七海龍水という男02
「え~!」
こっそり休み時間にクルージングに参加することを打ち明ければ、驚かれはしたものの嫌な顔はされなかった。ライバルじゃん、と笑われたけど、私は何とも答えることができなかった。だって落とすのは無理というか、そのために参加するわけではないというか。じゃあ何しに行くのかと聞かれたら困るので結局何も言えない。
「そう言えば水着持ってるの? 今日買いに行こうと思ってたんだけど、一緒に行かない?」
「私は水着はいいかな~って」
「え、なになに、そういう作戦?」
「作戦?」
「だって一人だけ水着じゃなかったらアレ? ってなるでしょ」
「一人ってことは……ないよね?」
「え~ありそうだけど。でも実際、それもいいのかもね~」
「じゃあ一緒に着替えないでいる?」
「いや、私は着る。プール入りたいし、昨日水着も決めてるし」
彼女はそう言ってスマホで写真を見せてくれた。布面積の少ないかなり大胆なデザインだ。
「わあ」
「嘘。ほんとはこっち」
次に現れたのは昨日私がかわいいと言ったフリルの水着の色違いだった。
「マジでさっきの着ると思った?」
「……若干?」
「さすがにあれは無理だわ」
だよね~と言ったところで予鈴が鳴った。
ぼんやりしているうちに週末になってしまった。持っていくものもほとんどないから準備は大丈夫なんだけど、心の準備が追いつかない。でも考えてみたらこの前は二人きりで、明日はそうじゃない。もしかしたら龍水くんと話すこともないかもしれないし、ただ遊びに行くぐらいの気持ちでいよう。しかし、そう思ってもなかなか上手く行かないものだ。
ベッドの上にごろりと横になってSNSを開く。検索してみたらクルージングについて呟いている子を見つけた。この子は前回の参加者みたいだ。水着の写真もアップされている。端のほうにちらっと写っている龍水くんも水着だ。やっぱり持って行った方がいいのかなあと思うけど、今さらだ。
目を閉じてごろごろしていたらいつの間にか眠ってしまっていたようで、気付いたらスマホのアラームが鳴っていた。……げ、電気つけっぱなしだった。
指定の場所には余裕をもって到着した。そういえば私はチケットも招待状も何もなかったけどいいのだろうか。きょろきょろしていたらフランソワさんが声を掛けてくれた。顔を覚えていてくれたのは嬉しい。
「あの、この前のお料理とてもおいしかったです」
「ありがとうございます。僭越ながら今回も腕を振るわせていただきますので、どうぞお楽しみください」
「わあ、楽しみです」
そう言ったところで、後ろから大きな声が聞こえてきた。
「はっはー! 来ていたか!」
龍水くんがずかずかと近づいてくる。龍水くんと話す機会がないかもしれないなんて、そんなのただの妄想だった。他の参加者らしき人がびっくりしているじゃないか。どこかに隠れたくてしょうがなかったけど、フランソワさんを盾にするわけにもいかない。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「そういうのはいいと言っているだろう。俺が見たいのは貴様の――
「ちょっと待って待って! みんな見てるから」
「何か問題があるか?」
「いや……問題っていうか」
目立ちたくない、というのはこの期に及んで往生際が悪いだろうか。
「悪いな。俺はどうも貴様の慌てた顔も気に入ってしまったようだ」
「……今のわざと?」
「さあ、どうだかな」
くく、と笑って龍水くんは他の参加者に声を掛けに行ってしまった。初対面の人もいるだろうに、すごい。気さくだ。
龍水くんを目で追っているとクラスの子を見つけた。おーい、と手を振られて私も振り返す。
近づいてきた彼女はふわ、とあくびを噛み殺した。聞けば昨日あまり寝付けなかったらしい。
「遠足前の子供?」
「マジそれ。ってか龍水くんと知り合いだったの?」
「……うん、まあ何回か会ったことあるよ」
「あ~家の繋がりかぁ……」
「そんなとこ。それより龍水くんのとこ行かなくていいの?」
「……いや、自分で言っといてアレなんだけどさ」
「なに?」
「そこまでガチのやつじゃないからね? あわよくば的なのはあるけど」
彼女は照れくさそうに下を向いた。これ、言葉通り受け取ってもいいのかな。
