透明の壁を壊して12

 天文台にふたり並んで座る。間が空いて落ち着いたらよかったんだけど、千空くんとあんな会話をした後だ。千空くんには私の気持ちはバレていて、千空くんが気付くぐらいだからゲンくんは確実に気付いているだろう。そう思うと、ふたりきりの空間は私にとって少々毒だ。
 先に切り出したのはゲンくんだった。
「えーと、ごめん」
「メンゴじゃないんだ」
「え~それ言っちゃうの?」
「……ごめん」
あはは、とゲンくんが笑う。ちょっとだけ空気が柔らかくなった。
「さっきの俺さ、怖かったね」
「……ううん。怖いとかじゃなくて、私が……」
勝手にいろいろ考えているだけだ。今もまた、正解の言葉を捜している。けど、そんなのは一生かけても見つからないのだ。
「ゲンくんに言いたいことがあるんだけど、言っても言わなくてもあんまりよくない結果になっちゃいそう」
「それ俺めちゃくちゃ気になるやつじゃん」
「うん、ごめんね」
「どっちもどっちなら言っちゃえば?」
「うーん……」
かさりと布擦れの音が聞こえた。ゲンくんがうつむく私の顔を覗き込んできたのだ。「教えて」といつもより低い声で言われて、私は簡単に言うことを聞いてしまいそうになる。
 私がカラカラになった唇を開きかけたとき、ゲンくんは急に私から距離をとって唸り声をあげた。
「あー……なんで俺、こんな……」
「……どうしたの?」
「ほんとはさ、無理して言わなくていいよって言うつもりだったの。聞き出そうとしてごめんねって。それが気付いたら反対のこと言っちゃってた」
ゲンくんは丸めた膝に顔をうずめてしまった。やっぱり優しいのだ。そういうところが好きで、たまに影みたいなのが見え隠れしたときにドキっとして、けれどそれが辛くなることもある。私を励まそうとして嘘ついてるんじゃないかって思ったら、悲しくなってしまった。それで悪友みたいな千空くんがちょっとだけ羨ましくなって、と全部言っちゃったらゲンくんはどう思うだろう。どう思ったとしても笑顔で接してくれるんだろうなという自信だけはあった。
 言わないなら、ぜんぶ隠し通すべきだったと思う。言いたいことがあるなんて思わせぶりなことを言って、結局言わないってさすがにない。それでもすぐに言えないから、じわじわと自分を追い詰めて逃げられないようにしている。あと一押しが必要だった。
「決めた。言う」
「え、ジーマーで!?」
さっきの態度が嘘みたいに、ゲンくんはパッと顔を上げた。期待させてしまったみたいで申し訳ないけど、今すぐに言語化できる自信が私にはない。それと心の準備もだ。
「……この戦いが終わったら」
「フラグじゃん」
「無血開城させるって言った」
「いや言ったけどさ~」
いつもの冗談みたいなやり取りなのに、胸の奥がきゅうっと悲鳴を上げる。なんで私の体、こんなになっちゃったんだろう。前は確かにこのままの距離でいいと思っていた。崩れるぐらいなら隠して、それで満足できるはずだと。それなのに、だ。上手に話せなくなって、ちょっと話せたと思ったら嬉しくなって、これが千空くんの言う恋愛脳のポンコツ頭なんだと実感した。
「ごめん、ちょっと時間がほしい……。私いつもこればっかりだね」
「いいよ、待ってる。やっぱ無理だと思ったら言わなくていいし」
「……うん」
「でも、言うか迷ったら思い出して。俺は名前ちゃんの話なら何でも聞きたいよ」
なんでそんなに優しいの。泣いてしまいそうだったから、さっきのゲンくんみたいに体育座りをして膝に顔を押し付ける。長い間そうしていたけど、隣にはずっとゲンくんの気配があった。

