めざめのゆめ05

 なまえと再開したとき、千空にとっては八年と石化していた分の年月が経っていた。しかし、彼女にとってはあの日の数日後。幼い千空を前に途方に暮れて泣いていたなまえが精神的に成長しているなんてあり得ない。それなのになまえは涙ひとつ見せずに千空に協力していた。
 男だとか女だとか、そんなことで騒ぐような人間でなくてよかった。まずは服を作ろうと言ったところなど、一見男女の差を意識しているように見える。が、実のところ全くだ。水浴びしてくると能天気に言ってしまうところなんて、正にそうだった。歳なんてもう一つか二つしか変わらないのに、未だに子ども扱いである。
 家作りは思ったよりも順調だった。木の上に土台を作るのには苦労したが、人がふたりもいると楽だ。もしなまえがいなければもっと時間が掛かっていただろう。彼女にとっては不幸な出来事だが、千空としては助かっていた。だから、どれだけ時間が掛かろうがなまえをもとの世界に帰す研究はするつもりでいたのだ。
 家はあと、屋根を作れば完成というところまできた。壁と床があるだけでも生活水準は格段に上がる。木と藁の床に寝そべったなまえは、これまた能天気な顔で「今って七月ぐらい?」と言う。
「七月二十日な」
「え、数えてたの?」
「むしろ数えてなかったのかよ」
「ええ~数えないよー……あ、そうだカレンダー作ろう!」
なまえはぴょんと飛び起きて石器を手に取った。何をするつもりかと思えば、壁に経過した日数を掘ろうとしているようだ。
「ここ掘ってもいい?」
「構わねえが、牢獄っぽさ増すな」
「そんなことない! これも文明の一歩……?」
「自分で言ってて自信失くしてやがる」
なまえは壁に四月一日と掘った。それから「……」と書いて、七月に飛ぶ。その隣に「正」の字を四つ書いた。
「どうかな」
「まあ、いいんじゃねえか?」
人が増えれば日付というものも共有しなければならなくなる。だから案外合理的かもしれないと思ったのだ。
 屋根は木で大まかな土台を作り、植物の葉を敷き詰めれば日よけにはなる。雨漏りはこの際仕方ない。家作りばかりに時間を費やしていられないのだ。
 次の目標としては、人手を増やすことだ。千空となまえのふたりでは生活に限界がある。特に力仕事は最も苦手とする部類だ。
 千空は自身が復活した場所になまえを連れて出向いた。
「ここに何かあるの?」
「たぶん俺の知り合いだ。俺の近くに流されてた、妙にゴツい手……」
土から生えた石の手の周りにスコップを差し込む。掘り進めていくと、思った通りの顔と対面した。しかし、感動の再開にはまだ早い。
「友達?」
「ああ。大木大樹っつー小せえころからの腐れ縁だ」
「幼馴染だ!」
「ま、そんなもんだ。とにかくコイツのパワーは計り知れねえ。どうにかして復活させる」
「でも、どうにかって言っても……」
千空は大樹の石像の先を指差した。そこは千空が目覚めた場所で、石を目印として置いていたのだ。
「ここが俺が目覚めた場所な。で、そんとき俺の頭が向いてた先が……」
千空はさらに別の方角を指差す。洞穴を目にしたなまえは首をかしげた。
「ええ、こんなのあるなら家ができるまでここで寝泊りすればよかったんじゃないの?」
「テメーがコウモリと一緒に住みてえならな」
「……それは無理」
洞穴に入るとき、千空はなまえにぎゅうと腕を握られていた。よほどコウモリが怖いらしい。年上ぶっているくせ、すぐにこういうことをする。
「おとなしくしときゃ平気だ」
「うん……ごめん」
「謝んなくていい。それよりアレ見ろ」
ぽたぽたと洞穴の天井から水滴が落ちている。あれは恐らく硝酸だ。コウモリの糞が長い月日をかけて変化したものだ。
 千空にはまだ石化が解けていない部分があった。首の後ろ側、髪の毛ごと石の破片のむしりとり、硝酸に当ててみる。
 千空の考え通り、石の破片は砕けて飛び散った。
「すごい! これで仲間が増える!?」
「気が早えな。ま、とりあえずは土器に硝酸集めてアイツにかけるっきゃねえ」
「わ~ここ最近で一番楽しみ」
「上手く行きゃあいいがな」
千空たちは土器を置いて洞穴を後にした。

 数日後、土器いっぱいになった硝酸を大樹にかけた。しかし、石像はぴくりとも動かない。そう上手く行くと思っていたわけではないが、やはり落胆はしてしまう。
「……なんでダメなんだろう」
「試しまくって仮説立てるしかねえ。その辺の石像、ツバメも含めて実験しまくるぞ」
それからはひたすら実験の繰り返しだった。ツバメの石像を集めて、硝酸は水や土と混ぜてみたりもした。しかし、ひとつとして上手く行かない。
――考えろ。なんで俺だけ硝酸で戻った?
 千空は洞穴の硝酸の前であぐらを掻いた。自分と他の連中の違い、思いつく限り考えて仮説を立てるしかない。
――考えろ、考え……
 そうだ、考えていた。千空は3700年の間、ずっと考えていたのだ。その莫大なエネルギーはいったいどこから? 無からエネルギーが発生するなんてことはあり得ない。
「エネルギーとブツは等価交換」
これはアインシュタインが導いた、世界一有名といっていい方程式だ。
 千空は衝動的に親指を噛みきった。その血で、服に刻み込む。
「E=mc2」

