ゴロツキ時代のボスの娘に再会する07
(……殺してくれ!?)
今まで生きてきて一度も言われたことのない言葉だ。どうしていいかわからずポカンと神々廻のことを見つめていたら、南雲の笑い声が沈黙を破った。彼は気絶していた男を担ぎ上げて「取り調べは僕がやっとくね~」と、ひらひら手を振る。なまえは南雲に会釈をしたけど、神々廻はぴくりとも動かない。
南雲の姿が見えなくなり、なまえは口を開いた。
「似てないって言われた。本人なのに」
「……悪かった」
「マヌケ面って言った」
「マヌケは俺や」
「ノリで言っちゃったけど、実は全然怒ってない」
「……」
「あ、郵便受け見てきていいかな?」
「……ええよ」
オートロックを開けてマンションのエントランスに入ると、後ろから神々廻が静かについてきた。なんだかボディガードみたいだ。というか、実際ボディガードなのかもしれない。しょんぼりしている神々廻はかわいいけど、そんなに気にしなくてもいいのにと思う。
郵便受けを開くと、中には広告がたくさん詰められていた。数日放置しただけでこれだから嫌になる。全部まとめてゴミ箱に突っ込んでしまいたいところだが、前にこれで郵便局からの不在票を捨ててしまったという苦い思い出がある。宅配ピザ、スーパーのお買い得品、水回りの修理、なまえは一つずつ確認しながら不要なものを神々廻に預けていった。
「なんで似てないって思ったの?」
「……いや、別に」
神々廻は素直に広告を受け取ってくれている。今ならなんでも言ったら聞いてくれそうだ。でも、下手なことを言って嫌われたくない。
「南雲さんと仲いいんだね」
面倒だとは思われたくないけど、何か話していたかった。それで絞り出した話題がこれだ。当たり障りのない話ができるだろうと踏んでのことだったが、神々廻は心底嫌そうな顔をしている。
「なんでそうなんねん」
「私のこと南雲さんだと勘違いしてたでしょ。そのときの話し方が素っ気なくてびっくりして、でもそれが仲いい証拠なのかなって」
「ただの同僚や」
「南雲さんは友達って言ってたけど」
「アイツの言うこといちいち真に受けんでええて」
広告が最後の一枚になった。結局大したものは入っておらず、神々廻に預けていたものをまとめて返してもらう。
「これ部屋に置いてきていい?」
「ん」
「……このまま帰ったほうがよかったりする?」
「いや、まださっきの男が何やったのかもわかってへん」
「取り調べってどのくらいかかるのかな」
「早いときは早いんやけど……まあ、相手によるわ」
「ふうん」
エレベーターのドアが開くと、やはり当然のように神々廻も同乗してきた。神々廻は確認もせず三階のボタンを押して、それがちょっと嬉しかった。
チラシを置きに来ただけのはずだったが、家に入ると水回りや冷蔵庫が気になってしまう。
「ちょっと待っててもらっていい?」
なまえはバタバタと家に上がり、まずはトイレの水を流した。そして次に冷蔵庫の中身をできる限り冷凍庫に移していく。ただどうしても限界はあった。
「神々廻さんヨーグルト食べない? 賞味期限今日まで!」
「自分で食べりゃええやろ」
「三つもある」
「えー……ほなもらうわ」
「アロエでいい?」
「なんでもええよ」
なまえは神々廻の向かいに座って、アロエとブルーベリーの二つを食べた。たかがヨーグルトだ。本当は一人で三個、余裕で食べられる。ヨーグルトを食べていた時間は五分にも満たなかった。我ながら、悪あがきだなあと思う。
ゴミをまとめて、ついでに買い置きのお菓子をバッグに入れて、今度こそホテルへ戻ることにした。神々廻は先に玄関で靴を履いて待ってくれている。
「ごめんなさい、お待たせしました!」
急ぎ過ぎたあまり、せっかくまとめておいた広告の山を蹴飛ばしてしまう。縛るまではしていなかったから、広告が床一面に散らばってしまった。
「何してんねん」
そう言う神々廻はいつもの調子に戻っているように思えた。二人で広告をかき集めていると、いかがわしいお店のチラシが見えてぴたりと手が止まる。さっきはこんなのが紛れているなんて全然気づかなかった。
今どきこんな広告が入ってることあるんだなあと妙に感心した。別に自分だけなら何も気にせず捨てるが、神々廻がいるのが気まずい。別のチラシを上から重ねて見なかったことにしようとすると、神々廻がその広告をサッと抜き取る。
「え?」
「……」
