傷になりたい10
私はさっきの南雲さんの反応で満足しかけていたから、がっくりしている彼を見てチクリと胸が痛んだ。もう充分伝わったと早めに言ってあげるべきだったのかもしれない。だけど欲が沸いた。今から南雲さんが何を言うのか、聞かなければもったいないと思ってしまったのだ。
「さっきは僕が鈍いのかもって思ったけど、絶対きみだよ。なんで伝わってないのか全然わかんない。好きでもない子にここまでするわけないじゃん愛だよ愛。このケーキだってさあ、きみを喜ばせたくて買ってきたの!」
南雲さんは早口で言った。あの袋の中の正体はケーキだったらしい。
「シャインマスカットのタルトだよ?」
「シャインマスカット……」
「あ、シャインマスカットの口になったでしょ。も~……」
南雲さんはじとりと薄目で「食べていいよ」と言った。これも愛ってやつなんだろうか。
皿とフォークを二人分用意して、ケーキの箱を開ける。やけに大きいなと思ったらホールだった。だから、なんでなの……。私は追加で包丁を持ってきた。
「私のこと人質って言ったじゃないですか」
そろりと包丁を入れながら、タルトにむかって話しかける。さっそく切れ目からマスカットが崩れ落ちてしまった。もしかしたら南雲さんのほうが切るのは上手なんじゃないだろうか。普段から物騒なもの扱ってるし。ざっくり半分に切ったところで包丁を南雲さんにパスする。
「言ったけど違うじゃんあれは……。確かに僕はきみたち姉弟のこと利用してはいるけど、きみに会う口実だってほしかったわけ!」
南雲さんもタルトにむかって話しかけていた。やっぱり私よりきれいに切れている。それなのに途中で私に包丁を返そうとしてくるから丁重にお断りした。
不満そうな顔をしながらも、南雲さんはタルトをきっちり六ピースに切り分けてくれた。最初に私が切ろうとさえしなければ完璧だったのに。一切れずつ皿にのせて、残りを冷蔵庫に入れる。
テーブルの前では南雲さんがム、と口を結んで待っていた。再び隣に座れば視線の気になること気になること。目を合わせずにはいられなかった。
「伝わった?」
「……はい」
「別れないよね?」
「……はい」
「よかったぁ~」
ただのフォークも南雲さんが持つと小さく見える。一口サイズに切られたタルトは、フォークに刺さった状態で私に差し出された。
「はい、どうぞ~」
「……同じもの食べてるのに」
「最初の一口が一番おいしいの~」
恥ずかしいから南雲さんの顔を見ないようにしながら口を開けた。味がどうとか考える余裕がない。
南雲さんは私に一口食べさせたあと、フォークを置いてじっと私のほうを見てきた。これは期待されている。この人ほんとに私のこと好きなんだ。今さらそんなことを考えたら急に恥ずかしくなって、顔がカーッと熱くなる。
「赤くなっちゃって、かわいいんだ~」
「……これはお酒で」
「そういえばそうだったね」
南雲さんはとうとう「あ」と口を開けた。大きめに切ったタルトを口まで持っていったのは、ちょっとしたいじわるのつもりだった。だけど南雲さんはものともせず口の中に収めてしまう。
「おいしいね」
「はい。すごくおいしいです」
タルトに緑茶は違う気がしたが、冷蔵庫のペットボトルにはそれしかなかったため仕方なくあるものを飲んだ。食べ終わったあとの食器を片づけていたら、頭の上に南雲さんの顎が乗せられる。私はすぐに皿を置いた。落として割ってしまいそうだったからだ。
「一つ言っておくけど」
「……?」
「もし僕たちが喧嘩別れすることになっても、弟くんのことは悪いようにはしないから。もう少し時間はかかるけど、全部終わったらいつでも会えるようにしようと思ってる」
私が何も言えずにいると、南雲さんは慌てた様子で付け加えた。
「あ、もちろん喧嘩別れなんてするつもりないよ? 僕が言いたかったのは付き合ってるのはあくまでも対等な立場でって意味で~……」
違うの、嬉しいの。なんて言ったらこの気持ちが伝わるかわからなくて、
「好き」
これだけしか言えなかった。
「……うん、僕も好きだよ」
「ありがとう……!」
感極まった私は南雲さんにぎゅっと抱き着いた。そのときの南雲さんが背中に回してくれた手は、いつもよりぎこちなかった気がする。触れてはいるけどちょっと距離があるような、ふわふわした感じだ。
南雲さんに体重を預けたまま、つま先立ちして目を閉じる。身長差があるから私からは届かない。さっきまで恋人らしい振る舞いを避けていた私はもうどこにもいなかった。
やさしく頬を撫でられた。髪をぐちゃぐちゃにされた。また涙が出てきた。南雲さんは眉を下げて「なんでそんなにかわいいの」と言った。
「お願いだから、これ以上僕のこと振り回さないでよ」