優しさは誰のため05


「で、なまえのことはどうするんだい?」
 リリアンの歌に涙した復活者の背中を見送りながら、ニッキーは言った。電話を通して千空、ゲン、ニッキーの三人で議論しているのは「なまえを寝返らせるかどうか」についてだった。
 ゲンがリリアンの声帯模写をするにあたって一番注意しなければならないのは羽京だ。そしてその羽京と近頃よく話しているというなまえについて、下手に寝返らせれば羽京に勘付かれてしまうというのがゲンとニッキーの意見だった。
「なまえちゃんはね~、百パー寝返ってくれると思うんだけど……」
「そうだね。口止めしたら言わないとは思うよ。ただ態度で羽京に怪しまれるね」
「だが上手く使えば羽京を出し抜けるかもしんねーって話だろ?」
「まあ、そうなんだけど~……」
 千空の意見は「寝返らせて羽京の足止めをしてもらう」だった。羽京さえ千空の墓に近づけなければ作戦の成功率は格段に上がる。ただ、かなり難易度は高い。こちらの事情も説明せずに、羽京にはリリアンのことは話すな、あの手この手で遠くへ誘導しろ。というのは無理がある。
「なまえなら本当のこと言ったって寝返ってくれそうな気はするけどね」
「いやニッキーちゃん! それはダメだって、荷が重すぎるよ。それになまえちゃんの様子がおかしかったら羽京ちゃんなら絶対気付くって」
「ならやっぱ歌聞かせねえのが一番か?」
うーん、と三人は唸った。現状それが一番なのかもしれない。しかし司帝国スリートップの羽京はともかく、なまえに関しては寝返らせた誰かがぽろっと口を滑らせてしまいそうな予感はあった。
 歌を流す回数を最小限にするためには、一度に複数の人間を連れてくる必要がある。このことは他言無用、羽京の耳に入るから雑談で話題にするのも禁止。そこまで指示していたのに、やはり漏れがでてくる。大人数で秘密を共有するというのは非常に難しい。寝返らせたメンバーに連れられてきたなまえを目にして、ニッキーは人知れずため息をついた。

 お決まりの流れで司を裏切らせた後、ニッキーは戻ろうとするなまえを呼び止めた。なまえはきょとんとした顔をしている。歌を聞いたときの彼女は嬉しそうな顔で涙を浮かべていた。これからのことを想像するだけで頭が痛くなりそうだ。
「なまえが来ちまったよ、ゲン」
 ニッキーが電話に呼びかける。和やかな雰囲気だったのが、一瞬でピリッと緊張状態に変わった。
 電話の向こうにいる二人は即座に状況を理解したらしい。ゲンが探るような声でなまえに呼びかける。
「お久~なまえちゃん、元気してた?」
「単刀直入に言う。なまえ、テメーには羽京の足止めをしてほしい」
「ちょっと千空ちゃん!」
 言い争う声が電話口から響く。千空という男はどうにも回りくどいことが苦手らしい。
「……あの、羽京さんの足止めってなに?」
「話が早くて助かるわ。羽京は耳がいいんだろ? ここでコソコソやってたらいずれバレちまう。だからテメーが遠くに誘導してくれりゃ助かるっつー話だ」
「そんなことしなくても羽京さんなら味方になってくれると思う。連れてこようか?」
「あーダメダメ! 羽京ちゃんってほら……、司ちゃんにけっこう近いところにいるでしょ?」
「そうかもしれないけど……だからこそ味方になってもらえたら心強いんじゃない? 羽京さんは司くんのこと崇拝してるようには見えないよ」
 やっぱりこうなるな、とニッキーは思った。この状況で羽京に隠そうとするのは不自然だ。やはり本当のことを話すしかないだろう。
「……二人とも、いいかい?」
 二人から帰ってきたのは肯定だった。さてどう説明したものか。悩んでいると、リリアンそっくりの声が聞こえてきた。それも日本語で。
「なまえちゃん、ごめんね。さっきのはぜーんぶ俺の嘘」
「え、ゲンくん……?」
「正解。ほんとはアメリカが復興してるってのもデタラメで、羽京ちゃんに聞かれたらバレちゃうからなんとかして遠ざけてほしかったの」
「あ、あ~……そうだったんだ……」
 なまえはぱっちりと目を開いたまま下を向いた。口元はキュッと結ばれている。怒っているようにも見えたし、考えてこんでいるようにも見えた。
「なまえ、アタシは科学ってやつを信じることにしたよ」
「……うん、わたしもそうしたい。けど、羽京さんを騙すのは無理だよ」
 なまえの唇は震えていた。男どもには当然見えていない。
 羽京を誘導する方法ならゲンが考える。何も嘘をつく必要はない。ただ歌を流している最中に墓に近づけないようにしてほしいだけ。ここまで言ってもなまえは首を縦に振らなかった。
「……ごめん、羽京さんを騙すようなことはしたくない。言いふらしたりはしないから、見逃してほしい」
 なまえは涙をこらえた目で走り去ってしまった。
 それからなまえのことを監視しているが、確かに言いふらすような素振りはなかった。ただ露骨に羽京のことを避けている。羽京も羽京でなまえの不審な態度を気にしているようで、結果的にこちらへの意識が削がれていた。作戦は順調だが、なまえのことを考えると手放しでは喜べない状況だ。


