インターネットでキッドの予告時刻を確認する。今日の十八時に現れることになっているらしい。美術展で一番の目玉の宝石を盗むそうだ。椿はあまり宝石に詳しくないが、その他にも有名な宝石が何点も展示されているということで、早めに美術館に向かうことにした。
 美術館の入り口で絶句。警察がわらわらと建物の周りを囲んでいるのだ。それでも客らしき人が次々と入館していく姿が見える。彼らは順に並んで手荷物の検査を受けていた。ここまで警備して展示はやめないというのも不思議な話だと思うが、これもある種の宣伝になっているのかもしれない。椿もきっと、予告がなければここを訪れることはなかっただろう。
 やましいことは何もないのに、警察に鞄をチェックされるというのは緊張する。もちろん何事もなく通ることは出来たが、どっと疲れが押し寄せてきた。

 うわ、と声を出さなかったことが幸いだった。どうして彼がここにいるのだろうか。安室は椿の姿を確認すると、気安く手を振った。
「椿さん、奇遇ですね」
「え、ええ……。偶然チケットを頂いたので」
「そうでしたか。よければ一緒に回りませんか?」
椿は言葉に詰まった。安室はどういうつもりなのだろう。近づくなと警告を受けたとばかり思っていたが、考えすぎだったのだろうか。どちらにせよ、彼とあまり関わりを持ちたくない。彼と話していると妙に期待を膨らませてしまうのだ。それがあっけなく弾けるのは分かりきっているため、忘れようとしていたところなのに。椿が返答に困っているうちに、安室は歩き出してしまう。
「あ、あの……安室さんは探偵としてここに?」
「いえ、僕はただの見物客ですよ」
安室がキッドに興味を持っているのは意外だった。が、椿は相槌を打つ程度にとどめておいた。安室は展示されている宝石についての説明をしていたようだが、椿の頭には入ってこない。
 耐えられなくなった椿は、お手洗いに行くとその場を逃げ出した。
 個室に入り、すぐにスマートフォンを取り出す。チケットをくれた快斗には悪いが帰ろう。ストーカーの相談をしたとき、念のためと交換しておいた連絡先が役立つときが来た。安室宛てに、具合が悪いので先に帰るとメールを入れる。数分も待たないうちに携帯が震えた。しかし、その内容を見た椿は目を見開くことになる。
――送り間違いでしょうか? 具合が悪いのならお大事に。
 思い出すのは今日の予告主が変装の名人と言われていること。まさか、と心を落ち着かせようとするが、心拍数はどんどん上がっていく。
 化粧室から出てすぐのところで安室は待っていた。椿が送ったメールは見ていないと考える方が自然だろう。
「じゃあ、続きを見て回りましょうか」
そう言って展示の奥へ進もうとする男を見て、疑惑が確信に変わる。椿の足は動かない。
「椿さん、どうしました?」
「……すみません、帰ります」
この男はおそらく怪盗キッドだ。しかしそれが分かったところで、彼を捕まえたいとか、捕まってほしいとか、そういう気持ちはない。椿が帰ると言ったのは、安室と同じ顔を見ているのが辛かったからだ。
「すごいですね。どうして分かったんでしょう?」
キッドは椿が気付いたと察したようだ。誤魔化すこともせず、その理由を尋ねる神経はいっそ清々しい。これは変装を見破ったことに対する称賛か、それとも己の技術の未熟さを悔いた言葉なのか。
「……さっき、メールしたんです」
「ああ、それは誤算でした」
キッドが椿との距離を静かに詰める。館内で走って逃げることもできず、椿はそれを受け入れることしかできなかった。
「せっかくですし、もう少しショーにお付き合いください。」
「……じゃあその顔、変えて下さい。それともう話しかけないで」
椿の言葉にふと笑う彼は、安室とは明らかに別人だった。

 その後キッドは姿を消し、椿は一人で宝石店を楽しんでいた。おそらく彼は別の人の顔を借りてどこかに潜んでいるのだろう。そう思っていたのに。通路の端に立つ金髪で色黒の男性を見たとき、椿は顔の筋肉がぴくりと引きつるのを感じた。
 男は椿と目が合うと図々しくも驚いたような顔をして、そのあと会釈した。椿の表情は完全に消える。
「……椿さん?」
まだ話しかけてくるつもりなのかこの男は。うっかり悪態をついてしまいそうになるのをぐっと抑え、椿は男から目を外す。
「どうしてここに……そう言えば、具合が悪いのでは?」
「話しかけないで下さいって言いましたよね。警察に突き出しますよ」
「……もしかして、僕がキッドだと思ってます?」
「え……? でも、だって……」
ぱちぱちと瞬きを何度しても、目の前の男は相変わらず微笑んでいる。彼はまさか本当に安室なのか。思い返せば、椿はキッドに“具合が悪い”なんて言っていない。
 まさかまさかと慌て出す椿に、安室はポケットから取り出したハンカチを見せた。これは椿が安室に買って渡したものである。
「これを持っていて良かったです。信じていただけますか?」
「あ……あの、ごめんなさい……本当に、あの……」
「別に大丈夫ですよ。少し驚きはしましたが。ですが気になるのは――」
安室が顎に手を当てる。
「キッドは僕に変装していた。そして椿さんはそれを知っていたということです」
口調は穏やか。表情も普段通り。それなのに、責められているような、追い詰められているような気分だった。探偵に悪事を暴かれる人間は、いつもこのような気持ちなのだろうか。