透明の壁を壊して11
無事に二台目の携帯電話が完成したわけだが、二つともここにあっては意味がない。司くんのところに潜入しているという千空くんの友達のところまで届けなければならなかった。
運搬役にマグマさん、技術者としてクロムくん、案内役としてゲンくんが指名される。しかし、問題はもう一つ。
氷月の置き土産である、ほむらという女。彼女がずっと私たちのことを監視しているのだ。何とかしてバレないように運搬しなければならない。そこで千空くんが考えたのが囮作戦だ。
進行方向と反対に音爆弾をしかけて、ほむらが気を取られている間に三人が出発。スタートは上手くいった。しかし、三人がいないことに気付いたほむらは運搬組を追いかけに行ってしまった。
私たちはゲンくんからのワン切りモールス信号を受け取りながら、ほむらの後を追う。さっそく携帯が情報戦に使われていることを実感した。それにモールス信号で位置情報をやりとりできているというのがすごい。
戦闘要員はコハクと金狼さんと銀狼くん。私はただの荷物持ちとして千空くんに同行している。メンバーの中で何となく私だけが浮いているような気がした。どうして私を千空くんは指名したのだろう。もちろん、言われたからにはできることをするけれど。
「仕掛けるぞ」
千空くんの言葉で場が緊張感に包まれた。コハクが素早く位置につき、金狼さんが斧を構える。私と銀狼くんは万一失敗したときのためにコハクの周りを固めた。
クロムくんが木を登り、偽の携帯電話を設置している。電波が悪くて繋がらないという設定らしい。続いてほむらが木を登る様子を私たちはじっと見守った。
「今だ!」
千空くんの合図とともに、木が折れる。落下するほむらをコハクは難なくキャッチした。
捕らえたほむらは石神村に連れ帰ることになった。「またね」と、わりと明るく三人に手を振って別れたのだ。だから、ボロボロの姿でゲンくんひとりだけ帰ってきたとき、私は頭の中が真っ白になってしまった。
服は泥まみれで、ところどころ千切れている。腕や足に細かい擦り傷があって、それでも息を切らして走ってきたというのがわかった。
それなのに、まだやらなければならないことがあると。ゲンくんは千空くんと二人、天文台に上っていった。誰も天文台に近づかないようにと言われて、私は反論することもできない。
天文台を下から眺めることしかできない私の肩に、そっとコハクの手が置かれる。コハクは私を気遣うように抱きしめてくれた。
「ゲンのことが心配なのだろう」
「……ごめん、びっくりしちゃって。まさかひとりで帰ってくるなんて思わなかったし、ボロボロだったしで」
「そうだな。クロムたちもすぐに帰ってくるといいが」
「うん……」
コハクの体が離れていく。ニッと彼女は笑った。
「とりあえず、ゲンの仕事とやらが終わったらとびきり甘やかしてやるといい。疲れているだろうからな」
「甘やかす……?」
どうすれば? と疑問が沸いたが、コハクは頷くだけで教えてくれなかった。
極秘任務を終えたらしく、科学小屋から二人が出てくる。すかさず私は駆け寄って、準備していた予備の服を差し出す。
「これ、着替え! 製鉄炉のほうでお湯も沸かしてる……あ、でも温泉のほうがいいかな」
「あ……ありがと~ジーマーで助かる~。温泉はちょっと距離あるしお湯のほう使わせてもらおっかな」
「うん……。えっと、お腹は空いてない?」
「まあ、多少は? ……いや、気遣ってくれるのは嬉しいんだけど、急にどしたの?」
ゲンくんはぎこちない笑みを浮かべながら言った。ちょっとグイグイ行き過ぎたかなと反省する。私としてはコハクとの会話から順序立てての行動だけど、彼にしてみれば唐突すぎたかもしれない。
「ゲンくんが疲れてるだろうから甘やかしてやれって……」
「誰かに言われたの?」
「コハクに……」
