相容れない04
なまえは考えがまとまらないまま研究室を目指していた。行ったところで、とは思う。ゼノとは根本的に考えが違って、お互いの妥協点というのが存在するかもわからない。存在したとして、ゼノが科学に関することで譲るとも思えないのだ。
それでもゼノのところに行こうとしたのは、スタンリーからすでに銃が完成したと聞いたからだ。それなら次は何をしようとしているのか、ただ気になっただけと言えばそうかもしれない。
研究室に向かっていると、またもスタンリーと会ってしまった。「マジ」と彼はタバコを咥えながら目を見開いている。
「……自分でもちょっと信じられないし、あなたに会わなかったら途中で引き返していたかも」
「どうすんの?」
「次は何を作ってるのかなと思って」
「飛行機だってさ。これで満足?」
「……」
半分は勢いで来てしまったようなものだった。引き返すもっともな理由ができてしまい、足が動かなくなる。前にも後ろにも進めないのは迷っているからだ。
ぽん、と肩を叩かれる。励ましのような行為になまえは戸惑った。スタンリーにはよく思われていないと思っていたのに、違ったのだろうか。
「……えーと?」
「まー……手遅れっつーのかな。あんたがゼノに危害加えねえってんなら」
「……意味がよく、わかりません。別の単語で言ってもらっていいですか?」
スタンリーはふっと笑って首を振った。「もう寝るわ」と行ってしまう。同じ方向には歩いていく気になれなくて、そうなると行き先は研究室しかなかった。
ノックをすると当たり前だが返事が返ってくる。ゼノの声を近くで聞いたのは久しぶりだ。なぜかすごく胸がざわざわする。
「……こんばんは」
ゼノは何か言いかけようとしたみたいだったが、そのまま三秒ぐらい固まっていた。座ってもいいかと尋ねると、少し遅れて「どうぞ」と返ってきた。
机から椅子を離して座る。飛行機の設計図は完成しているように見えた。
「眠れなくて。ここで見ていてもいいですか?」
「……構わないよ」
「これは、まだ途中なんですか?」
「今は細かい調整をしているところだね。Dr.ブロディの意見も取り入れながら、というところかな」
「へえ……」
会話が途切れてしまう。しばらくなまえは様子を眺めていたが、ゼノの作業はあまり捗っていないようだった。
ゼノは手を止めてなまえを見た。
「どうして君はここに来たのかな」
「……眠れないときはいつでも来ていいって」
「ああ、そうだったね。さっきスタンとも似たような会話をしたよ」
「……本当は、自分でもよくわからなくて」
長い沈黙が流れた。そうだというのにゼノは図面に背を向けたまま、作業を再開しようとしない。静かに見下ろしてくるゼノが何を考えているのか知ることができたらどんなにいいだろう。やっぱり彼が支配者のようには思えなくて、思いたくなくて、何か希望が見出せないものかと期待してしまう。
何か、何か言わなければとなまえは焦っていた。
「続き、しないんですか?」
「ああ、」
ゼノは思い出したように設計図に両手を乗せた。がさがさとペンが走る音がする。
飛行機ならいいじゃないか。空を飛んで他に人がいないか探すこともできるし、遠くまで資源を取りに行くこともできる。そう言えばいいのに、聞くのが怖い。もっと物騒なことをするつもりなんじゃないかと、これは予感だろうか。なまえは椅子の上で身を小さくした。
ゆっくりと一度、瞬きをした。そしたらなぜかゼノが目の前にいて、手袋の先が触れそうなくらい近くにあって、夢でも見ているのかと思った。だってさっきまでゼノは机の前にいたのだ。
「ああ、起こしてしまったね」
「え……私、寝て……?」
「椅子の上で器用に寝ていたよ。危ないからせめて横にしてあげようかと思ったんだが、どこをどう動かしていいか……理論上はわかっていてもなかなか難しいね」
ゼノは立ち上がって苦い笑みを浮かべた。どうしてこういうところで優しいのかなあと思う。
「……ちなみに、どこをどう動かせばいいんですか?」
好奇心からの質問だったが「まず君の膝の間に入って」と予想外の返答が来て「え」と話を遮ってしまった。
「だから言ったじゃないか。実際やるのは困難だと」
「すみません、変なことを聞いて」
「いや、僕のほうこそ起こしてすまなかったね」
ゼノは首の骨をポキリと鳴らした。よく見てみると、ゼノの向こうにある机も片付いている。今日の作業は終わりのようだ。もしかしたら思っていたより時間が経っているのかもしれない。
「私、けっこう寝てました?」
「僕はあれから二時間ほど設計図を調整していたけど……、君がいつ寝たのかは気づかなかったかな」