「たぶん他の子もそうじゃない? そりゃ付き合えたらラッキーとは思うけど、実際遊びたくて来てるのが大半っていうか」
「そういうものなのかな」
「……へ~、私は違いますってこと?」
彼女はにやりと笑った。
「いや、そういうつもりじゃなくて……」
じゃあ何。というのは私自身が知りたいことだった。考えれば考えるほどドツボにはまってしまう。
「顔赤っ」
「えっ」
さっと両手を頬に当てる。確かに熱い。
「もうやめて……今ならまだ取り返しつきそうなとこだから」
「どうみても手遅れじゃない? 頑張りなよ~。龍水くんに彼女とかできたらすっごい盛り上がりそうだし。しかも財閥同士のビッグカップルじゃん?」
「なんで応援されてるの。そこは蹴落とすぐらいの勢いで来てよ……」
「いや、なんか応援したくなっちゃったんだわ。もとから私もそんな本気じゃなかったし、ねえ?」
「……中で涼んでくる」
私は逃げるようにその場を後にした。船内は空調が効いていて涼しい。ふう、と一息ついていたら窓の外の景色が動き出した。船が出発したみたいだ。
とりあえず目についた椅子に座らせてもらうことにした。心臓がうるさく鳴っている。こんなところまで来て何をやっているんだか。
「よろしければ、あちらでお飲み物でもいかがですか?」
いつの間にかフランソワさんが椅子の隣に立っていた。船内にはフランソワさんのバーがあるそうだ。ただ、バーと言っても今日は未成年ばかりだからお酒の提供はしていないらしい。
「……えっと、頂いてもいいですか?」
「はい。どうぞこちらへ」
フランソワさんに案内され、カウンターに座る。フランソワさんの後ろにはたくさんの種類のボトルが並んでいた。奥は立派な厨房に続いている。
「リクエストはございますか?」
「飲み口がすっきりしたものをお願いします」
「かしこまりました」
汗をかいてしまったからという意図が伝わったのか、フランソワさんが出してくれたドリンクはスポーツ飲料のような飲み口だった。そこに柑橘系の香りが加わって爽やかな味がする。
「おいしいです。お料理も上手なのに、すごいですね」
「ありがとうございます」
ふふ、とフランソワさんが笑った。大人っぽい所作がとても綺麗だ。
「みなさまプールへ向かわれたようですね」
フランソワさんの視線の先にはガラスの戸があって、その向こう側がプールになっていた。着替え終わった子たちがぞくぞくと入ってきている。
「……あ、ごめんなさい。私がここにいたら邪魔ですよね」
「とんでもございません。こちらプールサイドとも繋がっているのですよ」
「あ、本当ですね」
カウンターの中にも扉があって、その先はプールサイドだ。あっちからも飲み物や食べ物を頼めるようになっているのだろう。すごく便利にできているなあと感心してしまった。
「フランソワさんって龍水くんが小さいころから七海財閥に勤めてらっしゃるんですか?」
「はい」
「……あの、変なこと聞いてもいいですか?」
「何でしょう」
「フランソワさんはその……龍水くんの味方だとは思うんですけど、」
長い前置きをしている途中でだんだんと冷静になってくる。熱に浮かされた私は今、とんでもないことを聞こうとしていた。相手は龍水くんの執事なのに。
「確かにそうですが、今ばかりはそうとも限りませんよ」
「え……」
フランソワさんはにこりと笑っていた。何もかも見透かされてしまったようで恥ずかしい。
「……龍水くんを好きになっちゃった子って、今までいました?」
わあ、何を聞いちゃってるんだろう。でも、どうしても聞いてみたかった。撃沈した子たちの話を聞けば私も気持ちの整理ができると思ったのだ。しかし口にした後のダメージは思った以上で、涼しいはずなのに全身から汗が吹き出そうになる。
「いらっしゃったとは思いますが、そうはっきりと口にされたのは初めてです」
「……やっぱり忘れてください」
「よろしいのですか?」
「はい……すみません」
残りのドリンクをぐいっと飲み干して席を立つ。せっかくだからプールサイドに行ってみることにした。
水着ではない人も何人かいたことには安心した。龍水くんはというと、女の子に囲まれている。なるべく目に入れないようにしながら、私はプールの水に手を浸した。気持ちいい。こうなってくると入りたくなってしまうのが人間ってものだ。もちろんそんなことするわけにはいかないから手だけで我慢する。ちゃぷん、と水面が揺れた。
