1話
真っ赤に熟れたみずみずしい果物をかじり、木の上で昼寝する。こんな生活がもう二年。慣れてしまうものなんだなあと、ある意味悲しくなってしまう。
猫。私を見た男の子がそう言った。その子と、その周りにいた男の子は私よりもずいぶん背が高かった。というより、私が小さいのだと気付いた。手は毛むくじゃらで、しっぽも生えている。そのときは自分がどんな顔をしているのかわからなかったけど、男の子が言った通り「猫」なんだろうと思った。どうして。私は人間だ。でも、どんな人間だったか思い出せない。それなのになぜ人間だったと確信できるのか。考えると胃の中が気持ち悪くなってしまう。
にゅ、と男の子の手が伸びてきて、私の身体は宙に浮いた。ぞわぞわと全身の毛が震える。思わず男の子の顔を引っ掻いて私は逃げ出した。これが私の一番最初の記憶だ。
最初は何が何だか分からなかったが、次第に状況はつかめてきた。ここはナイトレイブンカレッジという魔法の学校で、あの男の子はここの生徒だったようだ。どうも私は召喚されてしまったらしい。なぜ猫の姿になってしまったのかも、帰る方法も未だわからない。しかも私を呼び出した男の子はとっくに卒業してしまっている。なんて無責任な。けど、私が人間だなんて誰も知らないのだ。私は猫として、学校の近くの森に住んでいる。それから二度、ナイトレイブンカレッジは新入生を迎えた。
草木を踏む音で目が覚める。人間だったころより耳はよくなった。おそらく身を守るためなのだろう。
木の幹にぴったりと身を寄せ様子をうかがう。音からして、三、四人はいそうだ。ぴんと耳を立て静かにしていると、話し声が聞こえてきた。
「ふな~! オレ様、もう疲れたんだゾ~!」
「お前はまだ浮いてるからいいだろ。それよりケイト先輩、トレイ先輩の言ってた場所ってまだなんですか?」
「もうすぐそこまで来てるよ。だからグリムちゃん、あとちょっとだけ頑張って!」
ケイト、トレイ。聞きなれた名前に緊張が解けた。私が足を怪我して動けなくなっていたところを助けてくれたのがこの二人なのだ。
「ニャーン」
「ん、猫?」
ガサッと音を立てて私が出て行くと、気の強そうな男の子と目が合った。ハーツラビュル寮の新入生だろうか。目元のハートマークがかわいい。
「あー、猫ちゃん! 久しぶり~!」
パシャとケイトさんはいつも通りマジカメ用の写真を撮って満足そうな笑みを浮かべた。
「よし、今回もいい感じ!」
「……で、何なんですかこの猫?」
「あ、ごめんねエースちゃん。この子、えーとオレが一年生だったから二年前かな、オクタヴィネル寮の生徒が呼び出しちゃったみたいなんだ~」
「へー」
「そうだ、グリムちゃんと仲良くできるんじゃない?」
「オレ様は猫じゃないんだゾ!」
「いやもうソレほとんど猫って認めてるし」
ふ、と鼻で笑ったのがエースくんで、猫じゃないと怒っているのがグリムちゃん。何とか覚えられそうだ。そしてグリムちゃんの奥にもう一人、優しそうな男の子がじっと私を見ていた。
「ニャアン?」
「ん? 僕はユウ。よろしくね」
にこ、と彼は笑った。それより……何というか、今、私の言葉が通じたような。でも、偶然かもしれない。確かめたくて私はもう一度鳴いてみた。「あなたはどこの寮生?」と。
「えーと、僕は魔法が使えなくて、だからグリムと特別に二人だけの寮に住んでるんだ」
ぽかん、と開いた口が塞がらない。
「おーいユウ、お前猫と話せるのか?」
「え、だって喋ってるよね?」
「いやオレは聞こえねーけど」
「うん、聞こえないね~」
「オレ様にも聞こえないんだゾ!」
「え……ええ~!」
