番外編

※二年生時のマジフト大会の話

「絶対にだめです」
ジーナは思わず「は?」と声を上げた。トークアプリにはアズールとの会話履歴が表示されている。
 ジーナがナイトレイブンカレッジに行くことができる数少ない機会、その一つがマジフト大会だ。去年もジーナはその機会を利用し、アズールとの距離を縮めた。恋人になったとはいえ、寮生活のアズールに会えるチャンスはそう多くない。今年も大会を楽しみにしていたのに、なぜかアズールはジーナが来ることを良しとしない。
「からかわれるのが嫌?」
「それもありますが」
ジーナが直接言われたことはないが、アズールはよくジェイドにからかわれているらしい。恥ずかしい気持ちはわかるが、それだけで大会に来ないでほしいと言われるには違和感があった。しかも「絶対」だなんて。じゃあどうして、と返信を急かす。すぐに既読になったが、返事には時間がかかった。
「今年は僕も出場するので」
それならなおさら見に行かなければ。とは思うが、アズールが頑なに来るなという理由もわかってしまった。たぶん、試合をしているところを見られたくないのだろう。アズールはあまり運動が得意ではない。というか苦手だ。それは本人の口からも聞いているし、見ていればすぐにわかる。けれどそれ以上に頭がいいし、料理だってできる。「気にしなくていいのに」と何度か言ったことはあるけれど、本人は気にもしていないし恥じてもないと言うのだ。下手に気を使ってしまうと逆効果のようで、何と言ったらいいものか悩む。
「アズールくんの試合見たい」
これは率直な気持ちだ。またアズールからの返信が途絶えてしまって、ジーナは通話のアイコンを押す。
「……はい」
不機嫌そうな声でアズールは応答した。だが、そんなことで負けられない。
「アズールくんの応援したい」
「……どうせ勝てませんよ」
「……」
そういう問題ではないのに。しかし上手い返答も思いつかず、沈黙が流れてしまう。
「……あなたね、自分から電話を掛けてきておいて黙らないでください」
「だって会いたい、し」
それだけ言って通話をブツ切りする。付き合うようになったとはいえ、こういうことを言うのは恥ずかしい。赤くなった顔を相手に見られているわけでもないのに、スマホの画面を見るのが怖かった。
 ジーナがベッドでふて寝していると、アプリの通知が鳴った。アズールからだというのはわかっていたので、薄目でそれを確認する。
「当日、着いたら連絡してください」
沈みきっていたジーナの心はパッと浮上した。来てもいい、とは言われなかったが、これ以上ないぐらいの返事だ。

