ゴロツキ時代のボスの娘に再会する06

 神々廻が今日の昼ごろ帰ってくると聞いて、なまえは朝からソワソワしていた。どんな顔をして会えばいいのだろう。出発のときは普通に話せたから、その感じでいきたい。振られたことを忘れられたら楽だけど、すぐに切り替えることはできそうになかった。とにかく今は嫌われたくないし、迷惑もかけたくない。
 散らかしていた服やお菓子を片付け、ふうと息をつく。コンコンとドアがノックされて、なまえは背筋を伸ばした。
 しかし護衛の人(と言うのも恥ずかしいけど本人がそう言っている)が招き入れたのは、神々廻ではなく黒髪の男だった。
「こんにちは~」
「……こんにちは」
 男は南雲と名乗った。彼は神々廻の友達で、今回一緒に京都に行っていたそうだ。……つまりは仲のいい同僚ということだろうか。
「僕のことわかる?」
「……え、いや?」
「君ってば神々廻しか見てなかったんだね~。『ずっと好きだったのに』って言ってたとき、実は僕もいたんだよ~」
「……」
 最悪だ。この人、どう見ても面白がっている。あのときは必死で、神々廻に連れがいることなんて気づいていなかった。嫌だっただろうな、職場の人にあんな場面見られるの。思い返せば思い返すほど、神々廻の嫌がるようなことしかしていない。
「神々廻はちょっと怪我しちゃってね、病院行くから遅くなるって」
「大丈夫なんですか?」
「うん。指が二本なくなっただけだから大丈夫だよ」
「……え」
 それは大丈夫と言えるのだろうか。彼があまりにもあっけらかんと言うから、一瞬流してしまいそうだった。なんでそんな危ない仕事してるの。自分には口出しする資格もないかもしれないけど。
「君が落ち込むことないって。それより神々廻に頼まれたんだけどさあ」
 南雲はにこりと笑って言った。
「デートしようか」
「……はい?」

 要はストーカーを挑発しておびき出そうという話だった。言い方が紛らわしい。
「ちょっと強引かもしれないけど、あんまり時間かけてられないしね」
「……わかりました」
 そもそもなまえは彼らの提案を断れるような立場になかった。ずっと護衛についてもらうのも申し訳ないし、家にだって帰りたい。でも……。
(帰ったら私、ひとりだ……)
 なまえには、もう家族と呼べる人も友達もいなかった。会社には入れずフリーランスでやっているから、ずっと家に引きこもって仕事をする未来しか想像できない。四ツ村という人にはあれからメールを何通か送ってみたけど、いつ確認しても返事は来ていなかった。
「それじゃ行こっか」
「……え、誰」
 彼はなぜか全く違う顔になっていた。
 南雲によると「自分でも勝てそう」と思わせることが大事らしい。それで弱くて冴えない男になりきっているそうだ。というか顔だけじゃなくて体型も変わっている気がするが、どういう方法で変装しているのかは教えてくれなかった。

 まずはなまえの自宅付近をうろついてみようということになり、護衛の人に車で近くまで送ってもらう。よく通る道を二人でぐるりと一周してみた。
「何も起こらないねー」
「すみません」
「別に責めてないって。じゃあ今度は一人で歩いてもらっていいかな。危なくなったら助けに来るから」
「あ、それなら家に帰ってみてもいいですか? 鍵は持って来てるので」
「いいよ~」
 そう言った男は目の前にいたはずなのに、気づけばなまえの周りには誰もいなくなっていた。近くにいてくれているのだろうとは思うが、周囲を見渡してもどこに隠れているのか全く分からない。殺し屋に狙われたらもうどうすることもできないんだろうな、と変なところで実感してしまった。