これは気を使われたということでいいのだろうか。きゃーとかわーとか反応するべきだったんだろうか。照れもしないってかわいくなかったかも。なんて考えていたけど、すぐにそれが見当違いだったことに気づく。
「それも一緒に捨てるよ?」
神々廻は何も言わない。そして例の広告を背中に隠したまま動こうともしない。そしてなまえの目を見ようともしなかった。
「……もしかして気に入った子いた?」
「なんでそうなんねん。……いや、嘘……あとで電話してみようか思ってん」
「嘘下手すぎじゃない?」
「ええやろもう何でも」
神々廻の背中のほうからくしゃりと音がする。
「……電話しないよね?」
「関係あらへん」
「わ、わたしなら……」
言いかけて、なまえは口を結んだ。私なら、何だろう。お金を払わなくてもいいとか、神々廻のことが好きだとか、言えそうなことはいろいろあった。ただ、そのどれを言っても神々廻がいい顔をしないこともわかっている。
しばらく沈黙が続いた。神々廻は嘘をついていると思うけど、絶対とは言い切れない。風俗を利用しようとしているならショックだけど、なまえにそれをとやかく言う権利もなかった。
神々廻がフーとため息をつく。
「……さっき南雲から連絡あって、さっきの男がこのチラシの店の経営しとったらしいねん」
「……本当?」
神々廻はスマホを見せてきた。そこには店名らしきものが書いてあって、たまたま同じ店の広告を見つけた神々廻がそれを手に取ってしまったという流れだそうだ。
「普通に言えばいいのに」
「こんなん見せつけるほうがおかしいやろ」
だからって店を利用する振りまでする必要はあっただろうか。神々廻も咄嗟のことで慌てていたのかもしれないけど、まだ隠していることがあるんじゃないかと疑ってしまう。
神々廻がスマホを引っ込めようとすると、ちょうど通知が来た。
神々廻はすぐにスマホの画面を消したけど、チラッと見えてしまった。
『なまえちゃんを脅して働かせようとしてたみたい』
おそらくこれは南雲からのメッセージだろう。なまえは神々廻の目を見て、だけどすぐに逸らした。あの壊滅的に下手な嘘はこのためだったのかもしれない。神々廻の気遣いを無駄にしないためにも、今度は自分が見てない振りをするべきだろうか。
まだきちんと状況が理解できないせいか、恐怖よりも困惑のほうが大きかった。だけどこれ以上詳しい話を聞きたいかと言われると、勇気が出ない。
神々廻が舌打ちをして、びくりと肩が震えた。神々廻は目を見開いてこちらを見たあと、すぐに謝ってきた。
「だ……いじょうぶ」
その舌打ちがなまえに向けられたものではないとわかってはいたのだ。けど、怖かった。気づいたら苦しくなっていて、息を吸い込みすぎてむせてしまう。
「げほっ、げほっ」
神々廻が背中をさすってくれるから甘えたくなった。だけどできないから背中を丸めて耐える。息を整えて立ち上がろうとすると、腕を引かれた。
「無理せんでええ」
「……っ」
何か言わなければと思うけど、甘えてしまった。しばらく背中を丸くしていたら、隣で神々廻のスマホが鳴る。
「……誘拐依頼もストーカーもあいつの仕業やったって」
「うん」
「あのチラシ入れたんもそうやって」
「……うん」
「ほんでまあ……一応、もう帰ってええっちゅうことになったみたいや」
「わかりました」
「荷物持って来てもらおか? 自分で取り行く?」
「……えっと、じゃあ持って来てもらっていいですか? カバンと、机の上にパソコンと充電器があるので」
「わかった」
神々廻は頷くと、電話を掛け始めた。多分、相手はあの護衛の人だと思う。
本当は自分で取りに行きたかった。でもそうしたらきっと神々廻がホテルまでついてきてくれて、自宅まで送ってくれて、余計に迷惑を掛けるんじゃないかと思った。神々廻は忙しいだろうし、指のこともあるし、あんまり手間をかけさせたくない。
電話を切った神々廻が出ていく様子もなかったので、なまえはおずおずと切り出した。
「あの、あとは一人で大丈夫なんで……」
「別にええよ、すぐ来るやろ」
(そんなこと言われたら甘えたくなっちゃうってわかんないかな)
言ったら神々廻は出て行ってくれるだろうか。でも神々廻がいいって言ってくれてるんだから、まだ一緒にいたい。ぐるぐる考えていたら、神々廻のスマホが鳴る。実際は十分くらい待っていたと思うけど、なまえにしてみればあっと言う間だった。
