特別な土曜日

 ジェイドの服は思った通りぶかぶかだった。丈が長いのもそうだが、首回りがちょっと不安だ。ズボンは裾を大きく三回折り曲げたし、歩くときはウエストを持ってからじゃないと落ちてしまいそうだった。……そもそも、歩き回る必要もないんだけど。ただ、ベッドに寝転がるのも少し抵抗があって、はしっこのほうで小さく丸くなる。眠れないかと思ったけど、身体は疲れていたらしい。翌朝、ドアのノックの音で目が覚めるなんて想像もできなかった。

 慌てて服を着替えてジェイドを迎え入れる。寝起きがいいのか、ジェイドは爽やかな笑みを浮かべていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「……嫌味ですか」
今の今まで寝ていた人間によくそんなことを。恥ずかしいのとムッとしたのとで、つい当たってしまう。しかし、ジェイドにそのつもりがなかったことを聞いて私はもっと恥ずかしくなった。
「寝つきが悪かったのかと」
「あ……いえ、すみません」
「いえ。よく眠れたのならよかったです」

なんて馬鹿な勘違いをしてしまったんだろう。ジェイドは心配してくれただけだった。それを「嫌味ですか」って。……ない。さすがに、ない。
「ところで、食べたいものは決まりましたか?」
「……あ、いえ、ジェイドさんと同じものを」
「それじゃ作り甲斐がありませんね」
え、と思ってジェイドを見ると彼は首を傾げた。ちょっと可愛いかもしれない。いや、そうじゃなくて。
「ジェイドさんが作るんですか?」
「ふふ、昨日も作りましたよ」
「え……うそ、」
「カフェを経営してるって言ったじゃありませんか」
なに、このひと。本当にそう思った。何でもできるタイプなんだろうか。料理の腕以外のことは知らないけれど、何をしてもサッとこなしてしまいそうな雰囲気がある。
「すみません、気付かなくて。本当に美味しかったです。ありがとうございました」
「昨日もそう言っていただきましたよ。それで、朝食はどうしますか?」
「パン、ありますか?」
「はい」
「牛乳と卵と砂糖に浸して……
「バターで焼く、ですか?」
言っている途中でジェイドに当てられてしまった。共通の料理みたいでよかった。
「アイスもあるので上に乗せましょうか」
「いいんですか?」
「もちろん」
すごく素敵な朝になりそうだ。今日は直接カフェに行ってジェイドが作ってくれるらしい。

 卵と牛乳をたっぷり吸ったパンが熱せられる。じゅ、とそれだけでお腹が空いてしまいそうな音が鳴った。ジェイドが慣れた手つきでパンをひっくり返す。綺麗にキツネ色の焼け目がついていた。
 業務用アイスクリームだ。大きな四角い容器に入るそれには少し憧れる。カフェっていうぐらいだから、パフェ用なのかもしれない。丸く形を整えたバニラアイスを焼き上がったパンに乗せると、アイスが少し溶け出す。
「どうぞ」
「はい、いただきます」
外はカリカリ、中はふわふわ。お手本みたいな仕上がりだ。甘くて、温かくて、でもアイスは冷たい。
「美味しい……」
独り言みたいに言ってしまった。ジェイドの顔を見てみると、にこにこと機嫌よさそうにしている。
「美味しそうに食べてくれるひとは好きです」
「……はい、」
「それと、一つ気になっていたことがあるのですが」
「何ですか?」
ジェイドの目が細められる。何を言われるのだろう。少し間が空いて、妙に緊張してしまう。
「初めて会ったときより、よそよそしくありませんか?」
「……え?」
何を言っているのだろう。初めて会ったときって、あれだ。部屋に彼が突然現れた日のことだ。思い返してみると、確かにそうなのかもしれない。でも、あれは友人に対する態度じゃなくて、不審者に対するものだ。今はそれなりの礼儀を持って接しているつもりだし、ジェイドだって似たようなものじゃないかと思う。
 くだけた口調で話してほしいとまでは言われなかった。どうしたものかと考えているうちに、いつの間にか朝食を終えたジェイドはフライパンを洗い始めていた。
「今日も店は休み?」
少しだけ、話し方を意識して。ジェイドはわずかに目を丸めて「そうですね」と迷っている様子をみせた。
「アズールもフロイドもいないので休みにしたいところなのですが、このままだと食材のロスが出てしまうので、どうにかしたいところです」
「ああ、そういうの大変そうですね」
「損失が出るとアズールがうるさいんですよ」
「……じゃあ、今日だけメニューを一つにしてみるとか」
「それなら注文を取る手間が省けますね」
「調理はジェイドさんがするとして、ホールを誰かに手伝ってもらったら何とかなりそうじゃないですか?」
「そうですね、最低でもあと一人……」
洗い物が終わったらしい。ジェイドが濡れた手を布巾で拭う。
「手伝っていただけますか?」
「……え、私?」
「てっきりそういう話かと思ったのですが」
「や、でも私、そんな……」
だって私って、昨日のあれで有名人になってしまったんじゃないかと思うのだ。ジェイドが説明してくれたのかもしれないが、輪ができるほど寮生がいたのだ。私をよく思っていないひと、少なくないんじゃないだろうか。
「僕の目の前で貴方に危害が及ぶようなことはさせませんよ」
「……はい、あの、迷惑をかけるかもしれませんけど」
「頼んでいるのは僕なので気にしないでください」

