めざめのゆめ04
目覚ましのない世界だが、日没とともに寝る生活をしていれば自然と早朝に目が覚めるようになっていた。今日は千空よりもなまえが早起きの日だった。
川の水で喉を潤していると、かさりと物音が聞こえてきた。音を立てないように気を付けながら、音の聞こえてきた方向をうかがう。鹿のような生き物が草を食べているところだった。
なまえはすぐに昨日の千空の言葉を思い出した。次は肉。あれは獲物になるんじゃないだろうか。
千空の肩を揺する。起きた千空が声を出さないように、人差し指で「静かに」のジェスチャーを作った。
何か言いたげな顔な千空だが、声を出さなかったのはさすがである。なまえは鹿のいた方向を指差し、石器を手に取った。
「……脚力、自信あんのか?」
小声の千空の問いになまえは首を振って答えた。運動音痴ではないが得意でもない。おそらくだが、千空もそうだ。どっちが行くんだという空気の中、千空がなまえの手から槍をとる。
抜き足、差し足……千空はギリギリまで隠れながら近づいて、一気に飛び出した。あともう少しで槍が届くところまでは行けた。しかし、一瞬で距離を取られて逃げられてしまった。
ぜえぜえと息を切らしながら千空が戻ってくる。
「クッソ、追いかけんのは無理だな」
「槍がダメなら弓作ろ」
「当てられんのかよ」
そう、千空は作れないとは言わない。作ろうと思えば作れるのだろう。しかしながら、なまえに弓道の心得なんてものはなく。
「ま~……そのうち?」
「ンなもん待ってられねえ。作るなら罠だ。ちょうどそこにさっきの鹿が食ってた草があるだろ?」
「……なんかワクワクする!」
「ああ、楽しい罠作りのお時間だ!」
なまえが石器を使ってエサ集めた。その間に千空は罠の大まかな形を作っている。さっそく昨日作った紐の出番だ。自分が作ったものが役に立つのはわりと嬉しい。
「で、この輪っかの中にエサを仕込む。そこにヤツが来たら……」
「おお~……これって自動?」
「上手く行けばな。手動でも動かせるようにはしてるが」
千空はなまえに紐を握らせた。罠が上手く動作しないようであれば、ここを引けばいいらしい。
息を潜めて待つこと数時間。とんでもなく根気が必要なのだと今さら気付く。なまえと千空は道具作りながら待っていた。疲れたら休憩して、の繰り返しだ。
見よう見まねで草を編む。地味な作業ではあるが、かなり首にダメージがきそうだ。
「千空くん、これは何を作ってるの?」
「カゴだ。山菜取りのとき、あったが便利だろ?」
「正直すごく欲しかった……」
「単純に収納にもできるしな」
くあ、と千空があくびをする。
「眠い?」
「眠いっつーかな、待ちくたびれたわ」
「同じく。もうお腹と背中がくっ……」
なまえが喋るのをやめたのは、千空が人差し指を口元に当てたからだ。千空の目がキラキラしている。これはもう、期待するなというほうが酷だ。
仕掛けた罠の先を見る。ちょうどお食事中ではないか。……しかしまだ、罠は発動していない。紐を使った方がいいのだろうか。確認の意味で千空を見ると、彼は静かに首を振る。そのときだった。
ガサガサと木の葉が激しく動く。鹿は足を吊られ、鳴き声を上げていた。
「やった!」
「……おい」
千空が咎めるような声を上げる。なまえは歓喜のあまり千空に抱き着いていたのだ。千空はぴたりと体を固まらせ、微動だにしようとしない。
なまえは慌てて飛び退いた。あくまで喜びの表現としての行為だったのは間違いない。しかし客観的な目で見ると、どうだろう。
「ごめん、ごめんなさい!」
ふたりとも薄着で、千空に至っては下半身がほとんど裸に近い。上はなまえのパジャマを引っかけてはいるが、圧倒的に布が足りていなかった。
「……さっさとアレ下ろすぞ。腹減っただろ」
「うん……」
ふたりがかりで鹿をゆっくりと下ろす。話し合う間もなく千空がとどめを刺してくれた。
「おいしい……」
「ああ、お涙ちょちょぎれそうだわ」
ここに来て初めての肉だ。調味料なんてなくてもご馳走だった。冷蔵庫はないけど、焼いておけば明日も食べられそうだ。
「これで服、作れる?」
「その前になめしっつー地獄の作業が待ってるがな」
「なめし……聞いたことはあるけど、どうやるの?」
「ひたすら噛む」
「そうなんだ……」
なまえはこのとき「地獄の作業」という意味を理解していなかった。噛むだけならそんなに難しくないだろうと、高を括っていたところまである。
次の日からなまえはさっそく作業に取り掛かった。一刻も早く千空に服を着てほしかったのだ。しかし……。
