人魚は魔女に恋をする

 さすがにこうも同じ薬を大量に錬金していては、ジェイドもフロイドも怪しいと思うだろう。しかもこれがあと四年だ。二人に事情を話しておいた方がいいとは思う。気が進まないのは、興味を持たれたら面倒だからだ。
「ジーナ? 誰それ」
思った通りフロイドは覚えていないようだった。いっぽうジェイドは「ああ」と頷いている。
「確かエレメンタリースクールが一緒でしたね。特にこれといった印象はありませんが、同じミドルスクールに上がってこなかったのだけ覚えています」
ジェイドの言う通り、人魚は個体数が少ないためエレメンタリースクールからミドルスクールまでほぼ同じメンバーとなる。詳しい事情は知らないが、そのせいで彼女の持つアルバムの処理が遅れてしまった。まさか自分たちよりも先に陸で生活しているとは思わなかったのだ。
「フロイド、気になるならアトランティカ記念博物館に行けば写真が残っているのではないですか?」
「えーあそこつまんねーし」
「……二人とも、写真の話は控えてください」
アズールが咳ばらいをすると二人は口を閉じた。顔は笑ったままだが、これ以上話を続けるほうがアズールにとっては不利だ。
「それにしてもその薬、ジーナさんからレシピを教えてもらっていたんですね」
ジェイドが感心したように言う。
「ええ、思わぬ収穫でした。おかげでこんなことになってしまいましたけどね」
「四人分の薬を作るのは大変でしょう」
「……何言ってるんです。自分の分ぐらい錬金できるようになってもらいますよ」
「わかってますよ」
ジェイドは歯を見せてにやりと笑った。

 薬の錬金、人間姿での日常生活、それらをこなすうちに入学式当日となった。双子は特に着替えに苦戦していたようだったが、見るかぎり式典服を綺麗に着こなしている。歩行は少々ぎこちないが、そのうち慣れるだろう。三人とも同じ寮だったのには安心した。オクタヴィネル寮――海の魔女の慈悲の精神に基づく寮だ。正直なところここしかないと思っていたが、実際に闇の鏡の魂の選定とやらを受けるまでは安心できなかったものだ。
 そういえば、ジーナも今日が入学式なのだろうか。スマートフォン確認したが、通知はきていない。彼女とのトーク画面はあの妙なスタンプで終わっている。薬のことで連絡していたいと言っていたのだから不思議なことではない。だが、妙に気になってしまうのだ。
 アズールはスマートフォンをポケットにしまった。式は終わったが、次は寮での歓迎会が控えている。正直なところあまり期待はしていない。しかし、こういった場は人の「悩み」を知るチャンスとなりうる。馬鹿は嫌いだが、契約のことを考えると話すのも苦ではなくなるのだ。
「アズール、やけに楽しそうですね」
「そんなことありません。今すぐにでも横になりたいぐらいですよ」
「ふふ、そうですか」
ジェイドは言わなかったが、おそらくわかっているのだろう。彼もまた楽しむつもりだ。ジェイドもフロイドも単に楽しいことに乗る性質だとアズールは考えている。協力関係とは間違っても言い難い。いつ牙を向けられてもおかしくないのだ。
 上級生に連れられ会場に向かっていると、ポケットの中がぶるりと震えた。まさかと思って確認してみると、彼女からのメッセージが来ていた。
「アズールくんどうしよう」
何のことかさっぱりわからない。返信の言葉を迷っていると、更に次のメッセージが送られてきた。
「みんなに全然ついていけない」
「何の話ですか」
「みんな歩くの早くて」
何かと思えば歩く速度の話なのかと拍子抜けしないでもない。ただ、気持ちはわかる。「人魚いないのかなあ」と続けて送られてきた文面から、それほど深刻さは感じられなかった。
「自分でどうにかしてください」
「アズールくんも苦労してると思ったのに」
してますよ、とは返さなかった。何とも無意味なやりとりだ。
 薬の残りを問えば、あと二週間ほどは持つと返ってきた。想定していたよりも減っていない。だが、郵送の手間や日数を考えると次の分を考えた方がいい頃合いだ。次も同じぐらいの残量になったら連絡するように伝えて一方的に画面を消した。その後も一度通知がきていたが、歓迎会中だったことにすればいいだろう。

