めざめのゆめ03
「とりあえず前、隠してよー!」
ジャングルとか石像のことはこの際どうでもいい。いや、どうでもよくはないのだが、なまえにとって一番重要な問題がこれだった。千空は尻もちをついたなまえのすぐ前で膝を立てている。下さえ見なければ見えないが、もし下手に動いて当たってしまったらどうしようと、そんなことばかり考えてしまうのだ。
「非常事態なんだから仕方ねえだろ」
「……私のズボン貸す?」
「それだとテメーがパンツ丸出しだがいいのか?」
「……よくはない」
なまえは耐え切れなくなって目を閉じた。ため息が聞こえてくる。「待ってろ」千空はそれだけ言った。そして、ぶちぶちと千切るような音が近くで聞こえた。
「もういいぞ。目ぇ開けろ」
「うん……?」
目を開けると、正面に千空が立っている。気になっていた腰元は草やツルで隠されていた。
「状況がよくわからないんだけど……」
「ちーっと待ってな、すぐ計算すっからよ」
「……千空くん?」
なまえの声はすでに聞こえていないようだった。千空の唇はわずかに動いているが、声は聞き取れない。
――おそらく、一分もかからなかった。
「西暦5738年……」
千空は足元の石を拾い、木に刻み込んだ。西暦5738年、四月一日。なまえはその文字を口に出して読み上げる。語尾は疑問形だった。
「今日の日付な。今日が紀元ゼロ年、こっからスタートだ」
「……んん?」
「あ゛ー……、テメーのせいで話が何倍もややこしくなる。まあ、まずは状況整理だな」
千空はあぐらをかいて小枝で地面に線を引いた。2021年、とまず最初に書いたあたりなまえ視点で話を進めるつもりなのだろう。
「初めましてがここだな」
「うん」
「で、俺は2011年から来てる。テメーとベッドで寝たら河原で目ぇ覚めて、夢かと思ったらぶっかぶかのシャツ着てたからビビったわ」
「大丈夫だった?」
「まあな。もとの時空じゃ一時間も経ってなかった。ソッコーで家帰って着替えて、靴は川に流されたってことにした」
千空は2011年から2021年にむかってつーっと線を伸ばした。しかし、線は途中で止まる。2019年。ここで何か起きたのだろうか。
「2019年、人類は石化した。たぶん全人類な。そこら辺に転がってんの、テメーも見ただろ」
「え……でも、」
「まあ信じらんねえわな」
「いや、信じられないっていうか……ついていけないていうか……」
千空が嘘を言っているようには見えなかった。やたらリアルな石像のことも、もとは人間でしたと言われるほうが納得はいく。しかし、人が石になるなんてファンタジーだ。まだ時間旅行のほうが、近未来的科学として受け入れられそうである。
「……あ、でも一つわかった。千空くんは過去から来たんじゃなくてべつの世界から私の部屋に来たんだ」
「ククク話が早くて助かるわ」
千空はにやりと笑った。あのときのまんまの表情だ。けれど、受け取る側としては戸惑ってしまう。千空は子供らしい子供ではなかったが、あのときは可愛かったなあと思うほどには成長しているのだ。
千空は2019年から矢印を引く。そこには容赦なく「3700年経過」と書かれた。
「……なんで3700年?」
「大体な。説明するとき面倒だろ」
「そうじゃなくて、なんでわかったの?」
「数えてた。それ以外に方法ねえだろ」
「……うん。もうわかった、千空くんを信じる」
あり得ないと口で言うのは簡単だ。しかし、もはや自分の常識が通じる世界ではなくなっている。ヤケと言われればそうなのかもしれない。だが、自分よりも千空のほうがよほど信頼できると思ったのだ。
「そりゃおありがてえこった。だがな、本題がまだだ」
「なに?」
「……」
おや、となまえは思った。千空はわりとズバズバものを言うタイプだ。しかし、今は考え込むようにして腕を組んでいる。それほど言いづらいことなのか、何かべつの理由があるのか。
千空くん、と声を掛ける。「大丈夫だよ」という言葉がお守りにもならない状況だが、なまえにはそれしか言えなかった。
「……俺は今から生活基盤を整える。それはなまえ……、テメーにも手伝ってもらいたい」
「え、普通にいいよ?」
なんだそんなこと。きょとんとしたなまえに、千空はため息をつく。
「つまりだ、テメーをもとの世界に帰す方法は探せねえ。今はな」
「……そんなの、いいのに」
「いいってこたねえだろ」
「私にとってはそうだけど、千空くんは自分のことだけ考えていいんだよ」
「…………んじゃそうさせてもらうわ」
ふいっと千空は顔を背けた。何か気に障ることを言ってしまっただろうか。なまえは駆け寄って手を伸ばす。とっさの行動だった。しかし、寸前のところでぴたりと手が止まる。手が触れようとした先は、生身……素肌じゃないか。
「……ッ!」
「何やってんだよ……」
振り返った千空は呆れたような顔をしていて、なまえは少しほっとした。しかし、これだけは言っておかなければならない。
「まずは服の調達を希望します……」