「……あご、しぬ」
「クククそりゃそうだ」
「このまま服にするんじゃダメ?」
「腐るわ。それか乾いてコチコチかの二択だな」
「頑張ります……」
とは言ったものの、今日はもう限界に近い。編み物をする千空と交代してもらい、ようやく一つのカゴを完成させることができた。
決して整った形のカゴとは言えない。しかし、利便性は抜群だ。食べられるか判別できないものも全部持ち帰って、千空に見てもらうことができる。結果、明らかに食事の量が増えた。
なめしと道具作りを並行して行う間にも、罠に新たな獲物がかかった。しばらく食べるものには困らないだろうが、なめす皮の量は増える。服の次は靴、袋など、用途はたくさんあるらしいのだ。そして、やっとのことで千空の服は完成した。
「っつーわけでコレ返す。ボロボロにしちまって悪ぃ」
「そんなの仕方ないよ。私が履いてるズボンもけっこう傷んでるし」
「次はテメーの分も作んねえとな。さすがにソレだと他のやつら起こしたときに説明が面倒だ」
「とりあえずは困ってないから後回しでいいよ。どっちかっていうと靴のほうが欲しいかも」
「それもそうだな。靴がありゃ、探索の範囲も広がる」
「うん。……じゃあ私、着替えるついでに水浴びしてくる!」
千空は眉をぴくりと動かした。むすっと不機嫌そうな表情で、千空はたまにこの顔をする。聞いても理由は教えてもらえない。「……おー行ってこい」と、しばらく間が空いて返ってきた。
昼間から野外で素っ裸。初めのうちは抵抗があったものだが、今ではすっかり慣れてしまっている。人間なんて自分と千空しかいないのだ。それに千空がのぞきなんて、考えられない。
川の水は冷たくて気持ちいい。しかし、あたたかいお湯に肩まで浸かりたいという願望は捨てきれなかった。今は調理用の土器を作っているから、頑張ったら風呂釜も作れるのだろうか。どちらにせよ、まだ先の話ではある。改めて考えてみると悲惨な状況ではあるが、千空のおかげであまり絶望感はない。
川で全身を清めたあとは、できるかぎり水気をとって服を着る。夜に水浴びができないのは、髪が乾きづらいからだ。
「ただいまー」
なまえが戻ると、千空は細長い紐を差し出してきた。
「髪、結んどけ。肩びちゃびちゃになって風邪でも引かれたらたまんねえ」
「そっか、ありがとう……」
実は髪を切ってしまおうかと悩んでいたところだった。手入れもできないし、汚れがついて不衛生だと思っていたのだ。かといって、いきなり石器でざっくり行く勇気もなく過ごしていた。だが、結べるとなれば切る必要もないかもしれない。
後ろで髪を束ね、紐で囲む。しかし、上手く結べない。ゴムのように伸び縮みするものとはワケが違った。
「千空さ~ん……」
結んで、と首をかしげてみる。
「ったく……お姉サマが聞いて呆れるなあ?」
「そんなこと言わないでお願い~」
「しゃーねーな」
千空がなまえの後ろに回り、髪の束を手に取る。硬くなった指先がかすかに首筋を掠めてくすぐったい。髪をまとめるためか、櫛で梳くように千空の指がなまえの頭を撫でつける。
「できそう?」
「思ったよりムズいなコレ」
「私が髪の毛持ってたら結べるかな」
「それで行くか」
なまえは髪を持ち上げた。千空がそこに紐を通し、しばらくすると軽く引っ張られるような感触があった。
「っし、上手く行ったな」
「やった、ありがとう。千空くんも結ぶ?」
「俺のは立ってるからいいだろ」
「ほんと謎だけどね。ここでは便利だからいいのかな」
「学校じゃ黒板見えねえって苦情出てたぞ。さすがにそんときは結んだな」
「確かに千空くんの後ろの席だと苦労しそう」
なまえは何の気なしに千空の髪に触れた。柔らかくてふわふわだった髪が、今は傷んでしまっている。もったいないなあと思っていると、千空が一歩後ろに下がる。
「あ……ごめん、嫌だったよね」
「いや、驚いただけだ」
ふたりの間に妙な間が生まれた。ぽたりと顎から水滴が落ちる。髪が乾くまでもうすこしかかりそうだ。
なまえは努めて明るく言った。
「……えっと、次はなにしよっか!」
「土器と皮と食料は増やす。あと家が必要だな」
「家……!?」
まさかの単語になまえは声を上げる。家なんて作れたら、一気に何十年もの文明が進むのではないか。それに何より欲しくてたまらない。
「なーに驚いてやがる。遅くとも冬までには仕上げねえとゲームオーバーだぞ。ま、目標は半年ってとこだな」
「……頑張る」
「ああ、ぶっ倒れんじゃねえぞ」