 それから私たちは打ち合わせをした。来た人には勝手に座ってもらって、私が料理を運ぶ。お水はセルフだ。それから、食べ終わった食器を下げるのと、会計をしなければならない。人が多くなったら混乱してしまいそうだ。
「僕もホールのフォローはできますので。なるべく調理の手が空くよう、今から仕込みをしておきますね」
「私も手伝います!」

 そうは言ったものの。手が触れずとも勝手に動く木べら。ナイフを使うことなく刻まれていく野菜。ジェイドは一人で四人分……もしかしたらそれ以上働いていた。魔法でこんなに調理がはかどるなんて聞いてない。私は邪魔にならないよう、隅のほうで茹でた卵の殻をむいていた。たぶん、私がこんなことしなくても魔法でどうにかできるのだろう。
 でも、一緒に料理をするのはわりと楽しかった。普段はほとんど料理なんてしない私はジェイドの指示に従うばかりだったけど。作業して、たまに味見させてもらって、料理が出来上がる。サンドイッチとハンバーガーの中間みたいなものだった。具材のボリュームを見て、男のひとだなあと思う。

「店を開ける前に軽く食べておきますか?」
店の前に置くための看板を準備しながらジェイドは言った。確かに、店を開けたらしばらく休憩できなくなる。けれど、時間としてはまだ早いし、何よりちょくちょく味見……もといつまみ食いをしていたのが響いてくる。
「大丈夫。いろいろ食べながらやってたから……」
「わかりました。では少し早いですけど、開店しましょうか」
「あ……はい」
「緊張してますか?」
「して、る」
上手くやれるだろうか。何か変なことを言われないか不安だ。でも、少し期待もある。カフェで働くって、ちょっと憧れていたのだ。
 店を開くと、さっそくお客さんが入ってきた。外の看板を見たのか、奥の方の席に自ら座ってくれた。私は決められていた通り、ジェイドの作った料理を席に運ぶ。テーブルにトレーを置く瞬間、明らかに見られていて居心地が悪かった。けれど、思っていたのとは違う。気のせいかもしれないが、何となく同情されているような。どちらにせよ気分のいいものではないのでサッと頭を下げて私はその場を離れた。
 次のお客さんも、その次のお客さんも私を憐れむような目で見てくる。もしかしたら、無理やり働かせられていると思われているのかもしれない。私は手の空いている隙を見て、ジェイドのいる調理場に近づいた。
「どうしました?」
「なんか、みなさんの目線が……可哀想なものを見るような感じで」
「気のせいではないでしょうか」
「最初は私もそう思ったけど、絶対違う。ジェイドさん、みんなの弱みでも握ってるんですか?」
「……まあ、多少は」
「はあ~!?」
「ふふ、お会計、呼ばれてますよ」
ジェイドが差した先には確かに会計待ちのお客さんが立っていた。正直そんなことよりさっきのジェイドの発言のほうが気になる。気になるけど、仕事中だ。急いで会計に行こうとして、足を冷蔵庫の角にぶつけてしまう。叫びたくなるのを我慢している後ろで笑い声が聞こえた。顔だけ振り向くと、ジェイドが涼しい顔で洗い物をしている。笑顔で「ほら早く」と急かされて、ジェイドが優しいだけのひとじゃないことを改めて実感する。
 開店から少し時間が経って、来店客が増えてきた。お昼にちょうどいい時間帯であるのと、店が開いているという話が広まったのかもしれない。鏡が壊れたせいで寮から出られないのだ。海に出ようと思えば出られるが、そこまではしたくない。そんな飢えた寮生たちにこのカフェは救いだったようだ。メニューが一点のみなのも文句を言われないし、食べたら食べたですぐに出て行くため、客の回転も速い。私がテーブルの片付けと会計とで走り回っていると、ジェイドが出てきてくれた。
 テーブルはジェイドに任せて私は会計を担当した。全員同じ金額で、しかもわりとキリのいい数字なのが助かる。同情と、少しの好奇心が混ざったような視線は相変わらずだ。会計を終えて戻ると、ほとんどのテーブルが片付いていた。私がやるよりずっと綺麗で速い。力の差とか、慣れもあるのだろう。テキパキと無駄なく動くジェイドをぼんやり見ていたら、目が合ってくすりと笑われた。