 どうやって顔を上げたらいいのかわからなくなったころ、外が急に騒がしくなった。「マグマちゃんだ」ゲンくんが言う。さすがに私も立ち上がって、急いでハシゴを下りた。
 クロムくんが捕まってしまった。それを聞いた途端にコハクが飛び出す。千空くんがメガホンを使って引き留めてくれたからよかったけど、ならどうすればいいのかという雰囲気になってしまった。コハクがいくら強いといっても、単身で乗り込むのは無茶だ。
「ひとりで無理なら全員で行きゃいいだろうが。ケータイも完成、ほむらの監視も引っぺがした。先制攻撃するしかねえだろ」
千空くんの言葉にコハクが同意する。次々と賛成の声が上がった。

 科学道具を運ぶために蒸気自動車を作って、敵の本拠地の前で突撃用の戦車に改造。スイカちゃんのおかげでクロムくんの無事はわかっていたものの、ずいぶん時間がかかってしまった。
 そしていざ突撃となった直前、クロムくんは私たちの前に現れた。わあっとみんながクロムくんを囲む。クロムくんは私たちの助けを待つことなく自力で脱出してしまったのだ。

 戦いのゴールは復活液の原料である硝酸の確保ということになった。硝酸の採れる奇跡の洞窟を制圧する。作戦は、破裂音を戦車の大砲と錯覚させる奇襲作戦。実行部隊は千空くんと科学チームのクロムくん、ゲンくん。それからバトルチームの全員が名を呼ばれた。

 みんなが出発してからどれほど経ったのだろう。大砲みたいな音は聞こえたから、とっくに作戦は始まっているはずだ。制圧には一分もかからないと言っていたのに、誰もまだ戻ってきていない。
 待機していた私たちは喋ることもなく、ただじっと待っていた。祈りの時間だった。どうか、全員無事で戻ってきますように。それから司くんともう一度話す機会がありますように。
 ザッと土を踏む音が聞こえた。数秒遅れで歓声が上がる。
「まだ騒ぐのは早え。今から人探しのお時間だ」
千空くんが不敵な笑みを浮かべていた。その後ろに司くんの姿を見て、私は膝から崩れ落ちてしまった。

 司くんには未来ちゃんという妹がいるそうだ。旧世界では意識が戻らず病院のベッドの上で過ごしていて、けれど石化復活の際の修復力を利用すれば助かるかもしれない。千空くんは司くんと取引をして、未来ちゃんを助けることを条件に戦いを停戦状態とした。今は彼女が入院していた病院があった辺りを目指している。
 司くんは気が気じゃないだろう。未来ちゃんの意識が戻る保証なんてないし、もしも昏睡状態のまま石化が解除されてしまったら、この世界で命を維持することはできないのだ。そんな状況で、私は声を掛けてもいいのかと悩む。
 病院の跡地には無数の石像が埋まっていた。千空くんが戦いの土壇場で作り上げたダイナマイトを利用して、岩盤を破壊していく。ある程度の障害物を除いたら、あとはひたすら手作業だった。
 スコップに足をかけて土をどかす。地道な作業だ。額を流れる汗をぬぐい、もうひと堀り。力のある人たちに比べたら本当にちょっとずつしか進まないが、手を止める理由はなかった。
 掘れば掘るほど土は硬くなっていった。ぐりぐりとねじるように土を掻き分けていると、すぐ隣の土がごっそりと攫われた。
「司くん……」
司くんは私よりも何倍もの深さを一気に掘ってしまった。しかし、埋まっていたのはべつの人。司くんは掘り上げた石像を丁寧に寝かせた。
「……名前、君が生きていてよかった」
司くんはそれだけ言って私に背を向けた。目の奥がじんと熱くなった。
「司くん……! ごめん、何も言わずに逃げ出してごめん!」
司くんは振り向いて、泣きそうな顔で笑った。司くんが泣かないのだから、今ここで私が泣くわけにはいかない。早く未来ちゃんを見つけなければ。私は近くに手だけ見えている石像を見つけて走った。
 未来ちゃんを見つけたのは司くんだった。「ここ、どこ?」初めて聞いた少女の声に、私はついに涙を流してしまった。

