人魚は魔女に恋をする
アズールはジーナのレシピを元に人魚が人間になるための薬を錬金した。一度目は失敗したが、彼女がレシピに書き込んでいた注意点やコツに気をつけて二度目は難なく成功した。効果も申し分ない。
「うわ、何ソレ」
薬瓶の山を見てフロイドが眉を寄せた。彼は瓶を一つ手に取り、横から、下からと中身を凝視している。
「新しい薬です。今までものより性能がいいはずなので、試してみてください」
「へ~」
フロイドは疑う様子も見せず薬を飲み干した。二足の足で立った彼は「ふうん」と腕を回す。
「なんかいつもより涼しい?」
「ええ、効果時間も長いはずです」
「なんでそんなたくさん作ってんの?」
「……それは、まあ」
人に届けるためだとは言いづらかった。「誰」と間違いなく聞かれるだろう。彼女のことはフロイドもジェイドも知っているはずだ。もしかしたらフロイドは覚えてないと言うかもしれないが。何にせよ、あんな別れ方をしたのだ。彼女の話をする気にはなれない。
帰ってと言われてしまった。もう来なくていいと彼女は怒っていた。彼女は純粋で、いつか誰かに騙されてしまうんじゃないかと思ったから、忠告のつもりだったのだ。しかし今考えてみると独善的だったかもしれない。彼女の言う通り、このまま二度と顔を合わせないほうがきっと楽だ。それなのになぜか彼女に渡すための薬を作っている。自分でも理解できなかった。
ジーナがドアを開けたらまず謝るつもりだった。「先日はすみませんでした」と。何度も心の中で練習した。ブザーを押す。いつもならとっくにドアが開いているはずだが、外出しているのだろうか。
出直そうかと思っていると、ようやく扉が開く。けれど、一週間ぶりの彼女の明らかに様子が明らかにおかしくて、準備していた言葉はすべてどこかへ飛んで行ってしまった。
まず顔が赤い。次に目が座っている。そして声だ。
「……あずーるくん」
具合が悪いのは誰が見ても明らかだった。
「ごめんね、ちょっと、ねつが……」
「……それはすみませんでした。出直します、お大事に」
こくん、と頷いた彼女は先週のことなど忘れてしまっているのだろうか。ドアが閉まって、せめて薬を渡せばよかったと後悔した。
帰ろうとしていたのに「ゴン」と部屋の中から鈍い音が聞こえてきた。まさか倒れたんじゃないだろうか。それとも頭を打ったのか? 思わずドアノブを引くとあっさり扉は開いてしまった。
床にべたりと座り込んだ彼女に駆け寄る。
「立てますか?」
彼女は頷いて壁に手をついた。しかし、一向に立ち上がる気配がない。
「ちょっと、難しい、です」
「……そうですか」
抱えてやれたらよかったのだが、無理だというのはわかりきっている。歩くだけでも疲れる体だ。他人の体重に耐えられるわけがない。そしてアズールはジーナにバスタブに落とされたことを思い出した。
「わ」
「じっとしていててください」
ゆっくりと、慎重に。ベッドにジーナを乗せると、彼女は赤い顔ではにかんだ。
「上手だね、アズールくん」
「あなたが乱暴すぎるんですよ」
「……ごめんね」
ジーナは目を伏せ、ブランケットをぎゅっと握りしめた。肩から落ちた彼女の髪がさらりと揺れる。何となくバスタブでのことを謝っているわけじゃないのだろうと思った。「僕も」と言いかけると、彼女が顔を上げる。
「先日はすみませんでした。出来上がった薬です」
「あ……ありがとう」
ジーナは薬を受け取りベッドの脇に置いた。じっと見られて居心地が悪い。それなら帰ればいいだけだというのに、口を開いてしまう。
「水は飲めますか」
「うん。冷蔵庫に」
「わかりました。開けますよ」
サイドテーブルに水を注いだグラスを置く。ジーナが無事に水を飲んだのを確認して、今度こそ帰ろうと思った。
本当は契約書にサインしてもらう予定だったが、さすがに言い出せない。またここを訪れる理由ができてしまった。
「ではジーナさん、お大事に」
「ありがとう」
「鍵を貸してもらってもいいですか」
「……え?」
「……まさか、いつも開けっ放しだなんて言いませんよね」
「あ、あー……さすがに、それはないけど」
「閉めたらポストの中に入れておきますので」
彼女に渡された鍵には知らないキャラクターのキーホルダーがついていた。可愛いのかどうかは正直よくわからない。ただフニフニとした感触が妙なクセになりそうだ。
アズールは部屋のドアが開かなくなったのを確認してポストに鍵を入れた。何をしているんだと思わなくもない。彼女といるとペースを乱されてしまう。処理しきれない感情の波に息ができなくなりそうだった。
アズールは再びジーナの家を訪れた。ドアを開けた彼女の顔色はいい。すっかり元気になったようだ。
「お元気そうで何よりです。今日は契約書にサインしていただきたく伺いました」
「いや」
「……は? 嫌?」
「サインはしない」
こいつは何を言っている。思わずよくない言葉が出かかったが、寸前で飲み込む。アズールは冷静に努めようとした。しかし、いくら考えても彼女の言っていることが理解できない。
そうしているうちにもジーナはアズールを家に招き入れようとするものだから、頭が痛くなってしまう。いつものように冷えたお茶をテーブルに置かれて、喉がそれを求めて動いた。
「ジーナさん、サインをしないとは一体……」
「アズールくんに振り回されるのはもういや」
それはこっちのセリフだと言ってやりたい。ジーナはもっと押しに弱い、言ってしまえばカモにされる側の性格だと思っていた。今日だってサインをもらってすぐ帰るつもりだったのに。アズールの焦りを知ってか知らずか、ジーナはにこりと笑う。
「薬のことはいいよ。まあ、くれるなら貰うけど……」
「根本的に違います。僕が契約書にこだわるのは後腐れがないようにしたいからだ」
「後腐れ?」
「あなたが薬のレシピをあげたからと後々言ってこないように、僕に恩を着せたと思ってほしくないだけです」
「えー……」
ジーナは眉間にしわを寄せた。だがそれ以上何も言おうとしないし、サインする気配もない。アズールはグラスのお茶をすべて飲み干した。
「……わかりました。薬は前回の分がなくなるころに勝手に送ります」
ジーナに渡した薬は少なく見積もっても一ヶ月分はあった。一か月後と言えば、もうすでにナイトレイブンカレッジに在籍していることになる。寮生活でジーナの家を訪れるのは難しい。ここに来るのも、きっと今日が最後なのだ。
「ありがと」
送ってこなくても何も言わないからね、とジーナは言った。
結局何のために来たのかわからない。家を出ようとすると「あの」と呼び止められる。
「……アズールくん、スマホ持ってる?」
「持ってますよ」
連絡先を交換したいのだろうとは思った。悪い気はしない。しかしアズールは気付かないふりをした。少しばかりの仕返しのつもりだった。
「……えっと、薬がなくなりそうになったら連絡したいなーって」
「送らなくてもいいと言ったわりに、貰う気しか感じられませんね」
「だってアズールくん絶対送ってくるでしょ」
「否定はしません」
「それなら私から連絡したほうが薬も無駄にならないし」
「……どうぞ」
連絡先を表示させた画面を差し出すと、彼女は嬉しそうにスマートフォンを取り出した。
「登録できた。ありがとう」
ささっとジーナが指を滑らせると、あの鍵についていたキャラクターのスタンプが画面に表示される。なんとも言えない表情をしていた。