優しさは誰のため03
おはようと言った羽京がにっこり笑っていたから、昨日のことは夢なんじゃないかと思ってしまった。いつも通りと言えるほど普段から関わりがあったわけじゃないけれど、羽京からは何の含みも感じられない。意識しているのは自分だけみたいだ。そのほうが助かるというのに、胸の奥がチクチクする。
足を痛めているのは他の人にも知られていたから、今日は座り仕事を割り振られた。休んでていいとも言われたが、そこまで気を遣われるほどの怪我ではない。むしろ時間を持て余してしまう。
植物の繊維をひたすらねじって作るのは紐だ。服にも使われるし、罠だって作れる。やりすぎると指先が痛くなるのがネックだけど、文句を言っていられる状況ではない。
「ちょっとは休憩しなよ」
「あ……羽京さん」
羽京はなまえのとなりに腰を下ろした。手には細い枝と尖った石のようなものを持っている。どうも弓の矢を作っているらしかった。
「なんかこう……八時間ぐらい労働しなきゃいけない感じ、ありません?」
「わからなくはないけどね」
「それに羽京さんもずっと働いてる。昨日も……」
「あれは君の様子がおかしかったから気にしてただけで、仕事じゃないよ」
羽京は木の枝と尖った石のようなものを紐でくるくると巻いて固定していた。ここにも紐が使われているのかと感心する。
「それ、石ですか?」
「うん。あとは動物の牙とか、もうちょっと時代が進むと青銅なんかも使われてるね」
「へえ~……」
交代してみる? と言われて一瞬、頭が追いつかなかった。持っていた作りかけの紐を取られ、代わりに矢を渡される。羽京は楽しそうに紐の続きをこよりこよりと編んでいった。
「……あの、大事なときにわたしが作った矢が不良品だったせいで……とか嫌です」
「さすがにチェックはするかな。ただの気分転換だと思って」
「それなら……」
見よう見まねで石器と枝をつなぎ合わせてみる。隣からのアドバイス通りにやったら案外できてしまった。羽京に確認してもらっても、大丈夫だと。しかし実際に使われるとなると、まだ抵抗があった。
「……すみません。それ、ほどいてもいいですか?」
「もちろん。ごめん、ちょっと強引だったね」
「いえ、全然」
木の枝と石器に戻ったものを羽京に渡す。羽京から返された紐は、いつの間にか一メートルほど長くなっていた。
「足はまだ痛む?」
「少し。昨日に比べたらだいぶよくなりました」
「……そっか」
羽京は捻ったほうの足をじっと見てきた。何か言いたげな表情である。「どうしました?」と聞けば、羽京はやわらかそうな帽子のつばを下げた。
「僕がもう少し早く君に声を掛けていれば、痛みは引いていたかも」
「いや、それはむしろ、わたしのせいで……」
羽京は首を振った。
「君が何をしようとしているのか、すぐに声を掛けたらわからないと思って泳がせたんだ」
「仕方ないことだと思います。でも羽京さん、私が何かする前に止めようとしてくれましたよね」
「そんな立派な感じでもないんだけどね」
「……足のことは、抱っこしてもらわなきゃもっと酷くなってたと思いますし」
「あはは。あのときの君、借りてきた猫みたいにおとなしかったね」
「わすれて、ください……」
「ん~無理かな」
羽京はいたずらっ子のような笑みを向けてきた。心臓がドキリと跳ねる。羽京のことがわからない。今、そんな顔をする場面だっただろうか。
とにかく落ち着こうと、なまえは目の前の紐づくりに集中した。けどいつまで経っても視線を感じて気が気じゃない。
「……休憩、します」
「うん。それがいいと思う」
羽京はゆったりと立ち上がってどこか行ってしまった。何だったんだ。まさか休憩させたかったとか。そういえば最初に休憩しなよと言われた気もする。……わからない。
羽京には休憩すると言ったものの、ほんの数分で退屈になってしまった。働くぐらいしかすることないなと思ってしまうのは、石化前にそういう生活をしていたからかもしれない。入ったばかりの会社で、ひたすら仕事に追われていたあのころと比べたら、今は楽をしているような気さえする。その証拠になまえはすでに作業を再開していた。