 全部うまく行ったと思っていた。戦いは終わって、あとはみんなで協力するだけだと思っていたのだ。でも、違った。私は甘かったのだ。氷月に槍で刺されたという司くんを見たときは、悪夢じゃないかと疑ったほどだ。
 司くんはできる限りの治療を受けたけれど、回復することはなかった。せっかく妹さんに会えたというのに、こんなのってない。誰もが言葉を見つけられず、沈んでいた。しかし、千空くんだけは違った。
「司、俺はテメーを石化させる。人類滅亡させた石化光線まるごといただいて、逆用してやる!」

 司くんは千空くんの作った冷凍装置の中で眠りについた。これから千空くんは、石化光線の発生源である地球の裏側を目指すそうだ。そのために、船を造る。長くて遠い道のりのように思えたけど、完成は確実に一歩ずつ近づいてきていた。

「ゲンくん」
戦いが終わったらと言っていたのに、ずいぶん待たせてしまった。あのときから彼とはふたりで話をしていない。それなのに、ゲンくんはすぐに察してくれた。
 今の私の寝床はラボから移っている。簡易的だが、家を建てたのだ。私はゲンくんと向かい合って座っていて、もうかなりの時間が経っている。
 今さらやめるなんて言えるわけない。ゲンくんはやめてもいいよって言ってくれると思うけど、それじゃダメなのだ。でも、どうしても勇気が出ないから、甘えることを許してほしい。
「……ゲンくん、私と勝負してくれない?」
「え……勝負? えっ!?」
「三択問題だよ。私の本音、当ててみて」
「……いいよ、本気出しちゃうからね」
ゲンくんはたっぷり何かを含めたような笑みを浮かべていた。久しぶりだ、この感じ。私はこんなときでさえときめいてしまうんだから、もう本当にどうしようもない。
 一つ目、と私は前置きした。
「……船がね、完成しなければいいのにって思ってる。司くんのことは助けたいけど、ここでみんなで頑張るんじゃだめなのかな。船ができたらみんなとはお別れだし、船旅なんて危険がいっぱいだろうし。私は……もう文明とかこのままでもよくて、みんなに毎日会えるほうがいい」
「……今のが一個目ってこと?」
「うん。じゃあ次ね。……司くん側についてた人たちに聞いたよ。ゲンくんがリリアンの声マネでみんなを説得してたの。私には内緒って言われたときから、どうやって話していいか、わからなくなっちゃった。なんで教えてくれないのって拗ねてたの。聞いたら誤魔化されるんだろうなって思って、でも私はゲンくんみたいに言いたくないなら言わなくていいよって思えなくて……。嘘で励まされたなって感じたら……悲しく、なっちゃって……」
ぽたぽたと涙が落ちてくる。本当に言ってしまってよかったのかなという不安と、嫌われたくないという願いだ。ゲンくんは黙って私の話を聞いてくれていた。それがありがたかったけれど、もし途中で大丈夫だよって言ってくれたらこんなに不安になることはなかったかもしれない。
「気を遣って言われる嘘はやだ……」
「名前ちゃん……」
「次、最後……」
ゲンくんの言葉が怖くて、遮るように言ってしまった。私は乱れた呼吸を整えるために深く息を吸った。でも、いつまで経っても落ち着ける気はしない。本当はゲンくんの顔を見ながら言うはずだったけれど、私は自分の膝しか見れなかった。
「好きです」
恥ずかしさよりも悲しさが勝っていた。ほとんど見込みはないと思っていて、これが嘘だという逃げ道も準備した。嘘を嫌だと思った私が嘘を利用しようとしている。私は卑怯なのだ。
 できる限りの空気を吸い込んだ。涙を拭って、声を張り上げる。
「はい、正解はどーれだ!」
顔を上げた途端、身を乗り出したゲンくんと目が合って、ぎゅっと抱きしめられた。目の前いっぱいにゲンくんの顔があって、その後ろに天井が見えている。
「こんな簡単に押し倒されないでよ」
「……ごめん」
私はわけもわからないまま謝った。