 大会当日、アズールに言われた通り正門に着いたら連絡しようと思っていたのだが、それより先に本人に出くわしてしまった。
「待っててくれたの?」
「……まあ、電車の時間で大体わかりますし」
「ありがとう」
嬉しくてついアズールに体を寄せてしまいそうになったけれど、さすがにまずいかと距離をとる。ジーナとて自分の通う学校で彼氏とくっついて歩くのは抵抗があった。少しもったいないような気もしたが、仕方ない。そんなジーナを見てアズールは何か言いかけたようだが「行きましょうか」と背中を向けられてしまった。
「今年もお店出してるの?」
「ええ。カフェの運営のおかげでレパートリーも増えました」
「そうなんだ。楽しみ」
「……そうですね」
歯切れの悪い返事だった。なぜ、と思ったけれど店に着いて理由がわかる。ジェイドとフロイドが含みのある笑顔で待ち構えていたのだ。
「ジーナさん、お久しぶりです」
「久しぶり」
ジェイドと会うのは一年ぶりだ。フロイドとはエレメンタリースクールぶりだが、正直覚えられているのか危うい。フロイドは「久しぶり」という類のことは一切言わず、ジーナの顔を覗き込んだ。
「ねえ、アズールと付き合ってんの?」
「え……」
何と答えたらいいものか。アズールの顔を見ると「やれやれ」と顔に書いてある。内緒にしてほしいとは言われてないが、二人に公言しているとも聞いていない。ジーナが返答に迷っていると、アズールが代わりに口を開いた。
「そうですよ」
「いやアズールには聞いてないし。っていうか何度も聞いたし」
「何度もは言ってないでしょう!」
「フロイドはまだ信じられないんですよ。何せアズールですから」
「……お前、」
「あ、あの」
ジーナが声を上げると、三人から一斉に見られる。アズールの顔は赤くて、ジェイドはにこにこしている。真顔のフロイドからの視線が一番堪えた。
「つきあってます……」
彼氏ができた、と友人に報告したことはあったけど、本人の前で改めて宣言するのは恥ずかしい。「ふーん」とフロイドは興味なさそうに首を傾げる。
「よかったですね、アズール」
「お前は最初から疑ってなかっただろ」
「まあ、確かに疑ってはいませんでしたね」
ジェイドは小さな冷蔵庫を開けて、青っぽい瓶を取り出した。ドリンクのようだ。差し出されて、ジーナは素直に受け取る。
「あ、ありがとう」
「アズールほどではないですが、ジーナさんもわかりやすかったですから」
「え」
「遅くなりましたが、おめでとうございます」
つまり、一年前の時点でジェイドは察していたというのだ。思い返してみるとそうなのかもしれないが、まだジーナだってはっきりと自分の気持ちを自覚していなかったころだ。
「えっと……じゃあ、ジェイドくんは協力してくれたってこと?」
「そう思っていただけるなら嬉しいです」
「いやぜってー違うし」
「そうですよ、騙されないでくださいジーナさん」
「ふふ、心外ですね」
心外と言うわりには真逆の表情だ。特に嘘を隠す気もないというか、いっそ清々しい。アズールたちは慣れているのか特に気にしていないようだった。
「あの、試合はいつから?」
「あと一時間ほどで……さすがに着替えたほうがいいですね。ジーナさん、あなたも早くここを離れたほうがいい」
「え……?」
アズールの言い方は少し引っかかる。離れたほうがいいって、まるでここで何か起こると知っているみたいだ。
「ああ、いや……今ならまだ日陰が空いているかもしれませんし」
「じゃあ、私も会場に行っておこうかな」
ジーナはアズールたちと別れて会場に向かった。だが、何歩か進んだところでふと思い出す。
「アズールくん」
ジーナは彼の元まで走り寄って、手を取った。
「頑張って」
「え……はい、どうも」
「じゃあ、また……」
「……ええ、また後で」

「え、何見せられてんの俺ら」
「アズール、さては全然進展してませんね?」
「うるさいな!」

 アズールの言った通り、会場は日陰になっている席が空いていた。ジーナが一人で場所を取りやすかったというのもある。
 ジーナはジェイドに貰ったドリンクを飲みながら開戦を待っていた。何か食べ物を買ってくればよかったかもしれない。けれど一人で席を立ったらもう戻ってこれないだろう。仕方なくマジカメを開いて時間を潰していると、何やら周囲が騒がしくなってくる。
 どうも通りで騒ぎがあったようだ。マジカメに何か情報がないかと探してみるが、詳しいことはわからない。ただ、騒ぎのすぐ後、多くの客が会場になだれ込んできた。混乱している観戦客をNRCの生徒らしき人たちが誘導している。会場はあっという間に満席となった。
 オクタヴィネル寮生の中にアズールの姿を見つける。彼はいつもかっちりとした格好をしているから、運動着が新鮮だ。写真に収めたかったけれど、遠すぎて上手く写せない。アズールには嫌な顔をされそうだが、ジェイドに写真を頼んでおけばよかったなと後悔する。

 試合はオクタヴィネルの負けだった。けれど、見に来てよかったと心から思う。アズールは苦戦していたけれど、フェイントや仲間との連携で何度か点を上げていた。それがすごくかっこよかったのだ。負けてしまったのは残念だが、見ていてとても楽しかった。