「どうだ? 俺の船は」
後ろには龍水くんが立っていた。いつの間に。龍水くんの周りにいた女の子たちはそれぞれ別に遊んでいる。わざわざ声を掛けに来てくれるのが嬉しい反面、さっきのフランソワさんとの会話を思い出して一人恥ずかしくなる。
「とてもすてきだと思う。龍水くんの船ってところがびっくりだけど」
「俺には相応しくないと?」
「そんなこと言ってない。欲しいものとかやりたいことが明確なのはすごい、と思う……」
「貴様はどうなんだ?」
「私は、特に……何も」
「そうなのか?」
「うん……」
言っていて情けなくなってしまう。視線を下げた私に龍水くんが一歩近づいた。
「何を落ち込んでいるのか知らんが、これから見つかるかもしれないだろう」
「そうかな、だといいな」
「ああ。あまり自分を見くびるな」
「……ありがとう」
もう誤魔化しようがない。好きだなと思った。認めたら認めたでむなしくなる。船の上じゃなければきっと逃げていた。
龍水くんがまた一歩近づいてくる。思わず後ずさって、
「おい、そっちは―――」
あ、プールか。似たようなことを前もやっちゃったのに馬鹿だなあ。あのときはお酒がドレスにかかっちゃって、それから―――。考えているうちに私はプールに落下した。遠くから悲鳴のような声が聞こえる。
死ぬんじゃないかと思ったけど、すぐに足がつくことに気付いた。それもそうだ。むしろ頭を打たずにすんでよかったぐらいの深さだ。
全身余すことなく濡れてしまった。水面から酸素を求めて顔を出すと、まず龍水くんが目に映った。すごくびっくりした顔をしている。というか、焦っている?
「あはは、やっぱり水着持ってきとけばよかったぁ……」
悩んでいたことが急に馬鹿らしくなってしまった。それと照れ隠しというのも半分。笑っていたら龍水くんがプールの中に入ってきた。背中に腕を回されて、体がぴしゃりと固まった。
「何を呑気なことを言っている。上がれるか?」
「え……うん。どこも打ってないし、っていうか足ついてる……」
「……むこうにスロープがある」
「うん……あの、離してもらえると」
「貴様が危なっかしいからだ」
「ですね……」
運が悪いことにスロープまでの距離は結構あった。周りから視線を感じるけど、恐ろしくて確認できない。下ばかり見ていたら前を歩いていた龍水くんに腕を引かれる。
「今度は壁とぶつかるつもりか」
「……ごめんなさい」
「周りの視線が気になるなら俺を見ていろ」
「うわあ……」
「さっきから何だ」
「何でもないデス……」
ようやくたどり着いた先で、手すりを握りながらゆっくりとプールから上がる。すでに大きなタオルを持ったフランソワさんが準備していて本当に申し訳ない。
「ごめんね、騒ぎを起こしちゃって」
「いい。着替えを準備するからこっちに来い」
私は龍水くんに言われるがままついていった。開けたドアの先は普通の客室のようになっていて、床が濡れることも気にせず龍水くんは入っていく。
「フランソワが替えの服を持ってくるからそれまでシャワーでも浴びておけ」
振り返ってそう言った龍水くんはすぐに私から目を逸らした。もしかして、と思ったらやっぱりそうだ。濡れた服がぴたりと肌に張り付いてしまっている。タオルを胸元に移動させて私はシャワー室に入った。
ぬるめに設定したお湯を浴びていると、ドアがノックされた。フランソワさんのようだ。
「お着替えの準備が整いました。私は外に出ていますので」
「ご迷惑をおかけしてすみません……」
「いいえ。……差し出がましいかもしれませんが、一つ助言をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「はい、何でしょうか」
きゅ、とシャワーのお湯を止めて耳を澄ます。助言って何だろう。フランソワさんのことだから嫌なこととかは言ってこないと思うけど。
「龍水様は欲しがりですが、すべてを独占したいと思っているわけではございません。ですから先ほどの様子を見る限り、勝機が全くないとも言えないかと……」
「……あの、それってバーで話した続きですか?」
「ええ。迷惑でしたら忘れて頂いて構いません。では、私はこれで」
