優しさは誰のため06
ゲンの声帯模写は見事な出来だった。熱傷後の声の揺らぎがないことしか不自然な点がなかったのだ。
千空たちと話をして、羽京は科学王国に味方することを決めた。一人も殺さないと約束してくれたからだ。これでようやく、心から協力できる。安堵と同時に、一つ気がかりなことが羽京にはあった。
「もしかして、なまえの様子がおかしかったのはこのせい?」
「あー……やっぱりなまえちゃん……。」
ゲンの様子からして、なまえが事情を知っていたのは間違いない。なまえは他とは違ってリリアンの存在が嘘というところまで知らされていたのだろう。おそらくこの作戦で彼らが一番警戒していたのは自分だ。なまえから情報が漏れないように、何らかのやり取りがあったと考えられる。
「っていうか羽京ちゃん、いつの間にそんな仲良くなってたの?」
「……ゲン、君がこっちにいたときから何も変化はないよ」
「でもさ~なまえちゃん、羽京ちゃんを騙すようなことはできないって言ってたよ?」
「……それは、たぶん僕がなまえのお母さんの石像の位置を知っているから」
一瞬、辺りが静かになった。だがすぐにゲンが口を挟む。
「本気で言ってる? 今の言いかただとなまえちゃんの弱み握ってるみたいだよ?」
「そうだね、それは違う……。なまえもそんな風に思ってないといいけど」
「思ってるワケないじゃん。なまえちゃんはさ、羽京ちゃんにも事情を話そうって言ってたの。絶対こっちの味方になってくれるからって。でも俺たちが警戒して口止めしちゃったから……」
ゲンの口調は多少演技がかっていたが、嘘を言っているようには聞こえなかった。
「……なまえと話してくるよ。君たちの準備が整うまでには必ず戻るから」
羽京はすぐさま来た道を戻った。思った通り、彼女は川のそばから動いておらず、膝を抱えて丸くなっていた。
「なまえ」
ゆっくりと顔を上げた彼女の目は少し赤くなっていた。呼吸も荒い。さすがに息遣いについては言わないでおくが、泣いていたのは明らかだった。
「大丈夫。僕も君たちの味方をすることになったよ」
「……羽京さんならそうしてくれるって思ってました」
「それならどうして泣いてたの?」
「……言わなくていいって」
「そうだったね」
羽京はなまえのすぐ隣に座った。肩が触れてなまえがぴくりと反応する。今もそうだけど、触れたり手を繋いだだけで真っ赤になるのに、色仕掛けのようなことをしてくるからタチが悪い。彼女には心音までは聞こえないと言ったが、腕が心臓近くに触れたときは嫌でもその音が伝わっていた。自分と同じぐらいの速さで安心したと言えば、彼女はどんな顔をするだろう。話題が話題だけに、迂闊に口にすることはできないが。
なまえと一緒にいるときは、いつもより音を拾うことができる。無意識に集中しているのかもしれない。どんな些細な変化でも聞き逃したくないのだ。だから歌も聞こえた。あれで何度も流していたという話だから、さすがに少し落ち込んだけど。ニッキーにはなまえのことを気にしすぎて集中できていなかったんじゃないかとまで言われてしまった。そして、はっきりと否定できない自分もいる。避けられているのがわかってからは、彼女のことばかりを目で追っていたという自覚があるからだ。
なまえが落ち込んでいる理由もなんとなくわかる。話せなかったことが辛いのだろう。羽京としてはゲンから事の真相を聞いてしまったわけで、むしろここまで心を痛めてくれたことに感動こそ覚える。すっかり丸くなってしまった背中を軽くさすると、勢いよく距離を取られてしまった。
「あ、あの……ごめんなさい」
「触らないでってこと?」
「……ちが、います」
「それならよかった。なまえには僕が怒ってるように見える?」
「いえ……」
なまえは取った距離をおずおずと縮めてきた。彼女はかわいそうなくらい真っ赤になっていた。
彼女をよからぬ輩から守るつもりだったのに、今では自分が警戒すべき対象になってしまっている。一時は悩んだこともあった。けど、それでも彼女との時間を諦められなかったのだ。
「なまえ、もうすぐ戦いが始まる。僕も行ってくるよ」
「……わたしにできること、ありますか?」
「待っていてほしい、っていうのは卑怯かな」
なまえは首を振った。
「ありがとう……。千空は誰も殺さないって約束してくれたんだ。僕もそれに報いるよ」
「はい、気を付けて」
「一人で帰れる?」
「……羽京さんが無事に帰ってきてくれるなら」
「わかった。約束するよ」
最後に羽京はなまえの頬に触れてその場を立った。
千空たちの言っていた時間まであと少し、羽京は木の上で周囲に不審な動きがないかを警戒していた。
徐々に戦車の音が近づいてくる。電話に関してもそうだが、これだけのものを作り上げた千空とは一度ゆっくり話をしてみたい。彼なら本当に何でも作れてしまいそうだ。
千空が合図を出してから二十秒。南だけは状況報告に走ろうとしていたが、それを見逃すわけもない。千空たちは本当に一滴の血も流さず洞窟を制圧してしまった。
千空たちはさっそく火薬の作成に取り掛かった。しかし、不穏な音を羽京の耳が拾ってしまう。
本当にあと少しというところだった。司と氷月、二人の早すぎる登場さえなければ勝ちだったのに――。
「逃げてくれ! 逃げろ、みんな!」
槍の先端が千空めがけて突き進む。考えるよりも前に庇っていた。血が飛び散ったのが見えて、遅れて痛みが襲ってくる。急所は外れたが、しばらく動けそうにない。司と氷月が暴れているのに、地べたから見上げることしかできないのがもどかしかった。
――約束、守れなかったな。
この大怪我を見せたら彼女は何と言うだろう。この期に及んでまだ勝って帰る気でいるのは、科学を信じてしまったからなのかもしれない。きっと千空なら勝ち筋を見つけてくれる。羽京は痛みをこらえて、手放してしまいそうになる弓を握りしめた。