***

 ジーナは反応がなくなったトーク画面を見てため息をついた。失敗したかなあと思う。話は盛り上がらなかったし、むしろ冷たくあしらわれてしまった。陸の人間たちに囲まれてつい人魚の話がわかるアズールに連絡をしてしまったが、今となってはしなければよかったとさえ思う。
 ジーナが次にアズールとのトーク画面を開いたのは彼から薬が送られてきたときだった。到着の連絡をするのはおかしくないはずだ。写真を撮ったほうがいいだろうか。……でも、なくても伝わるなと悩んで結局やめた。「薬、届きました。ありがとう」ジーナが送ったのはこれだけだ。
 アズールから返事が来たのは放課後になってからだった。「学校には慣れましたか」え? と思わず声を上げてしまう。周りに誰もいなくてよかった。だって、まさか彼がこんな返事をするなんて思わないじゃないか。慣れました。まだ慣れません。どう返事をしようかと考えるばかりで、時間ばかりが過ぎてしまう。ジーナは先に家に帰ることにした。落ち着いて、ゆっくり返事をしたかったのだ。
 制服を脱いで、ベッドの真ん中に座る。両手でスマートフォンを持って、もう一度アズールからのメッセージを読んだ。
「友達ができました。アズールくんはどうですか?」
こんなところだろうか。返事を待つ間に制服を脱ぎ、皴にならないようハンガーに掛けた。ベッドに寝そべって靴下をポイポイっと蹴飛ばす。陸の服は可愛いと思うけれど、これだけはどうしても好きになれない。足の指をぎゅっと絞められているみたいで、窮屈なのだ。
 ぴろん、とスマホが鳴る。アズールからかと思いきや、学校の友人からだった。
「今度マジフト大会見に行かない?」
って何? と返すと調べた方が早いと案外冷たい。検索してみるとスポーツの一種だということはわかった。調べている途中にも、友人からのメッセージは続く。
「来週NRCの大会」
すぐに浮かんだのはアズールの顔で、二つ返事で行くと返してしまった。よく事情を聞いてみると、彼女はナイトレイブンカレッジに彼氏がいるらしい。着いたら一人にされるような気がするが、アズールを探すならそれでもいいかもしれない。そう考えていたところで、アズールからの返信が届く。
「問題ありません」というのが何ともアズールらしい。マジフト大会のことを伝えるかは迷ったが、伏せておいた。さすがに案内してとも言えないし、大会で忙しいかもしれないし、学校の友達と一緒だろうし。考えると言い訳ばかりが浮かんでくる。当日もし会えたら、ぐらいの気持ちで行こうと決めた。