「いいよ。でも俺だけにして」
「うん……」
 わしゃわしゃと犬を撫でるみたいにゲンくんの手が私の頬の上で動く。おでこをコツンと合わせられて、キスされるのかなと思った。結果的に間違ってはなかったけど、ゲンくんの唇が触れたのは私の頬だった。背中に手が回されて、ぐいと引き上げられる。ゲンくんは私を起き上がらせると、私から人ひとりぶんの距離を空けた。
「さっきの勝負だけど、俺の負けでいい?」
「……ゲンくんは負けてないよ」
どれを選んでもゲンくんの勝ちだなのだ。さっきのは最後のを選んでくれたってことでいいのだろうか。そう考えていた矢先に「選べない」とゲンくんが言う。
「だって正解がひとつと、他ふたつは嘘なんでしょ?」
「うん……」
「俺ずるいから、三番しか選べない。でも三番しか答えがないのもやだ」
ゲンくんの指が私の目元に伸びてくる。まぶたを閉じたら、溜まっていた涙が頬をつたった。
「……ごめん。先にズルしたの私だから、私の負けだね」
「もう! 名前ちゃんの意地っ張り!」
私はまたゲンくんに抱きしめられた。けど、なんか思っていたのと違う。子供をあやすみたいによしよしと背中をさすられているのだ。
 呼吸が落ち着くと、ゲンくんは私を解放した。
「じゃ、勝負に負けた名前ちゃんは罰ゲームね!」
「え……な、に?」
「警戒しちゃってかわいーんだ」
「……何するの?」
「名前ちゃんの今の気持ち、教えてよ。三択じゃなくてさ。何でもいいよ、今考えてること」
今、考えていること。ゲンくんの言葉を頭の中で繰り返す。なんだろう、本当に何でもいいなら……
「……えっと、嬉しい。かな」
「なんで?」
私はごくりと喉を鳴らした。的外れなことを言ってしまったら恥ずかしい。でも、今の気持ちといったら本当に「嬉しい」なのだ。
「……ゲンくんが、抱きしめてくれたから」
「はぁ~~……」
大きなため息のような、それでいてどこか不満を含んだような声だった。ゲンくんは正座の膝の上に額をこすりつけて、下手したら土下座にも見える体制で頭を抱えていた。
 ぬるりと体を起こしたゲンくんが自虐的に笑っていたから、私はびっくりしてしまった。
「俺はさあ、正直ちょっと戸惑ってる」
「え……」
「待って最後まで聞いて。あのね、ここで誰かに手を出す気なんてなかったの、俺」
そう言ったゲンくんからは照れが感じられた。ゲンくんは基本的に話しているときは相手のことをしっかりと見ている。観察しているというのもあるだろう。けど、今は完全に私のことを見ていない。手元とか膝ばかりを見ていて、ちょっと前の私みたいだ。
「名前ちゃんとの間に甘酸っぱーい空気が流れてたのは気付いてたよ? でも、現状維持だなって思ってた。もし文明が復興して、名前ちゃんがまだ俺のこと好きそうならそのときは~みたいな感じで。なのにこれ」
喜んでいいのか悲しんだらいいのかわからなかった。やっぱり気付かれてたんだなとか、そういう次元じゃない。少なからず私を好意的に見てくれていたと受け取っていいものなのか。
 でも、こんな風に話してくれるのは嬉しかった。私がいろいろ言ったからだとは思うし、それに彼が合わせてくれているのもわかる。これも甘えの延長線上なのかもしれない。けれど、それでも近づけた気がするのだ。
「こんなつもりなかったのにさあ、かわいいんだもん」
「……かわいいは、恥ずかしい」
「嬉しくない?」
「……嬉しい」
ゲンくんは何度目かもわからない大きなため息をついた。
「もう嘘つかないって言ったらそれ自体が嘘になっちゃうけどさ、名前ちゃんを悲しませたくないとは本気で思ってるよ」
「……うん」
「だから俺の恋人になって」
「う、ん」
「好きだよ」
「わた、しも……好き」
「よくできました~!」
ゲンくんはがばっと腕を広げた。今度は私から行かなければならないらしい。けど、何の抵抗もなかった。