「……二時間、まるまる寝てますね」
「それはよかったと言っていいのかな?」
「たぶん……」
ゼノはくすりと笑った。つられてなまえも笑った。
「部屋まで一緒に行こうか」
「え、はい」
研究室の明かりを消して部屋へ向かう。薄暗いから歩みはゆっくりだ。
ゼノの上着は暗闇に溶けてしまいそうだった。コツコツと靴の音がやけに耳に響く。
「ゼノはいつもこの時間に?」
「あまり褒められたことではないけどね」
「……ちゃんと睡眠はとってくださいね」
「おお、君は僕の心配をしてくれるというのかい?」
「しますよ」
ゼノはなまえの部屋のドアを開けた。ベッドの上の掛け布が起きたときのまま、ぐしゃりと丸まっていて恥ずかしい。おそらくゼノは気にしていないと思うが、これは気持ちの問題だ。
「……明日、時間をもらえるかな」
「いいですけど、何かするんですか?」
「硝酸の量が確保できたからね。明日は石像に硝酸をかけに行こうと思っているんだ」
ゼノが言うには、3700年意識を保っていた者に硝酸をかければ石化から復活するらしい。国立公園付近の石像にはすでに一度、硝酸をかけているそうだ。明日は別の場所で起きている人を探すということだった。
「スタンの声を聞いていないわけだから確率は下がってしまうけれどね。一人でも人手が増えてくれたらいいという程度の話さ」
「私は石像を探して硝酸をかけて回ったらいいってことですか?」
「そうなるね」
「はい。じゃあ明日、牛の世話が終わったら研究室に行きますね」
「ありがとう、おやすみ」
「おやすみなさい」
ドアが閉まるのを見届けてなまえはベッドに座った。ふう、と無意識のうちにため息をついてしまう。また、わからなくなってしまった。
人がたくさん目覚めてゼノと意見が合わない人が出てきたら、石化前のような倫理の世界になるんじゃないかと思っていた。それを望んでいた。だが、もし全員がゼノの意見に賛同したなら今の生活は続く。それが一番平和的に事が進む気がしてきたのだ。スタンリーが言っていたように、科学の邪魔さえしなければゼノは友好的に接してくれる。銃が人に向けられることもない。考えれば考えるほどわからなくなる。ただ一つはっきりしているのは、なまえがいくら考えたところで他人の思想は変えられないということだ。ゼノに反発する人間が現れるのも時間の問題かもしれない。
なまえはベッドの上で体を丸めた。石化前の世界でゼノに会いたかった。会える機会なんてないかもしれないけど、想像してしまう。ゼノにとっては窮屈な世界だったかもしれない。ゼノはどんな研究をしていたのかな。気づけば頭の中がゼノのことばかりだ。それを素直に認められない世界なのが嫌になる。
途中で何度か目を覚ましながら、なまえは朝を迎えた。毎日の仕事を急いでこなして、それでも終わったころにはお昼を過ぎていた。約束通り研究室を訪れると、ちょうどブロディと入れ替わりだった。
「やあ、早かったね。昼食はもう済ませたのかな」
「はい。ゼノは?」
「済ませているよ。それじゃあ行こうか」
なまえは言われるがままゼノについていった。てっきり他にも人がいるのかと思いきや、ゼノは誰にも声をかけることなく外に出てしまう。
「あの」
「うん?」
「二人なんですか?」
「二人もいれば十分な作業だからね」
「……そうですか」
なぜ私が、と聞けばよかったのにタイミングを失ってしまった。ゼノは倉庫へ行くと、台車のようなものを持ち出してきた。台車の上にはツボと木の立て札が乗せてある。ツボの中に入っている液体を石像にかければいいようだ。立て札はなまえが国立公園で見たものと同じ用途で使われるのだろう。
ゼノが台車を押し、なまえはその隣を歩いていた。
「……重くないですか?」
「仮に君が乗ったとしても余裕はあるよ」
乗ってみるかい? と聞かれて思わず首を振る。ゼノはたまに冗談で言っているのかわからないときがある。笑っているから今のはたぶん冗談だ。本当にわかりづらい。
ある程度進んだところでゼノは台車を止めた。見通しのいい場所に立て札を固定し、石像を探していく。
三人見つけたと思ったら、一人は腕が折れてしまっていた。ゼノは損傷のない二つの石像に液体をかけた。あ、となまえは声を上げてしまう。
「どうかしたかな」
「……もし目覚めて、知り合いの顔をした石像があって、しかも腕が折れていたら嫌だろうなって……でもそんなこと言ってる場合じゃないですよね、すみません」
「君をここに連れてきたのは迷惑だったかな」
「いえ、むしろゼノのほうが……」
「……君は確か石化前、父親と一緒にいたと言っていたね」