「アズールくん、お疲れさま」
「……はい」
「あの、すごくかっこよかった」
「……はい?」
「アズール、聞こえなかったんですか?」
ジェイドが後ろからひょっこり顔を出す。フロイドも一緒だ。アズール一人だと思っていたけど、まさか聞かれてしまったのか。……ジェイドの表情からして、ほぼ間違いなく聞かれてしまっている。ジーナは恥ずかしくなってうつむいた。
「行きますよ、ジーナさん」
「え?」
腕をぎゅっと握られている。アズールはずんずん歩いて行ってその表情は見えない。
 ようやく人混みから離れるとアズールは腕を離してくれた。試合の後だからというのもあって、アズールの首筋には汗が浮かんでいる。貼りついた髪の毛をじっと見てしまって、なんだかいけないことをしている気持ちになった。
 バッグからハンカチを取り出してアズールに差し出す。けれどアズールは首を振った。すぐに返せないから、と。そんなこと気にしなくていいのに。
「タオルがありますので」
「そっか」
「ジーナさんも疲れたでしょう、店に戻って休憩しましょうか」
「……うん。でも、あの……人が多いとこ、ちょっと疲れちゃった」
「……」
「あ、いや! そんな変な意味じゃ!」
「この辺りで少し休憩しましょうか」
アズールは木の下に移動し腰を下ろした。ジーナもおずおずとその隣に座る。
「あ、アズールくん、何か飲まなくて平気?」
「ああ、そうですね」
アズールがジーナの手からひょいと瓶を奪う。すっかりぬるくなってしまったその中身はスポーツドリンクのような飲みやすさがあった。もともとジェイドに貰ったものだから、どんな味かはアズールも知っているのだろう。
「え、あ……」
アズールは瓶の蓋を抜いてゴクゴクと喉を動かした。目が離せない。こんなのべつに普通じゃないか。どうってことないはずなのに、なぜか胸がドキドキして体中が熱くなってくる。
「どうしました?」
「え……いや、ぬるかったでしょ」
「そうですね」
「新しいの買ってこようか」
「今はいいです」
「……うん」
何となく気まずくてスマホを触る。試合中に撮った、お世辞にも上手いとは言えないブレた写真が表示されている。
「写真撮っていい?」
「……急に何です?」
ジーナはアズールにスマホを見せた。はあ、とアズールがため息をつく。
「今はだめです。汗もかいていますし、髪もぐちゃぐちゃだ」
「マジカメには上げないから」
「じゃあ何のために撮るんですか」
「だって、ほしいから」
「……それなら僕も、あなたのその真っ赤な顔を写真に収めていいんですね?」
「え……」
アズールにスマホを向けられる。黒いレンズに何が映っているのか想像して、慌てて両手でふさぐ。
「待って、ダメ!」
レンズを隠すのに必死だったジーナはそのままアズールの上に倒れ込んでしまう。至近距離でアズールと目が合って、時間が止まってしまったみたいに動けなくなる。
「ジーナさん、ちょっと」
「あ、ごめん……」
「いえ、僕もすみませんでした」
ジーナは起き上がってカメラのアプリを終了させた。キョロキョロと周囲を確認して、誰とも目は合わなかったけれど妙に居心地が悪く感じてしまう。
「……今度、二人で写真撮ろうね」
「ええ、それなら構いません」
それからしばらくジーナはアズールと二人で過ごした。早く店に戻ったほうがいいと何度も言おうとしたけれど、声が出てこない。アズールはきっと今年も商売に燃えている。邪魔をしたくないのに、アズールがここにいてくれるという事実が嬉しかった。
 アズールのスマホが鳴る。ふふ、とアズールは笑った。
「なかなかいい数字が出ているようです」
「えっと、売り上げのこと?」
アズールは頷いた。そろそろ戻らなければならないそうだ。
「ジーナさん、戻ったら何か一つ好きなものを買ってあげます」
「え、ほんと?」
「僕たちの店のものに限って、ですけどね」
「ちゃんとマジカメにアップするね」
「よくわかっているじゃありませんか」
にやりと笑うアズールにもジーナはドキリとしてしまう。
 それから数分後「全然フォロワー増えてないじゃないですか」とアズールに呆れられるのだった。