*****


 なまえは羽京を避けていた。話していればきっとボロが出てしまうし、誤魔化すための嘘をつきたくない。羽京は母の石像のことを内緒にしてくれているのだ。裏切るような行為はできない。
 忙しいからと言うのはこれで何度目だろう。一度目は普通だった。それが二回も三回も続くとさすがに変だと気付かれる。羽京は優しいから、踏み込んでくるようなことはしない。あと何回かしたら、きっと声を掛けられることもなくなる。考えただけで泣きたくなった。
 あれから一度ニッキーに、羽京にも本当のことを話せないかと相談した。しかしリスクが高すぎるというのが科学王国側の意見だそうで、却下されてしまったのだ。
 司よりも科学王国に勝ってほしい。ただ羽京が司の味方をするというなら、自分も一緒に千空たちに倒されてしまいたいと思っている。今まさに裏切り行為をしている最中で、こんなことを考える資格はないかもしれないが。

「なまえ、仕事手伝うよ」
「え……」
 ……やられた。いつも忙しいと言い訳しているから先手を打たれてしまった。なまえは明らかに手持無沙汰で、とても仕事の最中には見えない。
 こんな状況でも声を掛けられて嬉しいと思ってしまう。馬鹿みたいだ。
「とくに今は、なにも……」
「じゃあ久しぶりに散歩にでも行かない?」
「……今は、疲れてて」
「それならすぐに休んだほうがいいね。家まで送るよ」
 羽京はにこにこと笑っていた。怒っているのかもしれない。いつもならすぐに引き下がってくれるのに、今日はやけに強引だ。
 歩いている途中で羽京はぴたりと足を止めた。悲痛な顔で「ごめん」と言われたって、謝りたいのはこっちだ。
「足が震えてる。こんなことしたかったわけじゃないのに……ごめんね」
 羽京はうつむいてしまった。思わず手を伸ばしてしまって、届いた先は彼の指先だった。
「……ごめんなさい、羽京さんは悪くないんです」
「なら、どうして?」
「それは、」
……言えない。本当のことも、嘘も。羽京になら言っても大丈夫だとは思うが、自分一人の判断でそんな大きな決断はできなかった。何よりニッキーたちに反対されている。
「……ごめんなさい、言えません」
 触れた指先は羽京に捕らえられ、彼の親指が輪郭をなぞっていく。行為の意味はわからないけど、心地よかった。
「わかった。言わなくていいよ」
「え?」
「言わなくていいから、また今度……僕と散歩に行ってくれたら嬉しい、かな」
「あ、」
 羽京の手が離れていく。急に名残惜しくなってなまえはその腕を掴んでしまった。なんて自分勝手なんだろう。避けたくせに、離れていくのは嫌なんて。羽京は目を丸めてなまえを見ていた。
「あの、今からでもいいですか?」
「いいよ。でも疲れてたんじゃないの?」
「……それは」
「あはは、冗談だよ。ごめんね」
 掴んでいた手を離すと、今度は羽京に手を握られてしまった。まさか、この手をつないだ状態で行くのだろうか。恥ずかしさでどうかなってしまいそうだ。
「あの、手が……」
「うん。君がまた逃げちゃいそうだから」
「……もう逃げません」
「嫌?」
「…………いいえ」
 その聞き方はずるい、と思いながらも体は羽京に従う。こんな状況じゃなければなあと思った。
 いつもと違って静かな散歩だった。話したくないことがあるならと気を遣われているのかもしれない。なまえの中では罪悪感と喜びがせめぎ合っていた。この心臓の音が聞かれているのかと思うと、更に顔に熱が集まってくる。
「……羽京さんって心臓の音とかも聞こえたりするんですか?」
「それ、今ドキドキしてるって白状してるの?」
「えっ、いや……その、忘れてください」
「音はさすがに聞こえてないよ」
「……はい」
「君と僕の心臓、どっちが速く動いているんだろうね」
 羽京は澄ました顔でとんでもないことを言う。どういう意味なのか聞いてみたい。何の気もなくこんなことを言う人ではないと思うけど、自分に都合のいい妄想をしているんじゃないかと考えてしまうのだ。
 羽京は川の近くで腰を下ろした。繋いだままの手は熱を帯びている。時間が止まらないかな、と願ってしまった。こんなのただの現実逃避でしかないのに、心が喜んでいるのがふやけた頭でもわかった。しかし、なまえの願いに反してこの時間は長くは続かなかった。
「……なんだろう、歌? ……英語だ、どこかで聞いたことある気がする」
……どうして。ここは千空の墓からかなり離れている。この距離で聞こえてしまうなら、今までだってバレているはずだ。できるのかもわからないが、音量を上げるなんてマネはしないだろう。それならなぜ。
「……羽京さん、どうしたんですか?」
「わからない。行って確かめてくる」
「……待って」
 なまえは羽京の腕を抱いた。恥ずかしかったけど胸が当たるように押し付けた。それでも羽京は顔色一つ変えてくれなくて、代わりに悲しそうな顔をさせてしまった。
「君は事情を知ってるんだね」
「あ……」
「……いいよ、言わなくていいって言ったのは僕だから。一人で帰れる?」
 なまえは頷くことしかできなかった。羽京は控えめに笑って、走って行ってしまった。
 羽京の背中が見えなくなったあと、なまえは一人で膝に顔をうずめた。どうすればよかったのかわからない。何にもうまくいかなかった。羽京が科学王国の味方になってくれるなら、それ以上のことはない。しかし、羽京に隠し事をしていた事実は変わらないのだ。自分のことしか考えられない自分が嫌になる。嗚咽を無理やり膝に押し付けて、音を殺した。