ぱたん、とドアの閉まる音がした。体を拭いてシャワー室を出ると、テーブルの上にワンピースが折りたたまれていた。その隣にはビキニタイプの水着があって一瞬何かわからなかったが、下着の代わりかと納得する。船の中なのに用意周到だ。さっそく着替えさせてもらって、濡れた服は絞ってシャワー室にハンガーを掛けた。
これ、外に出るの恥ずかしいな。あのとき、ほぼ全員があの場にいたといっても過言ではない。でもフランソワさんに着替えが終わったことは伝えた方がいいだろう。そっとドアを開けて外の様子をうかがう。遠くから歩いてくる龍水くんと目が合ってしまって、とっさにドアを閉めてしまった。そしてすぐにドアがノックされる。開けるとやはりそこには龍水くんがいた。
「何をしている」
「……ごめんなさい」
「入るぞ」
「はい……」
部屋に入るなり、龍水くんは私をソファに座らせた。背骨に手を添えられて「ひ」と情けない声を上げてしまう。
「どうした? 痛むか?」
「……ううん、びっくりして」
「気付かず水面に打ちつけられているかもしれん。違和感があったらすぐに言え」
「うん……。ごめんね、やっぱりそそっかしいね、私」
「どちらかと言うと俺に対して動揺していたように見えたが?」
ずし、とソファが沈む。龍水くんが座ったのだ。今気づいたけど龍水くん、服に着替えている。せっかくプールで遊んでいたところを申し訳ない。……じゃなくて。
それは気付いてても言わないでほしかったなあ。今から振られちゃうのかな。いけない、考えたら涙が出てきそうだ。
「はい」とだけ言う。女子高なので男の人に慣れてないんです。という言い訳は迷ったすえ言わないことにした。嘘ではないけど本質でもないからだ。
「貴様は……いつも澄ました顔していたというのに、俺に対してはあんな風になるのか」
「……学校とか家ではそんな、澄ましてないと思うけど」
「水を差すな」
「ごめん」
「とにかく、だ」
龍水くんが身を乗り出してくる。私はソファのひじ掛けに背中をぎゅうと押し付けた。
「貴様は俺に惚れているということで間違いないか?」
……死ぬ。これは何の罰ゲームだ。両手で顔を覆って、それから逃げるべくソファを離れようとしたら、バランスを崩して腰から床に落ちてしまう。
「いっ」
「貴様、なぜそうも……」
龍水くんはソファから降りて私の背を支えてくれた。それと今、さりげなくスカートの裾を正された気がする。もしかしたら見えていたかもしれない。水着だけど。もう最悪だ。
「落ち着け。俺は同意なく女を襲ったりはせん」
「……そんな勘違いしてないよ!?」
「そうなのか? ならなぜ逃げようとする?」
「……恥ずかしいから。それと、」
言ってみろ、と正面から龍水くんに見下ろされる。こんな至近距離で無理だ。けど私が言うまで龍水くんは離れてくれないのだろう。
「……龍水くんは私と同じ気持ちじゃ、なさそうだし」
「そんなのまだわからんだろう」
「まだ……わからん?」
「とりあえず次は二人でどこか行くか」
「え……え、どういうこと? 付き合ってくれる……わけじゃないよね?」
「なんだ、その気になっていたのは俺だけか?」
いや、全くわからない。龍水くんはとくに私のことが好きじゃない。まだわからん。でも付き合ってもいい……?
「来るものは拒まず?」
「おい、俺を何だと思っている」
「ごめん、だって……今までもそうしてきたの?」
「いいや。今回が初めてだな。だが、交際とは必ずしも好きあったもの同士でするわけではないだろう?」
それはそうだと思う。片方が好きで告白して、というのも全然ありだ。でもいざ自分がそういう立場になると、不安になってしまうものだ。相手が龍水くんだからというのもあるかもしれない。
「期間を決めるか。その間に俺を惚れさせてみろ。もちろんその間、俺は他とそういう関係になったりはせん」
龍水くんは勝手に話を続けている。こういうのってむしろ逆じゃないのか。お試しでいいから付き合ってって、告白したほうが普通は言うものでは?
「あの、むりです……自信ない」
「貴様はもっと自信を持て」
……いや、もうわけがわからない。なんで龍水くんがそこまで言うのか。普通ならちょっと期待してしまいそうな場面だけど、龍水くんだから何も参考にできない。
「期間はどうする?」
「……一ヶ月」
「そんなに短くていいのか?」
「じゃあ三ヶ月!」
半ばヤケで私は叫んだ。もうどうなっても知らない。こうして私たちのお試し恋人期間は始まった。