(……あ)
 自宅マンションのすぐそばまで行くと、そこには神々廻が立っていた。どうしてこんなところに。病院に行ったんじゃなかったの?
 神々廻は目が合うとこちらのほうに向かってきた。
「何も収穫なしか」
「あ、うん……」
 びっくりした。上手く説明できないけど、いつもより素っ気ない気がする。口調が違うというより、言葉がツンとしているというか。やっぱり気まずいのかな。
「怪我、大丈夫だった?」
「大したことあらへん」
 本当に何ともないような顔で言った神々廻の左手には包帯が巻かれていた。そして包帯越しでも薬と小指がないことがわかる。だけど神々廻の態度を見る限り、あまり触れられたくないのかもしれない。
(やっぱり落ち込むよね……)
 それならこの態度にも納得がいく。本来であれば他人に気遣う余裕などないはずなのに、仕事に駆り出されて。ここにいたのも調査の一環なのだろう。
「ちゅうかお前、似てへん。何やねんそのマヌケ面」
(え?)
 お前? 似てない? マヌケ面? 何一つわからない。
「……似てない?」
「まあほぼ面識ないし、しゃーないか」
「何の話してるの?」
「そういうボケいらんて」
「ぼ……ボケてへんわ!」
「はあ?」
 ゴミムシを見るような目だった。言うの恥ずかしかったのに。
 もうどうしていいのかわからない。待たせている南雲のこともある。こうなったら早いとこ用事を済ませてしまおうじゃないか。
「郵便受け確認してきます」
 そう言って神々廻の横を通り抜けようとしたときのことだった。脇の下に何かが差し込まれ、グイと上に勢いよく引っ張られる。重力に逆らえなかった頭がガクンと落ちて、顎で自分の鎖骨を突いてしまった。
(と、飛んでる!?)
 ありえない高さから神々廻のことを見下ろしている。そして神々廻の前、というかもともと自分が居たであろう場所には誰か一人、男が倒れている。
「神々廻じゃなくてごめんね~」
「え、南雲さん?」
 脇の下に差し込まれたのは彼の腕だったようだ。
「よっと」
 南雲は近くの屋根に着地した。なまえもそっと屋根に足をつける。南雲の手が離れそうになって、思わず彼の服の裾を掴んでしまった。
「あ、高いとこ苦手だった?」
「いや、苦手というか……」
 こんなの誰だって怖いに決まっている。せめて平らな場所だったらよかったのに、立っているのは斜面のつるりとした瓦の上なのだ。
「あ、見て見て神々廻がこっち睨んでるよ~」
「……もう何が何だか」
「神々廻はね~、僕が君に変装してると思ってたみたい」
「できるんですか?」
「できるよ?」
 そう言って彼はパッとなまえの姿に変装した。間近で見る自分の顔に驚いて、なまえは足を滑らせてしまう。
「ぎゃっ」
「もー、危ないなー」
 今度こそ落ちるかとヒヤヒヤしたのに、いつの間にか元の顔に戻った南雲は平然となまえの腕を掴んでいる。
 言いたいことはたくさんあった。しかし何から言ったらいいのか。まずこの状況で真っ先に思ったのは、
「私に変装できるなら最初からそうしてればよかったんじゃ……」
「あれ? 確かに」
 本気で思いつかなかったのか、それともとぼけているのか。にこにこした彼の顔を見ていると毒気を抜かれてしまう。
「それで、あの倒れてる人は?」
「よくわかんないけど、君に襲い掛かろうとしてたみたいだね。神々廻が気絶させたんじゃない?」
「……神々廻さんがこっちを睨んでる理由は?」
「それは本人に聞いてみないと」
「っわ!」
 南雲はなまえを抱えてぴょんと屋根から飛び降りた。落ちるほうが何倍も怖いのだと、どうでもいい知識がついてしまった。

 着地するなり神々廻がつかつかと歩いてきて、南雲めがけてブンと金槌を振るう。しかし南雲はひょいと上体を逸らして避けた。
「なに一人で歩かせとんねん!」
「だからちゃんと見張ってたじゃん」
「お前が変装すりゃよかった話やないか!」
 こんなに声を荒げている神々廻を見たのは初めてだった。とても口出しできるような雰囲気ではない。なまえは静かに事の成り行きを見守ることしかできなかった。
「それさっきこの子にも言われたけど、思いつかなかったな~。その前は恋人の振りして歩いてたんだけどね~」
「……お前、わざとやろ」
「神々廻も勘違いして気まずいのはわかるけどさ~、ちゃんと謝ったほうがいいんじゃない?」
 ここでようやく神々廻の目がなまえに向けられる。彼は気まずそうに視線をチラチラさせ、青白い顔をしてこう言った。
「殺してくれ」