打倒・勢羽夏生07
寮の部屋に入った途端、なまえは膝から崩れ落ちた。まるで神経がぷっつりと切れてしまったみたいだった。やはりそれなりのダメージは受けていたようだ。
冷たい床の上でうずくまっていたら、玄関がノックされた。無視していたら更に強く叩かれて、なまえはしぶしぶと立ち上がる。
しかし覗き穴を見ても外には誰もいない。どう考えても勢羽夏生のしわざであった。
ドアを開けるべきか悩み、まずなまえはぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で整えた。しかしそんなことをしている間にノックの音が止んでしまい、慌ててドアを開く。
外にはいつもの景色が広がっているだけだった。勢羽はもう帰ってしまったのだろうか。そんなに時間は経っていないはずだから、いま叫んだら勢羽は戻ってくるかもしれない。だけど、そんなことをして何になる?
なまえは静かにドアを閉めてその場にしゃがみ込んだ。もう少し素直でいられたらよかった。わざわざ来てくれたのだからそう悪い結果にはならないだろうとわかっていたのに、一歩踏み出すことができなかったのだ。
グスッと鼻をすすったそのすぐ後ろで、ひとりでに鍵が締まる。侵入者はなまえのことをぎゅうと抱きしめてきた。
「変態……悪趣味……」
「その変態が好きなんだろーが」
「……」
しばらく無言でいたら、後ろまでがっちりと回されていた手が離れていく。カチッと音が鳴り、勢羽が姿をあらわした。こんなときだというのに、彼の右手に包帯が巻かれていたことに安心した。
なまえは勢羽の顔を見ないようにしていた。単に恥ずかしかったからだ。ところが勢羽はそれをなまえが怒っていると認識したらしい。
「いい加減、機嫌直せよ。医務室行って手当てしてもらえ」
「別に怒ってないし、血も止まってるし……」
「仕方ねえだろ。こっちも作戦だったんだよ」
「そうじゃなくて」
なまえは勢羽の上着を両手でぎゅっと握った。
「私……余計なことした? 邪魔だった?」
「は? なんで?」
「だって全部作戦だったんでしょ。私が出ていかなかったらもっとすんなり終わってたんじゃないの?」
「実際お前が怪我しただけじゃね。……それにお前がアイツの右肩撃ったおかげで勝てたのかもしんねーし」
「でもあの人、痛めつけられて本領発揮しそうなタイプじゃなかった?」
「……まあ」
「それに……、」
なまえはうつむいた。勢羽の上着をグイと引っ張って、頭を彼の胸に預ける。
「さっきから思わせぶりなことばっかりして、全然好きって言ってくれない」
「は……?」
「わ、私の勘違いなら今すぐ出ていってもらえると助かります」
そう言ってなまえはチラッと勢羽を見上げた。勢羽が出ていく様子はないが、なまえが望んだ言葉を言ってくれそうにもない。その代わりだとでも言うように、両手を顔に添えられキスをされる。今度はなまえも抵抗しなかった。
「ずるい……」
なまえが言うと、またすぐに唇を重ねられる。頭がぼーっとして、何も考えられなくなってしまいそうだった。
しばらくキスをしたあと、勢羽はなまえの肩に額を押し付けて言った。
「気絶させただけってわかってんのに、死んだんじゃねーかって気が気じゃなかった」
「……ごめん」
「いつも男ばっかの中で作業してるくせに、くそエスパーの前だと赤くなるし」
「あれはっ……ただの人見知りで……」
「ムカつく」
ベロッと首筋を舐められて、なまえは飛び退いた。勢いで頭を思い切りドアにぶつける。そういえばここは玄関だった。
「な、なにしてんの!」
「お前じっとしてろよ。傷開くだろ」
「だって勢羽が……」
そのとき、後頭部からツーッと何かが垂れてきた。手で触ってみると、そこには血がべっとりと付いている。
「うわ……」
「マジで早く医務室行け」
勢羽はさっそく透明スーツのスイッチを入れて、玄関の鍵を開けている。そのあまりの切り替えの早さになまえは不満を感じた。
勢羽がドアを開ける。ここでグズグズしていても仕方ないからなまえは大人しく従った。
