ゴロツキ時代のボスの娘に再会する09

 また連絡すると言われて素直に待っていたら、一週間、二週間と過ぎた。あれってやっぱり社交辞令だったんだろうか。それとも仕事が忙しいとか。悩んでいても時間が過ぎていくばかりなので、自分のほうからメッセージを送ってみることにした。
「ご飯食べてません」
 五分くらいして電話が掛かってきた。
「誘いたいなら普通に言え。何食べたい?」
「神々廻さんがいつも行ってるところがいい」
「俺が決めたらラーメンなるけど」
「ラーメン食べたい!」
「今日空いてんの?」
「うん」
「……八時くらいになってもええ?」
「お昼ご飯遅めだったから大丈夫」
「飯、食うとるやないかい」
「いいのそういう細かいことは」
 神々廻が電話の向こうでため息をついたのがわかる。
「なら迎え行くから待っとって。なるべく早く着くようにする」
「はーい」
 意外と連絡してみるものだ。最初からしてみればかなりの進歩だった。

 仕事が一段落したところでふとシャンプーがなくなりそうだったことを思い出す。スマホを見ると、時刻は十七時。まだ約束の時間まで三時間もある。
 どうせ他にすることもないし、買い物を済ませてしまうことにした。Tシャツにパーカーを羽織ってスニーカーを履く。外はまだ明るくて、ぬるい風が吹いていた。
 近所のドラッグストアでいつもと同じシャンプーをカゴに入れる。気分を変えたくて新しいヘアオイルを手に取ってみたけど、今日はラーメンだし出番はなさそうだ。
(神々廻さん、どういう香りが好きなんだろう)
 今度一緒に選んでほしいなあなんて想像しながらレジへ向かっていると、ものすごいスピードの何かが視界を横切った。
「え?」
 持っていたカゴが吹っ飛ぶ。すぐ隣の陳列棚はぐしゃぐしゃになっていて、そうしたら次は腕を引っ張られた。
「何してんねんこんなとこで」
 何だかよくわからないけど、神々廻でよかった。だけどその神々廻のシャツに血がべっとりとついていることに気づいて息が止まりそうになる。
「神々廻さん、血……」
「返り血や」
 いつもよりピリピリしているのがわかる。仕事中なのだろう。つまりそれはここで殺し合いが行われているということで……。
「ここから一歩も動いたらあかんよ」
「……」
「怖いなら目ぇ瞑っとき」
「……はい」
 目を閉じる以外の選択肢なんてなかったに等しい。だけど待っても待っても神々廻は声をかけてくれなくて、それに殺し合いが行われているというわりには静かだった。おすすめのサプリとかいう館内放送は流れっぱなしだし、悲鳴すらも聞こえない。これはタチの悪いいたずらで、目を開けた瞬間「引っかかったな」って神々廻が笑いかけてくれるのかも。……でも、いくらいい方向に考えたってやっぱり目は開けられなかった。
「神々廻さん、いる?」
 馬鹿みたいに震えた声が出た。返事はない。
「神々廻さん……」
 うわ言のように繰り返していたら、ふわりと後ろから抱きしめられる。
「まだ目は開けんほうがええかもしれんなあ」
 そう言われたら開けるわけにはいかない。だけど振り向いて神々廻のことを抱きしめ返すくらいはしたかった。
「あーあかんて血がつく」
 そんなに力強く抑えられているわけではないのに、身動き一つできない。これがプロの技かと感心していたら頭のてっぺんに顎を乗せられた。さらさらとした神々廻の髪が頬や首をくすぐる。
「……怪我してへん?」
「大丈夫。神々廻さんは?」
「全部返り血や」
「よかった」
 さっきとは別の意味でドキドキしている。怖かったけど案外嫌なことばかりじゃなかったなあなんて思っていたら、急に爆弾が落とされた。
「やっぱなまえちゃんは別のやつ好きになったほうがええと思うよ」
「え……なんで? なんでそんなこと言うの?」
「俺がどういう世界で生きとるかわかったやろ」
「……抱きしめながら言うなんておかしいよ」
 なまえは目を開いた。そこらじゅうに死体が転がっていて、中には首が繋がっていないものもある。まさに血の海だ。こんな中で生きているのが信じられないくらいだった。
「ラーメンはやめとこか」
「絶対いや!」
 なまえは神々廻の腕を振りほどいて正面から彼の目を見据えた。神々廻はびっくりしていたみたいだけど、ここで引くわけにはいかない。
「死体見て怯えたら彼女候補失格とかある?」
「……なんて?」
「『そんなんやったら俺の彼女はつとまらんで~』とか思ってんの!?」
「それ俺の真似か?」
「とにかくラーメンは絶対だから」
「わかった。わかったから落ち着け」
 とんとんと背中を叩かれて、我慢していた涙が出てくる。嫌だったのに、泣きたくなかったのに、怖がってたらまた神々廻が変なこと言い出すかもしれないのに、涙は止まらない。だからもう逃げるしかなかった。
「おいどこ行く気や!」
「帰る。八時までに迎えに来て」
「落ち着け言うてるやろ」
「……幻滅した?」
「してへんよ」
「よかったぁ……」
「なあ、頼むから送らして」

 こんなに血だらけでどうするのかと思っていたら、車で来ていたらしい。なまえとしてもこの状態で家まで歩くとなると気が遠くなりそうだったため、座れるのはありがたかった。
「仕事はいいの?」
「ああ、もう終わったから気にせんでええよ」
「後処理とか……」
「もう頼んである。なまえちゃん送ったらいっぺん帰ってまた来るわ」
「……うちのシャワー使っていいよ?」
 信号が赤になる。神々廻はちらりとなまえを見て、すぐに正面に視線を戻した。
「いや着替えさしてや」
「洗濯する」
「これもう捨てようと思ってん」
 そこまで言われたら強く出られない。そもそも綺麗に洗濯できる自信もなかったし、シャンプーは切れかけだし、部屋着もそのへんに脱ぎ捨てたままだった。でも……
(一人にしないでよ……)
 何か考えていないとすぐにあの光景を思い出してしまいそうだった。やっぱり怖い。けど言えない。
 信号が青になって、神々廻がウインカーを出す。ここは真っ直ぐなはずなのに、どうしてだろう。
「あー……俺んち、来る?」
「行く!」
 ほぼ反射で答えると、神々廻は呆れ顔で笑った。