傷になりたい02

 殺し屋の男と会ってから二日経った。それで私はどうしたかというと、普通に会社で働いている。あの男の話を信じるなら殺しを依頼するにはお金が到底足りないということだから、間違ってはいないと思う。だけど弟を置いて自分だけが日常に戻りつつあるような気がして罪悪感もあった。
 弟が殺されてまだ三カ月だ。だけど、三カ月も経っているのにと思うときもある。警察の捜査に全く進展がないように見えるのだ。
 もちろん私は一般人だから詳しい捜査の内容は教えてもらえない。でも最初からおかしかった。普通なら現場検証なんかがあるはずなのに、そこは一日も経たないうちに綺麗さっぱり片づけられてしまっていた。何もかも元通りになった現場の商業施設では、その日の夕方から営業が再開されていた。どう考えてもおかしいのに親は澄ました顔をして文句の一つも言わず、ただ私だけが泣きじゃくっていた。

「葬式もしないってどういうこと!?」
 あのときの父と母の面倒くさそうな顔は一生忘れられそうにない。遺体の損傷が激しいからというよくわからない理由で弟は私たちのもとに帰ってくることさえできなかった。だから葬式もできないってそんな馬鹿な話があってたまるか。だけど私がどんなにわめいても状況が変わることはなく、行き場のない感情がまだ私の中でくすぶり続けている。このことをきっかけに私は家を出た。もうあんな人たちと一緒に暮らしていけないと思ったからだ。

 警察には期待できない。それで次に思いついたのが殺し屋を雇うという方法だった。だけど闇雲にお金を貯めることが本当に正しい道なのかはわからない。
 殺連に見積もりをお願いしなかったのは、途方もない数字を提示されるのが怖かったからだ。もし一生かかっても払えないような金額だったとしたら、私はどうするつもりなのだろう。殺し屋の次は、もう何も思いつかない。

 仕事帰りにコンビニに寄ろうとしたら、周囲に立ち入り規制がかかっていた。遠目に見て店の中がぐちゃぐちゃになっているのがわかる。窓ガラスには血しぶきのようなものがべっとりとついていた。中で若い子たちがせっせと片付けをしている。また殺し屋か。最近よく見るなあ。殺し屋に依頼できるほどのお金をポンと出せるなんていったい何者なんだろう。そんなことを考えながら、私は次に近いコンビニへ向かうべくその場を後にしようとした。
(……あれ?)
 ふと沸きあがった違和感に私は足を止めた。そしてもう一度コンビニのほうを振り返る。こういうのはたまに見る光景だ。今まで何度か人が殺される場面に遭遇したことはあったし、しばらくすると決まってああいう若い子たちが後始末をしに来る。もう誰に聞いたのかも覚えていないけど、あれが殺し屋の仕業だというのは誰もがなんとなく知っていることだ。
 危ないなあと思ったことは何度かあった。目の前ギリギリをナイフが掠めたこともあったし、乗っていたバスの窓に人が飛んできてガラスが粉々になったこともあった。彼らはいつも危なっかしい。だけど私の身に危害が及ぶようなことは一度もなかった。
 彼らは私たちのすぐそばにいるけれど、決して交わることのないよう一線が引かれている。……引かれているはずだった。
 私は規制線をくぐり抜けてコンビニへ向かった。誰かが後ろから呼び止めてきたような気がしたけど、無視してガラスの破片を踏みつける。
「あの! 三カ月前に駅前のデパートで殺人があったんですけど! そのときのこと知ってる人――」
 言い終わる前に背後からから口元を覆われた。中で作業をしていた子たちが私……の後ろにいるであろう人のことを見上げて顔を青くしている。
 お腹の辺りに腕を回されてロクに身動きも取れない。なんとか首だけ後ろを向くと、あの殺し屋の男がにこにこと私のことを見下ろしていた。
「目が離せないって本当なんだね~」
「ん゛!」
「なに~?」
 口元を覆われているほうの手をバシバシと叩く。口からずらしてくれたのはいいけれど、今度は両手で抱き寄せてくるから鳥肌が立った。
「なんですか!?」
「今はここ立ち入り禁止だよ」
 そんなの承知でやっているとわかるだろうに。だけどそれを口にすれば、いざというときの言い訳ができなくなる。私がうつむいて黙っていたら、がっちりと固定されていた腕が離れていった。