寮の敷地を出ても勢羽は姿を見せなかった。本当にいるのか不安で辺りをキョロキョロ見回していたら「何やってんだよ」と声だけが聞こえる。
「いるかわかんなかったから……」
「あ~……自分でやってるとすぐ忘れんだよな~」
勢羽が透明スーツのスイッチをオフにする。見えないと不安だったくせに、今度はなぜか顔を見るのが恥ずかしくなってなまえは顔を背けた。
医務室に戻るとシンはいなくなっていた。しかし怪我人の列は先ほどよりも増えている。流れ作業のように次から次へと処置が行われ、人数のわりになまえの順番はすぐに回ってきた。
頭にぐるぐる巻かれた包帯は大げさだったけれど、他の生徒も大体そんな感じだったので特段目立つということもない。このあとそれぞれ寮に戻るのだとしたら、ちょっと寂しい気がした。
「……あ、超音波銃は?」
「あー……どうだっけな~」
「え、壊した? それとも失くした?」
「……壊された」
あくまで自分のせいではないという主張を感じる。勢羽が渡してきた銃は綺麗に真っ二つになっていて、修理でどうこうなるような状態ではなかった。
「どうせ改良しようと思ってたからいいけどさ」
「じゃあちょうどよかったな」
おのれ勢羽夏生。壊れた銃で脇腹をつつくと彼は棒読みで「痛てー」と言う。そして彼は足をピタリと止めた。
「部屋戻って安静にしとけ」
「……勢羽は?」
「俺はいろいろ散らかしたし、片付け」
「私もやる」
「じゃあ俺はやらねー」
「何それ」
少しでも一緒にいたいと思っていたのはどうやら自分だけだったようだ。なまえが勢羽の横を通り過ぎて資料庫へ行こうとすると、後ろから腕を掴まれる。これだけで心臓がドキッと跳ねるのだから、悔しくてたまらない。
「片付けは明日からでいいだろ」
「……勢羽が言ったんじゃん」
「安静にしとけって言ってんだよ。わかんねーの?」
「……だって、」
勢羽があまりにもあっさりとしているから不安になったのだ。キスも勢いだけでしたんじゃないかと悪いほうにばかり考えてしまう。
だけど、勢羽の言っていることは正しい。正しいとわかっているから反論できなかった。
「……何でもない。じゃあ明日、朝から資料庫に集合ね」
なまえはそれだけ言って、女子寮に戻った。
あくる日、朝の七時から資料庫へ行けば、勢羽とばったりと出くわした。ちょうど彼も今来たところのようだった。時間指定などしていないのに不思議だ。なまえとしては、いつも工房に行く時間帯に合わせただけだったのだが……いつもなまえより早い勢羽がそれに合わせてくれたということだろうか。
二人でぐちゃぐちゃになった資料を、捨てるものと保管するものに分けていく。
「……っていうか近くない?」
「気のせいじゃね?」
気のせいと言うには無理がある距離だ。勢羽はもはやなまえに寄りかかるようにして資料の山をかき分けている。けっこう重い。
「勢羽……っん!」
唇を塞がれて、なまえは顔を真っ赤にした。まさかこんなところでいきなりされるとは思っていなかったのだ。
キスが終われば、したり顔の勢羽が目に入る。
「いきなり何!」
「事前に言えって? じゃあ今からもう一回な」
「あ、待っ……
強引なくせ、勢羽のキスは優しかった。音もなく唇が触れ、そっと離れていく。それが何度か繰り返されて、なまえはぐったりと勢羽の胸に体重を預けた。
「もう、何なの……?」
「付き合ってんだから普通だろ」
「え、付き……?」
そのとき、勢羽の身体がピクッと揺れたのがわかった。怒らせてしまったのかと思ったけれど、
「なまえ」
珍しく名前を呼ぶ声色は、いつも通りのものだった。
名前を呼ばれただけで嬉しくなる。勢羽はずるいヤツだから、こういうのもきっと全部計算でやっているのだ。
「お前、付き合ってもねーやつとこういうことすんの?」
「……しないけど」
「じゃあそういうことだろ」
(……いつか絶対好きって言わせてみせる)
ああ憎き勢羽夏生。今日もヤツに振り回されながら、なまえは打倒・勢羽夏生を誓うのだった。