 開店から三時間。ようやく最後の一人が出て行き、同時に店を閉める。ドッと押し寄せてきた疲れに逆らえず、近くの席にぐったりと座った。テーブルに突っ伏していると、ジェイドがジュースを持ってきてくれた。
「お疲れさまでした」
「ジェイドさんもお疲れさま。食材は捨てずにすみそう?」
「ええ。おかげさまで」
「……明日もする?」
ごく自然に言葉が出てきた。明日も当然、ジェイドと過ごすと思っていた。だからジェイドが首を振るなんて思わなかったのだ。
「さっき連絡があったのですが、代わりの鏡がもうすぐ到着するようです」
「え……明日じゃなくて?」
「僕もそう聞いていましたが、早めに手配が済んだのでしょうね」
「そっ、か」
「それを飲んだら帰る仕度をしましょう」
「……でも、片付けとかまだ終わってないし」
「アズールもフロイドも帰ってきますから、大丈夫ですよ」
胸がじくじくと悲鳴をあげた。帰れることには安心した。でも、どうしてだろう。どうして「今」と思ってしまうんだろう。まだ帰りたくないのかと聞かれると、難しい。上手く言葉がまとまらない。ただ、ジェイドが平然としているのが悔しいと、それだけはわかった。悔しいの理由は、考えたくないけれど。
 ジェイドが用意してくれたジュースを私は一気に飲み干した。少しでも未練があるような素振りを見せたくなかったのだ。
 私たちは一度ジェイドの部屋に戻った。鏡が到着するまでもう少し時間があるらしい。なら片付けを、と思ったが、ジェイドはそれを良しとしなかった。
 初めてここに来たときと同じように椅子に座る。静かだ。
「……さっきの弱みを握ってるって話」
「気になりますか?」
「詳しくは聞きたくない気もするけど、ちょっと気になる」
「他人から話を聞き出すのが少し得意なんです」
「……私も何か、言っちゃったかな」
「いいえ。ですが、さっきから不機嫌ですね、少しだけ」
「そんなつもりじゃなかったけど……ごめんなさい」
「まだ帰りたくないですか?」
何も包み隠さない物言いにハッと顔を上げる。正面に立つジェイドの顔が思ったよりも近い。左右で色の違う瞳に吸い込まれそうだった。目を逸らせない。彼の瞳に映る自分と目が合ったような気がした。
「僕は楽しかったです。戸惑う貴方を海に連れ出すのも、一緒にカフェを運営するのも。明日も貴方と何かできるのだと思っていました」
「……うん。私も、そう思ってた」
私が言ったのを聞いて、ジェイドはにこりと笑った。ジェイドはよくこの顔をするけど、今はどうして笑ったのかわからなかった。
 ジェイドのスマートフォンが鳴る。ああ、もう時間なのかな。帰るとわかってから、大した話もできなかった。せめてお礼ぐらいはもう一度。立ち上がって、今にも部屋を出て行ってしまいそうなジェイドの腕を掴む。
「ありがとう、親切にしてくれて」
「……」
だってあなた、本当はそんなに優しくないでしょう。私の言いたかったことが伝わったかどうかはわからない。ジェイドのキレ長の目が細められる。
「貴方がそうだったから」
「私?」
「僕を追い出さなかったでしょう」
「でも、あれは」
「もしそうされていたら、僕はここで貴方をみつけて、お久しぶりですと言って……まあ寮の入口までは案内したかもしれませんね」
「……」
「ふふ、冗談です。そんなに怯えないで」
冗談には聞こえない。もしそうなっていたらと思うと恐ろしい。カフェでの同情の視線の意味が少しだけ理解できたような気がする。
 掴んで、離しそこねてしまったジェイドの腕をじっと見る。振り払われはしなかったけど、頭上からひしひしと視線が突き刺さってきた。
「また会える?」
私はもう、顔を上げられる気がしなかった。