「おい、なまえ! 手伝え!」
千空がツリーハウスに戻ると、なまえはツバメの石像を火で炙っているところだった。指示したわけではない。なまえもなかなかの実験好きのようだ。
「え……っていうかそれ、服に書いてあるの何?」
「知らねえのかアインシュタイン」
「知ってる、相対性理論でしょ? ……理論の中身は知らないけど」
「説明する時間が惜しい。とにかく来い」
千空はなまえの腕を引いた。
 さすがに何も説明しないのは気が引ける。道中、千空は先ほど立てた仮説を唱えた。口に出せば頭の中も整理できて一石二鳥だ。
「仮説を立てた。俺の石化が溶けた理由は、硝酸プラス……エネルギーの消化」
「エネルギー?」
「脳みそ働かせるエネルギーだ。秒数数えてたって言ったろ」
「じゃあ他にもそういう人がいたらいいんだ」
「まあな。秒数じゃなくてなんでもいい、意識さえ飛ばしてなけりゃ……」
ぽつりと水滴が顔に当たる。雨のようだ。ぽつぽつと雨粒は増え、すぐに本降りになった。なまえには悪いが、引き返して日数を無駄にしたくない。
「大樹を洞穴の中まで運びたい。俺の仮説が正しければ、待ってりゃそのうちひょっこり起きてくるはずだ」
「大樹くんの意識があるってわかるの?」
「ああ。コイツはたった3700年ぽっちで諦めるような男じゃねえんだよ」
「……わかった」
千空となまえのふたりの力を合わせても、大樹の石像は重かった。それだけに、目覚めた後の働きには期待が高まるというものだ。
 ツリーハウスに戻ったときは、ふたりともびしょ濡れだった。濡れた服をぴたりと肌にはりつけたなまえを見て、罪悪感が遅れて芽生えてくる。
「……悪ぃ」
「謝んないでよ~。暑かったしちょうどいいって。家ないときに濡れるなんて普通だったじゃん」
「寒くねえか?」
「うん。千空くんは?」
「俺は平気だ」
ふいっと千空はなまえから目を逸らした。こうするとなまえが不満そうにするのはわかっていたが、今日は仕方ない。

 千空となまえは大樹の復活を期待しつつ、実験も別に進めた。こうなってくると、実験用の小屋が欲しくなってくる。
「……え、もう一軒建てるの?」
口にこそ出さなかったが、なまえの表情は「無理」と言っていた。その気持ちもわからなくはない。
「この先、実験やってて一発ドカンなんてことになるかもしんねえ。ここまで立派な家じゃなくていい。求めてんのは一ヶ月で建てられる程度の小屋だ」
「それならまあ……?」
「ククク、チョロいな」
「それ口に出さないでよ!」
なまえは怒りながらもさっそく材料集めに出掛けて行った。

 科学小屋も完成し、実験も重ねた。擦ったり衝撃を与えたり、あらゆる手を尽くしたツバメの石像を小屋の棚に並べる。もしかしたら時間差で復活するかもしれないと思ってのことだったが、今のところウンともスンともいわない。
「もう十月か~」
なまえはツリーハウスの壁に「十月」と書いて、その隣に一本線を引いた。
「……いつ言うか迷ってたんだがな、それ三日遅れてるぞ」
「え! なんで!?」
「いや線引き忘れてたんだろ」
「気付いたときに言ってよ~。ってことは今日は十月四日?」
「だな」
むっとした表情でなまえは線を三本加えた。しかしいつも通り、すぐにパッと笑顔がもどってくる。
「ここに来てから半年ってことでしょ? いろいろあったよねえ」
「まーほとんど何か作ってただけだがな」
「千空くんは……ううん、やっぱりいいや」
なまえは膝を抱えてそこに顎をのせた。いつになく暗い表情をしている。
「あ゛? 気になんだろが」
「……私と一緒でよかったと思ってくれてる?」
突然なにを言い出すのだろうと思った。そんなの、よかったと思っているに決まっている。なまえのおかげでどれほど作業が進んだかわからないのだろうか。それに、千空ひとりだとできないことがある――会話だ。会話がストレス解消になることもあれば、新たな発想を生み出すきっかけになることもある。なまえは千空に頼りきりだと思っていたのかもしれないが、彼女の功績は十分にあった。
「なんだよいきなり」
「……ごめん、急に変なこと言っちゃった」
なまえは今にも泣きそうな顔をしていた。言うべきだったのだ、一緒でよかったと。千空がすぐに言えなかったのには理由がある。なまえは本来ここにいるはずのない人間だ。千空は今でもそう考えている。石化のない世界に生きる彼女の快適な生活が奪われた状況で、言ってしまえばここに来たのは彼女の不幸だ。それをよかったなんてすぐには言えなかった。なまえが求めている答えなんて、少し考えればわかったはずなのに。
「なまえ」
千空はなまえの肩に手を置いた。千空を見上げた彼女の瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
「俺は
続きを伝えることはできなかった。なまえが目の前から急に消えてしまったのだ。
「は、なまえ……?」
なまえはどこにもいなかった。千空は一日かけて探し回ったが、影ひとつ見当たらなかった。
 頭の中で結論は出ていた。なまえはもとの世界か、それこそ別の時空に消えてしまったのだ。なまえが目の前でいなくならなければ、千空はその結論を出すことはできなかった。おそらく何日、何ヶ月かけてもなまえを探そうとしただろう。
「……なっんで、最後が泣き顔なんだよ!」
千空はツリーハウスの壁に拳を打ち付けた。そこにはなまえの掘ったカレンダーの感触があった。彼女は幻覚なんかじゃない。確かにここに存在したのだ――。
 次の日、入れ替わりのように大木大樹が目覚めた。