「こら」
「……あ」
出て行ったはずの羽京が戻ってきた。手土産に炙った木の実を持って。てっきりどこか行ってしまったのかと思いきや、休憩用のつまみを取りに行ってくれていたみたいだ。
「どうぞ。みんなの分もあるから遠慮しないで」
「……いただきます」
おそらくスーパーで買う安いナッツよりも味は劣る。ただこれが今のごちそうなのだ。香ばしくて、ところどころ苦い、そして歯ごたえが抜群。初めて食べたときよりもおいしく感じるのは、舌がここでの生活に慣れてしまったからだろう。
「……昨日」
「うん?」
「どうして、手伝って……」
黙らざるを得なくなったのは、羽京が人差し指を口に当てたからだ。この話は禁句なのかと思いきや、顔を上げると南が正面から近づいてきていた。……まずい、全然気づかなかった。羽京にバレてしまったこともそうだけど、何をするにしても注意すべきなのだ。
南はとくに用事があったわけではなく、単になまえと羽京の組み合わせを珍しく思って来ただけのようだった。彼女はこれから司と復活者の選定を行うらしい。選ばれた人間だけが石から人間に戻れるのだが、それなら自分は何なのだろう。年齢だけは条件に合っているが、本当にそれだけだ。身体的に優れているわけでもなく、南や杠のような特技があるわでもない。それに目覚めたとき、周りには誰もいなかった。
南が去ったのを見届けて、なまえは羽京に謝った。
「……ごめんなさい、全然気づいてませんでした」
「大丈夫だよ。誰か近づいてきたら僕にはすぐわかるから」
「はい……」
「それでさっきの話だけど、理由なんてないよ。例えば……気付いたのが僕じゃなくて大樹や杠、それにゲンだったとしても同じ結果だったんじゃないかな。逆に君だったらどう? 誰かに告げ口する?」
「……いえ、しないと思います」
ね、と羽京は笑った。
「もう一つ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「どうしてわたし、ここにいるんですか?」
「えーと……それは、どうして石化が解けたのかって意味であってる?」
「はい。ずっと不思議だったんです。一人ずつ、選んでるみたいだから」
羽京は口をつぐんだままうつむいた。困っているのだろうか。何かしら事情を知っていそうな反応だが、言えないことならば仕方ないような気もする。
「言わないほうがいいことなら大丈夫ですよ」
「あ……いや、そういうわけじゃないんだけど。僕も一から十まで知ってるわけじゃないから、話したらかえって混乱させちゃうんじゃないかなと思って」
「もし羽京さんがいいなら教えてほしいです」
「……やっぱり気になるよね」
羽京は腕を組んで首をすくめた。
「復活液がね、一人分盗まれたらしいんだ。盗んだ人は自分の家族に使いたかったみたいなんだけど、ちょっとしたアクシデントで君にかかっちゃったみたいで」
「……そうだったんですね」
それなら目覚めたときに一人だったのも納得できる。復活液の原料がとれる洞窟の警備がやたら厳重なのも、すべてはそのせいなのだろう。ここまではっきりした理由がわかっているのに話してもらえなかったのは、選ばれたわけではないという部分に気を遣われていたのだろうか。そんなの最初からわかりきっていたし、理由もわからず悩むよりは教えてもらったほうがマシなのだが、説明する人間にとっては負担だったのかもしれない。
「……その人、わたしと似てますね」
「君は埋めようとしてたんだから、全然違うと思うけど」
「盗める場所に置いてあったら、気の迷いぐらいにはなったかも」
「まあ、監視って重要なんだなとは思ったよ」
羽京は帽子を被りなおした。つばに隠れた目元に影を感じる。
だから彼はいつも周りに気を配っているのだろうか。牢に閉じ込められているという誰かに、羽京は罪悪感を持っているのだろうか。もっと気を配っていれば未然に防げたかもしれない。そんな後悔ばかりが彼の原動力になってないことを祈りたかった。