なまえはゼノが何を言おうとしているのか察した。だがそうではない。すぐに否定すると、今度は「早合点してしまってすまない」と謝られてしまった。
それからだいたい二十人くらい、硝酸をかけた。すぐに意識が戻った人はいない。人によって脳のエネルギー消費量に個人差があるようだから、あとは信じて待つしかないようだ。一人も目覚めないことのほうが珍しくないということを考えると、途方もない道のりに感じられた。
「もっとたくさんあるのかと思ってました……」
「この辺りはもともと人の多い場所じゃないからね。それで後回しにしていたわけだが……想像よりも少ないのは確かだ。おそらく埋まっているのだろうけど、まだ掘り起こす段階ではないかな」
「……ダイナマイトですか?」
「明確な目的がない限りは使用するつもりはないよ。石像ごと吹っ飛んでしまうこともあるだろうからね」
そのリスクを負うぐらいなら他の地域に行ったほうが早いとゼノは言う。なまえは相づちを打つことしかできなかった。
「帰りは私が押しますね」
だが、と難色を示すゼノに対して「押してみたいので」と言えば要求はすんなりと通った。
「乗りますか?」
「遠慮しておくよ。振り落とされたらタダでは済まないだろうか……っ!」
ズルッと音がした。え、と思って見てみると、ゼノが尻もちをついていた。本人も信じられないというような表情で、目を見開いている。
「大丈夫ですか?」
「ああ……みっともないところを見せたね」
ゼノは立ち上がった。そのとき、眉をぴくりと動かし左足を凝視したのをなまえは見逃さなかった。
「あの……本当に乗りませんか?」
「いや、平気だ」
「誰にも言いませんから」
「そういう問題でもないんだが……」
「でも」
というやりとりを何往復しただろう。なまえのしつこさに負けたのか、それとも足が思った以上に痛むのか、ゼノはしぶしぶといった様子で台車に腰を下ろした。
足を大胆に広げて台車に座る姿は、なまえの想像と正反対のものだった。広げた足の片方に肘をついて黙り込む彼は、ふてくされているようにも見えた。意外な一面になまえの胸はわずかに高鳴る。しかしそんなことを考えていると知れたらゼノは降りてしまうだろうから、絶対に口にはできない。
なまえは緊張しながらも台車を押した。ツボだけを運んでいたときとは違い、小石を乗り越えただけでもヒヤヒヤしてしまう。
「……どうですか?」
「この表現が適切かどうかはわからないけど、快適だよ。多少の振動はあるがね」
「足は大丈夫ですか?」
「そうだね……帰ったら念のため診てもらうことにするよ」
「それがいいと思います」
ゼノは急に振り向いた。何、と思いながらも平静を装ってなまえは台車を押す。
「君は案外、楽しそうだね」
……バレている。ごまかすことも考えたが、ゼノ相手にできる気がしない。彼が怒っているのかは、よくわからなかった。
「…………すみません」
「冗談のつもりだったんだが」
「えっ」
「……僕も、少し子供のころを思い出したよ」
「意外とやんちゃだったんですか?」
「どうだろう」
「……もっとスピード出してもいいですか?」
「それは勘弁してくれ」
ゼノはそれきり前を向いた。何も話しかけられなかったから、なまえもなんとなく静かにしていた。
ようやく敷地内に戻ってきたときはホッとした。人を運ぶのにあれほど神経を使うなど考えてもみなかった。何事もなく終わってよかったなと思っていたら、最後の最後でスタンリーに出くわしてしまう。
スタンリーは呆れた目をしていた。
「なに遊んでんの?」
「君も乗りたいのかい?」
「……で、ほんとのとこは?」
「滑って足を痛めてしまった」
スタンリーはため息をついた。
「だから気をつけろって言ってんじゃん」
いつも言っているのに、とも受け取れる言い方だった。スタンリーがゼノの世話を焼いている様子は何度か見たことがあるが、なまえの想像よりもずっと頻度が高いのかもしれない。
ゼノは一度なまえを見て、それからスタンリーに視線を戻した。
「スタン、誤解を招くような発言はよしてくれ」
「はいはい」
スタンリーは横から台車の持ち手を握ってきた。先に戻っていいと言われ、なまえは素直に頷く。すれ違いざま、スタンリーからタバコの匂いがふっと香ってきた。
「……あんた、ゼノのワガママにいちいち付き合わなくていいかんね」
「乗ってって言ったのは私で、どっちかって言うと私のワガママでしたけど……」
「あー……」
乱暴に髪をかき上げたスタンリーは何か言いたそうだったが、最終的には「やっぱいい」とだけしか言わなかった。
なまえは部屋までの道を一人で戻っていった。途中で振り返ると、スタンリーがゼノの足を確認しているのが見えた。