優しさは誰のため02
羽京のことがわからない。話しかければ普通に返してくれるが、本当にそれだけだった。嫌われるようなことをしたつもりはない。ただ相性が悪いのかと関わらないようにしていたら、今度は声を掛けられてしまった。嫌とかそういう気持ちはないけれど、戸惑いはあった。避けているかというのは前に聞いてしまったから、さすがにもう掘り返すことはできない。
今日は朝から座りっぱなしで木のスプーンを彫っていたから、歩くのはいい気分転換になった。うんと背伸びしたところをを見られていたのに気付いて、少し気まずい。羽京は子供でも見守るような顔で微笑んでいた。
歩いていたら可愛らしい花を見つけた。ここで目覚めてからずっと余裕がなくて、全然周りが見えていなかったことに気付く。なぜかもう少し周囲に興味を持ちたくなった。
「羽京さんはここでの暮らし、どうですか?」
「え? うーん……大変は大変だけど、それなりに楽しみもあるよ。そういう質問じゃなかったらごめんね」
合ってますよ、と言えば羽京は控えめに笑った。
「よかった。……君は?」
「今はいいですけど、十年も二十年も経ったらきついんだろうなって思ってました」
「ああ、それはあるかも」
「羽京さんはいろいろ特技があって羨ましいです」
「まさかこんなところで役に立つとは思ってなかったけどね」
あはは、と彼が笑う。よく笑う人だ。優しい人柄がにじみ出ている。だから避けられていると気付いたときはショックだった。けどそれも勘違いだったんじゃないかとさえ思うから不思議だ。
「あ」
羽京の声がしてすぐ、首元を引っ張られるような感覚があった。どうやら服が枝に引っかかってしまったらしい。動かないで、と言った彼はすごく頼もしかった。
「よかった、首元は切れてないみたい。枝、折るね」
ポキン、と音がして首の圧迫感がなくなる。服に刺さっていた枝をとってもらうとき、指が触れて少しくすぐったかった。
「……ありがとうございます」
「ちょっと穴が開いちゃったけど大丈夫な範囲だとは思う。後で確認しておいて」
「はい」
触ったらわかるだろうかと思って、引っかかったあたりを撫でてみる。確かに指が引っかかるような部分があった。気にするほどでもないかと思っていたら、羽京が心配そうな顔でこちらを見ていることに気付く。
「もしかして痛かった?」
「……いえ、全然! 破れたところを確認してました」
「そっか」
羽京は折った枝を地面に放った。何となくその先を見ていたら、目を疑った。母の石像があったのだ。
言うか言わないか、迷ってなまえは言わないことにした。今のところ、母の年齢層が復活されられたという例はない。それどころか司は大人の石像を壊している。想像しただけで怖くなってしまった。
「……そろそろ、戻りませんか」
羽京は耳がいいという話だ。そうでなくとも今の自分が平静ではないことは明らかだった。聞かれたらどうしよう。心臓がうるさく鳴っている。さすがに心音までは聞こえていないだろうか。とにかく来た道を戻ろうと思っていたら、足がもつれて転んでしまった。
「どうしたの、大丈夫?」
「あ……頭が、急に痛くなっちゃって」
「……抱えてもいい?」
「……いえ、大丈夫。歩けます」
言ったそばから、なまえはフラついて羽京にもたれかかってしまう。
「ごめんなさい……」
「足、捻ってるんじゃないかな。ちょっとごめんね」
羽京は屈んでなまえの足に触れた。じんと痛みが響く。皮肉なことに、この痛みのおかげでなまえの頭は冷静さを取り戻した。
羽京が再び「ごめん」と言う。気付いたときにはもう、横抱きにされていた。
「……すみません」
「いや、僕のほうこそ」
「……大丈夫ですか?」
「こう見えて鍛えてるからね」
羽京は言葉通り、なまえを抱えていても涼しい顔をしていた。来たときよりもはやい速度でスイスイと森の中を歩いて行く。
住居スペースに戻ると、周囲の視線が突き刺さった。居心地悪くしていると、羽京が状況を説明してくれた。よほど顔色が悪かったのか、興味の視線が心配するものへと変わる。ただ頭が痛いというのは嘘であり、大丈夫かと聞かれても曖昧に頷くことしかできなかった。
なまえは掘った洞窟の中に寝かせられた。
「冷やすものを持ってくるね」
「……ありがとうございます」
羽京が出て行ったあと、なまえは目を閉じた。瞼の裏に焼き付いたように、石になった母の姿が見えてしまう。ここからそう遠くない場所、司に見つかるのは時間の問題。考えれば考えるほど、泣きたくなった。
戻ってきた羽京の手には、水の入った土器が収まっていた。そしてその後ろには心配そうな顔をした杠がいる。わざわざ女性を連れてきてくれるところが紳士的だなあと思う反面、申し訳なかった。
