじゃないの? 南雲くん見てたら結構時間ありそうっていうか……仕事セーブしてるのかなって」
「あ~、僕が暇そうに見えるってこと?」
「……そこまでは言ってない」
「でも僕、ORDERだよ?」
「えっ」
「言ってなかったっけ」
「聞いてない!」
「あれ~、おかしいな」
「絶対わざと!」
「ほらほら落ち着いて。みんなびっくりしちゃうって~」
なぜ、私は南雲になだめられているのだろう。ただ大声を出して家族が集まってくるのも不本意なので、今は南雲の言う通り大人しくするしかなかった。
なるほどあの桁違いの振り込みはそういうことだったのか。それなら私が気にすることなんて何もないのかもしれない。……というか、こんなのがORDERで殺連は大丈夫なんだろうか。
「ちなみに坂本くんもだよ~」
「へーすごいね。なんかそんな感じするもん」
「僕は?」
「……」
無視である。南雲は容赦なくねえねえと体を揺さぶってきた。
「なんで僕の仕事の邪魔してるって思ったの?」
「……私が変なこと言ったから、無理して会いに来てくれてるんじゃないかなって思って」
「変なこととか言ったっけ?」
「……覚えてないならいい」
「覚えてるよ~。ただ僕の中で変なことじゃないからどれかわかんないってだけ~」
「卒業式の日……寂しいって言った」
「え、それなの?」
「うん……」
「……それはずるいじゃん」
南雲はそう言って、私を抱きしめてきた。すりすりと首元に頭が押し付けられる。
「最近さあ、アーモンドチョコ一箱だけ買ってく眼鏡の男いるでしょ?」
「え、うん……」
いきなり何の話だろう。確かにそういうお客様が一年くらい前から来るようにはなった。困惑していたら「あれ僕」とまさかの事実を告げられた。
「……どういうこと?」
「ちょっと空いた時間があるだけですぐ会いたくなるってこと」
普通に来たらいいのにと思ったが、それじゃあ五分では済まなくなると。まあ、わからなくもない。だが、私だけ気づいていない状態はいかがなものかと思う。
「今度からは変装やめてよ。私だってもっと南雲くんに会いたいのに」
「じゃ、こっちが本音ってことだね」
「……あっ」
そうだ、そもそも南雲が店に来すぎという話をしていたのだった。どこまでが作戦なのかわからないが、南雲はにこりと笑っている。
「素直になりなよ~」
それは変装してまで店に来ていた人間が言うことなのだろうか。いつの間にか南雲のペースになっている。悔しかったので私は南雲にガバッと抱き着き返して「キスして」とお願いした。
「――あれ、毒は?」
唇が離れるなり、南雲は首を傾げた。「ないよ」と言えば、南雲はさらに不思議そうな顔をする。
「絶対盛られると思った」
「……ご飯食べよ」
南雲を照れさせるつもりが、私のほうが恥ずかしくなってしまった。
私は南雲を置いて部屋を出た。だから私は、このとき南雲が残された部屋でどんな顔をしていたかなんて知りもしなかった。
――いっこうに食べに来ない南雲を呼びに戻り、私は信じられない光景を目にする。これはぜひ写真に収めなければと思ってスマホを出したら、無言で取り上げられてしまった。赤面する毒だよ、くらいは言ってあげればよかったかもしれない。