ゲンくんは千空くんと目を見合わせた。千空くんはじとりと半分目を伏せていて、ゲンくんはどことなく居心地が悪そうだ。
「カセキのじいさんの様子見てくるわ。テメーはしばらく休んどけ」
「あー……うん、ありがとね千空ちゃん」
持っていた着替えをゲンくんが受け取る。なぜか謝られたけど、私は本当に何のことかわからなかった。
「服、ボロボロになっちゃった。洗って縫えばまだ使えるし、それまでこの服借りててもいい?」
私は言葉を飲み込んで頷いた。言いたいことは山ほどあったけど、言ってしまったとして、返される言葉がわかってしまうのだ。「クロムくんとマグマさんは大丈夫?」と聞けば、実際の状況に関係なく大丈夫だよとゲンくんは言う。「天文台で何してたの?」と聞けば、きっと誤魔化されてしまう。わかっているから、聞くことができなかった。必要以上に彼に嘘をつかせたくない。そして私も嘘をつかれたくない。いつだって甘やかされているのは私のほうなのだ。
「……あとは、何か要求があれば」
ないと言われれば私は千空くんに指示をもらいに行くつもりだった。しかし、
「それ懐かし~!」
ゲンくんがケラケラと笑い出したのだ。
「覚えてる? 初めましてのときさ~、おんなじこと言われた」
「……覚えてない、かも」
「すっごい警戒されてんの俺。……なんで?」
「ええ……? 初対面だったから?」
確かに警戒してそっけない対応をしたのは覚えている。司くんのところからの追手かもしれないとか考えていたっけ。
ずい、ゲンくんの顔が近づいてくる。息を止めるほどの距離じゃなかったけど、私の呼吸は完全に止まった。
「なんでまたもとに戻っちゃうの?」
「え……そんなこと、ないと思うけど……」
だって私は好きになってしまった。同じなわけがない。けど、警戒しているというのはある意味正しいのかもしれなかった。彼の嘘を引き出さないように、私が傷つかないように警戒している。
「……せっかくのお湯が冷めちゃうし、先に汚れ落としてくるね」
「うん……」
ゲンくんは行ってしまった。笑顔だった。なんだか失敗してしまったような気がする。でも、正解がわからない。労わってあげたかったのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
千空くんに仕事をもらいに行ったのに、何もないと言われてしまう。何にもないわけないのだ。だって千空くんは今の瞬間も手を動かしている。
「いいからテメーは休んでその酷え顔どうにかしろ」
「……そんなやばい?」
「おーおー。バイヤーすぎな」
明らかに誰かを意識した単語に、私の肩が跳ねる。もう誤魔化すことも忘れて私はため息をついた。
「なんでわかるの?」
「あ゛? 気付かねえほうがおかしいだろうが」
「……ごめん」
雰囲気を悪くして、というよりこの状況で人を好きになっちゃって、という意味で言った。恋愛脳が非合理的であると千空くんはつね日ごろから言っている。だから呆れられちゃったかなあと思ったのだ。しかし、千空くんは「何がだよ」と不可解そうな顔をしている。
「……や、だから……千空くんってそういう話とか嫌いでしょ?」
「あ゛ー……人間の本能否定する気はねえよ。っつーか俺がデカブ……幼馴染のムズ痒い雰囲気どれだけ浴びせられたと思ってんだ」
「それはそれでちょっと聞きたいような」
「んなもんテメーも後でアホほど浴びるはめになるっつー話だ」
千空くんはガリガリと頭を掻いて私の肩のむこうを見やった。
「迎え来てんぞ」
私の後ろにはいつの間にかゲンくんが立っていた。汚れも落ちて、服もきれいになっていて、ざわついていた心が少し落ち着く。
「メンゴ~千空ちゃん。ってわけで名前ちゃん、ちょっとこっち」
私は言われるがままゲンくんについて行った。むかっているのは科学小屋のようだ。
「フツーにうまく行くに一万円。……って賭けにもなんねえなこれ」
千空の呟きは二人に届くことなく消えていった。