風邪がうつったら大変だからという理由をつけて二人には出て行ってもらった。土器の中に足先を突っ込んで、なまえはため息をついた。
その夜、なまえは石器を手にひとり抜け出した。足は痛いし周りは暗い。月と星の明かりだけでは心もとないが、間違える気だけはしなかった。
昼に羽京と歩いた道を慎重に進む。目当ての場所にはすぐにたどり着けた。
「何してるの?」
「……羽京、さん」
全く気が付かなかった。暗くて表情は見えないが、今の羽京が優しい顔をしていないことはすぐにわかった。
羽京がじりじりと近づいてくる。いろいろ言い訳を考えてみたが、どれも無理がある。その足で? 石器は何のために? 誤魔化しきれる気がしなくて、なまえはうつむくことしかできなかった。
「あ、ちょっと……」
逃げようとした体はいとも簡単に捕まえられてしまう。なまえは最後の賭けで羽京に抱きついた。ほぼ勝率はゼロだと頭では理解しているし、仮に勝てたとしても嫌だ。どうして嫌なのかは上手く説明できないけれど。
「……こら」
子供に怒るような口調で羽京はなまえを引き剥がした。その行いになぜか心が軽くなる。
「何があったのか話して。そうじゃないと君を疑わないといけなくなる」
「……疑われるようなことしてたら?」
「うーん……それは困っちゃうな」
この優しい人を困らせたくないと思った。けど、共犯にもしたくない。今しようとしていることは、言ってしまえば司に対する反抗だ。羽京は司の近いところにいるから、巻き込みたくなかった。不思議なことに、正直に話して咎められる未来は想像していない。
「……正直に話してくれたら悪いようにはしないよ。内容にもよるけど、君がそこまで悪いことを考えているようには見えないし」
「っでも、」
なまえの頬を涙が伝う。羽京にそれが見えているかはわからなかったけど、声だけでも泣いていることは明らかだった。
「大丈夫、落ち着いて、深呼吸して」
「……は、……っん」
トントン、と背中を叩かれるのが心地よかった。言うつもりなんてなかったのに、自然と口が割れる。
「……母の、石を、見つけて」
羽京が息を呑んだのがわかった。なまえのしようとしていたことを理解したのかもしれない。
「そう、だったんだ」
「ごめんなさい……」
「謝らなくていいよ。それで、どれがお母さん?」
なまえは指差すことで答えた。確認するように羽京が石像に近づいて「これで合ってる?」と言う。
「はい……その石です」
「……復活させるのは難しいだろうね」
「……はい」
わかっていた。一人だけわがままを言うわけにもいかないし、母の体力ではこの世界を生き抜くのも厳しい。ただ、このまま黙って壊されるのを見過ごすことだけはできなかったのだ。
「埋めちゃおうか」
「え……」
「埋めにきたんでしょ、その小さい石器だけで」
「そうですけど……、羽京さんは手伝わなくて大丈夫です。ただ黙ってくれていれば……」
「二人でやったほうが早いよ」
「あ……」
羽京は石像を寝かせてその足に土をかけた。しかし土はパラパラと石像から落ちていく。
「これじゃ朝までかかっても終わりそうにないや」
「……すみません」
「隠しておくだけでも全然違うと思うけど、それでいい?」
「はい……ほんとに、すみません」
「いいよ。ただごめん、ちょっと引きずるね」
羽京は一人で石像を茂みの中まで動かした。手伝おうとしたけど、足を怪我しているからと何もさせてもらえない。こんな状態で、一人だったらどうするつもりだったのだろう。馬鹿みたいだ。
結局すべての作業を羽京に任せきりとなってしまった。ぱっと見ただけでは石像が隠してあるなんてわからない。これなら後で埋めにくる必要もなさそうだった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
はい、と羽京が両手を広げる。何かと思えば背中と膝の裏に手を差し込まれていた。
「あ、あの……さすがに歩きます」
「でも痛いでしょ、足」
「痛いですけど、ここまでは歩いてきたんですよ? ……見てましたよね?」
「ほんと気が気じゃなかったよ」
「あ……」
そうこう言っているうちに、体が持ち上げられてしまう。筋肉質な腕と、硬い胸。昼間は何も気にならなかったのに、今さら変に意識してしまう。あのときは触れるたびに「ごめん」と言っていたのに、今はかなり強引だ。
住居スペースに入る前に、もう大丈夫だからと降ろしてもらった。それでも羽京はなまえを寝床まで送った。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
横になって目を閉じてもどきどきしている。人に言えないことをしたからだと思うけど、違う気もした。明日からどんな顔して羽京に会えばいいのかわからなかった。