安室はリビングや玄関に小型のカメラを設置した。妙に手際良く感じるが、あまり気にしないほうがいいのだろう。
安室の予想では、椿たちが外出したあとすぐに犯人が現れるということだった。椿は玄関のチェーンロックを外し、鍵に手を伸ばす――そのときだった。触れてもいないのに、カチリと音を立てて鍵が回る。ぞわぞわと悪寒が走り、息をすることも忘れて椿は立ち尽くした。
「椿さん、ドアから離れて!」
安室は椿の腕を引き、自分の後ろに庇うように立たせた。――ドアノブが、回る。
「……あ、れ? 管理人さん?」
ドアを開いたのはマンションの管理人で、椿の緊張は緩和された。しかし安室は眉を寄せたまま、椿が前に出ることのないよう腕で制止した。
「僕たちに何かご用でしょうか?」
「いいえ。あなたに用はありません」
にこりと細められた目が椿に向けられる。それはいつも優しそうに笑う管理人の顔と同じはずなのに、何故か怖いと思った。感じとってしまったのだ。毎日のように怯え続けた、あの電話が掛かってきたときと同じ恐怖を。
「どうして浮気するの?」
管理人はポケットからナイフを取り出し、椿へ向けた。彼の目は血走っている。普段とはまるで別人だった。
「椿さん! 奥の部屋へ走って!」
「邪魔をするな!」
ナイフの矛先が安室へ向けられる。勢いよくそれが振り上げられたところを最後に、椿は目を閉じてしまった。
うめき声が聞こえた。しかしそれは明らかに安室のものではない。椿が恐る恐る目を開けると、安室がナイフを持った男の手を捻り上げ、床に押さえつけている光景が飛び込んできた。
「椿さん、僕の荷物の中にガムテープが入っていますので持ってきてくれませんか?」
安室は何てことのないように言う。そして、椿が言われた通りにガムテープを安室に渡すと、彼は手際よく犯人を拘束した。暴れていた犯人は大人しくなったが、未だギラギラとした視線を送られるのに耐えられず、椿は目を背けた。安室と言えば、スマートフォンを取り出しどこかに電話を始めている。恐らく警察なのだろうが、会話の内容は聞き取れなかった。
サイレンの音が近づいてくる。椿はそれをベッドに座ったままぼんやりと聞いていた。犯人の引き渡しなどはすべて安室が対応し、バタバタと慌ただしかった部屋が静寂に戻って行く。
ふと、目の前にハンカチが差し出される。安室だった。
「椿さん、もう大丈夫ですよ」
「……っはい」
ハンカチを差し出されたからなのか、その前から泣いていたのか。椿はボロボロと零れる涙にハンカチを押し当て、しかし枯れることのないそれを懸命に拭った。せめてもの抵抗で押し殺した声も、息が上がると意味を成さなくなる。安室が目の前に居て、まだ警察も数名残っているというのに、椿は幼子のように泣き続けた。椿を責めるものが一人もいないことが、彼女の涙をまた促す。
ひとしきり泣いた後で、椿は安室の存在にあることを思い出す。
「あの、依頼料は……」
安室はしゃがんで椿に目線を合わせた。眉の下がった彼は、困ったように笑う。椿は安室がこんな顔をしているなんて知らなかった。
「そんなの、落ち着いてからでいいんですよ」
少し青みのかかった瞳が細められる。「それにしても」彼の口が動いたかと思うと、視線がぶつかって椿は急に恥ずかしくなった。
「やっと顔を上げてくれましたね」
暗い肌色に金の髪が映える。椿はようやく今、安室の――いや、男性の顔を見ることができたのだ。
「あ……すみません。気を悪く、されましたよね」
「いえ、悪いのはあの男です。間違っても僕が椿さんに怒るようなことはありませんよ」
「……はい」
目を伏せたのは、安室に恐怖を感じたからではない。いつの間にか頬が熱くなっていたのだ。