打倒・勢羽夏生06

 資料庫の中から叫び声が聞こえる。勢羽夏生の声だった。
 なまえが資料庫の入り口についたとき、勢羽はすでにぐったりとしていた。勢羽を踏みつける男が手を鳴らそうとしているのを見て、なまえはイヤホンの上からさらに両手で耳を塞いだ。
 男が勢いよく手を合わせると、勢羽がゆらりと立ち上がる。なまえは借りた銃を握り締めた。手が震えている。……けど、他に助けてくれる人はいない。
――パンッ!
 なまえの撃った弾は侵入者の右肩を貫通した。フフ、と男が不気味に笑い出す。なまえはもう一発撃とうとしたが、トリガーを引く前に銃は弾かれてしまった。
「いいね、最高の痛みだ」
 男がまた拍手する。しかし思った結果が得られなかったのか、首を傾げた。
「あれ、なんで効かないんだろ。……まあいっか」
 一瞬のうちにしてなまえは男に突き飛ばされてしまった。男の右手の中でイヤホンがぐしゃりと音を立てて潰れる。
「なーんだイヤホンしてただけか」
 資料の山の中からなまえが起き上がろうとしたところ、男の足がそれを阻む。頭を思い切り踏みつけられたなまえは、苦悶の表情を浮かべた。
「どう? 痛い? 君も痛みから解放されたい?」
「うるさい……勢羽を……みんなを元に戻せ!」
「あはは、彼は望んでこうなったんだよ! ねえ?」
 男がちらりと勢羽を見る。勢羽はナイフを片手になまえたちに近づいてきた。
「勢羽! 何やってんの正気に戻ってよ!」
「もしかして友達だった? それとも恋人? いいよそれなら君に殺らせてあげる」
 男はなまえを蹴って勢羽のほうへ転がした。勢羽はなまえの胸倉を掴み、無理やり起き上がらせる。
「勢羽……」
 なまえの目から涙がぽろりとこぼれ落ちた。助けに来たはずなのに、情けない。だけどよかった。この変質者に殺されるくらいなら、勢羽のほうがまだマシだ。
 本当はずっと尊敬していた。誰にも作れないようなものを作ってしまうところ。人一倍努力家なのにかっこつけてるから顔には出さないところ。武器科の人間なら誰でも知っていることだ。
 勢羽の実験に付き合わされるのも、嫌な顔ばかりしていたけれど心の中では楽しんでいた。だから勢羽がシンたちと楽しそうに実験をしているのを見て、嫉妬したのだ。多分、この気持ちは――
「す、き……」
 言った瞬間、勢羽の瞳が揺らいだ気がした。でもきっと、気のせいだ。
 勢羽がナイフを振り被る。スローモーションのように見えるその動作の中で、勢羽の手のひらとナイフの隙間に小さな白い球体をみつけた。
(あ、これ知ってる……)
 散々実験に付き合わされたせいで、勢羽の作った道具には詳しくなってしまった。これは何度も実験と改良を重ねた――電気爆弾だ。


***


 焦げ臭いにおいがする。近くにあった何かに顔を近づけてみたけれど、これじゃない。どうやら焦げ臭いのは自分自身のようだった。
 なんか温かくて息苦しい。まるで誰かに抱きしめられているみたいだ。
「ん……」
 なまえが目を開くと、まずぐちゃぐちゃになった資料庫が目に入った。
 何者かが抱擁を解いて、なまえを正面からじっと見つめる。
「……勢羽?」
 紛れもなく勢羽夏生だ。勢羽は無言でなまえに顔を近づけてきた。
「……やだっ! 変態! 悪趣味!」
 なまえが抵抗すると勢羽はポカンとした顔で固まった。しばらく呆然として、それから
「変態ってなんだよ」
 と言うのだ。今度はなまえが呆気にとられる番だった。
「え、正気なの?」
「……正気じゃなかったらなんだよ」
「さっきの催眠男は?」
「殺連に引き渡した」
「よかった……アイツの趣味かと思った」
「……まあ、ないとは言い切れねーのが癪だな」
「でしょ?」
「……」
「……」
 じゃあさっきのは何。キスしようとしてたんじゃないかと思ったけど、違ったら恥ずかしいから聞けない。別に正気だったならされてもよかったなんて、もっと恥ずかしいから言えない。
「立てるか?」
「え、うん……」
「医務室で怪我人の手当てしてるから診てもらおーぜ」
「……あ。」
 なまえは思い出したように自分の身体をペタペタと触った。おかしいな、どこも刺されていない。あのとき勢羽はナイフを持っていたから、どこかしら刺されているはずなのだが……。
 そんな不審な行動を取るなまえを前に勢羽は訝しむような視線を向けた。
「何してんだよ」
「いやなんか私……怪我してないかも?」
「頭から血ィ垂らして何言ってんだ?」
 言われて額を触ってみると、固まりかけた血がペリペリと剥がれ落ちてくる。これはあの男のせいで負った怪我で間違いない。
 腑に落ちないながらもなまえは立ち上がって医務室へ向かった。途中で足がもつれて転びそうになると、勢羽が逐一支えてくれた。どちらかというと、この勢羽の手のほうが痛々しい。
「ありがとう……」
「別に……転ばれたほうが迷惑なだけだ」
「……手、大丈夫なの?」
「今は使いもんになんねーけどそのうち治るだろ」
「そっか……」
 なまえは自分で思った以上に安心していた。勢羽の手が使い物にならなくなったら世界の損失だ。勢羽の手はこれからもっとすごいものを作るのだから、大事に至らなくて本当によかった。

 医務室では大勢の生徒が治療を受けていた。その中でシンがこちらに気づいて片手を上げる。
「セバ~無事でよかったな!」
「……」
 勢羽が無言で例のフードを被り、シンは眉を寄せる。なまえは話を逸らそうと、シンに話しかけた。
「えっと、侵入者は誰が捕まえたの?」
「俺とコイツと、今ここにはいねーけど周って奴がいて……セバがくせー演技しやがってよー」
「おい、やめろ」
 勢羽が話を遮ろうとしたが、シンは構わず話し続ける。
「お前って意外と演技派だよなー。ラボんときもそうだったし、さっきの操られた振りも……
「え……操られた振り……?」
 シンがなまえのほうを見る。心を読んだらしく、ヤバと顔を引きつらせた。
「お前話してなかったのかよ!」
「……うるせー。こっちにも色々あんだよ」
 勢羽とシンが言い合っているが、なまえの頭には何も入ってこなかった。勢羽が操られていた振りをしたのはおそらく作戦だ。そのおかげで侵入者を撃退することができた。……となれば、刺されていなかったのも納得だ。ギリギリのところで彼は電気爆弾を使ってなまえを気絶させ、殺したように見せかけたのだろう。
 別に勢羽に対して怒っているとか、そういうことは全くない。ただなまえが余計なことを口走ってしまったことが問題なのだ。
「……私、怪我も大したことないから寮に戻るね。二人ともお疲れ」
「おいちょっと待て」
 後ろで勢羽が何か言っていたが、なまえは無視して医務室を出た。
 不思議だ。ここに来るまでは足がふらついていたのに、今はまっすぐ走れている。頭の痛みも手足の痺れも全部なくなってしまったみたいだった。
 転んだところで誰も助けてくれないとわかっているからだとしたら、なんて現金な身体なのだろう。