「いやフツーに食だろが。野生動物でも捕まえりゃ、肉も食えるし皮が手に入る。そっからだな服は」
「ええ……だって目のやり場に困るよ、それ」
「非常時にいちいちンなことで騒ぐな」
「じゃあ、これ……」
「なっ……!」
なまえはプチプチとパジャマの上のボタンを外して脱いだ。他人の前でキャミソール一枚というのはなかなかに抵抗があるが、千空の言葉を借りるなら「非常時だから仕方ない」である。それなのに千空ときたら、パジャマを突き返してきたのだ。
「いらねえ。さっさとそれ着ろ」
「でも私たちこれから協力するんだし。もし食べ物持ってたら半分わけてあげるでしょ」
なまえは引かず、半ば無理やり千空に上を着せた。ぼそっと「だっせぇ」と言うのが聞こえた。
「お気に入りなのに……」
「柄の話じゃねえよ。ったく、いつまでも子供扱いしやがって」
「千空くん今いくつ?」
「十五」
「じゃあまだ私のほうがちょっとだけお姉さんだ」
ふふ、となまえが笑う。千空はそれが気にくわなかったようで、靴も履いてない足で石ころを蹴って顔をしかめる。きっと痛かったに違いない。
まず火だ。と言ったわりに、一日かけても火は起こせなかった。火起こしはいったん置いておいて、石を割って道具を作ることにした。しかし、石を割るのもかなりの力が必要だ。
なまえは道具作りを早々と諦めて……もとい千空に任せて食べ物を探していた。適材適所である。
猿のあとをこっそりついて行ったら何かあるんじゃないかと思ったけれど、猿はなまえを待ってはくれなかった。ものすごいスピードで木々を渡るから、あっけなく見失ってしまった。
しかし猿も憎らしい。追いかけたら逃げるのに、なまえと千空が河原で何かしていると、どこからか現れて見物してくるのだ。
なまえは肩を落とした。猿の追跡は諦めて、別方面から食材を探すしかない。
探索は基本的に川沿いに行うように言われている。迷わないようにするためだ。
川には小さな魚が泳いでいるが、素手で捕まえるのは無理だった。それに今の状況では焼くこともできない。生で食べられる果物か木の実が欲しいところだ。
「千空くん、これ食べられるかわかる?」
なまえが見つけたのは二種類のキノコと一種類の木の実だった。もし毒キノコだったらということも考えて、キノコは葉でくるんで一つずつ持ち帰った。食べられるというお墨付きがあれば、もっと採ってくるつもりだ。
千空は石を研ぐ手を止め、なまえの収穫を確認した。
「マイタケは食用だな。けどそっちはニガクリタケっつー毒キノコだ。食うと苦えし腹壊す」
「いっぱいあったのに……。じゃあこっちの木の実は?」
なまえは黒っぽく熟した丸い実を差し出した。ぶよぶよした手触りで、潰すと種や汁が出てくる。臭いは草だなあという感じだ。
「……見たことねえな。動物が食ってたのか?」
「ううん。とりあえず見つけたから持ってきた」
「じゃあ保留だ。その辺置いといて、鳥か動物が食えば試してもいい」
「……頼りになるし、物知り」
「褒めても何もでねえぞ」
千空は再び石を削り始めた。いくつかは歴史の教科書に載っていたような形になっている。
「それ、だいぶ石器っぽくなってきたね」
「ああ、ようやく一歩前進ってとこだな」
「これで狩りに行くんだ!」
「違え。それより先にやることあんだろ」
なまえが顔に疑問符を浮かべると、千空がため息をつく。もう何度目かもわからないやりとりだ。
「まずは火だっつってんだろ」
すぐに火を起こせるのかと思いきや、道のりは長い。千空に渡されたのは、石器を使って集めた植物の茎だった。これで紐を作るらしい。ほぐして、ひたすらクネクネ縒り合わせる。気付けば手が緑色になってしまっていた。
出来上がった紐を使って作ったのは、弓のような形をした道具だった。弦の部分に木の枝を当てて擦ると、けっこうな速度で回転する。手動では無理だった火起こしが、やっとのことでゴールにたどり着いたのだ。
「すごい!」
「これで食えるモン増えたな。さっきのマイタケでも焼くか」
キノコを枝に刺して火で炙れば、なんとなくそれっぽい。念願の火を通した食事ではあるが、あらゆる味を知った現代人としてはとても満足できるものではなかった。
「せめて調味料がほしい……」
「海水さえありゃ塩はなんとかなるな。……あ゛ー土器も作んねえと。マジやることだらけだ」
キノコだけの夕食はあっという間だった。パチパチと鳴る焚火を眺めていると、自然と眠気が訪れてくる。
「明日はどうする?」
「肉だな」
「わあ~」
「よだれ垂らしてんじゃねえ」
「垂らしてないし……」
かくん、と頭が落ちる。なまえは体を丸めて横になった。
「千空くん、寒くない?」
「テメーのお可愛らしいパジャマ様のおかげでな」
「焚火もあるしね」
「さすがに火の番はしねえから朝には消えてっけどな」
「そっか、消えちゃうんだ……」
なまえは目を閉じた。おやすみと最後に言ったような気がしたけれど、もしかしたら夢の中だったかもしれない。