「着いたって。なまえちゃんはここで待っとき」
荷物を受け取った神々廻はすぐに部屋まで戻ってきた。もうこれで神々廻に会うのは最後なのかもしれない。何か気の利いたことを言えたらよかったのに、なまえは黙っているばかりだった。
神々廻は荷物を玄関に置いて、その手で顎を掻いた。チラチラと部屋の壁や床を見て、何か言いたいことがあるのかもしれない。用が済んだらさっさと出て行くものだと思っていたからびっくりした。
「どうしたの?」
「いや……」
「……色々ありがとう」
「別に俺は仕事しただけやし」
「迷惑かけてごめんなさい」
「いや違……迷惑はその、言い過ぎた」
「いいよ。はっきり言ってもらえたほうが……ほら、諦めつくし」
「……ほな」
「お仕事、無理しないでね」
「なまえちゃんも元気でな」
静かに玄関のドアが閉まる。なまえはその場に座り込んだ。
「さみしい」
(南雲さん、取り調べ早すぎでしょ)
別にホテルに泊まるのは嫌じゃなかった。ずっと神々廻と一緒にいられるわけじゃないけど、一人ではなかったし。ただ元の生活に戻っただけだと何度も自分に言い聞かせた。でも、
(お父さん、もういないんだ)
四ツ村からのメールを開いて、とっさに返信ボタンを押してしまった。もう返事がこないとわかっているからこそ、本音を言うことができる。
さみしいとか会いたいとか、好き放題書いてやった。送信するのに躊躇もなかった。
書き散らした感情を手放して、床に寝転ぶ。明日、元気になったら掃除機をかけよう。ゴミ出しして、買い物に行って、高い入浴剤を使おう。……今はまだ、何もしたくない。
――ピンポーン
一体誰だ。通販した記憶もないし、何かの勧誘だろうか。なまえは寝そべったままピタリとも動かなかった。
目を瞑っていたら、またインターフォンが鳴らされる。無視していたらさらにもう一度。
それでも無視を決め込んでいたら、音が止んだ。諦めたのだろうか。そろそろ起き上がろうかと思っていたら、ドアの向こうから「なまえちゃん」と呼ばれる。
勢いよく立ち上がったせいで転びそうになってしまった。なりふり構わずドアの覗き穴に張り付き、神々廻の姿を確認する。
ドアを開けると神々廻は気まずそうな顔をした。
「どうしたの?」
「あー……忘れもん」
「え、全然気づかなかった。入っていいよ」
「そうやなくて」
「?」
「…………連絡先、聞いてへんかった」
「え」
「……」
どうしてと聞くより前にスマホを差し出した。神々廻の気が変わらないうちに事を済ませてしまおうと思ったのだ。そんなの断って早く神々廻のことを忘れたほうがいいとか、色々建前はあったけど……無理だ。神々廻にそんなこと言われて断るほうが無理。仕事の報告のために必要とか、そういう理由だって別にいい。あまりの必死さが伝わってしまったのか、神々廻は困ったように笑っていた。
「なんか困ったことあったら連絡し」
「いいの?」
「ええよ。あと……京都土産、いるなら今度持ってくる」
「ほしい!」
「……そんな大したもんやないけど」
「なんでもいい!」
「なんやそれ」
神々廻の大きな手がゆっくりと近づいてくる。じっとそれを眺めていたら、神々廻は手を引っ込めてしまった。……撫でるとか、頭を触られるとか、そんな感じの動きだった。当の神々廻は眉間に深い皺を寄せて自分の手のひらを睨んで、さらにはため息までついているけど。
(期待しちゃってもいいのかな)
ドキドキする一方で、せめて向こうから何か言ってくれないと、という気持ちもある。だってあんなこと言われちゃったんだから、自分からはなかなか行けない。期待を込めてじっと神々廻の目を見上げると、フイと目を逸らされた。
「……ほなまた」
(『また』って言われた!)
「うん、またね」
ドアが閉まっても、さっきみたいに悲しい気持ちにならない。むしろウキウキしていた。
なまえはその場で立ったまま四ツ村へメールを打った。四ツ村も神々廻のことを知っているのだから、話題としてはちょうどいいだろう。そのうち気になって返事してくれたらいいなあなんて思いながら、神々廻の好きなところを書いていく。
ひとしきり書いたら、掃除がしたくなった。まだ時間はあるし、買い物も行けるかも。さっきまでの無気力が嘘みたいだ。
やることやったら次は脳内作戦会議。お土産というくらいだから、近いうちに神々廻は来るだろう。まずはそれまでに可愛い部屋着を買わないと!