「……あの、ジェイドさん?」
恥ずかしくてジェイドの顔を見れないと思った。本当に。でも、いつまでたってもジェイドは何も言ってこないし、動こうともしない。ついに耐えられなくなった私はジェイドの顔をちらりと盗み見したのだ。信じられないことに、ジェイドはスマホをいじっていた。
 いや、私、けっこう大胆なこと言ったと思うんだけど。ねえ、という意味を込めて腕を握る力をちょっとだけ強める。さすがに気付いたらしいジェイドは私のほうを見て、にっこりと笑った。
「みつけました」
「え、何?」
ジェイドはスマホの画面を見せてきた。そこに表示されていたのは私のマジカメのアカウントで、目を疑ってしまう。
「また会えますね」
「え、え、え……なんで?」
もちろんマジカメを本名でやるなんてことはしていない。それ以前に名前も教えてないような気がする。それに私はほぼ見る専門だ。学校の友達でギリギリわかるかどうかというところなのに。すごいというより怖い。
「得意なんです、こういうの」
「いや、そういう次元じゃないと思う」
「ほとんど投稿がないですね」
「ちょっと、あんまり見ないで」
「また会いましょうね」
「……うん」
ジェイドが私の手をぎゅっと握る。握り返したいのに、私の手は彼の大きな手の中にすっぽり収まってしまっていた。

 私は寮に到着した鏡でジェイドの通う学校に転移した。直接帰るのだと思っていたけど、違ったみたいだ。新しい鏡に私の家の鏡の痕跡が残らないようにするためらしい。私を送る鏡は別に準備してあるそうで、私が帰った後は処分されてしまうそうだ。
 ジェイドは寮を出た後もついてきてくれた。手をつないだまま行こうとするので、さすがにそれは断ったけど。
 学園長の案内で鏡の場所へむかう。休日ということもあって、校内は静かだった。
 教室の扉を開くと、古びた大きな鏡とトレイン先生がいた。もう準備は整っているようだ。
 きっとこの鏡を通ったら、しばらく会えなくなる。でも、悲しいことばかりじゃない。帰ったらまず、ジェイドにフォローを返さなきゃいけない。それから、私も写真をアップしてみようと思う。……でも、でも、やっぱり次が確かなものじゃないって思うと寂しかった。
「……あの、ご迷惑をおかけしました」
学園長とトレイン先生に頭を下げる。「いえいえ」と学園長は両手を振った。
「場所さえ特定できれば転移の設定はそう難しくない。幸い場所も遠くなかった」
険しい顔をしているけど、トレイン先生の言葉は優しかった。……いや、それよりも一つ気になることがある。
「え……あの、近いんですか?」
「近いとまでは言わない。だが、今日中に帰ろうと思えば帰れる距離だ」
「まあ、それでなにかあったら責任問題になりますからねえ」
うんうん、と学園長が頷く。
「でも、ほら……ジェイドさんのスマホ!」
私の家を出た後、圏外になった。だからてっきり国境を越えたと思っていたのだ。
「ああ、調子が悪かったみたいですね」
そんなことある? 圏外って実は嘘でしたと言われたほうがまだ納得できる。……いや、さすがに、さすがにないと思うけれど。電車で帰るって言い出したのはジェイドだし。でも彼のことだから、私の良心を最大限にえぐろうとしたのかもしれない。
 理解が追い付かない私に、学園長はさらに追い打ちをかけた。
「ナイトレイブンカレッジって聞いたことありませんか?」
「……え、あります」
確か名門校だ。私には縁のないものだと思っていたから詳しくは知らないけど、名前は聞いたことがある。
 大きなため息だった。いや、嬉しいはずなのだ。次にジェイドに会うには飛行機や船を覚悟していたのだから。というか、学校の名前ぐらいジェイドが教えてくれればこんなことにはならなかったのに。
「次のウィンターホリデー、どこか遊びに行きますか?」
「せ、先生の前で何言ってるの」
クスクスとジェイドが笑う。学園長も笑っていた。トレイン先生は少しだけ気まずそうにしている。私は三人に見送られながら、鏡に触れた。

 私は無事に部屋に戻ることができた。ぴかぴかと通知が光るスマホの相手をして、静かに制服から着替えて、一階に下りる。いつの間に帰ってきたの、とお母さんは驚いていたけど適当に誤魔化した。
 迷ったけど、部屋の鏡は処分しないことにした。ただ、いきなりひとが出てきても困るので大きな布を被せている。だけど、もうあんな事故は起きないのだろうなと思う。

 一週間後の土曜日の朝、私はキッチンに立っていた。牛乳と砂糖と溶き卵を混ぜて、パンを浸す。フライパンにバターを引いてパンを焼くと、あのときと同じいい香りが漂ってきた。
 一番かわいいお皿に盛りつけて、アイスはないからシロップをかける。食べる前に写真を撮って、マジカメにアップした。
 味はあのとき二人で食べたものには敵わなかった。でも、おいしい。
 ぴこん、と通知が鳴った。
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