相容れない05

 ゼノと二人で出かけてから、なまえは以前のように研究室を訪れるようになった。危険なものを作っているのでないとわかれば、作業を手伝うこともあった。
 それから……ゼノのことを好きな自覚もあった。諦めるべきと何度も思ったが、未だ自分の中の気持ちにうまく折り合いをつけることができずにいる。
 スタンリーはもちろんのこと、ゼノを含めた他の人たちも気付いていたんじゃないかと思う。しかし、誰も何も言ってくることはなかった。
 ゼノと対立する人が現れませんようにと祈る日々だった。そうして何事もなく月日が経つものだから、祈る時間は次第に減っていく。決して忘れたわけではなかったが、根拠もなく楽観的になっていた。どれだけ硝酸を石像にかけようが、手で数えられるほどの人数しか目覚めなかったからかもしれない。

 しかし、その日は来てしまった。
 スタンリーが連れてきたという男性は、見たことのある顔をしていた。それも日本で。
 あさぎりゲンという名でテレビに出ていた彼もまた、仕事か旅行かでアメリカに来ていたのだろうと最初は思った。だが聞いてみると、彼は日本で目覚め、仲間と一緒に船でアメリカまで来たという話だ。彼がここにいるのは、あまりに過酷な環境に耐えきれず逃げてきたからだという。
 なまえがこの場に呼ばれたのは、彼の言っていることの信憑性を確認するためだった。外部から船が近づいてきていたことはもっと前からゼノたちは知っていて、しかも一度スタンリーたちが飛行機で偵察にまで行っていたらしい。隠されていたのかと残念に思う気持ちのほかに、仕方ないという感情もあった。
 ゼノ、スタンリーと一緒にいるゲンはずいぶん小柄に見えた。目が合うと、にこりと笑いかけられる。
「なまえ、彼のことは知っているかい?」
「はい……テレビで見たことあります」
「彼の職業は?」
 ちらりとゲンのほうを見ると、何か訴えるような目をしていた。だが、生憎わからない。
「え……芸能人? マジシャン?」
「……ふむ、どうやらそれは本当のようだね」
「よかった~! なまえちゃんが俺のこと知っててくれて!」
「Mr.ゲン、悪いが君は黙っていてもらえるかい?」
「ドイヒー……」
 それでもなお声を発する彼に感心しつつも、なまえは緊張していた。ゼノとスタンリーがゲンを疑っているこの状況で、下手なことを言ってしまえば彼の命が危うくなる。ゲンが嘘をついていないのなら何を言っても大丈夫な気はするが、テレビで見た彼は嘘を得意としていた。メンバトという番組では……あ。なまえが思い出したのは「メンタリスト」という彼の肩書きだ。もしかするとこれを言ってほしくなかったのかもしれない。
「彼について他に知っていることは?」
「……ごめんなさい、思い出せなくて」
「そうか、手間をかけたね。もう戻ってくれて構わないよ」
「せっかくだしここで話を聞いていてもいいですか? 日本人に会えたから嬉しくて」
「あまりおすすめはできないね。なにせ今からするのは君の嫌いな物騒な話だ」
「……彼の仲間を攻撃するとか?」
「そう……交渉は決裂した。だが相手の科学者さえいなくなれば、彼らは僕たちに従うほかない」
「やめて!」
 なまえはゼノの腕を両手で掴んだ。
「君と議論をしている時間はないよ」
 ゼノは腕を振りほどきこそしなかったが、なまえなど見えていないかのような顔でスタンリーに指示を出した。なまえは負けじとゼノの腕を引いたが、今までに見たことのない、冷たい目で睨みつけられて言葉を失った。
 一通りの指示が終わるとスタンリーは出て行ってしまった。スタンリーを追ったところであまり意味はない。彼を止めたいのならまずゼノだ。通信機があるのは前に見せてもらって知っている。スタンリーが銃を撃つ前までにゼノ、もしくはゲンの仲間を説得しなければならない。
「……まだ彼らとは話せますか?」
「おお、次は君が交渉しようというのかい? 案外それも効果的かもしれないね。何と言っても相手は日本人だ」
「お互い協力し、平和的に行きましょう。こちらにはゲンもいます。……これでどうですか?」
「僕に仕えてほしいという条件が抜けているよ。それでは通信は繋げないね」
「……私はその条件を呑みましたけど、何かを強要されたりはしてないし、労働環境もよかった。それなのに仕えるという言葉を使うから、相手に誤解されてると思うんです」
「意見を言うだけなら構わないという話さ。例えば君が施設を壊したり、銃を作るのを邪魔するようであれば他の手段を取っていたよ」
「……それは、」
 遠回しに非難されているような気がした。「君は口だけで何も行動を起こさなかった」と。結局、従う以外で生きる道を見つけられなかった。いつか来るかもしれない日から目を背けて、月日だけが過ぎて、だからこの日が来てしまったのだ。それなのに今さら何を言い出すのかとでも言いたいのだろう。