ユウくんが私と話せるということは他の三人にも信じてもらえた。方法は簡単、私が怪我をして助けられたときのことをユウくんに話しただけだ。それともう一つ、彼らのお目当てである果物がたくさん実っている場所を教えてあげたのだ。彼らはたぶん、トレイさんにタルトの材料の調達を頼まれたのだろう。
「にしてもお前、なんで猫が喋ってるっつーのに驚かないんだよ」
ぷち、と果物を枝から切り離しながらエースくんが言った。魔法を使って果物狩りができるのは羨ましい。私は食べるたびに木登りだ。さすがにもう慣れたが、やっぱり私も魔法が使えたらなあと思ってしまう。
「だってグリムも喋ってるし……」
「まあ、それもそうか」
じろ、と見られて居心地が悪い。けど、これは今までにないチャンスだった。私はこの二年間放置されていた。猫だからだ。でも人間だったらどうだろう。もしかしたら人間に戻れるかもしれない。そんな期待をしてしまう。
「で……ユウくん、この子が人間って本当なの?」
「はい。詳しいことはわからないそうなんですけど、気付いたら学校にいて猫の姿だったと」
「んー……何か魔法でもかけられてるのかなあ?」
「そんな魔法あるんですか? しかも二年も経ってるんですよね?」
エースくんが眉を寄せる。ケイトさんは考え込んでしまった。「あの」と声を上げたのはユウくんだ。
「もし魔法なら、トレイ先輩の魔法で上書きできませんか?」
「……ユウちゃん、それだ!」
そんなわけで、私は彼らとハーツラビュル寮に行くことになった。
甘い匂いが鼻をかすめる。トレイさんが作ったお菓子だろうか。果物もいいけど、たまには砂糖の入ったお菓子を食べたい。でも、猫の体に砂糖ってどうなんだろう。美味しそうには見えるけど、人間と同じ量を食べたら大変なことになってしまいそうだ。
「トレイくん、お待たせ!」
ケイトさんが果物の入った籠を片手に扉を開ける。中にはトレイさんともう一人、真面目そうな男の子が座っていた。彼の目元にはスペードのマークが描かれている。
「ずいぶん時間がかかったな。……あれ、お前は」
「猫?」
スペードくんが立ち上がって私の顔を覗き込む。
「猫ちゃん、この子はデュースちゃん。エースちゃんと同じ新入生だよ」
「ニャー」
デュースくん。と呼んでみたつもりだけど、たぶん伝わってない。
「お前が敷地内に入ってくるなんて珍しいな」
トレイさんが小さく切ったリンゴを出してくれる。つい、かじりついてしまった。……美味しい。人間だと主張したばかりなのに、これではちょっと格好がつかない。
「トレイくん、それなんだけどさ、この子にユニーク魔法をかけてみてくれない?」
「何か魔法をかけられてるのか?」
「それがこの子、魔法で猫になってるんじゃないかって話になっててね」
「……まさか」
トレイさんは信じられないようだ。ちょっと悲しいような気もするけど、これが普通の反応なんだろう。
「まあ、それは魔法を使ってみたらわかるわけだし! っていうわけでトレイくん、お願い!」
ケイトさんに押される形でトレイさんは魔法のペンを握った。ペン先を向けられて、妙に緊張してしまう。
「……仕方ないな、ドゥードゥル・スート!」
思わず目を瞑ってしまった。「おいまさか」と言ったのはエースくんだろうか。私が恐る恐る瞼を開けると、目を丸くしたトレイさんと目が合った。さっきまでとは違って、トレイさんの胸元ぐらいに私の頭がある。「あの」と声を出してみて驚いた。私はこんな声だっただろうか。違和感はあるが、違うとも言い切れない。ただ喋ろうとしているだけなのに、息が苦しくなった。
「足の怪我、助けてくれてありがとう」