ゴロツキ時代のボスの娘に再会する10
「借りてきた猫やないんやから」
(だって!)
神々廻がシャワーを浴びているあいだ、なまえは部屋の隅でじっと正座をしていた。男の人の家に上がるのなんて初めてなんだから仕方ない。それで戻ってきた神々廻に「一ミリも動いとらん」と笑われたのだ。
神々廻の家は物が少なく片付いていた。そういうところも好き。これがもう少し前だったらもっと自然に振舞えてたかもしれない。だけど今はもう無理。だって神々廻からも少なからず好意を感じるのだ。何かあるんじゃないかと期待してしまうのは誰だってそうだろう。
「こっちおいで」
「!」
神々廻はいつものスーツと違ってラフな格好をしていた。ゆったりとした柄シャツにズボン。開けた首元を晒してそんなこと言って、目にも耳にも毒だ。なんでTシャツとパーカーなんかで来てしまったんだろう。これじゃ戦闘力が低すぎる。
おずおず立ち上がると視界がぐらりと揺れた。
(あ……やば)
足が痺れている。普通だったら曲がらないような方向に足首が曲がっていた。
「あーもう危なっかしいな」
絶対転ぶと思っていたのに、神々廻が抱きとめてくれていた。ふわりと石鹸のいい香りがする。殺す気か。
足に力が入らなくて、抱きしめられたままズルズルと座り込む。足の痛みより触れられている部分のほうが熱い気がした。
「……キスしたい」
「なんでそうなるん」
「いい雰囲気だった」
「否定はせんけど」
「いつになったら付き合ってくれるの?」
神々廻はわかりやすく眉を寄せた。
「ただ親切で家まで連れてきてくれたわけじゃないよね?」
「そらまあ……」
「じゃあ、」
言っている途中で後頭部に手を添えられ、引き寄せられる。キスってこんな感じでするんだと思いながら目を閉じた。
やわらかいものが唇に触れて、すぐに離れる。一瞬だったなと思っていたら、次は舐められた。
どうしたらいいのか戸惑っていると、今度こそ神々廻は離れて行った。頭に添えられた手が肩まで下りて、ようやくなまえは目を開ける。
「な……」
キスの余韻がどこか飛んで行ってしまうほどの衝撃だった。
「なにその『やってしもたー』みたいな顔!」
とてもキスの後に見せるような顔ではない……と思う。目も合わせてくれないし、口は漢字の「一」みたいに一直線だし、眉間には皺が寄っている。せめてこれで顔や耳が赤くなっていたりしたら可愛げがあるものだが、むしろ血色は悪く見えた。
「地顔や」
「しなきゃよかったとか思ってる?」
「……若干」
「大部分はしてよかったってことでいい!?」
「ラーメン行こか」
「ちょっと!」
「足、痛ない?」
「え……ああ、そういえば」
あらぬ方向に曲がったはずの足の痛みはいつの間にか引いていた。……かと思えば、神々廻の指がそこに触れて息が止まる。靴下を履いていてよかった。
(……あれ?)
なくなっていたはずの指がある。あるというか、黒い……義指のようだ。言及しないほうがいいかと視線をずらしたけど、神々廻は気にしていないようだった。
「ようできとるやろ」
「あ、うん」
「立てるか?」
「うん」
立ち上がるとき、神々廻は手を貸してくれた。握られた手をじっと見ていたら、親指ですりすりと指先を撫でられる。
「……なんでそういうことするの」
「嫌なん?」
「嫌じゃないけど、ラーメン行きたくなくなる」
「そら困るなあ」
フッと笑った神々廻は手を離して背を向けた。そのまま玄関のほうに歩いて行こうとするので、なまえも後を追う。家を出るのが少し惜しかった。
「また来てもいい?」
「ええよ」
「うちにも来てくれる?」
「ん」
「今日、泊まってもいい?」
「あー……」
だめとは言われなかったけど、いいとも言ってくれなかった。よく考えずに言ってしまったけど、考えてみたらかなり大胆な発言だった気もする。
「今、えっちなこと考えた?」
「……考えた」
神々廻は気まずそうな表情をしていた。まさかこんな風に言われると思っていなかったので、一瞬固まってしまう。
「え……あ、いいよ! っていうか私もしたい!」
「勢いだけで言うてるやん」
「そんなことないっ」
「ならラーメン食べて、気が変わらんかったらおいで」
ガチャンと鍵の閉まる音がして、急に冷静になる。えっと、今からラーメン食べて、それで……?
どうしよう、こんなんじゃ絶対ラーメンの味なんてわかりっこない。
「……うん」
自分でもびっくりするくらい小さな声しか出なかった。
多分、かなりソワソワしていたんだと思う。もちろんラーメンの味はしなかったし、食べ終わったあとも神々廻に「ほんまに大丈夫か?」って聞かれたし。
「緊張してるだけだから」
「そーか」
「優しくしてもらえたら嬉しいです」
「……そういうのは家帰ってからにしてくれ」
「……ごめん」
「あーもう」
手を握られた。それはもうがっちりと。
神々廻は大股でズカズカと歩き、なまえもそれに引っ張られる。しかし途中で急にクルッとUターンした。
「コンビニ寄らなあかんのやった」
「あ、うん」
「なまえちゃんには昔からずっと振り回されっぱなしや」
「……そうなの?」
「勘弁してほしいわーほんま」
(……照れてる?)
ぎゅうと神々廻の手を握り返す。神々廻は振り返ってため息をついた。相変わらず面倒くさそうな顔をしているけど、不思議なことにそう悪い気はしない。
「実はさ……さっき食べたラーメン、それどころじゃなくて全然味わかんなかった」
「ええー……勿体な」
「また一緒に行ってくれる?」
「ええよ」
「……私のこと好き?」
「今?」
「今」
神々廻は立ち止まって大きなため息をついた。しばらくそのままの状態で、沈黙が続く。
「……好きやからこうしてるんやろ」
「え!? そうなの!?」
「なんやと思てたん」
「……そうなのかなとは思ったけど、そういう目で見たことないって言われたし……自信なかった」
「……悪かった」
「ズバリ、決め手はどこでしょう?」
「急に調子乗りよる」
神々廻はまた歩き出した。
「実は俺もよーわからん」