 考えていたら、一つ方法を思いついてしまった。決していい方法とは言えない。自分にもこういう部分があるのだと恐ろしくなり、ぞっとした。しかしこのままだと死者が出てしまう。
「……少し、待ってて」
 なまえはそう言って食堂へ向かった。そしてその奥、調理場でナイフをみつける。
 指どころか肘から下が震えていた。それでもなまえはナイフを手に取って、ゼノのもとへ向かった。
 ナイフを握った手は背中に隠し、ゆっくりとゼノに近づく。ゼノはスタンリーたちと通信機で何か話しているようだった。
「スタンリーをとめて!」
 ゼノの首筋にナイフの先端を向ける。ゼノは最初こそ目を見開いていたが、すぐに余裕の笑みを浮かべた。
 ゼノよりも先にゲンが声を上げる。
「なまえちゃん、いったん落ち着いて!」
「他に方法がない!」
「……ふ、ハハハハハ!」
 場違いに思える笑い声になまえもゲンも絶句した。それほどゼノの行動は異様だった。
「いや、実に不可解な話だ。人を脅すのに銃を向けるのはダメで、ナイフなら許される。君がしているのはそういうことだ」
「……そんなこと言われたって、やめません」
「君とスタンには明確な差がある……わかるかい?」
「……」
「スタンは必要なら撃つ。人を殺すことになってもだ。だが君はそれ以上ナイフを動かすことができない」
 ゼノは自らナイフに首を近づけた。なまえは思わずナイフを引いた。ゼノの首から血が流れていないことにほっとしつつも、今のですべてが証明されてしまった。
 なまえの手からナイフが滑り落ちる。落ちたナイフはゼノが拾い上げた。何か、何か他の方法を考えなければならない。だが、ゼノに効果のある方法はもう残っていないように思えた。
 なまえは部屋の出口へ向かって歩いた。
「今度は何をするつもりだい?」
「……彼らに逃げるか、降伏するよう言いに行きます」
「徒歩で? 間に合うわけがない。場所だってわからないだろう?」
「船なら川。……それと、調理場に置いてあった水がごっそりなくなってました。長丁場になるかもしれないってことですよね」
「……実にエレガントだ。君と思想が合わないのが残念だよ」
「今までありがとう……。まだここにいたかったけど、ごめんなさい」
 なまえは部屋を出て走った。本当に間に合うかなんてわからない。すぐに見つけられるとも限らない。でもこれが、人としての最後のチャンスのような気がした。

 ゼノはすでにスタンリーとの通話を再開させていた。ゲンは開きっぱなしのドアとゼノを一度見比べて、おずおずと声をかける。
「……ゼノちゃん、追いかけなくていいの?」
ゼノはゲンに背を向けたまま答えた。
「いつかこの日が来ることは予想していたよ」
「捕まえておいたほうがいいんじゃない? あっちに合流されたらマズイしー……」
「いきなり敵地から現れた人間の言うことをどこまで信じられるかな」
「……それ俺にも言ってる?」
「おお、すまないね。だが君もわかっているだろう?」
ゲンはゼノの問いには答えなかった。しかしゼノはゼノで気にした様子も見せない。
「……一緒に日本に帰っちゃうかもよ?」
「彼らは君を置いて行けるのかい?」
「え……いやー俺は裏切りものだし?」
「……君の言っていた、地獄作業とスパルタリーダーとは本当のことなのかな」
「……最初に言ったでしょ! それが嫌で「すまない、今のは忘れてくれ」
 ゲンはゼノの背中を眺めながら、頬を掻いた。上手くいけば弱点になりそうだったのにと、心の中でため息をつく。