傷になりたい01

 尾行なんてするのは初めてだった。人混みの中を見失わないよう必死に走って、いつの間にか日の光も当たらないような場所にいたのも気づかないほど夢中だった。
「僕に何か用?」
 行き止まりの通路の奥でぴたりと足を止めて振り返った男は驚いた様子もなく、にこにこと笑っていた。

「殺してほしい人がいるんです」
 言った瞬間、意識しないようにしていた恐怖を自覚する。この男は殺し屋だ。さっき人を三人殺していた。それで依頼が完了したとか報酬がどうとか電話で話していたから間違いない。
 ぶわっと鳥肌が立った。どんな目に合っても仕方ないという気持ちでいたが、身体はここへ来たことを多少なりとも後悔しているようだ。
「あー……さっきの見てたの? 依頼なら直接じゃなくて殺連経由でってことになってるんだよね~。電話番号教えようか? ……それよりQRコードのほうがいっか!」
 ずいと男がスマホを差し出してくる。そこには確かにQRコードが表示されていて、読み込めば殺連とやらの公式サイトにアクセスできるらしい。……信用してもいいのだろうか。
「あの……殺連って?」
「え、知らないの~?」
「……殺人連盟?」
「日本殺し屋連盟。まあとにかくアクセスしてみてよ」
 男は相変わらずにこにことしている。変なウイルスに感染しそうで怖いけど、なんとなくこの人を怒らせてはいけない気がしてコードを読み込んだ。表示されたページは内容に見合わず明るくポップなデザインだ。ご依頼はこちらから、とあったのでそこへ進んでみる。まずは期日や場所、ターゲットの情報を入力して見積もりを出さなければならないようだ。
「あれ、手が止まってるよ。どうしたの?」
 男がスマホを覗き込んでくる。私は思わず身を引いた。
「僕のこと怖い?」
「……いきなりだったから、びっくりして」
「ふーん。それよりさ、先進まないの?」
「……入力できるようなターゲットの情報がなくて」
「名前も住所も知らないってこと?」
「はい……」
「勤務場所とか」
「わからないです」
「よくそれで頼もうと思ったね~!」
 アハハと男が大笑いしている。なんだか惨めで泣きたくなってきた。だけどこの人の言っていることは正しい。どこにいるかもわからないような人を殺してほしいなんて、無茶な話なのだ。
 男はぴたりと笑うのをやめて、試すような目で私のことを見下ろしてくる。
「そういうのは高いよ」
「……できるんですか?」
「内容にもよるけど。でもきみがそこまで大金持ってるようには見えないな~」
「いくらですか?」
「いくら払えるの?」
「……二百万」
「それってきみの全財産?」
「ほぼ」
「やめときな」
 ポンと肩を叩かれる。男はまるで私に興味を失ったかのようにスタスタと歩き始めた。
「待ってください!」
 言ってもなお、彼は止まらない。
「お金が足りないなら貯めます。だからどのくらい必要なのかだけでも……」
「そこまでして殺してほしい相手って何?」
「……っ!?」
 瞬きの間に男が姿を消した。そして男の囁くような声はなぜか耳元から聞こえている。ぞわりと背中に悪寒が走った。
「こっちこっち」
 ツンと背中をつつかれる。怖すぎて泣いた。

「ほら、これ飲んで泣き止んで」
 男はその辺の自販機で買ったコーラを差し出してきた。もちろん炭酸が飲めるかなんて確認もなく。コーラは好きだけどなんだか腹が立った。私が受け取らずにいると、男はペットボトルを私の頬にピタッと押し当ててきた。
「嫌いだった?」
「……いいえ」
 結露のせいで顔が濡れる。これ以上顔をべちゃべちゃにしたくなかったので仕方なくコーラを受け取った。蓋を開けるとプシュッと音が鳴る。
「それできみが殺してほしい相手って誰?」
「……弟が殺されたんです」
「復讐ってこと?」
「はい」
 男と目を合わせるのが怖くて私はコーラを喉に流し込んだ。あやうくむせそうになってしまったけれど、間一髪だった。
「毒入りかもよ?」
「え」
 私の手から滑り落ちたペットボトルは男が見事にキャッチした。なんてね~と彼は笑っている。
「一見しっかりてるけど、抜けてるし怖がりで目が離せないタイプ?」
「なんですかそれ」
「なんとなくそう思っただけ~。きみはこっちの世界にこないほうがいいよ。普通の世界で普通に暮らして~……」
「家族が殺されるのが普通の暮らしだって言うんですか?」
「そうじゃないけど……」
 困ったように言う彼からは、不思議なことに優しさのようなものが感じられた。さっきからおちょくられてばかりいたから気づかなかったけど、この人はこの人なりに私のことを心配してくれているのかもしれない。……そんなの余計なお世話だ。
「呼び止めてすみません。あとは自分で殺連に問い合わせしてみます」
 話を切り上げて男に背中を向けると、今度は私のほうが呼び止められる。男の手のひらにはなぜか私の財布が乗っていた。
「落としてたよ」
 男は私のカバンを指差した。ファスナーがだらしなく開きっぱなしになっている。どう考えても怪しすぎたけど、言及するような度胸はなかった。
「……どうも」
 私はひったくるように財布を受け取り足早にその場を去った。一つ角を曲がって男の姿が見えなくなったところで財布の中身を確認する。なくなったものは特になさそうだ。ドキドキと心臓がうるさい。ずっと笑っていたけどなんだか怖い人だった。……けど、本当に自分でもおかしいと思っているけど、弟のことを思い出した。

「姉ちゃんは一見しっかりしてるけど、抜けてるし怖がりだし、なーんか目が離せないんだよなー」
 なによ、わかったふりして。思い出したら目の奥がツンと熱くなってきたので、かき消すように頭を振った。