 私は男について行く形で規制線の外に出た。未練がましくコンビニのほうを振り返ると、腕を強めの力で掴まれる。
「……もう入りませんよ」
「ほんと~? 確かめたいことがあったんじゃないの~?」
「わかってて邪魔したんですか?」
 私が言うと、男はちょっと悲しそうな顔をした。なんだか調子が狂う。
「……あのコンビニ、あなたがやったんですか?」
 男は首を振った。ではなぜここにいるのかと聞けば「偶然通りかかったから」ということらしい。
「でも殺し屋が関係してるのは間違いないんですよね」
「それ聞いてどうするの?」
「……それは、」
 私が本当に知りたいのは「弟の死」についてである。今まで考えもしなかったが、もしかしたら弟は殺し屋に殺されたんじゃないかと……それなら今までの妙な違和感が払拭できると気づいてしまったのだ。殺し屋が「仕事」をして警察に逮捕されたというのは聞いたことがない。そういう仕組みになってるのか、それとも単に放置されているのか、とにかく彼らは警察の手の届かないところにいるのだ。
「……弟も殺し屋に殺されたんじゃないかと思って」
「それで?」
「あそこで片付けしてる人たちに話を聞いたら何かわかるかも……」
「後先考えないね~」
 じゃあどうすればいいのか。それをこの人に聞いてもどうにもならないのはわかっている。せっかく手がかりが掴めそうだったところなのに……。
「あなたは中に入れるんですか?」
「僕? 僕は入れるんじゃないかな一応」
「話を聞いてきてくれませんか」
「……もし殺し屋に殺されたってわかったら納得できるの?」
「できません。ただ犯人を絞り込みたいだけです」
「んー……それって僕にメリットある?」
「逆に聞きますけど私に構って何かメリットあるんですか!?」
 今だって放っておいてくれたらよかったのに。確かに立ち入り禁止の場所に入った私が悪いけど、だからってこの人が止める理由はないはずだ。なんで邪魔するの。
「じゃあ僕と一日デートしてくれる?」
「……はい?」
「きみが僕とデートしてくれたらあの子たちから話を聞いてきてあげてもいいよ」
「お願いします」
「え、即答」
 自分で言い出したくせに戸惑っているようだ。私が断るとでも思っていたのだろうか。断るわけがない。むしろ私にもできそうな条件でほっとしているくらいだ。
 男は私に含みのある視線を向けた。
「デートって遊んだり食事したりするだけじゃないかもよ?」
「いいですよ別に」
「……本当にわかってる?」
「私に嫌って言わせたいんですね」
「そういうわけじゃないんだけどな~」
 男は少し考えるような素振りをしてスマホを取り出した。「いつにする?」どうやら話は決まったらしい。
「私はいつでも」
「でも仕事あるでしょ?」
「一日って丸一日ですか」
「そうだよ~。次の土曜日は空いてる?」
「……はい」
 じゃあ楽しみにしてるね、と男はコンビニの反対方向にむかって歩き始めた。おい、ちょっと待て。
 男のロングコートを掴んで思い切り引っ張る。彼はわざとらしく倒れそうになっていたけど無視してやった。
「話を聞いてきてくれるんじゃなかったんですか?」
「って思ったんだけどさ~、多分あの子らより僕のほうが詳しいから聞かなくても大丈夫かな~」
「……はあ?」
 つまりこの男は事件のことを何か知っていると? それで今まで知らんふりをしていたと?
「馬鹿にしてます?」
「してないよ」
 そうしてまた、ちょっと悲しそうに眉を下げるのだ。演技なのか本気なのかわからないからやりづらい。私が言葉を探しているうちに男は去ってしまった。
 家に帰ってしばらくして、待ち合わせもしていないどころか連絡先も交換していなかったことに気づく。本気じゃなかったんだ。裏切られたような気分だった。私は部屋着のままサンダルで外へ出てコンビニに向かった。だけどとっくに片づけは終わっていたらしく、規制線もなくなり営業が再開されていた。やっぱりあのときと似ている。気づいたところで私に成すすべはなかった。