 大会当日、友人は校門で待つ恋人を見つけるとすぐに行ってしまった。もとからそういう約束だったが、いざ一人になるとどっちに行けばいいのかわからなくなる。人の流れる方向になんとなく進んで行くと、出店がたくさん並ぶ通りに出た。見たことない食べ物がたくさんあって、目移りしてしまう。
 オシャレな容器に入っているドリンクを見ていると、不思議と喉が渇いてくる。どれにしよう。じっと屋台のケースを見ていると、頭上から「おや」と声が降ってきた。
「もしかして貴方、ジーナさんですか?」
「えっ」
顔を上げると、長身の男性に見下ろされていた。見覚えのある顔だ。アズールとは違って、ちゃんと面影がある。「ジェイドくん?」恐る恐る言ってみると、彼はにこりと笑った。
「覚えていてくださったんですね」
「そんなに昔のことじゃないよ」
それもそうですね、とジェイドが頷く。
「ところでジーナさん、今日はお一人ですか?」
「あ、うん……。友達とここまで来たんだけど、むこうは彼氏がいるから」
「そうですか。何か飲み物をお探しなら、あちらに僕たちの寮が出した店もありますよ」
ジェイドは笑みを絶やさないままジーナを誘導した。こんなところで人魚の知り合いに会うとは思っていなかったけど、案外普通だ。人間姿のジェイドはウツボのときのイメージのまますらりとしている。歩き方は少しぎこちないけれど、身長差のあるジーナにとってはありがたいことだった。
「アズールにはもう会いましたか?」
「ううん。試合には出るの?」
「まさか。僕たち補欠にも入っていませんよ」
「……まあ、陸のスポーツなんてすぐにはできないよね」
「ええ。ですがアズールは燃えていましたよ」
意外だと感心していると「商売に」とジェイドから補足が入る。それなら納得だった。アズールはライバル店や客の好みをチェックして回っているらしい。彼らの寮の店に今はいないそうだ。
「連絡してみましょうか?」
「え……いいよ。燃えてるみたいだし」
「ふふ、そうですか」
ジェイドは屋台の裏側に入れてくれた。疲れたでしょう、とパイプ椅子を差し出されてさすがに首を振る。
「空いてますし、僕も座るので気にしないでください」
「じゃあ……あ、でもその前に冷たいの買いたい」
「ありがとうございます、一番人気はこれですよ」
ジェイドはメニューの一番上を指差した。確かにさっきからこればかりが売れている。炭酸ジュースのようだが、まず容器がかわいい。透明のプラスチックに星や魚のイラストがプリントされている。それに中のジュースも色が何層にもなっていて綺麗だ。どんな味か見当もつかないが、下の方は深い青になっていてまるで海を見ているみたいだった。
「ジーナさん、マジカメのアカウントは持っていますか?」
「うん?」
「できればこれを写真に撮ってアップしていただきたいのです。アズールがマジカメはいい宣伝になると言っていたので」
「あ~うん。でもそんなにフォロワーいないよ」
「これで増えてしまうかもしれませんね」
「どうかな~」
パシャ、と写真を撮って一口飲む。おいしいと感想を添えて写真をアップした。タグはジェイドが考えてくれたものだ。さっそくピコンと通知が鳴る。
「あ、これジェイドくん?」
「はい。アズールに言われて始めたのですが、なかなか向いていないと実感していたところです」
「へ~……あ、これアズールくんのアカウン……ト?」
目を疑ったのはそのフォロワー数だ。ジーナの100倍以上もいる。ジーナが少なすぎるというのもあるが、それでも普通の数ではない。ジェイドは間違いなくアズールのアカウントだと言った。
「意外……」
「……ああ、噂をすれば」
ジェイドの目線を追うと、アズールがいた。まだこちらには気付いていないようだ。立ち上がろうとして、しかしジェイドに阻まれてしまう。
「せっかくですからアズールの働きぶりを見てあげてください」

 アズールは信じられないぐらいテキパキと指示を出していた。表情は険しいが、楽しそうにも見える。しかし気になることもあった。
「アズールくん、まだ一年生だよね」
「はい。僕たちと同じ一年生ですね」
アズールの振る舞いはとても一年生のそれではない。恐らく上級生だろうという相手にも胸を張って話している。何だか相手の方が怯えているようにも見えなくないが、きっと気のせいだということにしておいた。
「楽しそうだね、アズールくん」
「ええ、それなりに楽しくやっていると思いますよ。……ミドルスクールのころから」
「そっか」
 アズールは一つづつ店を回り、最後にジーナたちが座る屋台にやってきた。
「ジェイド、何をサボっているんです?」
「サボってなんかいません。僕はお客様をおもてなししていただけです……ほら」
ジェイドとアズールの目がジーナに向けられる。
「……は? ジーナさん?」
そのときのアズールの目は、信じられないものでも見たかのようにぱっちりと開いていた。